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構造主義の思想の時代に、反感を持って学生運動が世界的に起き、ポスト構造主義の思想が強くなって行ったと聞きますが、構造主義とはどんな思想で、当時の社会、教師、学問、はどんなものだったのでしょうか? 構造主義とは、それに対するポスト構造主義とは、簡単な概要とその思想の源泉を知りたいです。

A 回答 (2件)

デカルトの発見(コギト エルゴ スム)により


論理的合理性を第一に置く近代哲学(モダン)が始まって以降、
合理性を完全に失っていた宗教による暗黒時代は終焉を迎えました。
その後も人心は常に論理的な正道を求め、最終的には
最も論理的に整合性の取れた民主主義という政治思想へと集約して
いったわけですが、その一方で全体主義と呼ばれる政治形態が生まれます。

全体主義は共産主義や主体思想、あるいはナチズム・民族主義など
様々な形をとりつつ『国家に力を持たせ、脅威に対抗する』という
目的を達成するため、デカルトが発見したはずの"個"を失わせていきました。
何故こういったことを"個"を発見したはずの人間が認めてしまったのか。
全体主義と民主主義の戦争である第二次世界大戦の終結後、
様々なアプローチで研究が始まったんです。



『構造主義』とはこの研究の過程で生まれた、
正体不明の存在"社会"に対する分析の総称です。
その分析は、心理学・集団心理(社会学)の発見に始まり、
言語学・文明論の後押しを経て、一つの合理性を導き出します。

つまり『人間が集まって社会が出来るのではなく、
社会の結節点として人間が存在しうる』のです。

ちなみにこれは特にフランス・ドイツで発展した概念で、
イギリス・アメリカは全く逆の考え方をしています。どちらにも理はあり、
その結論は正反対。論理を重んじる、近代合理主義の一つの結論がここにあります。



こういった論理を積み重ねた分析から、教員を初めとして一部の人間の間では
共産国にも理はあると好意的に考えられることもままあったようです。
しかし、現実は共産主義が夢想した社会へとは変わりませんでした。
むしろ、現実の共産主義者の集団は権力(暴力)闘争と(忌み嫌っていたはずの)
搾取に明け暮れ、結果、一般市民を巻き込みながら自壊していきました。
自らを正道と説きつつ、無関係の市民を虐殺する彼らに対する嫌悪感、
これが『ポスト構造主義(ポストモダン)』のはじまりのひとつです。

その論理の源泉は『証明できない問題があることの証明』です。
これにより、論理は社会と世界を全てカバーしないことが判明している。
もちろん、それをもって構造主義の研究そのものを否定しているわけではありません。
自分の導き出した論理以外にも、他の論理展開・方法論が存在"しうる"ことを認め、
あるいはその別の方法論を取り入れることを認める。
だからこその"ポスト(次の)"であって"アンチ(否定する)"ではないんです。

自分自身を明確に定義しないことを題目としているため、
今までの構造主義的な分類は不可能ですが、
簡単に定義すれば、構造と構造、思想と思想を結びつける考え方。
別の言い方では"イデオロギー闘争の終焉"なんて言ったりしますが、
イデオロギーそのものが無くなったわけではないんです。
もちろん無条件に自分を低い位置に置くわけでもない。

この思想が、とても解りにくい分類であることは確かですが、知識の交流が始まり、
新しい論理・新しい経済・新しい社会体制の根拠ともなりました。
一方でもちろん使い方を間違えると、宗教のごとき論理が破綻している
不条理が侵食する、"暗黒時代"が再来しかねないわけです。
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この回答へのお礼

すばらしい!霧が一気に晴れました!

お礼日時:2010/06/16 19:01

それはフランス思想界に対する過剰な思い入れです。

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