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我々子供のころ音楽教育をまともに受けてこなかった世代の者でも音楽西洋古典音楽は聴いただけで心が動かされるものが多い。くらべて日本伝統音楽には、そのような体験をした事がない。その根本的な理由を知りたい。素人として考えつくのは音楽西洋古典音楽は、すべてではないにしても一般大衆を聴衆に想定しているのに対して日本伝統音楽は特権的の人々が第一の対象ではなかったのかと思うが、専門家の意見をききたい。

A 回答 (4件)

専門家って誰なんですか・・・



人によります。好みです。
演歌に心動かされる人もいれば
洋楽に心動かされる人もいます。

洋食が好きな人もいれば
和食が好きな人もいるのと同じです。

質問者さんは西洋音楽が良いと感じるのだと
思いますよ。
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質問に対する直接の回答になるかは分かりませんが少しだけ。


まず、西洋古典音楽と日本伝統音楽を我々がニュートラルな立場から比較できるかどうかにまず疑問があると思います。なぜなら、私達が普段耳にする音楽はジャンルによらず西洋音楽理論つまり三和音に基づいて作られています。ですので、「音楽教育をまともに受けてこなかった」と仰る質問者さんも含めて、私達は西洋音楽に親しんでいる、というより殆ど音楽と西洋音楽が同義語であるわけです。これは普段音楽を聞かないというような人ですら逃れられない現実です。
それに対して、非常に残念なことに日本は日本の伝統音楽に西洋音楽の輸入が始まってから長い間光を当ててこなかった。現代においては西洋音楽と違って私達の周りに日本の伝統音楽というのは、意識して聞こうとしない限り存在しないのです。日本の伝統音楽はすでに多くの日本人にとって異質なものになってしまったといえるでしょう。
つまり、西洋音楽の響きにどっぷり浸かっている私達の耳で、単純に西洋古典音楽と日本伝統音楽ではどちらの方が「心を動かすか」を論ずるのは、非常に難しいのではないかと思うのです。聞き手である私達が偏りすぎているわけですから。
例えば他の方へのお礼に「西洋で発展してきた音楽は邦楽にくらべて内容が豊か」と述べておられますね。質問者さんの仰る「内容」が何を指すのかは存じませんが、少なくとも既に述べた理由から質問者さんがそう感じるのも理解できます。つまり、どちらが「内容が豊か」という比較ではなく、どちらが「私達にとって内容を把握しやすいか」という比較なのです。しかしこれは、既に述べたようにそれぞれの音楽固有の特性というよりも、内容の受け取り手である私達によるのだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。聞き手である私の感性がかたよったものであったという観点は私のとって新鮮なものでした。前の方の回答へのお礼の中でものべましたが音楽のほかにも自然科学は西洋でしか発生しませんでしたがこの事と西洋音楽音楽と関連があるかわかりません。物理学者の中には物理の研究と西洋音楽とのつながりをいう人もあります(不確実ですがアインシュタインや湯川さんなど)。

お礼日時:2011/02/12 14:12

 ANo.1です。

ちょっと補足。

 日本の伝統音楽には疎いので、日本の伝統音楽としては「民謡」ぐらいしか思い浮かびません。

 民謡は、当然西洋にもあります。でも、西洋の民謡は、決して感動するために歌われているわけではないと思いますし、現に民謡を聴いて感動した、という経験もありません。そういった点では、西洋も日本も同じだと思います。

 No.1に書いたように、その音楽が感動を目的として意図的に作られたかどうか、ということではないか、という根拠の一つです。
 20世紀になって、音楽の方向性として、感動させる「やらせ」音楽から、より生身の人間に近い民謡を取り入れる傾向が増えてきたのも、音楽家自身が「音楽とは何か」を考えた上での一つの答だと思います。

 上に書いた話とは矛盾するのですが、私自身は、音楽を聴いての感動とは、音楽の「音響」そのものによるものではなく、音楽にまつわる個人的な思い出・思い入れ(昔恋人と一緒に聴いたとか亡き人を偲んでとか)、作曲の背景や作曲家の時代背景(ショスタコーヴィチなど)、演奏家への思い入れ(クーべリックのプラハの春での演奏や小澤征爾氏の復帰後初の演奏など)のといったものの複合体だと思っています。従って、ご質問者が日本の伝統音楽に感動しないのは、感動するに足る体験や思い入れがないから、というのが、最大の理由だと思います。
 もし、日本の民謡が感動的な映画のエンディングとかに使われていて、それを見て涙がボロボロ出た経験を持っていれば、その民謡を聴くたびに感動するのではないか、と思います。

 またまた、思い付きの支離滅裂ですみません。
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 専門家ではありませんが、そもそも「感動するために音楽を聴く」ということ自体、音楽の本来の歴史の中では特異なことだと思います。



 もともと、西洋・日本を問わず、音楽も何らかの実用用途として発達してきたものと考えられ、「あなた演奏する人、私聴く人」といった「観賞」という用途は、近代以降のことのようです。

 岡田 暁生氏著「西洋音楽史―「クラシック」の黄昏」(中公新書)という本にも書いてありましたが、音楽が「宗教や哲学に比肩するような「深さ」や「内面性」を持った、人を感動させる芸術」に祭り上げられたのは、19世紀のドイツ・ロマン派以降、ということのようです。
 背景には、王侯貴族向けの娯楽であった「観賞」としての音楽が、近代産業革命以降、豊かになった一般市民の趣味・余暇の対象となっていったことがあり、一般大衆による高級志向・本物志向の良い音楽の尺度として「感動」という要素が取り入れられていったようです。
 「感動」以外の尺度として、パガニーニやリストといった「名人芸」もあったようです。

 確かに、フランス音楽は、「感動」よりも楽しさ、趣味の良さ、繊細さなどが優先され、「感動」とは尺度が異なるような気がします。

 ご質問内容では、「西洋古典音楽」と「日本の伝統音楽」の比較ですが、「西洋古典音楽」も決して一枚岩ではないように思います。日本人が「西洋古典音楽」というとき、想定しいるのは「ドイツの古典派からロマン派」なのではないでしょうか。ドイツ音楽も、マーラーより後の時代では、その目的は決して「感動」ではなくなっていると思います。

 答になっていませんが。ちょっと考えたことを書いてみました。

この回答への補足

Tann3様
いただいた最初のご回答のなかで引用されていた
岡田 暁生氏著「西洋音楽史―「クラシック」の黄昏」
をほぼ読了しました。西洋音楽の発展を客観的にわかりやすく述べられていて啓発されました。よい本を紹介していただき感謝しています。しかし、まだ日本や一般に西洋以外では匹敵するような音楽文化が
育たなかった事の理解は得られません。これについては如何お考えでしょうか?

補足日時:2011/05/05 14:00
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この回答へのお礼

懇切なご回答ありがとうございました。私の質問で”感動”という言葉を一面的につかったようです。質問の本来の意図は狭義の感動以外に音楽の楽しさ、趣味の良さ、繊細さなども含めたつもりでした。いずれにしても西洋で発展してきた音楽は邦楽にくらべて内容が豊かで誰にでも観賞でき、ここでのべた広い意味での感動を与えることは否定できないとおもいます。これに匹敵するものが、日本や東洋に国々で何故出来てこないのか、何か深い理由があってもよさそうに感じています。自然発生的な民謡はどこでも似たり寄ったりだとおもいます。同様な質問は音楽以外でも、たとえば自然科学が何故西洋でしかうまれなかったのかという疑問があります。これについては色々学説があるようです。音楽についても何か学説があるのではないかと思います。

お礼日時:2011/02/07 13:56

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