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都心に住んでいると、どうも他人との距離を感じます。

祖母が子供の頃は、近所の中がすごくよく、家の鍵をかけないで出かけてもお隣さんが見ていてくれたりと、人々の心の距離が比較的近かった気がします。いつ頃からでしょうか、人々が人と距離を置きたがるようになったのは。

今では、プライバシー優先で他人なんか二の次です。御近所さんとあっても、挨拶もせず素通り。

悲しいの一言に尽きます。近所の話に留まらず、駅の朝のラッシュの時誰かが倒れていても、気にはかけても声はかけず・・・。

何故人々は、関わる事を極端に拒み、自分の存在を消し透明になりたがるようになったのでしょうか。また、それはいつ頃からでしょうか。

つまらない事ですが、どうかよろしく御願いします。

A 回答 (3件)

他人と距離を置くということは、


自分も他人も大切にしているという事でとても良い事です。

自由で時間のある子供の間ならいざ知らず、
日々を時間に追われている大人達にとっては余計な慣習・干渉は時間の無駄です。
時間を合理的に使えない人間は社会では役に立ちません。

> 駅の朝のラッシュの時誰かが倒れていても、気にはかけても声はかけず・・・。

自己責任なのですから当たり前です。

文章を読んで、あなたが「自称とても人に親切な方」だというのはわかりました。
しかし、親切を他人に強制したり、他人のやり方を否定しないでください。
独善になりますから。
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この回答へのお礼

なるほど、確かに自分の文章読んでいると

「他人には”親切しましょうよ”と人にいいつつ、自分は親切にしない偽善者」と、とれますね。

>日々を時間に追われている大人達にとっては余計な慣習・干渉は時間の無駄です。
なら、時間があれば親切にするのでしょうか?

待合室で、暇そうにしてる人の前で人が転んでも誰も助けなかったのですが、これについてどう思います?

時間だけの問題ではない気がします。

ご回答有り難う御座います。

お礼日時:2010/04/25 20:34

同感です。

都市に住んでいると人間関係の希薄さを感じるのは普通の感覚だと思います。

いつ頃かと言うと、次のようなデータがあります。
http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Data/Popu …

1950年ごろは都市人口は50%、これが1970年頃には70%、現在は85%にもなります。
ちょうど、50年以降は高度成長期。みんなが豊かさを求めて農村から都市に向った時代です。その頃はまだ、都市と言っても、元々農村に住んでいた人どうしなので、人間関係は疎遠ではなかったと思います。

ところが、一世代、ちょうど団塊の世代が登場するあたりから、お金や地位や家庭が第一の価値観が強くなります。さらに、ちょうど戦後個人主義教育が浸透してきたのもこのあたりからです。

ただ、今は、日本は豊かさも実現し、このお金や地位や家庭第一の価値観は薄らいでいると思います。今は寧ろ、この自分第一の価値観を転換できるチャンスだとも思います。

機会があれば次の記事を是非読んでいただければ参考になると思います。

「価値対立は消滅しつつある。」http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k= …
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本来、人は、自分の住む「むら」を出て、ときどき「市場」へものを買いにいったものでした。


むらは人の世界、市場はモノの世界です。
昔はこれらがはっきり空間的に分かれておりました。

都心は、今なお「市場」なのです。
利便性を求めて、皆、24時間365日そこに住んだままになっているのです。

市場である以上、懸念される冷たさは仕方のないことです。
人と人のぬくもりを求めても、誰かに商品化されるか、足元をすくわれるかのどちらかです。
なぜなら、もともと人が住むようなところではありませんから。
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