No.2ベストアンサー
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堂々としていなければならないと云う『気目付けを』自分がしたからです。
自分の中のもう一人は真実を見ている者です、その者から、抗議を受けるからです。簡単に言うならば『心の矛盾』が有るからです。その者を認めて、『何時も堂々としていなくとも良い』と思えた時から、望まなくとも堂々と出来ます。自分が自分を責めているから、堂々と出来なくなっています。
もっと言うならば、自我意識が、無意識に抗議を受けている事が、堂々と出来ない理由です。自我意識が引っ込むなら、自然と堂々と出来ます。心の矛盾といは『意識』VS『無意識』の事です。それは心では感じる事が出来ないくらい、深いところの争いです。意識の根底にまで降りて行かないと知る事は出来ません。
もし知りたいと思うなら『禅』を学ぶ事です。鈴木大拙博士の書いたものをお勧めします。私の場合、博士の本から自分の『無意識の意識』と出会う事が出来ました。言葉のない世界でのみ出会えます。
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