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池田大作と松下幸之助の関係
創価学会のビデオで池田大作と松下幸之助が度重なる対談をしていることが紹介されていました。

松下幸之助はどういう目的で池田大作と会談をする必要があったのでしょうか?

池田大作側から、宣伝目的で松下側にオファーしたのでしょうか?

A 回答 (5件)

こんにちは。

1975年の対談というやつですかね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

松下幸之助氏は創価学会ではないが宗教活動がちょっとあったらしく、その関係で池田大作氏と書簡のやり取りがあったらしいが、本当に対談があったかどうかは定かではない、またその内容には(創価学会の名を上げるような)脚色が相当なされている、というようなことが記されています。
あと、たとえば生前の幸之助氏は大作氏を熱烈に信奉しており学会入会を申し出ては断られて、、、というようなことは信者の間ではよく語られるようですが、そーゆうのがどこまで幸之助氏側の真実を反映したものかはわかりませんね。

>松下幸之助はどういう目的で池田大作と会談をする必要が

幸之助氏のというよりは学会側の必要に見えますけどね。
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たいへん学会員さん達の気に障ることを申し上げてしまったようで、誠に申し訳ございませんでした。

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#2の回答でほとんどいわれているので、付け加えるようなことはないのですが、松下幸之助に限らず、諸外国の「信仰を持っている人間」であるならば、どの宗教を信仰しているとか関係なく、池田名誉会長はお会いになっています。


少なくとも、下劣なことをいうような考えを持っている人には、どんな高貴な理想を掲げていても会われないと思うのですが。
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すみません。

学会員さんの気に障るとは思わず、無礼を申しました。
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創価学会といえば「貧乏人と病人の集まり」と揶揄されてきましたが、今日でもそれに近い蔑視をする人間は、非常に多くいます。

それゆえ、政界や財界のいわゆる「大物」が、創価学会や池田名誉会長と交流をもつと、「何か裏で工作をしているに違いない」と下卑た詮索をしがちです。要するに、「社会的立場も財力もある者が、どうしてわざわざ創価学会のような宗教団体にかかわる必要があるのか」という疑念をたぎらすわけです。

しかし、社会的立場があろうが、権力があろうが、人間の一生は短い。誰にでも死は平等に訪れる。そして死とともに、それらは消滅してしまうのです。「金ですべてが買える」と豪語していた某若き実業家が一世を風靡したことがありましたが、後にはその強欲な生き様があだとなり没落しています。このように「金」とか物質的なものを満たすことしか眼中にない人間ならいざ知らず、たとえ立場や権力、財力があっても、人間性の優れた一流の人は、人生の無常というものの前には、それらははかない幻であると分かっているのです。何か人生の精神的な羅針盤になるものはないのかと。それゆえ、そういう人間にとっては、生死の問題を理路整然と解き明かしている、日蓮仏法を実践する創価学会に、他の宗教にはないような、何か心の琴線に触れ、共鳴できるものを感じたのでしょう。

松下氏をはじめ、さまざまな国内外の政財界等の大物と、池田名誉会長は対談・会見してきましたが、そのいずれも名誉会長側ではなく、先方の方から対談・会見を申し入れているのです。それは上記のようなことが背景にあることは間違いありません。

「人生の至上の価値は、金や立場など物質的なものにある」と考える人間にとっては、このことがわからない。以前も旧ソ連のゴルバチョフ大統領と池田名誉会長が会見した時に、某週刊誌が「池田大作、金で買ったゴルバチョフ会談」などと大うその記事をでっち上げていましたが、これも、そういう宗教性・精神性など、物質性の前には何の役にも立たないとの堕落した思考のなせる業でしょう。

一流の人間は、物質的なものだけでは、人生は有益なものにはなりえない、と認識することができるのです。一流のものは、一流の人にしかわからないものです。社会的大物と名誉会長が会見すれば、「創価学会の側が、箔をつけるために会見を申し入れた」「何か裏がある」といった難癖しかつけられない人間は、所詮その人が二流、三流にすぎない証明となっているのです。
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