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私が通っている高校には8組という知的障害者専門のクラスがあります

そのせいかクラスの連中は 成績の悪い人物に対して「お前8組なんじゃねーの!?」「8組行けよ!」と言い出して
からかうようになりました。

からかうのはまだ仕方がないとして、8組のクラスをネタにして人を
バカにするのはとても腹がたちます。

自分は知的に障害があるからといって 不幸な人とか 気の毒な人とか
一度も思った事はありません。
楽しければ笑うし 悲しければ泣くことだって出来るのですから

それなのに障害者をバカにする人物に対して なんて言えば
分かってもらえるでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

人間の本質です。

差別することで生きていけるのです。
そういう愚かなことをしないように教育を受けるのです。
わからん奴は淘汰対象。淘汰がないのが人間が劣化し続ける原因です。
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分かろうとしない者には、何を言っても無駄。


もともと、人をバカにしたりするのに理由など無い。
理由にならないんですよ、学校の外では。
単純に『不愉快だ!! そんなのは止めろ!!』これしかない。
自分の経験では、これが一番効く。
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「高校生にもなってそんなことも分からないのか! 小学校からやり直せ!」と罵倒したとしても、それは小学生をバカにしているわけではありません。


それと同じことではないでしょうか?
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生物として種を存続するために必要な本能。



現代の先進諸国で科学の発展により恵まれた環境で育った人間はその本能の価値を忘れているかもしれない。しかし、生物として劣るものを見下したり助けないのは生存するために必要な能力。
渡り鳥は、障がいがあったり能力に劣る仲間がいても助けず、見捨てて目的地に飛んでいく。牧草を求めて移動する動物たちも障がいがある仲間は見捨てられる。時には仲間内でいじめられて排除される。それが種を守るために必要な本能。
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この問題をどの位のレベルで論じれば良いのか、君のこの問題に対する理解の程度にもよるのだけれど、上っ面だけで言うのであれば障がい者(今は害の字は使わないのだよ)を馬鹿にする事は人として劣った行為であると言えますね。


しかしなにも障がい者でなくとも、チビ、デブ、ハゲ、ブス、童貞、オタク等他人を馬鹿にする要因は多々ある訳です。(ここには書けない事の方が多いのですよ)
それらを馬鹿にする事も障がい者を馬鹿にする事と同じく考えるので無ければ逆に障がい者を特別扱いしている事になるのではないですか。
君の優しい気持ちはすばらしい事です、その気持ちを今後も持ち続けていって下さいね。
やがてはそれが人に伝わる事もあるでしょう。
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昔から「知恵遅れ」と言い、蔑んでいました。


馬鹿にする人は、実態、家族の取組みなど全く知らず。外見しか触れることができないからで、学校側も隔離しています。

分かってもらうには言葉だけでは無理です。
知的障害者が置かれている環境を一般の生徒が肌で理解することが大事です。
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???



> 8組のクラスをネタにして人をバカにするのはとても腹がたちます。

8組をネタにすることに腹が立つんですよね?

だとして、

> 障害者をバカにする人物に対して なんて言えば分かってもらえるでしょうか?

がどうしても繋がらない・・・

障害者をネタに人を馬鹿にする ≠ 障害者をバカにする
だと思うんですが。

もちろん褒められた行為ではないですし、優しさに欠けるとも思いますが、実際にそのバカにしている人たちは障害者をバカにしてるんですかね?

山田(仮称)君というボケばっかりかます奴がいたとして、友人の一人がオオボケをかましたときに「おまえは山田か」とからかうことが、山田君をバカにすることとはどうも結びつかないので。

・・・・・・・

> それなのに障害者をバカにする人物に対して なんて言えば
> 分かってもらえるでしょうか?

言葉でわかるもんじゃない。
バカにする人はバカにする。相手が健常者であれバカにする人はバカにする。

「健常者に対してバカにするのは許せるが、障害者に対してバカにするのは許せない」と考えているのであれば、それはそれで障害者を特別視し過ぎ。

もしくは、反論する能力がない(少ない)ものに対してバカにすることを「差別だ」と勘違いしている。(差別ではなく卑怯でしょうね)
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まずその~バカにする人物~をぶっちぎる実績を残して


「なんでバカにしてるの?」の返事が「バカだから」なら
「じゃあ私は君より賢いから君をバカにするよ」とかもう

さんざんバカにしてあげていれば相手もイヤになるかとッ

「バカはバカにして良い」は「賢い人よ俺をバカにして」
と同じ意味の自己主張をしているコトになると思いますよ
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なぜ障害者を馬鹿にするようになったか・・・・・。


第一には日本特有の村社会の崩壊だと思います。
昔は、身体障害者にしろ知的障害者にしろ、富をもたらす「福子」であるといわれたり、特殊な能力を持つ神との交信者であると見られていたようです。仙台では有名な仙台四郎さんなんかはその典型でしょう。彼は生涯「ばあやん」としか話さなかったということでおそらく知的障害者であったのでしょう。しかし、彼が立ち寄ったお店は繁盛するといううわさがたち、彼が商店街を歩けば、どの店もお菓子などをもって四郎さんを店に招きいれようとしたそうです。
あとはそうですね、七福神を見てごらんなさい。どっからみてもフリークスでしょうが。でもそれを神や神の使い、あるいは特殊能力者として尊重する文化が日本にはあったのです。現代のように、誰もが均質的な労働力の提供者だと看做される時代にはそのようなことはないのでしょうが・・・・・。
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>私が通っている高校には8組という知的障害者専門のクラスがあります


 それはすばらしいですね。
 知的障害の人は外見ではわかりずらく、それでも、いずれ社会の中で自立して生活していかなければなりません。そのためには彼ら自身も社会の中で暮らしていく技量を身につけなければなりませんし、健常者もかれらを差別せずに歩んでいけるようになる必要があります。以前は、彼らを社会から隔離する施策がとられてきましたが、それは結果的に社会に大きな負担を強いる事になるのです。あなたの子供が知的障害者だった場合、その子を社会から隔離して養い続けられますか?あなたが死んだ後は???。それだけでも社会の中で暮らしていけるよう、彼らも健常者も同時に教育していかなければなりません。それが、このシステムの目的です。
 それは、あなた方も先生から教えられているでしょう。

 いまだに、「彼らは隔離すべきだ」という悲しい人たちもいます。でも、それって誰の役にも立たない。一番不幸なのは私たちの社会でしょう。

>からかうのはまだ仕方がないとして、8組のクラスをネタにして人を
>バカにするのはとても腹がたちます。
 これも、社会の多くの人に見受けられる差別意識ですね。ここで、二つに分けて考えないとなりません。
★実際の知的障害者
 彼らには責任はありません。そして、なによりも彼らは私たちより幸せかもしれません。「アルジャーノンに花束を」というダニエル・キイスによって書かれたSF小説(中篇)があります。私はこの本を高校の頃、ヒューゴー賞(SF小説の賞)集で読んで感動しました。
 彼らに対して差別するのは、おろかなことです。人は自分に劣等感があるとき、自分より何かが劣っている対象を見つけ出して、それによって「自分のほうが上だ」と、納得して安心しようという弱い面がありますね。
 その基準は、背が低い、器量が悪い、走るのが遅い、人をいじめる、計算ができない・・・・

 人を差別する=劣等感を持っている

★人を差別する人を軽蔑する。
 こちらのほうが深刻だと思います。良く考えれば上と同じ事をしているのです。判断基準が変わっただけですね。

 私の友人は支援学校の教師ですが、彼曰く
「排泄物を投げつけたり、罵詈雑言を吐いたり」と、大変だけど、彼らにはそういう表現しかできないんだと思うと、逆にいとおしくて・・・。彼らは本当に素直でかわいい」と

 君のクラスの友達も、そういう形でしか自分を認められないかわいそうな奴だと哀れみなさい。きっといとおしくなる。--だって、さっきまで君も彼らを差別していたのだからね。

>それなのに障害者をバカにする人物に対して なんて言えば
>分かってもらえるでしょうか?
「アルジャーノンへ花束を」は、早川書房からいくつか出版されています。長編ではなく、中篇のほうが手ごろです。先生に言ってクラスの皆で一度読んでみたら???。

 ヒューゴー賞を渡すとき「どうしてこんな小説を書けたのですか?」と聞かれてキイスが、「それは私が一番知りたい」と言ったエピソードを思い出します。もう三十年も前に読んだ小説なのだけれども・・・・
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