【お題】王手、そして

肉体が亡びても魂は永遠なら、永遠の世界に魂が溢れてしまいます。輪廻転生で説くなら世界人口の増加に伴い新しい魂が生まれているのでしょうか?個人が誕生したときその魂はそこから始まった真新しいものなのか、輪廻転生により繰り返す生への歩みなのか悩んでしまいます。学のない私ですが、『それでも僕はいきてゆく』という野田啓介さんの本を読み哲学の魅力を感じています。

A 回答 (17件中11~17件)

宇宙以上に広いものはないのでは?


魂=気は無限にあるのではないでしょうか。その中のほんの少しがとりあえず分かる限りでは地球上に生命として現れるのでは?
その気は宇宙に戻りまたいつの日か地球上又は他の星で生命体になるのでは?
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この回答へのお礼

私は肉体が亡びても、魂は存在するというこを自明の理とし、
そこからいろいろな意見を参考にさせてもらってます。
前掲したように霊の存在からそう思います。
テレビで語られる心霊体験を、疑いながら文句を言うタイプの人間ですが、
身近な人の話など、実際に霊がいると信じているからです。

誰も確信を持って知ることができない魂の行き先ですから、
いろいろな発想が生まれています。

ztb00540さんの意見でイメージが膨らみました。
そのような気がします。ありがとうございます。

お礼日時:2010/10/17 14:40

自己流でふるえながら、ビビりながら、恐れ多くも日頃感じていることを言わせてもらいます。



「肉体を滅ぼしても魂を滅ぼすことのできないものを恐れるな」という言葉があります。
 私は魂を神のみ心に適う志の様なものではないかと思います。その志は又それを引き継ぐ他者
 によって生きつづけます。魂は風船のように軽くてふわふわその辺を漂うようなものではなく
 愛と力による思慮分別のようにずっしりと重いもので、その価値は永遠のものだと思います。
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この回答へのお礼

御意見ありがとうございます。
目に見えないものだからこそ、人それぞれ様々な発想が生まれるので参考になります!

私は魂はもっと自然に近いような気がします。

信心深い訳もなく、宗教や哲学に縁が遠いというか、勤勉じゃない私が、
肉体とは別に魂があると思うのは、現実主義や唯物主義では行き詰ってしまうからです。
ジョンレノンの、天国も地獄もないという考えに感銘したときもありましたが、
死んだら無になるのなら、墓参りの意味さえ希薄になってしまいます。
幽霊などいるのだろうか?と自問すれば、世に蔓延している怪談のほとんどが作り話にせよ、
実際に起きた事実もあると信じています。今時、全く霊の存在を信じない人は皆無に近いと思いますが…

成仏してない魂が霊となるなら、肉体が亡びても魂が存在することが明白になります。
そう考えると、成仏した魂はどこへ行くのだろうという疑問にぶつかります。

死んだ後の世界なんか信じないとか言いながら、供養しないと罰が当たるとか言う、
矛盾だらけの人がたくさんいます。

魂の概念もいろいろありますが、死んだら悪い魂も善い魂も肉体から離れてどこかへ行くのでしょうね!
風船のように軽くてふわふわの方が私のイメージに近いです。

お礼日時:2010/10/15 18:47

人が理性を持っていることに古代の人は着目をし、それがどこからきているのか考えてイデア論が出たんだと思います。



イデアは従って場所を占拠するものでもカウントできるものでもないと思います。

イデアとは何かという問題で、美・優秀性と考えました。
馬にとってのイデアは早く走ること、ならば人間にとってのイデア(美・優秀性)とは何かを次の人が考え、「善く生きることが人間にとっての美(優秀性)である」と考えたんです。

では「善く生きるとはどういうことか」とさらに展開して、徳を持って生きることであるとしたんです。


そしてその美・優秀性は普遍であるとしたんです。

普遍とは増えない・減らない・時代にいよって変わらないもの。

何かの条件で美となるものは、何かの条件が消えたとき美とならない。
こういうものには普遍性が無い。

イデアは普遍なので何にも依存しないんです。


それから人間の徳をイデアとし、人間の徳とはどういうことかとなり、アリストテレスの中庸論になっていったわけです。

中庸論とは例えば不正を見ても注意しないのは、その人が悪だからではなく、勇気が欠如した状態だから。
徳(イデア)が足らない状態なわけです。

かといって恐怖政治をする人に、1人ではむかっていったら殺されてしまいますので、この場合つっこんでいった人は勇気がある人ではなく勇気が過剰すぎた無謀な人。

不足と過剰がイデアから離れるとしたんです。

永遠に存在するものはイデアのこと。
消えるというのは普遍じゃないってことですよね? 存在した状態から存在しない状態に<変化>したので。
普遍の属性を持っているものは、変化しないんです。
永遠性を持っているんです。
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この回答へのお礼

勉強になります。
イデア自体の意味が、学のない私にとって調べてもいまいちピンとこないのですが、
その意味を敷衍することができました。

何度も読ませてもらい、認識が深まったような、まだ漠然としているような感じです。

大変、貴重な説明で大切にさせてもらいます。ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/14 17:23

「魂は来世で未来永劫に存在する」という考えは、


国家体制を統治する上で便利なシステムです。
民衆は圧制でも納得しやすく、兵隊は命を投げ出して闘います。

古代エジプト文明やそれ以前からあったとされるマヤ文明などでも、
そういう世界観(宗教というよりは常識)で統治されていました。
現在でもイスラム教やキリスト教右派で利用されています。

権力と宗教の合作といえるシステムであり、
先祖を敬うという民衆の嗜好にも合致します。

一方で、仏陀という王族出身の哲学者が発見したのが「食物連鎖の法則」です。
この法則に人類も囚われていて逃げることができない、というのが「悟り」です。
科学的考察方法も無い当時では画期的な世界観です。

これを広く民衆に理解させながら統治にも利用しようとして誕生したのが大乗仏教であり、
捻り出されたのが曼荼羅の世界観でした。
そしてやはり、輪廻転生という考え方で民衆に解り易く解いて成功しました。

ここでも国家統治側と教団が合作して、大商人の資産も利用しながら宗教設備を整えていきます。
超古代文明の時代から科学的考察方法の仏教に至るまで、
「魂」という概念は形を変えながら国家権力に利用され続けてきたわけです。

魂の存在を疑えば砂漠のような人生観になってしまいがちで、
現実主義が極まれば欲にまみれた退廃的な世界になってしまうのかもしれません。
それでも、真実こそ真の哲学であると奮起すれば、
魂という便利な言葉(システム)を使わずに世界観を構築できるかもしれません。
(H.ヘッセの「荒野の狼」という作品もあります)

似非宗教や擬態宗教でも魂は雄弁に語られますが、
魂を定義しようと思えば生物学を極めねばならず、
生物学を極めるには宇宙物理学も極めなくてはなりません。
(オウム教団が独自の方法でエリート達を利用できたのも、そういう理由です)

まず第一に、「肉体が亡びても魂は永遠」などという安易な考えは棄てた方がいいです。
そこから自分の頭で世界観を構築していくのが哲学の道だと思いますよ。
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この回答へのお礼

すごく奥が深いですね!
今の時代、宗教を誤った解釈で危険な方へ暴走する過激な衆愚があるから、哲学を崇高すればという、学のない私の短絡的な考えですが、宗教も哲学もかなり共通項を持っており境界が曖昧ですね!

確かに天国も地獄も民衆を導くのに、あまりに都合のいい道具のような気がします。

絶望した人を救うため、生きる意味を解き明かす、何かを信じる必要があります。
それはひょっとして哲学的じゃなく、単純なものかもしれません。
目に見えないものだからいろいろな考えが生まれるのですね!

大変参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/14 17:15

あくまで私の空想ですが、質量保存の法則のように、この世界における魂の数(量かもしれない)は常に一定だと考えています。



たとえば、たまに何かが大量発生する現象が起きたりしますよね。そんな時は、どこかで何かが大量に命を落としたのではないかと思っています。何か、というのは人に限らず、動物、虫、魚、木など、生きとし生けるものすべてです。
今回発生した岡山のザリガニ大量発生。あれはもしかしたら、ロシアの山火事で燃えてしまった木々たちの魂が転換したものかもしれません(自分で書いておきながら視野が狭いと思いますが)
もっと視野を広くすれば、一定の魂は地球内だけではなく、地球外の生命も含まれているかもしれません。
まあ、真実は神のみぞ知るってやつですが。

実のところ、最近になってエジソンがこれと似たようなこと言っていたのを知って驚きました。
「エジソン 魂 不変」などで検索するとヒットするかと思われます。
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この回答へのお礼

そうかもしれない!と感銘しました。
絶滅危機の野生動物とは相対称に人類が増えているのかもしれません。
参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2010/10/14 01:30

その永遠の世界がそもそも、有限の広さだという前提が正しいのですか?


死後の世界も「ビッグバンで生まれた宇宙の一部」ではないでしょうか?
お題が成立するには、死後の霊界も宇宙の始まり(誕生、というのは語弊があるかと・・・)と終わりをまたがり続けなければならないはず、という考えもできると思います。

そもそも死後の世界が、大航海時代の西洋人が行こうとした地球という「枠」においての「異郷の土地(土地=枠です)」のような「物体的なもの」としてあると言い切れるのでしょうか?
SFで宇宙に進出した人類が植民地にしてる惑星もいいきれば「物体=モノ」です。
死んで零体になった死者の住む世界もまた、零体としてのモノからなる「土地」と同等なら理屈上いつかはそうなる、に違いないでしょうね。

零体だろうが物理的なモノによる枠と同等なら、懸念のとおりでしょう、宇宙の生成・終焉が繰り返すとして、それを越えても続くなら。

もしもそれぞれの霊魂が見てる、明晰夢のように自分の意思が働く「夢を共有化したような」のが死後の霊界なら、その辺は無問題でしょうか?
そもそも零体はとにかく、その大元であろう「魂」に「物理的な大きさ」という概念を適用できるのかどうか・・・
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この回答へのお礼

私は宗教や哲学に無頓着でしたが、世界で過激な解釈で暴走する宗教より、
誰もを納得させれるような哲学があり、生や死や真理を世界を諭すことが出来たら平和なのかなあなんて、足りない頭で漠然と思います。
哲学も全然知りませんが、生きる意味という観点でたまたま読んだ本が哲学色が強かっただけです。
私の質問を根本的に覆すような答えに、なるほどと何度も読み返させてもらいました。
貴重な意見ありがとうございます。

お礼日時:2010/10/14 01:24

>輪廻転生で説くなら世界人口の増加に伴い新しい魂が生まれているのでしょうか?



野田啓介さんの本は知りませんが、輪廻転生については諸説あります。
転生と言っても必ずしも人間に生まれ変わってくる訳ではありません。
それまでの行いによって天上人になる者もいれば、畜生として生まれ変わる者もいます。
だから、動物でも人間に生れ変わる物もいると言う事だと思います。

まあ、これは昔の人が考えた哲学の一種ですから何を信じるかは貴方次第です。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
私は信心深い方ではないのですが、今の時代、宗教が誤った解釈で暴走し、危険な方向へ進むことがあるので、生や死に対して哲学で納得したいという気持ちがあります。目に見えない世界にリアリティを求めるのはおかしいですが…
では星のように多い魂の数は一定で、人口増加分は、他の種が減少した分となるのでしょうか?

お礼日時:2010/10/13 22:47

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