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太平洋戦争中にB29はサイパン、グアム、テニアン基地に日本本土空襲のために集結しましたが、アメリカ本土で生産後、送り込まれたものと理解しております。アメリカ西海岸から飛行してノンストップで3島に来れたのでしょうか?それともどこかに経由して来たのですか?

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A 回答 (3件)

こんにちは



ノンストップフェリーは航続距離から不可能で、また空中給油(受油)
機能もなかったので、途中で給油のため着陸しながら、いわゆる"飛び石"
でフェリーせざるを得ませんでした。

確か もっともポピュラーなルートは・・・
ボーイング ウィチタ工場(カンザス州)

トラヴィスAFB(カリフォルニア州)

ヒッカムAFB(ハワイ州)

クェゼリン(太平洋)

サイパン(マリアナ諸島)
というようなものだったようです。

ただ いくらフェリーとはいえ、本土以外の給油ポイント間は3,000~
4,000Km程度はあったので、概ね10~12時間くらいは飛び続けるワケです
から、結構しんどい任務だったでしょうね。
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この回答へのお礼

なるほど。良く分かりました。まさに長距離爆撃だったわけですね。ありがとうございました。

お礼日時:2010/04/02 12:01

質問とは関係ありませんが、そういう事に興味がおありならフォークランド紛争におけるブラックバック作戦を調べてみるといいでしょう。

(既知かも?)

イギリス軍がやらかした最も壮大で最もおバカな超長距離航空攻撃作戦です。
たかだか500キロ爆弾(1000lb爆弾)を20発ばかり落とすために、2機のヴァルカン爆撃機(1機は予備)に15機ものヴィクター空中給油機を随伴させて相互に燃料を融通し、大西洋を7000km縦断して空爆させたという空前絶後のトンでも作戦です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私はどれだけの物資を、どれだけ早く搬送できるのかについて興味がありました。まさにB29による空襲計画は良くも綿密になされたと感心しています。

お礼日時:2010/04/02 13:36

B29の航続距離は約4500km


http://ja.wikipedia.org/wiki/B29
アメリカ西海岸からサイパンなどの島までは直線で8000kmもあるので、ノンストップで飛来することは不可能です。
同じWIKIで「真珠湾」を読むと
「中央のフォードアイランドには大戦中飛行場が設営されていた」とのこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0% …
西海岸から一旦ハワイに飛び、給油してサイパンに向かったのかも知れません。
ハワイとサイパンの間にはマーシャル群島もあり、この辺が日本の支配下からアメリカ支配になった後に日本本土空襲が可能になったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

やはりそうですか。経由何には無理ですよね。65年も前にそのような物流が出来た事にアメリカの底力を感じてしまいます。

お礼日時:2010/04/02 09:58

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Qサイパン、テニアン、グアムのB29用飛行場建設

太平洋戦争中に米軍がこの3島を奪取してから日本本土への空襲を開始するまでの時間は相当に早いので驚いております。各島にB29を100機くらいは駐機できたと聞いたのですが、そんな大空港をB29に搭載する爆弾、燃料、メンテ部品と搭乗員、整備員などの宿泊ができる施設を含めて半年くらいの工期で完成したのですか?

Aベストアンサー

アメリカは、占領する前から、テニアン島を長距離爆撃機(B29)の発進基地にすると決めていました。
そのため、テニアン攻撃を始める前から、海軍の建設部隊である「海蜂部隊」がテニアン基地の建設準備を始めていました。

テニアンが占領されると同時に、海蜂部隊が製糖工場付近に仮桟橋を造りました。
無尽蔵な珊瑚が道路や滑走路の材料として使用されました。
”月月火水木金金”は日本だけでなく、海蜂部隊も週7日の昼夜兼行で基地建設を行ないました。
港から飛行場に通じる道路も、ブロードウェイと名付けられて開通しました。

港の桟橋も完成し、大きな船が直接テニアン島に、接岸できるようになりました。
占領前のように、沖の本船から、ランチで荷物を運ぶことは要らなくなったので、基地の建設は急ピッチで進められました。


島の北部には、占領後35日で一番滑走路(長さ2600m幅60m)が建設され、12月には最初のB29が降り立ちました。

その後11ヶ月でノースフィールド4本・ウエストフィールド3本合計7本のB29発進滑走路が建設されました。
舗装に使われたアスファルトやコンクリートの量は、ワシントンからボストン(東京から姫路駅)のハイウェー建設に相当するものであったそうです。 
当時                                 
ノース・フィールド基地は、世界で最大・最多忙な飛行場でした。
最盛期には日本への爆撃命令が出た日には、45秒毎にB29が2機ずつ翼を連ねて飛び立っていました。

アメリカは、占領する前から、テニアン島を長距離爆撃機(B29)の発進基地にすると決めていました。
そのため、テニアン攻撃を始める前から、海軍の建設部隊である「海蜂部隊」がテニアン基地の建設準備を始めていました。

テニアンが占領されると同時に、海蜂部隊が製糖工場付近に仮桟橋を造りました。
無尽蔵な珊瑚が道路や滑走路の材料として使用されました。
”月月火水木金金”は日本だけでなく、海蜂部隊も週7日の昼夜兼行で基地建設を行ないました。
港から飛行場に通じる道路も、ブロードウェイと...続きを読む


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