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はじめまして。
私は26歳で、工事勤務している31歳の男性と付き合っています。

質問というのは、タイトルの通り、彼のら抜き言葉を直してもらいたいということです。

「食べれる、見れる」
この程度なら、もうみんな普通に使っているようですし、
ラジオのDJや若いアナウンサーあたりも使っているので、
仕方がないのかなぁーとも思えます。

でも彼は、「信じれる」「耐えれる」「感じれる」という言葉を使うのです。
はっきり言って、どういう教育を受けてきたのか、
どういう環境にいたらそんな言葉を使うようになるのか理解に苦しみます。

彼からそれらの「ら抜き言葉」を聞くと、とても気持悪いです。


最近、結婚の話も出ていて、彼が私の親に挨拶しに行きたいと言っているのですが、
私の父が厳しく、そんな言葉を彼が父の前で使ったら、
間違いなく「無教養な男だな」と、呆れると思うのです。
結婚に反対するかは分かりませんが、諸手を上げて賛成はしないと思います。

私は彼のことを大切な人だと思っているので、
彼が父にバカにされるのが嫌なんです。
それに将来、子供ができた時に間違った日本語を使わせたくありません。

だから、今のうちに直してもらいたいのですが、
どういう言い方をしたら、彼を不快にさせずに受け止めてもらえるでしょうか?
男性はプライドが高いと聞くので、注意したら嫌な気持ちになるのでは…と心配しています。


どうか、お知恵を貸して下さい。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (27件中21~27件)

プライドが高いのは相談者様では?



彼を紹介もしていないのに、お父様の言葉を自分で表現して
恥ずかしいと思っている。

結婚したとしても、そんな頭の固い方々に見られて
彼はさぞかし肩身の狭い思いをするのでしょうね。

また、結婚しても彼を見下すような態度取るんでしょうね。

日本語が間違っている=教養がない
彼には他にもっといい人が現れますよ。
相談者様にも、もっと教養のある方が現れるでしょう。
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この回答へのお礼

ご指摘いただいた通り、私もプライドが高いのだと思います。
だから、父に自分が選んだ人を否定されたくないのでしょう。

私自身は彼を見下した態度は取ったことがないですし、
言葉遣いで、んんっ? と思うところがあっても、上から物を言うようなことはしたくないので、今まで黙っていたんです。

ただ私の父を含め、親戚も大学教授や医者など、比較的堅い職業についている人が多いので
彼が肩身の狭い思いをする可能性はあると思います。

だから、早めに言葉遣いを直してもらって、少しでもその可能性をなくしたいと思ったのですが。

ともあれ、私の質問文に目を通して下さってありがとうございました。

お礼日時:2011/01/24 23:53

否定的な意見が多くて驚きました。


私は質問者様の考えに同意です。

私は否定的な「ら」抜き言葉なら口語であればまだ許せます。
しかし肯定的なほうになると・・・

お父様が無教養と思われるかはさておき
質問者様がそれを許すことができるかできないかを大切にしてください。
お子さんができた場合の教育への考えの差は大きいです。

直すことができるかどうかですが
遠まわしに言おうが直接言おうが
教養の問題なので直るなら直るし直らないなら直らないなので
私の考えて申し上げるなら、その辺の話し合いができる間柄でないの結婚してから大変だと思う、というところからご自身で考えてみてください。
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この回答へのお礼

回答して下さってありがとうございます!
私の考えを分かって下さる方がいて、ほっとしました…。

「私が許せるか否か」、確かにそうですね。
私は彼の持っているいいところをたくさん知っていますし、彼とずっと一緒にいたいと思いますが、
でも、そういった、話し合いができないなら結婚してから大変だとのお言葉に、目を覚まされた思いです。

恐れずに彼に話して、お互いの考えをすり合わせつつ、解決に向かうようにしたいと思います!

お礼日時:2011/01/24 23:42

私はあなたの気持ちが非常に良くわかります。



きちんとした言葉づかいがやはり美しいと思うからです。

見れる、食べれる、くらいなら私も話し言葉で使ってしまいますが、
(書き言葉では使いません)

「信じれる」「感じれる」はやっぱり「日本語として間違ってるよ」
って言いたくなるというか……高校生くらいの男の子が使っている
幼い印象があります。

でもこれって、ほんとに感覚の違いなんですよね。
私は言葉を使う仕事をしているせいもあって、特に敏感ですが、
人前で話す必要のない仕事をしている人には無頓着になって
しまうのかもしれませんね。
(人と接するサービス業や、人前でプレゼンしたりする人はどこかで
誰かに注意されるでしょうから)
あとは本や新聞を読まない人、かな。

はっきり「それは日本語として間違ってるよ」ではなく、
テレビで言ってたけど、とか、会社の人に聞いたんだけど、とか、
自分の意見ではなく社会一般ではそうみたいよ、という話にすれば
まだ「あなたに否定された」感は軽くなるかも知れませんね。

あとは、「実は気になってたんだけど…」っていうと重くなるから、
彼がその言葉を言った時にその場で「あ、ねえ知ってる?それって……」って、
さも今ふと思い出したんだけど、って感じで言うと良いと思います。
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この回答へのお礼

私の質問に答えて下さってありがとうございます‼

そうなんです、彼は体を使う仕事をしているので、そこまで言葉の正誤を意識していないんです。
反対に私は、ご回答者様と同じく言葉を使う仕事をしているので、彼とは感覚が違うのだと思います。

そうですね、確かに「周りではこうみたいだよ」とワンクッション置けば、
否定している感じや、上から目線で言っている感じは薄れますね!

「ふと」という感じで言ってみるのは、すごくいいアイデアだと思いました。
それなら深刻に聞こえないですし、彼も「おぉ、そっか」と受け止めやすいですよね!

タイミングを見計らって、彼に伝えてみます。
的確なアドバイスをして下さって、本当にありがとうございました!

お礼日時:2011/01/24 23:26

ら抜き言葉は決して間違ってもいないですし、それを使ったからといって教育・環境が悪いという訳ではないですよ?


そういうステレオタイプな間違った見識をまず捨てて下さい。

そして多分こういう質問の書き方では的を射た解答は得られないでしょうね。
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この回答へのお礼

教育や環境に関しては、私の書き方が良くなかったと思います。

しかし、日本の義務教育を受けていれば、そんな言葉は使わないのでは? と思います。
彼は標準語圏で生まれ育っていますし。


また、ら抜き言葉に対しての主観は述べましたが、
自分がみなさんにお聞きしたいことは、きちんと書いたつもりです。
それなのに、ら抜き言葉に関してのみ言及している方が多くて驚きました…。

ともあれ、私の質問文に目を通して下さってありがとうございました。

お礼日時:2011/01/24 23:01

「ら」抜きは言葉の進歩です。

助動詞らるの可能の意味だけを分かりやすく表現できるわけです。
質問者様には多分このへんの知識は無く、頭ごなしに「誤用だ誤用だ!」と叫んでると思いますので、まずは勉強することを勧めます。

言葉の進歩を認めないのであれば、あなたの文章で間違っている日本語をいくつか指摘しましょうか?
あなたの仰る純粋な(笑)日本語では文法的に間違っている点がたくさんありますよ。でもそんなことされたら不快でしょう?


同じことです。
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この回答へのお礼

自分の文章を読み返してみて、自分でも間違いがあることに気がつきました。
確かに、間違いを逐一指摘されたらいい気持はしませんね。

でも、常識的に考えて、信じれるなどの言葉を使う社会人ってどうなの? と思います、やっぱり。
日本語の進歩ではなく、退化だと思ってしまいます。

ともあれ、回答してくださってありがとうございました。

お礼日時:2011/01/24 22:51

ら抜きが嫌な気持ちはわかります。

昔気質な考えな人ほどその傾向が強いみたいですね。
ただし、「間違った日本語」ではないと思います。言葉は次々に進化していくものです、ら抜き言葉は日本語を合理化した末に至ったひとつの文法です。

あと、「はっきり言って、どういう教育を受けてきたのか、どういう環境にいたらそんな言葉を使うようになるのか理解に苦しみます。」といった貧困な発想は控えたほうがいいと思います。
今回の件もそうですが、物事のひとつの側面だけを端的に捉えてガミガミ言うより包括的に物事を捉えられる人間への成長が良い結婚につながると思いますよ。
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この回答へのお礼

回答して下さってありがとうございます。

ら抜き言葉に関しては、前の方にお伝えした通りなので割愛いたしますが、
私の考え方に関しては、ご指摘いただいた通りかなと思いました。

しかし、貧困な発想と言われても、私は、なぜ「ら」を抜くのか、本当に分からないのです。
友人で、舌の回りが悪いからつい…という人がいて、そういう理由だったら分かるのですが、
義務教育を受けている間に使っていた教科書には、ら抜き言葉なんて載っていなかったと思うので…。

とはいえ、私の言い方にも問題があったと思いますし、やっぱり私は頭が固いのかな、とも思いました。
もう少し柔軟に物事を考えられるように努力してみます。

お礼日時:2011/01/24 22:36

そもそも助動詞「らる」は『自発』『可能』『尊敬』『受身』の4つの意味をもち、これらの中から『可能』だけを簡単に識別できるように進化したものであるという考えが一般化しつつあります。


日本語学者でさえ、ら抜き言葉は日本語の進化の結果だと言っています。

いつまでも保守的に「ら抜き言葉はいけない!間違った日本語だ!」と目くじらを立てるような人間のほうがどういう教育を受けてきてどういう環境にいたのかを疑問に思います。
まぁお父さんの話を聞く限り、そういう教育を受けてそういう環境で育ったのでしょうね・・・

柔軟に発想できるほうが豊かに生き[れ]ますよ。
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この回答へのお礼

ご回答くださってありがとうございます。

ら抜き言葉が日本語の進化の形であることは重々承知しております。
平安時代や江戸時代、どの時代をとってもそれぞれ日本語は変化していますし、
一番近い昭和と比べても日本語は変化していますよね。

分かっています、そのあたりのことはこちらでも。
それでも、父も、そんな父に育てられた私も頭が固いので
信じれる、耐えれる、感じれるを受け入れられないのです。

ですから、承知の上で質問させていただいたのですが、
本題から逸れた回答を受けやすい質問文だったのでしょうか…。

お礼日時:2011/01/24 20:09

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