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不正や不祥事が起こると、人々は「あってはならないことだ」「何をやっているのだ」と怒ります。
とくにもそれが権力や経済力を持つ立場の人だった場合、人々の怒りは大きくなります。
それ自体は極めて自然な感情だと思います。

しかし、権力や経済力を持ったときに清廉潔白さを貫けるものなのかと考えてみると、それは相当に困難なことなのではないかと思います。
それ以前に、清廉潔白な人が権力や経済力を持つ立場にたどりつけるのか、
もし出来るとしても、ごく少数の幸福なパターンなのではないかとも思います。

〔多くの人の心にある弱さ〕
・誰しも、自分の苦労は実体験だからよく分かっても、他者の苦労を本当に推し量ることは難しい。
 (例:高齢者、妊婦、障害者など、困難な状態にあるのを多くの人が認識しているに関わらず、実際の場面では邪魔者扱いされることも多々ある)
・自分の親しい人やメリットのある人に対して便宜を図ってあげたい気持ちが起こりやすい。

〔周辺環境による要因〕
・権力やお金があると、恩恵にあずかろうとする人々が群がってくる。
・ずるい事をしないと他者・他企業などを出し抜けない。
・言う事を聞けば大きな恩恵を約束されるが、聞かなかったらひどい目に合わされるリスクと直面する。

何を言いたいかというと、他者が不正を起こしたときに責めるのは簡単だけれど、多くの人に共通する心理などが作用してのことであって、
いざ自分がその立場になったら、正しい道を貫けるのかという疑問を感じるのです。
いろいろ、世の中の問題を考えているうちにこのような考えに突き当たりました。

皆さんは、清廉潔白な人が権力や経済力を手に入れることはできると思いますか?
また、それらの力を持った後も清廉潔白さを維持できると思いますか?
どうしたら不正や不祥事を起こさないようにできると思いますか?

A 回答 (6件)

まず人によって清廉潔白の解釈が違ってくるので、誰の目にも清廉潔白という人は不可能です。



ただ、大多数の人から見れば清廉潔白レベルであれば十分に居ます。
ただ、そういう人はほとんど目立ちません。
普通にしていてもニュースになりませんよね。
悪いことをするからニュースになる。
清廉潔白な人はいいことに関しても、いいことをして目妥当などと思いませんから地味な活動をしがちだし、それをことさらアピールもしません。

>・ずるい事をしないと他者・他企業などを出し抜けない。
これは出し抜くという楽をしようとするからそうなるのです。
正々堂々正面からぶつかって、正攻法で上がっていけばずるいことをする必要などありません。
特に経済の場合はニッチな隙間産業を探し出せば正面からぶつかる相手などいないでするすると駆け上がることが出来たりします。

なので清廉潔白な人が権力や経済力を手にして、その後も清廉潔白で居続けることは十分に出来ますよ。
ただ、そういう人はマスコミなどにもてはやされないから一般の人には知られないだけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>ただ、大多数の人から見れば清廉潔白レベルであれば十分に居ます。
>ただ、そういう人はほとんど目立ちません。
>普通にしていてもニュースになりませんよね。
>悪いことをするからニュースになる。

なるほど、そういう見方もありますね。
ライブドアやらグッドウィルやら、赤福やら船場吉兆やら、急成長した会社や老舗の不正が明るみに出て、
こうしないと勝てないのかなと悲しく思ってたのですが、逆もまた真なりですね。

お礼日時:2009/04/20 21:51

♂です。


私も#5の人と同様で「誰の目にも清廉潔白という人は不可能」だと思います。
しかし、たとえば、橋下大阪府知事や東国原宮崎県知事などは一般的な清廉潔白な人と言えるのではないでしょうか。
(私は個人的には、森田千葉県知事もそうだと思いますが)

日本の場合、特に過去にはなぜこのような(清廉潔白な)人が少ないのかと言えば、嘘に対する罪悪感があまりにも甘いためです。

「嘘も方便」「本音と建前」「大人の事情」「子供じゃあるまいし」など大人が清廉潔白に生きないための言い訳が数多く存在していて、さらにそれをうまく使い分ける人こそが真の実力者であったりもします。

また、本人だけの問題でなく周りもそれを容認し、理解することが大人であったりもします。

アメリカは逆に嘘が極端に嫌われます。
つまり悪事は法により、ある程度は規制できますが、嘘(詭弁)を規制するのは限りなく難しいことだからです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
アメリカの事情をご存知のようなので追加でお願いしたいのですが、
アメリカで嘘が嫌われているのならば、嘘を許さない風潮はありますか。
明らかに日本における嘘への態度より厳しいですか。

お礼日時:2009/04/20 21:59

それに近い人はいるでしょう。


でも、周りとの環境(周辺が騒ぐから防げない)時もあります。

また、誘惑に負ける人が多いのも事実。
また、周辺を豊かにするのも義務なんでしょうか?
自分自身の幸せをどの程度求めるかのも問題です。

また、政治力というのもあります。
周辺が認めないと。

自分自身と周辺の関係でも変わると思います。
いくら、清廉潔白でも、周辺が着いてこないと。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
周辺が認めること、着いてくることがないと、トップにはなれませんね。
汚れるざるを得なくなることもあるのでしょう。

お礼日時:2009/04/19 16:23

まず清廉潔白ということの定義が必要だと思いますし、権力とは?経済力とはどのような事を指すのかというような議論の単純化をはからなければきちっとした納得のいく結論にはゆきつかないと思いますが、質問者様の意図ははっきりしていますので、私なりの考えを述べさせていただきます。


基本的に清廉潔白なひとが権力や経済力を獲得しようと行動する事が矛盾したことのように思えます。権力の内容にもよりますが、政治権力に絞った場合は純粋な使命感から政治の世界へ入ってくる有為の人物は戦前には(失礼、戦後もいらしたかも)多かったようです。そんな中で総理大臣にまで登りつめた人物も伝記などを読めば複数いらしたようです。現在だって環境は昔よりもむしろ整備されているわけで、理論的には充分可能だと思われます。
経済力とはぶっちゃけて言えば金を儲け、金で人やものを自由に出来る力ということでしょうが、金を儲けたいという意思が清廉潔白と矛盾しないと考えるなら、その目的貫逐のために清廉潔白を貫き通せばOKということでしょうし、清廉潔白の定義如何では不可能ではないと思います。もっともこの線では私は実例を出せませんが、金を儲けることを最終目的にはせずに、何らかの(社会に貢献したいという目的で)営利事業を起こし、それがたまたま成功して財産をなしたというひとは少なくないと思います。例えば出版事業で成功した○波茂雄氏のようなひとが思い浮かばれますが、他にもおられるだろうと思います。
いずれにせよやはりらくだが針の穴を通るような稀少なことであることは疑えないでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>まず清廉潔白ということの定義が必要だと思います
これは、不正や不祥事で批判されているような事をしない人という意味です。
例えば、偽装、脱税、贈賄、収賄、裏金作り、違法スレスレの商法、廃棄物の不適切な処理、等等。
経済力や権力については、amazo007様のお考えで合っていると思います。

>金を儲けたいという意思が清廉潔白と矛盾しないと考えるなら、その目的貫逐のために清廉潔白を貫き通せばOKということでしょう
金儲けしたい気持ちと清廉潔白さは矛盾しないと考えています。
偽装や贈賄などせず、優れた製品や技術、サービスだけで勝負して富を得たいと考えるなら、清廉潔白だという考えです。
この部分についてもamazo007様が解釈なさったとおりです。

>いずれにせよやはりらくだが針の穴を通るような稀少なことであることは疑えないでしょう。
そうでしょうね、きっと。
ということは、やはり多少は汚い事をしないと、他者・他企業に太刀打ちできないとお思いになりますか?

お礼日時:2009/04/14 21:46

<とても興味深い内容でしたので回答させてください。



私も同じようなことを思います。
上に行けばそれだけ障害も多く、身を汚さなければ、責任も守れなくなるのでは、と。
自分はいままで気楽な立場だったから、上が汚いことをするとただ上が悪いと
単純に思っていた気がします。
そう思えているうちは、幸せは努力で簡単に手に入れられる、と単純に考えていた。

でも、自分が犯罪にあって、時間がたつにつれ、考えが変わりました。
この世には明るみに出る犯罪もあれば、うやむやにされてしまうものもある。
すべてが正論通ればよいけど、時代の変化、価値観や育ちの違い、私利私欲、教育の欠如、臆病、己可愛さなどのために、周りが積み重ねてきた努力やきれいな気持ちが壊されてしまう。
そしても自らも、自暴自棄になり、傷つけたくないのに周りを傷つけてしまう。
皆にその理由を説明することはできない。自分も苦しいし、周りも苦しい。

そういう思いをするにつれ、私はいままで「悪い」「残酷」と一方的に決めつけていたことが、「生きる上で人間が負うべき最低限の義務であり、社会への責任」に映るようになりました。
皆が共存して生きていくために最低限ルールがある。

でももし今の常識やモラルがおかしいなら、表だって犯罪的なことをしても、見えない底辺で苦しむ大切な人を守らないといけないこともある。
それができるのは、一部の権力者だけだと。

「ゴッドファーザー」の冒頭、コルレオーネにあるイタリア人が助けを求めにくる。

「娘の顔はもう二度と戻らない、奴らに制裁を」
「君はずっと私に挨拶しにこなかった。私がほしいのは金ではない。
でも今後もし忠誠を誓うのなら、今回は助けよう」。

Part2では、幼い日にマフィアに家族を殺され、NYに逃げてきたコルレオーネが、どうやって天涯孤独の身から自分を守り、仲間の信頼を得、権力を握り、復讐していったかが、とてもわかりやすく描かれている。

そして息子のマイケルは、時代が変わる中で、本意でないにもかかわらず、父への愛情と責任から、本当のゴッドファーザーになっていく。
でもそれは本当に彼が求めていたものを失うことでもあった。

人生は因果だと思うし、上に立つ人ほど孤独でもあると思います。
それをわが身にかぶるか、他人にかぶらせて適当に生きるか、人それぞれではないかと思います。

ただ、本当にわかってくれる人が一人でもいれば、それで幸せなのではないかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>自分はいままで気楽な立場だったから、上が汚いことをするとただ上が悪いと
>単純に思っていた気がします。

私もそういう時期がありました。
世の中は勧善懲悪で裁くことは出来ないですね。

お礼日時:2009/04/14 21:21

>皆さんは、清廉潔白な人が権力や経済力を手に入れることはできると思いますか?


>また、それらの力を持った後も清廉潔白さを維持できると思いますか?
ごく稀ではないかと思っています。
逆説的ながら、最初から富を得た家庭に育つから富みに執着しない誠実な人が生まれるのではないか、と、思っています。
貧乏な中、這い上がろうと必死にもがき、そしてなりふり構わず富を手にされた方など清廉潔白とは程遠いと思いますよ。

物語などは、金持ちは意地汚くて、貧乏人は心の綺麗な人、というステレオタイプができあがっていますが…
実際は、逆であると今では考えるようになっています。

昔は、宗教的束縛から、金に執着するのは卑しい、と考える人々が多く
清廉潔白と言われる人も今よりは多かったと思いますが…
明治以後静養のの宗教観が持ち込まれ経済こそ全てという考え方がひろまってきましたが、肝心の『富める者は貧者に分け与える』という精神が抜け落ちてしまっているように思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私たちはステレオタイプに、無意識のうちにかなり左右されていると思います。

>肝心の『富める者は貧者に分け与える』という精神が抜け落ちてしまっているように思います。

残念ながらそのようですね。

お礼日時:2009/04/12 21:58

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