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抽象的な質問となってしまいましたが、教えて下さい。

A 回答 (16件中1~10件)

「なぜ山に登ることはこんなに苦しいのですか?」と聞かれるならば、「苦しいから喜びが大きいのです」と答えます。


そもそも生物は、淘汰(物理的にはエントロピー増大)に対する反力として発生する以上、淘汰=苦しさと戦うことを喜びとすべきであり、そうでない個体は淘汰され、常にそうした意思を持たせるような力が働いています。

ところが人類だけ、生産行為における市場の拡大において「貨幣」という虚構の価値を生み出し、本来助け合って(=健全に働くために)生きているはずの社会において、他人と競争し、お金を奪い合う=金持ちになって他人を動かす=自分は働かないために生きる、というミョーな価値観を抱くことになり(お金をもらうためにイヤイヤ働かされることで、結果的に助け合う)、助け合う喜びは弱肉強食のジャングルに変わりました。

この自己存在の本質に根ざした喜び(助け合い)と、個人の意識の、お金や出世といった虚構の価値(奪い合い)の間のギャップにおいて、「生」物でありながら自ら死を選ぶことが可能になったし、そうした利己的な意識において、自分の死は絶対的な敗北になったのです。
そもそも細胞が遺伝子によって分裂回数が決められていて、自ら死ぬように、生物は死ぬことによって世代交代=進化があり、その交配のために愛する喜びがあるのです。
よりよく生きるとは、よりよく死ぬこと(=世代交代する=愛し合う=誕生の喜び)です。
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この回答へのお礼

淘汰に対する抵抗が生物の至上命題であるなら、「弱肉強食のジャングル」は本来の姿ではないでしょうか? 

また世代交代に自らの死はつきものと言えど、遺伝子を残す事による喜びと自殺は別物だと思われます。

回答頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/11/19 05:58

「人間は何故、生きるのか」


大自然の中に人間は何故に生きているのだろうか、G,アダムスキー氏は人間の目的と義務は愛(慈悲)と奉仕が人間の目的と義務であると遺稿の中で述べられました。まず我々が生かされている自然界を観察してみましょう。燦燦と降り注ぐ太陽の陽光や微風、綺麗な色とりどりの草花の香り、空を飛ぶ小鳥のさえずり打ち寄せる浜辺の波音、四季の移り変わり、果物や穀物の実り等、我々、人間

は、いかに創造主(父)の大自然の恵みの中で育まれており見事な宇宙の計画の中で生かされているのか・・しかも人間は創造主(父)の息子や娘として進化進級の学び舎(王宮、庭園)に住まわさせて頂いております。各太陽系の諸惑星の各教室には学習すべき科目や単位があり、私達、地球人は、まず自分の自我の克服(自分のエゴ怒り、貪欲、利己主義、等を取り除く事)や心と宇宙の意識(叡智、命、神、魂)の融合(一体化して溶け合う事)が第一の学習内容です。

釈迦も言われていますように、貪欲、怒り、愚痴、(愚かさ)は三毒と云われていますように人間にとっては魂を殺す毒薬と同様になるからです。現代の我々は古代よりも、もっと多くの誘惑物と欲望の渦に巻き込まれて、おり本来の人間の生きる目的や義務といったものを忘れており盲目の状態と言っても過言では、ありません。私達はGアダムスキー氏が提唱されました想念観察を各人が自分の進化

の為に自主的に行い心中のエゴ(怒り、憎悪、支配欲、嫉妬等)をクリーニングするより方法はありません。その上で貴方の(万人)の内部に内在する宇宙の意識の印象や各種の指示や啓示を知り、生活上で指針として心が役立て協力する事を学ばねば、なりません。万人の内奥の宇宙の意識は各人に直感、衝動、警告、映像、アイデアー、ささやき声等で万人の心を教え導いています。貴方が自身の

自我に過度の集中をしているのを止めて貴方の心が調和や平安である時は、その神の声や印象は各人によく印象付けられるものです。つまり各種の印象や指示や啓示等です。例えば信号の無い交差点に車で来た時に音も光もしないのに無言の指示で徐行しないと危険だよと云う指示が貴方の心に印象付けられます。それで思わず車を減速すると子供が自転車で飛び出して来て無事故で助かった経験は多くの方がされていると思います。

時折、閃きや警告等で、こうすれば良いとか、これは危険だな、とか云う印象や指示や啓示が各人の内部の叡智から心に印象付けられます。それは万人に内在する宇宙の意識(叡智、命、神、魂)からの指導で指示であるのです。それは全知者(創造主、父)の声です。人間の心のエゴで考える事ばかりではなく心の領域で考え思う意志を宇宙の意識の領域の意志に譲り渡す必要があります。

どうしたら心は神に支配権を渡すでしょうか神(宇宙の意識)と富(金や資産)と兼ね仕える事は出来ないし、人は二人の主人には仕えれないのです。人間の心は聖書にも記述があるようにライオンのように吠えまくっているからです。

一方、宇宙の意識は子羊のように豊かで親切で美しく小さな各種の印象や指示や啓示で教え導いています。丁度、心という放蕩息子が見栄やプライドや身を持ち崩した生活を反省して父の(宇宙の意識)家に帰るようにするのです。

心は無知蒙昧で知る者ではなく全知者である宇宙の意識(神)の意志や指示に従うのは創造主(父)の息子や娘として当然の義務であり進化の階段を登る事になるからです。 宇宙の意識に対する強い信頼と確信が皆様方を永遠の命へと導いて下さるのです。我々は、まだ永遠に学ばねばなりません。我々は退化する為ではなく進化向上し学習する為に生きているのであって、パンを得る

為だけでは無く経験や学習を通じて父の栄光と似姿に進化出来るように頑張って生きているのです。我々は皆が地球という小学校の学年で同じ資格を得て学んでいます。 太陽は貧しい者にも富める者にも正しい者にも悪人にも等しく光や熱やエネルギーを与えています。

又全ての生物や万物に等しく偏る事無く光や熱やエネルギーを与えています。これは創造主(父)の愛の象徴です。そして偏る事のない奉仕であるのです。本来、我々も愛と奉仕を創造主(父)のように与えるのが本当であって所有欲、独占欲、偏愛という間違った愛の表現をしています。

我々、地球人も貪欲と利己主義を克服して全体への奉仕や博愛や真の意味の平等を我々は学習すべきです。
「人はどのように生きていくべきなのでしょう」の回答画像16
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この回答へのお礼

ゆっくり読んで見ます。

尚、現在の世界では(というより時間に囚われない普遍的なテーマだと思うのですが)利己主義が跋扈しているように思われます。
それではその利己主義よりも理想を追うべきなのはどうしてか、という理由は、頂いたご回答からはちょっと遠いようにも感じますが、少し考えて見ます。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/22 03:04

人生とは夢であるから、己の夢をただひたすらまっすぐに追えばよい。



と思っていたがしなけりゃならんこともあるらしい。

だから両方をこなす。
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この回答へのお礼

権利と義務ですね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/19 06:04

.


これは、まったく別の角度から考えたほうがいいと思います。

あなたは、「人はどのように生きていくべきなのでしょうか?」と聞いています。
何故、この質問をしているのでしょうか?


・考えて分かりましたか?

あなたは、どのように生きていくべきか?を発した質問の裏には、より良く生きたいとの思いがあるのではないですか?
どのような生き方が、より良い(価値ある、有意義)な生き方なのかを探しているのではないのですか?

その心に気が付いたら、自分で価値ある生き方を模索するべきだと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>自分で価値ある生き方を模索するべきだと思いますよ。
そうですね。

お礼日時:2009/11/19 06:03

人生、五十年



昔の人間は言いました。

現代は、医学の発達で、長寿になっている。

節目、節目をどう迎え、どう過ごし、どう生き、生きて行くか。

そこにポイントが一つあると思う。

人間の[欲]の部分との折り合い。

これは、選択肢の中で、どれを選び、どれを切り捨て、どれを実行するか。

人間、全てを得ることは出来ない。

最期の息をする時、何を思い、生命を閉じるか。
その時しか解らない。
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この回答へのお礼

>人間、全てを得ることは出来ない。

全くその通りですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/19 06:01

もう一つ、



二十代は夢を見、
三十代は仕事をし、
四十代は健康を考え、
五十代は引退後の老後を考える。

これは若い人向けの忠告ですけど、要するに、四十、五十代で夢を見ているようじゃ遅いらしいです。

さあ皆さん、一緒に歌いましょう。はい、
じ~~んせいは~~~~
きび~~しいも~~~んで~~すね~~
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この回答へのお礼

発達心理学でどうもそのように分析されているようですね。
老年期の気持ちでは人生のまとめに入るそうです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/19 06:00

吾十有五而志于学、


三十而立、
四十而不惑、
五十而知天命、
六十而耳順、
七十而従心所欲、不踰矩。
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この回答へのお礼

年齢とともにその役割がある、という事ですね。
とても参考になる指標です。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/19 05:54

子供の心で生きてゆく事が一番大事な事かと思います。

子供時代には何も心配事は無かったと思っているからです。本当は「親に叱られないか?是はしてもいいことなのか?いけない事なのか?」と云う風に絶えず心配しながら生きていたはずです。

心配しながら生きていたはずなのに、心配した事さえも覚えていません。それは遊びでも、何にでも只何も心配した事さえも覚えてないくらい「一生懸命に生きていた」証です。そうして「何も期待していなかった。」証とも云えます。

大人になって、効果、或いは理屈、或いは効用などについて様々な方向で自分や、世界を分析しています。この分析した事をまた分析しています。そうして又その設計図を組み替えたり、壊したりして悩みを作っています。自分の思い通りにならない事に悩むようになります。

子供時代にも思いどうりにならなかった事を忘れています。子供時代にだって思い通りにならなかった事が多かったはずですが、忘れています。それは「期待」をする事が無かったせいと思います。

大人になって世の中を分析して、その行為の、或いは自分の考え方や実績の効用を考えるようになってきて、その結果が思い通りにならない場合に、挫折したり、悩みが深くなってきます。

お金が欲しいと思ってもお金が足りなかったり。友達が欲しいのに友達ができなかったりすると言う事になります。自分の考えているようには自分が出来ていない事を客観的に見てしまいます。自分も他人も同じ目で見ているようで、返って自分にだけ厳しく見つめたりする事もあります。

自分の良いところと他人の悪い処を比べた場合には、優越感に浸る事が出来ます。自分の悪いところと他人の良い処を比べた場合には劣等感に浸ると言う事になってきます。

処が子供時代にはそういう事はしていませんでした。ですが、幸せだったと思っています。何故ならば「自分を疑っていなかった」と云う事が言えます。ただ目の前の事に「夢中で」取り組んでいただけ、言い方を替えたなら、何も期待をしないで「只生きていただけ」と云えるからです。

人生で成功するコツが有ります。お金が欲しかったら「お金を欲しがらないで」只働くと言う事です。欲しいものを欲しいと思ううちは手に出来ないかも知れないという原則が有ります。欲しいものを欲しがらないで手に入れると言う事になります。

それは、捨てないと手に入らない、言い方を替えたなら、欲しいという意識は捨ててしまって、すっと手に入れると言う言い方になります。優勝が掛ったここ一番と云う時に「優勝」を忘れて「只、やる」と云う事になります。期待しないで、当てにしないで、ただやると言う事です。

この心持が分からないと人生で手に入れるものが多くはないかも知れません。
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この回答へのお礼

重要な訓示を頂き、感謝いたします。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/19 05:51

悩みながら・・・寂しがりながら・・・感謝しながら・・・



愛しながら・・・憎みながら・・・

でも憎しみは、なるたけ早く忘れるように心がけながら・・・

しまいには、何も考えずに・・・ただ、ひたすら前に進みます。
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この回答へのお礼

余談ですが、私は今まで経験した憎しみを自分の内から無くす事ができません。
本当はそんなものが無い方がいいし、忘れてしまうのが良い生き方なのでしょうが、私の内にある心情がそうさせてくれません。
心の中にある恨みを早い内に晴らしきれ、と心が命令してくるのでこの制御に困っています。

愛に生きるべきか、憎しみに生きるべきか頭を悩ませています。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/11/19 05:49

どのように生きていく「べき」か、あるいはどのように生きていこうと「する」のか、を考えるのなら、人・自己という概念をどのように捉えられるのかによって、答えは決まってくることでしょう。



周囲・全体から切り離しうる個として捉えるのか
周囲・全体から切り離し得ない個として捉えるのか

切り離し得ないというとき、どの程度、どういった関係を考えるのか

自身と他との関連性がどのようにある「べき」か、あるいは、どのようにしようと「する」のか。。。

能動と受動との狭間、あるいは、義務と権利との狭間、あるいは、平等と自由との狭間。。。
そのような狭間にてどのような方向への思い・想い「が現れ」、あるいは「を抱く」のか。。。

そういった方向性の成立、あるいは決定に関与する自己を自己として見つめ続けようとするところに、答えはあるかも知れません。。。
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この回答へのお礼

自己と他は相容れないが、絶対に外す事のできない要素ですね。
もう少し考えて見ます。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/19 05:46

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