人生最悪の忘れ物

最近、このようなことを学びました。
前置きが長くなります。


思いやりや善意は誰の気持ち?
自分の気持ち

人情や同情は誰の気持ち?
自分の気持ち

相手の気持ちや考えは誰の気持ち?
相手の気持ち

自分の気持ちを他人に押し付けるのは、やさしさ?

相手の気持ちを理解しようとするのが、
やさしさ


これを言われてから、他人に対して
口に出す前にグッとこらえることが出来ました。

今思えば当たり前のことだったのですが、
思いやりや善意、そして同情や人情
悪いことではないと思いますが、たしかに他人の気持ちを考える自分の気持ちを表した言葉です。

なぜ、いままで素直にこれを実践できなかったのか
人の話を聞かない、話しているときに遮ってしまう、
それは、相手の気持ちを理解しようとしていなかったからだと、思い知りました。

当たり前と言えば当たり前。
いい歳して分からないの?

なんて、思われる方もいるでしょう。

では、質問します。
思いやりや善意とは、どんなに付き合いが長くても、赤の他人に掛けなければならないものなのでしょうか?

それは、相手ではなくて、自分の思い、考えなのではないでしょうか?


反対意見をお聞きしたいです。
よろしくお願いいたします。

(ざんねんながら、私の教養力ではこの質問に対する答えが分かりません。
なので反対者がいた時に立ち向かえません)
なので教えてください。

どんな意見があるのでしょう

A 回答 (5件)

言葉の意味は一つではなく、使用場面、状況、話者・聞き手などによっても、意味は異なります。



善意
① 法律用語としての善意は、ある事実について知らないという意味で用いられる。対義語の悪意は、ある事実について知っているということを示す。
② 相手によい結果を導こうとして行なう意思を指す。対義語には「悪意」がある。
③ 善行をなし悪行を避けるという規範意識を示す。
④ 良い・善であるとの判断や解釈を、「これは善意」というような表現で示す。
⑤ 好意(相手に良かれという自分の気持)を、「これは善意」というような表現で示す。
⑥ 「自分にとっての利害計算などに基づくものや行為ではない」というのを知らせる目的で、「これも善意で」「皆さんの善意が」「善意が形になって」などという表現で使われる。

> では、質問します。

★ 思いやりや善意とは、どんなに付き合いが長くても、赤の他人に掛けなければならないものなのでしょうか? ★

質問文が、二重否定文のようで、修飾句の繋がりも、わかりにくいです。

❶ 思いやりや善意は、赤の他人に掛けるものでしょうか。

思いやりを子に掛ける、妻に掛ける、老親を思いやって、医師は患者に思いやりをもって、このような場合、思いやりは「赤の他人」ではないでしょう。
セルフコンパッションという言葉で、自分自身を思いやることを勧める人たちもいます。 赤の他人に掛けなければならないものとは限らないでしょう。 https://survey.lafool.jp/mindfulness/column/0152 …
善意にしても、「掛ける」という他動詞のセットの場合には②の用法になってしまいますが、自分自身の心の持ちよう、行動の意思、悪行や怨念を自ら捨て去るというようなことで、⑥⑤③の意味の善意ならば、他人の気持ちは二の次です。 そのような行為や気持の持ちようの善意の場合に、(人の話を聞かない、話しているときに遮ってしまう)(善意の押しつけ)(相手の迷惑、余計なお世話)になることもあります。 "なることもある"には気をつけないとならないですが、お世話そのもの、善意そのものに付帯する悪い結果ではないです。 それは、赤の他人でも、客でも生徒や患者、友人、肉親、だれに対するものでも同じです。 自分自身についてでも、いたわり過ぎ・大事安全重視過ぎ・疲労や苦労悲哀を避けるなどにばかり気を向けたり、自分の健康や金銭の利、自分の気持ちや感情にばかり目を向ければ、多くの場合、ろくな結果にはならないです。 赤の他人か、関係が深い人か、肉親のような人か、自分自身か、抽象的な人間社会に対してか、などに関係なく、思いを掛けるやり方、状況、程度、善意の内容、方法、タイミングなどに気をつけた方がいいです。 ただし、常時気をつけていては、何も決まらない、行動が中途で不完全などの結果になります。 対応や行動、思考に一貫性がなかったり、連続しないのは、もっと状況を悪くすることが多いです。
良好に生き、社会生活を乱したりせず、人間関係を安定的に中長期で維持し続けるには、自分の志向・嗜好・行動傾向・接し方・話し方・表情や反応の仕方・就業中の行動などを「私のキャラ」で安定させることです。 思いやりでも善意でも、お節介でも、過干渉気味でも、自分中心気味でも、状況が続いている方が、ころころ変わるよりもいいです。

❷ 思いやりや善意は、付き合いが長くてなったら、掛けてはならないのですか。

付き合いが長くなれば、その付き合っている人の経過にも現実にも詳しくなります。 どのような状況、タイミングで、どのような思いやりや善意が適切であるかが分かるようになることが多いです。 
付き合いが長くてなって「そのように適切な対処が出来る状態になったら、思いやりや善意を掛けてはならない」ということはないです。 より適切な思いやり、善意を②③④⑤でやって良いでしょう。

❸ 思いやりや善意は、赤の他人に掛けなければならないのか。

赤の他人の意味にもよりますが、対象者についての情報が全くない状態では思いやりも善意の②③④⑤はできません。 困っている・弱っている・悩んでいる・苦労しているという状況判断があっての善意や思いやりの実行です。
なお、赤の他人は世界中にいます。赤の他人だと分かったときに、「思いやりや善意」を発揮されたら、皆さん迷惑をします。 赤の他人に思いやりや善意を掛けるときには、対象の選定、タイミング、方法、内容を常識に照らして実行する必要があります。 公共機関や準公的機関で善意や思いやりを実行しているところの方法に相乗りすると、赤の他人への思いやりや善意は失敗が少ない状態で出来まsy。
対象者が自分の親、配偶者、親戚、上司、部下、雇用主、取引先でも、思いやりや善意を掛けてもいいです。 でも、対象者が迷惑を感じたり、かえって負担を増やすような方法をとってはならないです。 自分自身を対象に思いやりをする場合には、かなり慎重にならないと、ろくなことにはなりません。 セルフケアのやり過ぎや不適切はダメです。

> それは、相手ではなくて、自分の思い、考えなのではないでしょうか?

他人の指示に従っておこなうとか、相手が求めてきたらおこなうなど、は、仮に以前からしようと考えていたにしても、その行為を②④⑤の意味で、思いやりとか善意とかは言いません。
自分の自発性や自分の気持ちが発意になったものを、思いやりとか善意と思っていいことが多いです。 仮に相手が迷惑とかお節介、余計なこと、邪魔と受け取っても、自分が(好意やお世話、思いやり、善意、手助けである)と考えていたら、自分の思い違いであっても、思いやりであり、善意です。
(人の話を聞かない、話しているときに遮ってしまう)(善意の押しつけ)(相手の迷惑、余計なお世話)になることもあります。 "なることもある"には気をつけないとならないですが、おもいやりや善意であることに変わりはないです。

> なぜ、いままで素直にこれを実践できなかったのか
> 人の話を聞かない、話しているときに遮ってしまう、
> それは、相手の気持ちを理解しようとしていなかったからだと、思い知りました。

「相手の気持ちを理解しようとしていなかったから」ということもあるのかも知れませんけれども、その前に、状況把握と状況や相手のこれまでの事情の理解などが不十分か不適切であって、「状況を~~~に違いない」と誤って思い込んだことに主な原因があると思います。
相手の気持の理解ではなくて、経過や状況の理解・このあとの推移についての理解が不十分な状況なのに、「こうしたら良いはず」と思い込んだことが失敗の理由でしょう。

情報が不足なので、アドバイスしても見当違いのお節介、善意の押しつけとなる可能性は高いですが、テレビドラマなど見ているときに、登場人物の状況や次の行動・発言・反応を予測してみるようにしてはどうでしょう。
予想がだいたい当たってドラマのシーンが展開していくなら、状況理解や推移理解はだいたい良いのでしょう。 えっ?ということが多いと、状況理解がまだまだということです。 ドラマの大筋とか、上手くいくいかない、犯人と動機はというようなところではなく、ドラマの中での台詞や表情、仕草、態度、人物の位置関係にもっと気をつけて見ると良いと思います。
友人や同僚、仲間といるときにも、同じように言葉、発音の調子、身体の向きや位置、表情、言葉の選択や文章(話し言葉は文章ではないですが、言葉の出てくる順番、接続詞、助詞、間投詞のようなものの使われ方を、この人の普段のこと、過去のこと)を、最近の仕事や交友関係、トラブル、成功の状況をセットで理解するようにすると良いと思います。
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何を思いやりや善意と呼ぶのか、相手や状況によって変わります。


だから、臨機応変に対応するしかないと思います。
通常、人は相手の気持ちを想像し、自分がされたら嬉しいと思うことをしようとします。
でも、相手の状態によっては、それがかえって負担になることもあります。余計なおせっかいになる場合もあるでしょう。
健常者は、そのとき相手の気持ちを理解し、距離を置いたり、放っておくことができます。
でも、自分の気持ちしか見えない人は、相手の気持ちがわからないので、放っておくことができません。
その場合は、相手にとって迷惑であり、害になります。
つまり、思いやりや善意に正解はないのです。
状況やお互いの心理状態によって変わります。
発達障害、精神疾患、コミュ障の人は、その塩梅がわからないのだと思います。
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共感し合える相手に対してだけ、善意は良い方向に働く。


そうで無い相手には、私の感覚と経験ではこうなんだけど参考にしてね!良かったらつかってね!って気持ちで接する。
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我が強い事に気づいたってことですね。


自分を知ると
相手を知ることが出来ると思うんですよね。
今、自分の事を知り始めたから
もっと心の探求すると
見えてくるものがあるのかなって思います。
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相手の気持ちを理解するとはよく出来ましたね。



ついでに言うと相手に対して行った善意は積み重ねることでいずれ違う形で自分の元に善意として帰ってくるですね。

だから思いやりや善意として自分に帰ってきてほしい気持ちがあるならまずは相手が得する行いをしていかないとな
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

因果応報というやつですね。
しかし、それこそ仏教?ではないですが、自分の思いだと思いませんか。

たしかに心が豊かになるでしょう。
また、見返りを求めずとも、そういった人は報われることも多いでしょう。

しかし、善意が帰ってくるには善人がいなければなりません。
またそれは、相手の気持ちのためではなく、自分が善意を求めて行っていることでは無いでしょうか?

というと、本当にそれは善意なのでしょうか?

たとえば、私はこうしたら喜ぶ(または世間一般的にこうされたら喜ぶ)ということでも、それは本当に相手にとって喜ばしいことなのでしょうか?

私は相手の気持ちが理解出来た、とは思ってないし、おそらく理解出来てません。
相手の気持ちを理解すること、
それら、話をきちんと聞く、何を考えているのか、どんな気持ちなのか考える。
ということなのかなと、思っております。
これまた、
私が自分で言っておいて、あれですが
自分の気持ちになってしまっているかもしれません。

善意、というものを、やさしさ、より
誰しもが納得するように説明出来れば、

私も嬉しいです。

本当は人情とかのほうが人間味があると思ってます。

でも質問のとおり、自分の思いはやさしさではない。
ならば善意はやさしさではない。

に打ち負かされてしまいます。


(´;ω;`)助けてください

お礼日時:2023/07/24 20:33

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