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自分が思っている自分と他人が思う自分が、異なっていることに気付きました

自分では明るくて面白い性格だと思っていましたが、
どこからどうみても文学が大好きなおとなしいひとだよと言われてしまい、
自分のことがよくわかっていないということかとショックを受けました。
 
他人から見られる自分のイメージを理解して、
その上で行動なり対処なりできないかと思ったのですが、
それを理解するにはやはり他人に聞いて回るしかないのでしょうか?
 
自分を俯瞰する方法がもしあれば教えてください。
 

A 回答 (6件)

自分を知る前提が間違っていると思います。


自分が自分を知る上で・・・あることに気づかないと、自分を知ることはできません。
それは、自分という存在が、自己自身の中だけでなく、他人の中にも存在しているという事実です。
他人の中にいる自己を知らないと、自分を知ったことにはなりません。
他人の中にいる自己を知るとは、他人が自分をどう見ているかという評価のことではありません。
あなたには、少し難しいかもしれませんが、あなたと私という時の、二人称の壁をすり抜けた時に初めてわかる自分があるのです。
ここまで行って、正しい自己が見えてくるのです。
ですから、周りの人達から見たあなたに対する評価は、実は半分も当たっていないということになります。
「真の自己」が、他人の中にあるということが正しいとすれば、逆に言えば、他の人が私の中にあるということも正しいということになります。
自己を全ての他者の中に見出し、それによって、「私」と「あなた」という区別を超越して一つになるという、絶対的現実を確認する必要があるのです。
しかし、私たち自身の生活に二元の一体化を持ち込むことは、現実の経験的な存在によってのみ可能になるのです。
通常、私たちは、圧倒的に因習的現実の領域にいることが多いので、一方に偏った立場に立っています。しかし、もしも私たちが全体と一つになることができるならば、その時には、全体が、私と一つになるのです。
すみません、いつの間にか難しい話しになってしまいましたね
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>自分を俯瞰する方法がもしあれば教えてください。



この世には自分にそっくりな人が7人はいる、らしいですけど。
自分に似た人を見つけて、その人を見つめるのが一番。

外見の話じゃないですよ。

私の経験からですと、
「何故かは分からないが、その人を見ているとイライラして仕方がない」
って人は、おおむね自分とよく似ています。
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タイトルを見て、ジョハリの窓を思い出しました。


心理学の用語です。
http://www.actstage.com/PSY1.htm

ジョハリの窓では、自分しか知らない自分を
小さめにすることが良しというふうにされていますが
別にゼロに近くしなくたっていいだろ・・と個人的には思います。

そして心理学的に限っても、このほかに
いろいろなスケール(基準の尺度)はありますし
1つの基準でどうこう言い切れないのも現実ですよね。

個人的には、単純に
そのときどき出来ることに着実に打ち込んで歳を重ねるだけでも
付随的に、自分というものについてよく分かってくるものだ
とは思いますよ。
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自分が思っている自分と他人が思う自分が、異なっていることに気付いて云十年の者です。

他人から見られる自分のイメージを理解するにはやはり他人に聞いて回るしかありません。

でも、それよりも、新しい出会いがあったら、早めに自己紹介で本当の自分について語り、万が一、違うイメージをもたれたら、「よく言われるんだけど違うんだよねえ」で済ませればいいでしょう。「行動なり対処なり」なんて大げさなものは不要です。
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ちょっとお聞きしますが、100%自分の事が相手に知られているのって、気持ちが悪くないですか?私は気持ち悪いです。

友人の事も私は100%分かるはずもないですし。

ここで、うまく伝えられるかどうかわかりませんが、ちょっと私の考えを.............

あなた(自分)

 --
|12|他
|34|人
 --

上の図(図に見えますか?)で四角があなたという人間を表していると考えて下さい。

その自分を自分は(便宜上)上から見ています。
他人は(同じく便宜上)横から見ています。

ここで四角を「田」の字のように4つに切ります。するとどうでしょう。あなたには1と2が見えていますが、他人には、2と4が見えていますよね。

つまり、2の部分は[「僕(私)ってこうだよね?」「あっそうそう。」]という自分。
1の部分は[「僕(私)ってこうだよね?」「え~っそうだっけ?」]という自分。
4の部分は[「キミ(あなた)ってこうだよね?」「え~っそうだっけ?」]という自分。
という事です。これはあって当たり前です。っていうか、無いとおかしい。

ここで3の部分ですが、ここはあなた自身も、周りの方も誰も見えない部分。ここを潜在意識と言っても良いかもしれません。しかし、ここもれっきとした「あなた」です。ある日ここの1部が見えて驚くかもしれません。しかし、決してこの部分を否定はしないでください。あなた自身を否定する事になってしまいます。

この2の部分を四角の中で大きくしていく事が、「コミュニケーション」の目的の一つなのではないかと思います。だから、人からのイメージが自分のそれと違うからと言って落ち込む必要は無いと思います。ですから、「対処」はしなくて良いと思いますよ。「コミュニケーション」をはかれば。

頑張って下さい。
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貴方が自分で感じている面もあるんだろうし、他者が貴方に感じるような印象の部分も貴方の中には存在してると。


それはそれで良いんじゃない?
元々多面なんだから。
そして貴方にそう伝えた人の感覚は、あくまでその人の感覚。
その友達の意見が全ての代表ではない。
貴方の印象は、貴方と相手との距離感、親しさ、信頼関係によっても違う筈。当然分かち合う関係の深さも影響していて、素直な自分が出せている、伝わっている関係もあれば、表面的な薄い印象で分かち合っている関係もあって。それが色々で構わないんだと思うよ。
明るくて面白い~という自己認識が自己完結していないか?
他者との交流、コミュニケーションの中で貴方の印象は積み上げられていく。もっと貴方を知ってもらう、貴方自身から発信していく事で。より相手も貴方を近くで理解していけるんだと思うからね。
貴方自身のその明るく面白い~という部分を他者にも感じてもらえるように。改めて直のコミュニケーションを大切にしていきながら、相手と丁寧に向かい合っていきながら、相互理解を深めていけば良いんだと思う☆
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