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「ベニスに死す」で主人公が若く美しくなりたくて髪を染めたりメイクをしたりしますが、この映画の舞台となった時代、それは普通だったのでしょうか?
顔が真っ白なのに、他の宿泊客から何を言われるでもないですよね・・。

ご存じの方教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

監督ルキノ・ヴィスコンティは映画の中で「化粧」を象徴的に使うことが多々あります。


「ベニスに死す」のアッシェンバッハの化粧もその一つでしょう。
「ベニスに死す」の中では他にも、船の中の化粧した老人、ホテルの庭の化粧をした辻芸人と繰り返し「化粧」のテーマが用いられ、そしてアッツシェンバッハの化粧へと繋がっています。
美少年タッジオへの憧憬から、自身も青春を取り戻したいとの願望が生まれ、あの化粧になるわけです。
あれがグロテスクであり、哀れであれ、また滑稽である事がアッシェンバッハの内面を象徴し、また美しいタッジオとの対照を成しているのだと思います。
若さに固執することのグロテスクさ、哀れさ、滑稽さをまざまざと印象付ける為の化粧で、現実的であるかどうかは問題ではなかったのでしょうね。
ですから、異様さが目を引く事もまた重要であったではずです。
ヴィスコンティは化粧を「隠す」ものとは考えず、どんな化粧施すか(隠し方をするか)によって、逆にその人物の内面をえぐり出そうとしている、と言われています。

他の作品でも、「地獄に堕ちた勇者ども」のマルティンの女装の化粧や、母ソフィーの結婚式の化粧なども印象に残る異様さですよ。
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この回答へのお礼

現実的であるかどうかではなくて、演出方法の一つとして考えれば確かに納得いきます。
この監督の他の作品を見たことはなかったので、ちょっと見てみたくなりました。

とても分かりやすい回答をありがとうございました(^^)

お礼日時:2003/05/23 18:21

  今晩は。


>この時代
?と思って調べてみたら、この作品は具体的に1911年に設定されているのですね。
http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cg …
そうすると、このような疑問が生ずるのも当然でしょう。
 ウェブには男性の化粧に関するまとまった良いページがあまり見当たりません↓。書籍ならばそのような研究書は少なからずあるようですが。
 とにかくこのアッシェンバッハの年齢を60半ばと考えると、19世紀中頃の生まれでしょう。或いはまだ古い慣習が残っていた頃に少年時代を過ごしていて、それが周囲からもひどく不自然に思われるまでには至っていなかったのではないでしょうか。

 nyatannさんは化粧に象徴されるものからヴィスコンティの作品をきちんと分析されています。
 私は実はビスコンティが好きではありません。例えばこの『ベニスに死す』は再見する価値のある作品であることは認めるのですが、今のところはその時期ではないようで、この点に関して言えることは残念ながらありません(念のために書いておくと劇場で観ていないのは最後の『イノセント』とオムニバス作品が1本だけです)。
 ただ、思い返してみると、『熊座の淡き星影』で主演のクラウディア・カルディナーレのメークがやけに黒かったのも、そのような意味が有ってのものだったかもしれません。

 尚、以前鬘に関する質問が出たことが有りました。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=170791
それで、不思議なことに本日の日経夕刊の連載コラム「モードの方程式」にこの話題が取り上げられています(内容は服飾史、風俗史にとどまらず、非常に面白いです)。
 先の回答では誰一人言及しませんでしたが、「この鬘は政治的な信条や主義を隠すための道具であった。即ち同一性の象徴である」というのが最大の存在理由だったと筆者は述べています。
 なにやらこの辺は化粧にも関係しているような気がします。ご自分でも関連の書籍など読んでみた方が良いのではないでしょうか。

参考URL:http://theology.doshisha.ac.jp:8008/kkohara/repo …
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この回答へのお礼

演出効果の一つということで一応納得はしたのですが、時間がある時にでも、男性のメイクについて図書館で調べてみようかと思います。
回答をありがとうございました。

お礼日時:2003/05/28 09:49

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