準・究極の選択

子供の幸せ とは?

多くの親は子供の為になる事を一生懸命考えてあげていると思います。
「将来苦労しないように」「自分と同じ苦労をさせないように」
という思いから色々な事をしてあげていると思うのですが、

「心」についてどう子育てするのが良いとみなさん思いますでしょうか?

子供は親を見て勝手に真似たり、これは真似ないと決意したりするもので
親が意識的に干渉するのは難しい面も多々有ると思いますが、
「うちの子は大人しくて真面目な良い子」
「いじめられて塞ぎ込んで手が付けられない」
「いつの間にか非行に走ってどうしたら良いかわからない」
核家族の家庭では特に、
親が子供の状態を「楽観視」していると「子供の一生をねじ曲げる結果」
を作りかねないと私は思います。

酷いと中学などの一番多感な時期に性格を大きく歪め、
結婚に極めて不適合な正確になり尋常じゃない苦労をさせる事も有ると
私は思えています。そうなる手前に、親は何ができるでしょうか?


子供の「心」についてどういう教育をすれば良いと思われますか?
優し過ぎてもいじめられたり、それで性格が歪んだり、
成るがままにすると将来のモンスターペアレント候補になりそうです。
親が干渉しすぎても自信の持てない、自分で何も決められない子に。

正解は無いと思いますが、
どんなスタンスと願いで子供に接していらっしゃるかだけでも
教えて頂けると幸いです。

A 回答 (2件)

30代一児の父親です。



私が思うのは、何もしないということです。
何もしないというのは、つまり転ばぬ先の杖にならないという
意味です。
何でもかんでも先回りして、全て親が解決していれば、いつしか
子供は自分では何も出来ない人間になってしまいます。
痛いからかわいそうと、転ばせなければ、転んだ痛みを知ること
ができません。
あえて転ばせる勇気を持つ事、これが親の務めと思います。
そして、我が子が決めて進む人生を絶対に阻むことはしない
ことです。
どんなに辛く苦しい結果になろうとも、我が子が自分で決めて
進むのならば、信じて見守ることが大事なような気がします。
全てが良い経験です。成功することだけが良い経験では
ありません。
失敗や挫折からも学ぶべきこともあります。
親が出来ることは何もありません。遠くから見守るくらいです。

我が子が人生で転んでしまった時には、どうして転んでしまった
のかを考えさせるのではなく、どう起き上がるかを見つめる
ことができる人間であって欲しいと願います。
もちろん転んでしまったことについて後で反省することは
大切だとは思いますが、過ぎ去ってしまった過去に捕らわれる
のではなく、今自分に何が出来るのかを見つめて欲しいのです。

ですから100組の親子がいれば、100通りの子育てがあります。
それぞれの家族が抱える課題を乗り越える為のやり方ですから、
違って当たり前です。正解はありません。
自分が苦労したから子供にはさせたくないというのは、親のエゴです。
自分の人生を否定している証拠です。
どんな例え自慢できないような人生であろうと、卑屈に思う必要は
ありません。全ての過去があって今のその人があります。
それを恥じることなく堂々と子供に見せてあげればいいのです。
その子供らしい生き方をさせてあげればきっと輝く人生になると
思いますよ(^.^)
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この回答へのお礼

>転ばぬ先の杖にならない
>全て親が解決していれば、いつしか
>子供は自分では何も出来ない人間になってしまいます。
ですよね・・、
私の親がその傾向が強かった反面、
それを抑えて自分のやりたい様にやれと常に言ってたのが
まさにそれだったのだろうか?と思えます。
自分も意識しないと超過保護で子供をダメにしそうですね;
明確な答えが出ない部分も有りますが、、

>今自分に何が出来るのかを見つめて欲しいのです。
心がけようと思います。

>それを恥じることなく堂々と子供に見せてあげればいいのです。
>その子供らしい生き方をさせてあげればきっと輝く人生になると
>思いますよ(^.^)
そうですね。私が繰り返してはいけない事だけは
包み隠さず全ての事実を子供に伝えて
それだけは繰り返さないようしっかり説明すべきだと思えました。

ご回答、ありがとうございました。
1つの答えが出せました。

お礼日時:2010/03/15 11:55

>多くの親は子供の為になる事を一生懸命考えてあげていると思います。



子供が幼いうちはそう考えるのがフツウだと思います。
子供が無限の可能性を秘めた存在に思えます。

しかし幼稚園に入る頃になれば、
「どう育てようと結局は自分と似たりよったり」
ということに気が付くのではないでしょうか。

子供は親の言うことを素直には聞きません。
思ったようにも育ちません。

ならば山に育つ木のように、そのまま育つのを見守ればいい、と私は思います。
「軌跡のリンゴ」という本がありますよね。
無農薬でリンゴ栽培することに成功した方の驚異の記録です。

下草は刈らない。
土壌を育てる菌を大切に育てリンゴの害虫を丁寧に駆除する。
それなのに、その方の育てるリンゴの木は驚くほど甘い。
しかもその免疫力は農薬を必要とせず、
自分の葉が病気になるとそこの部分だけ葉を枯らし、周囲に広がるのを防ぐ。

何をしたらこうなったのか。
それは「とことん見た」から。
何がリンゴにとって有益で何が害なのか。
何年もじっと観察したそうです。

それは子育てにも通じると思います。

先入観も親の期待もないところで、
「その子自身をよく見つめる」

子供は常に「今」を生きています。

先のことを予測してあれこれ対策を講じてもあまり意味はない、
むしろ大事なのは今です。
目の前で起こっていることを見て親の助けが必要だと思えば助ける。

私は実際に子供を育てながらそう感じています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「どう育てようと結局は自分と似たりよったり」
ですよね、私はまだ未婚ですが、自分の育った状況を思い出すと
そして周囲の親子の関係を見ていると、子は親の鑑、
結局そうなると思えます。

>「軌跡のリンゴ」
人間でも過保護だと、本来その子にとって有益な出来事ですら
「失敗させたくない」という親の意思から経験を積めず
経験が積めなかった事で後々子供にとって親が有害になるのでしょうか。

>先入観も親の期待もないところで、
>「その子自身をよく見つめる」
>目の前で起こっていることを見て親の助けが必要だと思えば助ける。
自分はそうできるよう心がけたく思います。

多少農業にゆかりが有ったので、例えはよく解る気がします。
ご回答、ありがとうございましたっ

お礼日時:2010/03/15 11:47

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