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人は色々な映画やドラマを見ますが

人が死んだり別れたり災難に遭ったりと

そういうストーリーで涙を流したりして

あえて見るような気がするのですが、

それを見る事によって、見てる自分が落ち着くのでしょうか?

よく言われる

「他人の不幸は蜜の味」とか

「他人の不幸が心地よい」

とかいう人間の本質の心理がどこかに働くのでしょうか?

逆に潜在意識の中にそういう心理があることがわかっているから

人に何か話す時に、

「まいたっよ、・・・」

とかつい無意識に言ってしまうことがあるような気がします。

子供の頃、勉強してるのに

「全然やらなくて、まいったなぁ、、」

とか言うのも、無意識でそういう心理が働いて言ってたのではないでしょうか?

だから何!と言われれば、何でもない質問ですが

何かそんな自分や人間が嫌だなと思って。

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A 回答 (6件)

No.3です。


実生活でも人の話を聞いて、もらい泣きすることもあると思いますよ。
ニュースの悲惨な事故に胸が詰まる思いがしたりすることもあるんじゃないでしょうか。
ただ、そうなるのが当たり前だから意識することがないだけのように思います。
もしかしたらそうではないタイプの人もいるのかもしれないので、断定はできませんが…

相談に乗っている時に、心の底で安らぎを覚えるのは、役に立っている実感があるからじゃないでしょうか。
偽善者ぶって損得勘定の方がまし、と断定してしまう必要もないように思いますが、どうでしょう?

孟子は「惻隠の心は仁の端なり」と言っています。
惻隠の情とは、他人の苦しみを見過ごせない思いのことです。
井戸に子供が落ちそうになったのを見たら、咄嗟に手が出てしまう、それが惻隠の情ということです。その子供に綺麗なお姉さんがいるからとか、人助けして褒められようとか、損得勘定があって手が出るわけじゃない、咄嗟に出てしまうのが人間だと。
咄嗟に助けたいと思い、そう思った自分に安らぎを覚えることは偽善ではないんじゃないでしょうか。それは人間としてまっとうなことができている自分への安心感ではないかと思うのです。

全ての人が同じことを思うわけではないので、これが正しいとも言えませんが、違う説明ができるのなら、悪い方に考える必要もないんじゃないかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほどと思える説がちゃんとあるんですね。

色々卑屈になって考えていたようです。

なんか急に楽になったような気がします。

お礼日時:2011/02/12 11:07

とても興味のある質問です。


isidajyunさんのおっしゃることにかなり共感を感じます。

「太り気味だからランニングをしよう」、というのは衝動ではなくて理屈が
先にあることだと思いますが、悲しいドラマを見たいというのは理屈が先では
なくて、衝動的(無意識的?、本能的?)な欲求のように感じます。

正確には分かりませんが、「自分だけじゃない、みんな同じだ、仲間だ」と
いった感覚がいいのかもしれません。マズローの欲求5段階説の中の中間の
「社会的欲求」を刺激するのかも・・・


「何かそんな自分や人間が嫌だなと思って」とのことですが、私は
「そんな人間を造ってしまった神様なんて、嫌いだ」

    大変失礼しました。
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この回答へのお礼

確かに。

神様はどうしたくて、人間を造ったのか疑問に思う事だらけですよね。

あくまでも神様が人間を造ったという前提ですが、、、

お礼日時:2011/02/12 13:43

悲しい出来事や辛い出来事を見たり、聞いたりすることで


経験不足を補ったり、感情をコントロールすることができるのだと
高校の先生に教えられました。

私も不幸だけどあの人の方がもっと可哀想だ
そう思うと自分が救われる気がします。

あの人は幸せそうなのになんで私は不幸なんだろう
そう思うと自分がとても惨めになります。

誰もが持っている感情だと思います。
ドラマや映画を見て涙を流すことで
この感情のバランスを保つこともできるのではないかと
先生が言っていた気がします。

個人的には、
悲しいドラマや映画やアニメや本などを見て
思いっきり泣くと、すっきりして
前に進めるんですよね。
頑張らなきゃって思うんですよ。
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この回答へのお礼

先生が言ってる通りかもしれませんね。

また、以前テレビでやってたのですが

涙の成分の中にストレスの成分があるから

涙を流すとストレス発散になると。

私も映画を見て思いっきり涙を流して

ストレスを発散させて前に進むようにします。

でも、この疑問を感じるようになってからは

見る内容を、悲しい事ではなく

嬉しい事で感動して涙を流す内容のもの

例えば、ちょっと古いですが

メグライアンの「めぐり逢えたら」とか

ロッキーみたいなものとか

そういう感じのものにして

あえて死んで別れるような悲しみのものは

見ないようにしています。

お礼日時:2011/02/12 08:26

質問者さんはいい人なのですね。


でも、ご心配には及ばないと思います。悲しい映画やドラマを見るのは「他人の不幸は蜜の味」だからではなく、これはカタルシスと呼ばれているものだろうと思います。
アリストテレスはご存知かもしれませんが、彼がギリシア悲劇の効用として論じているのがこのカタルシスです。ギリシア悲劇の論理はそのまま悲しい映画やドラマにあてはめることができるだろうと思います。
カタルシスとは浄化という意味です。
アリストテレスは悲劇を見ることで、観客の心が浄化されるのだと考えました。登場人物の悲しみに感情移入することで、観客の感情も揺さぶられ、心の底にたまっていた諸々の感情が解放されます。解放された感情は、登場人物とともに怒り、悲しむことで、表に押し流され、心が浄化されるのだというわけですね。
現実では悲しみや怒りの感情を露わにすることを人はためらいます。多くの人が自分のそうした感情を抑圧して、心の底に貯め込んでしまうわけですね。でも、貯め込み過ぎると精神を病んでもしまいます。
だから、そうした感情を登場人物に仮託して、解放し、フィクションの名の下に外に出してしまうのが悲劇の効用ということになります。

決して他人の不幸を喜んでいるわけではないので、安心していいと思いますよ。

この回答への補足

その後、色々考えていましたが

そもそも質問が違っていたようです。

やはり基本は 「他人の不幸は蜜の味」

の実生活においてで

その延長線上に映画やドラマあるのかと思って質問しました。

でも実生活での事は違いますよね

ニュースでの事件事故、回り近所や知人の不幸

どれも聞いたり相談にのったりした時に

涙なんて流しませんよね

直接自分の生活にも影響を及ぼしたりしない限り

所詮他人事として聞いてます。

それも、他人事として「どうせ自分には関係ない事」

と言えればいいのですが

あたかも心配して相談に乗っているのに

心の奥底で安らぎをおぼえているかのような

人が皆そうだとは言いませんが

動物(うちの犬)は正直で、関係ない事はお構いなしです

偽善者ぶってとか、そういう方がまだどこかに損得勘定を

していた方のが良いような気がします。

何と言って良いのかわかりませんが

人間の本能の本心の嫌な部分のような、、、

すいません、意味不明な事を言ってしまい。

補足日時:2011/02/12 09:34
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この回答へのお礼

またまた救われるご回答ありがとうございます。

私が思っていた疑問は、すでに解明されてた事なんですね。

カタルシスという言葉も初めて聞きました。

ただ、不安として残る事は

映画やドラマの事でならいいのですが

現実の生活上の話でも本能として

作用してしまっているのでしょうか。

お礼日時:2011/02/12 08:11

よく言われることですが、「涙を流す」ことはストレス発散の効果あります。


このこととも関係しますが、人間は悲しみや苦しみ、不幸などのネガティブな感情を「認識」することで癒されるものです。
これはどういうことかというと、ネガティブな感情を認識しない状態というのは、心を抑圧しているわけで、ストレスになっているのです。
そこを、ネガティブな感情を認識することで、抑圧から解放され、脳の疲労が癒されます。

これのもっとお手軽な方法として、自分の不幸ではなく、他人の不幸でも同じ効果があります。
悲しいドラマや映画を見ることで「世の中にはこんな不幸もあるんだな」という認識が、自分を楽にさせるのです。
簡単にいうと、不幸の存在を認めない人生だと、とても生きずらくなります。でも、不幸の存在を肯定してしまうと、「それもありだな」と脳が理解して、解放されるのです。

「他人の不幸は蜜の味」というのも、心理的には同じことです。
もちろん、生存本能というものがありますから、他人というライバルが脱落することに「快感」を得るのもひとつの生物の本能ですが、ドラマや映画を見る場合というのは、自分以外の人間の不幸を疑似体験することで、自分の不幸を肯定するという効果があるからだと思います。
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この回答へのお礼

わかりやすいご説明ありがとうございます。

やはり理論的にもそうなんですね。

そう説明されると、それほど罪悪感を感じなくてすみます。

お礼日時:2011/02/12 07:50

>他人の不幸は蜜の味」とか



「他人の不幸が心地よい」

とかいう人間の本質の心理がどこかに働くのでしょうか?

他人のことは分かりませんが、私の場合まったくそんなことはありません。基本的に主人公に同一化するので、悲劇はあまり見たくないのです。デモなぜ見るのかというと、批評家が「この映画はすばらしいよ、感動するよ」と勧めるのでつい見てしまうのです。
私の個人的な意見ですが、他人が不幸になるのを見たいから悲劇を観るというのは違うような気がします。悲劇を観て泣いたり同情したりすること、そのものが心地よいからだと思います。よく似たことかもしれませんが、首記の意味は不幸な人間を突き放して他人のように見ている感じですが、その不幸な人の中にはいってしまって、そのために悲しくて泣くのだと思います。感動するということは一部そういうことが入っていると思いますが、まったく一緒ではなく、その悲劇になんらかの人間の共通性と真実があって、それが自分の人生のためになる、人生の理解が深まるというような効能があって、そのために観るということがあるのだと思います。
ご参考になれば。
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この回答へのお礼

確かに「人生の理解が深まる」

と言う意味も含んで見てるとは思うのですが。

悲しい事件などのニュースでも

かわいそうとか思いつつも

心の中では「あー自分じゃなく良かった」という安堵感。

うまく言えませんが、妬みやヒガミの裏返しと言うか、、、

お礼日時:2011/02/11 23:35

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Q悲しい映画やホラー映画を見る心理について

人間は基本的に、楽しいやうれしいといったプラスの感情を良しとし、悲しいや怖い、怒りなどの感情をマイナスととらえると思います。そして、人間が受け入れやすいのは楽しいといったプラスな感情に思われます。
では、なぜ悲しい映画やホラー映画を見る気になるのでしょうか?

Aベストアンサー

人間の好奇心は留まるところを知りません。どんなことでも体験してみたい欲望はあるのです。
そして目の前には信じられないほどたくさんの出来事が起きています。さらに歴史を紐解くと、その数は天文学的になります。
しかし、人間が一生に体験できることは限られています。

文学や演劇は「体験の移植作用」があります。
自分の身には起きなかった事を目の前に引っ張り出して、恰もその場に居合わせているかのごとき場面・情景を演出して見せてくれます。
したがって人は小説を読み、演劇・映画を観て、その場に居るような、自分が様々な事柄を実際に体験しているような、すなわち疑似体験が出来るのです。

その疑似体験の中でも、特に実際に体験できない、体験したくないものが、体験したら大変な事になるものへの欲求を充たしてくれるのが、「悲しい映画」「ホラー映画」などではないでしょうか。

さらに人間は「怖いもの観たさ」「他人の不幸は蜜の味」という言葉で表される妙な特性を有しています。

恐ろしいこと、怖いもの、残酷な事件、悲惨な体験、悲しい出来事などは、実体験は嫌だけど覗いて見たいのです。
小説の中、演劇の中だけででも体験してみたいのです。
他人が不幸になる姿は、第三者的な覗き見的な心境もあり興味が湧くのでしょう。まさに「他人の不幸は蜜の味」の心が動くのでしょう。

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主人公の感情を十分に理解し、主人公と同じ感情で流す涙もあるかもしれませんが、主人公が涙する時の、その「こころの動き」「感情の揺れ」「相手に対する思い」などを想像し、その思いに同感、同情して泣くのではないかと思います。

その涙や、恐怖が人間の心の中の欲求を満たし、ある意味での癒しに繋がっているのだと思います。まさにマイナスの要素を疑似体験することで、自分の心にとってのプラス効果にチェンジしているのでしょう。

人間の好奇心は留まるところを知りません。どんなことでも体験してみたい欲望はあるのです。
そして目の前には信じられないほどたくさんの出来事が起きています。さらに歴史を紐解くと、その数は天文学的になります。
しかし、人間が一生に体験できることは限られています。

文学や演劇は「体験の移植作用」があります。
自分の身には起きなかった事を目の前に引っ張り出して、恰もその場に居合わせているかのごとき場面・情景を演出して見せてくれます。
したがって人は小説を読み、演劇・映画を観て、そ...続きを読む

Q【社会学?】悲しい話を見たいと思うのは何故?

人間は何故悲しい話を好むのでしょうか?
(心理学というカテゴリにしましたが、社会学なのか、ジャンルが分かりません。)

エンターテイメントにおいて、コメディを見て笑い、カタルシスを得る→ストレス解消
というのは理解できるのですが、
悲しい話で何故ストレス解消になるのでしょうか?
自分の悲しい話を聴いてもらってストレス解消になるのは分かりますが、
なぜ他人の悲しい話を求めるのでしょうか?

こういったことに関しての「学問的な文献」が知りたいです。
私は人文系の学問については全く無知ですが、
きちんと体型化された、筋の通った説明を聞きたいと思います。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

悲劇も同じくカタルシスだと思います。
アリストテレス「詩学」で検索してみて下さい。

Qバッドエンドが好きな人ってどういう考え方

映画とかドラマでバッドエンドが好きな人ってどういう考え方なのですか?
恋愛映画などでは結ばれないで終わるとか、
ヒューマンドラマでは死んで終わるとかです。

他人が不幸になることで喜びを感じるのでしょうか?
それとも自分が不幸だから他の人も自分と同じような状況になって共感するのでしょうか?

Aベストアンサー

バッドエンドが大好きな人ですがお答えします。

>映画とかドラマでバッドエンドが好きな人ってどういう考え方なのですか?
恋愛映画などでは結ばれないで終わるとか、
ヒューマンドラマでは死んで終わるとかです。

こういう人は基本的に悲劇的な創作が好きなんだと思います。恋愛映画も、ヒューマンドラマも好きではないが、いい意味で期待が裏切られる快楽に病み付きというわけですね。
あるいは夜よりも暗い絶望の中に薄い光を見出しているのかも。

>他人が不幸になることで喜びを感じるのでしょうか?
それとも自分が不幸だから他の人も自分と同じような状況になって共感するのでしょうか?

一概には言えませんが、約束された薄っぺらな愛や幻想が破壊されるのは、苦労した人や知識人など一部の人には受けると思います。共感というよりは「まあ頑張れよ」といったところで、多少の喜びはあるかもしれません。
要するにアンパンマンよりバイキンマンを応援し続けていたタイプですね。

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なぜ、人は映画を見るのでしょう?又は、映画を作るのでしょう?平凡な日常を忘れるため?疑似体験したいため?私はいつも映画を見た後、現実に戻り「あ~でも現実は結局こうなんだ~」と落胆させられます。映画のような体験を実際にする人っていないじゃないですか?でも「あ~映画って、本っ当に、いいもんですね~」と思うのは、なぜなんでしょう。映画はなんのためにあるのか!?と私はよく考えてしまうのです。変な質問ですみません。

Aベストアンサー

映画はエンターテインメントである、と思って楽しんで見る人もいるでしょうし、映画監督、映像作家を志して興味あるものからないものまで全て網羅する人もいるでしょうね。つくりたい!!と思う側と観たい!!と思う側があって成り立っている商売ですもん。受け取り方は様々で。
日常生活からみて真っ暗い映画館内とか、大画面とか、ドルビーサウンドの音響とか、非日常の入り口みたいじゃないですか。そこで売ってるお菓子もまた特別だったり。隣の席の人との感動の共有もしかりですよね。
映画をみて、ひとが夢なり感動なりもらうとしたら、映画を創っているひとらもまたそれ以上の魅力に動かされているんだと思います。商売ですから、奇麗事だけでは動いていない業界ともいえますが。
もっと学術的な側面からの回答を希望されるのでしたら、哲学から見た映画の捉え方もあると思います。「ベンヤミン」「ハイデッカー」など読んで見るのもよいかもしれません。

Q人は何故泣くのか?

生理学や生物科学の範疇かも知れませんが,質問させてください。

'泣く'ということの原因は様々あるのでしょうが
大方の涙の原因は「自分の未熟さ」が原因であると考えることは可能でしょうか。

---
赤ん坊は意思疎通が上手くできない際に'もどかしさ'から泣くと聞きました。
また汗や糞尿,また怪我などにより不快感を得る際にも,それを解決することができない・我慢できないと泣きます。

感動的な映画などを見た際に泣くのは
直接的にその悲劇的な出来事を哀れんでのことか
或いは登場人物と自分を同一視している場合であると思います。

スポーツで優勝した際などの『嬉し泣き』は
人は強い達成感に興奮するらしく
感情が高まり泣いているのだと思います。

スポーツの観戦などで,そうやって泣いている人をみて泣いているのは
'雰囲気'という奴には感情を伝染させる力があるのか
或いは映画をみて泣く際と同じで,泣いている人を同一視し
達成感を共有し,泣いているのであろうと思います。
---

思いつく限りの「涙を流す状況」を挙げ連ねて見ましたが
そのいづれの理由も結局は「自分の許容範囲を越えている」場合であるように思います。

世間では'泣く事'が美化され,今では'泣かない'というのは悪いことである,という風であるように感じます。
感情がない,人の気持ちが分からない,感受性に乏しいなど・・・。
'泣かない'ということに付きまとうイメージは,悪いことばかりのようです。

しかし僕はその風潮が嫌いで,また泣くと言うことは非情に幼稚であるように思えます。

もし涙が「自分の許容範囲を超える際」に出てくるとすれば,つまり
・どんなに不快感を感じていても,それに対処する力があれば
・どんな悲劇的な映画を見ても,それ以上の悲劇を知っている・体感していれば
・どんなに凄いことを達成しても,それを当然と思っていれば
・どんな壮絶な人生に同情し想像しても,それ以上の事を経験していたならば
・全ての出来事が自分の許容範囲内であるならば
人が泣くことはないのではないでしょうか?

言い換えれば,経験や知識が乏しい場合,容易く泣くのだと言えるのではないでしょうか。

実際,子どもや若年は泣きやすいが,年を取るにつれ泣かなくなるように思います。
ただ「涙腺がゆるむ」という言葉があるように,年を取るからこそ泣くこともあるようですが・・・。


つまり何を聞きたいかというと
(1) 心理学的に'泣く'という事はどのよう事が原因で起こると定義されているのでしょうか
(2) 「泣くことは未熟さ故である」というこの考えの矛盾点や心理学的な'おかしいところ'はありますでしょうか
(3) 例としてあげた以外に泣く状況がありましたら,その際の心理の作用と合わせて教えて下さい。
(生理的な反応[目が乾く][目が傷付く][目に刺激物が付く]等以外で)
(4) もし「泣くことは未熟さ故である」という考えを肯定するなら,「涙腺がゆるむ」中高年を説明づけるにはどうしたらいいでしょうか。

よろしくお願いいたします。

生理学や生物科学の範疇かも知れませんが,質問させてください。

'泣く'ということの原因は様々あるのでしょうが
大方の涙の原因は「自分の未熟さ」が原因であると考えることは可能でしょうか。

---
赤ん坊は意思疎通が上手くできない際に'もどかしさ'から泣くと聞きました。
また汗や糞尿,また怪我などにより不快感を得る際にも,それを解決することができない・我慢できないと泣きます。

感動的な映画などを見た際に泣くのは
直接的にその悲劇的な出来事を哀れんでのことか
或いは登場人物と自分...続きを読む

Aベストアンサー

心理学はまだ初心者ですので、個人的な考えを多分にまじえて書きます。


「泣く状況」としては、主に不快感情を覚えたときでです。
それ以外には、映画への感動などの快の感情を覚えたときなどもあるでしょう。
人間が持っている感情は、誕生直後は「興奮」のみで(←これでも泣きが生じます)、
3か月後には「快」「不快」が加わります。
その後、「嫌悪」「恐れ」「怒り」「悲しみ」「驚き」「喜び」などの感情が芽生え、
さらに、「嫉妬」「困惑」「罪悪感」「恥」などのもっと複雑な感情を持ちます。
いろいろと挙げましたが、それぞれが「泣き」を生み出す可能性があると思います。


>大方の涙の原因は「自分の未熟さ」が原因であると考えることは可能でしょうか。

不快や苦痛という原因によっても泣くという反応が生じるわけですが、
大人になると、多少のことではあまり泣かなくなります。
「人前では泣くべきでない」「余程の大ごとでなければ泣くべきでない」という
理性的な判断や社会規範に基づく判断が加わってくるからだと思います。
悲しい時も、泣かずにただ憂鬱な気分になるなど、別の反応をすることも多くなります。
そうではなく、社会性を身につけておらず、
どこでもすぐに泣きわめく子どもを「未熟」とすれば、
それもそうだ言えると思います。それは「社会性の未熟さ」になります。

しかし、乳児は「泣けばあやしてくれる」とすぐに学習し、
子どもはちょっと知恵がついてくると、「泣けば周囲が甘やかしてくれる」
「わがままを言ってもいくぶん許される」と経験的に学習し、
半ば意識的に泣いてみたりすることがあります(私もガキのころやっていました(笑))。
後者は「未熟」どころか、相手の心理を利用した巧みな知能犯なのかもしれません。

「困難を克服し優勝した」「ドラマの最終回を見た」などの感動の涙ですが、
「感動できる」ということは、見たものに対し知的な解釈ができている証拠であり、
また、「感激しそれに涙する」という感情的・身体的機能を持っている証拠です。
乳児に感動のドラマを見せても、解釈不能という「未熟さ」ゆえに泣けません。

「泣くのはよそう」と意識的に我慢しようとしても、
身についている無意識的反応に抗しきれない状況を「未熟」といえるかもしません。
「未熟」とは何か?を定義せねば、「未熟さが原因」かどうかを論じられません。
しかし「未熟」という言葉は意味が曖昧であり、個人の価値観も含むものですので、
人によって意味が異なり、この言葉を用い結論をつけるのは難しいと思います。


「泣くこと・泣かないことが良い・悪い」という話ですが、それは状況次第でしょう。
泣くことには、当然メリット・デメリットがあります。
それらは、「自分の内面的なもの」と「他者への外面的なもの」に分かれます。
内面的なものとしては、泣くことで感情を発散できることなどです。
「泣いて気持ちがすっきりした」という経験は誰でもしているものです。
外面的なものとは他者への印象の良し悪しが関わってくるものです。
例えば、ノリピーは最近の会見で効果的な涙を見せていました(ではないですか?)。
でも通常、大人があちこちで子どものように遠慮なく泣いていたら、問題があります。
「泣くことことが良い・悪い」とは一般化することができないことのはずです。
細かく条件・状況を規定した上でそれぞれ判断していくことや、
実際出くわした状況に個別にアプローチしていくのは構わないと思います。


>もし涙が「自分の許容範囲を超える際」に出てくるとすれば,つまり
>・どんなに不快感を感じていても,それに対処する力があれば
>・どんな悲劇的な映画を見ても,それ以上の悲劇を知っている・体感していれば・・・(省略)
>言い換えれば,経験や知識が乏しい場合,容易く泣くのだと言えるのではないでしょうか。

確かに、泣かずにおれる感情や感覚などの「限界」を超えたところで、
泣きが生じるのだと表現してもよさそうです。
その限界を経験により変化させることは当然できるはずです。
限界をゼロに近づけることもきっと可能でしょう。

「経験や知識の乏しさ」を解消すれば、
泣きの限界も解消していくという場合もありそうですが、
そうだと一般化してしまうことはできないはずです。
先ほどのドラマの例で挙げましたように、
経験や知識によって解釈がはかどり、それで感動できるという場合などがあります。
「経験や知識」と「泣く・泣かないの限界点」は、関係に距離があり、複雑であって、
直接的な相関関係を見いだしにくく、こうだと結論づけるのは難しいと思います。

実際に人が「経験や知識の増加」により泣かなくなったかに関する実験や調査をして、
データからそうだという結論が出たとしても、
その実験・調査の条件に限られる結論であり、
すべての人に当てはまる一般性のある事実だとは到底いえないことでしょう。
とことんやる方法もあるかもしれませんが・・・ちょっと難しそうです。
「だいたいこのようなことが言えそうだ」というような、
「人生の知恵・コツ」などを個人の観方により見いだすことも、
大いにやってもいいことだと思いますが、
それは心理学の範疇にはあまり入らないものです。

私が、上に書いた「直接的な相関関係を見いだしにくい」と思う理由ですが、
「感受性」「忍耐力」など多くの別の要素も関わってくると思えるからです。
「泣いてもすぐ泣きやむ・やまない」「泣いても親に通じず、無駄だと思いやめる」
などの「泣きの継続」「泣いている間の判断」などの要素などもあります。
それらすべての要素を支配しているものが「経験と知識の乏しさ・豊かさ」であり、
「経験と知識の乏しさは泣きを増加させる方に働く」と結論づけたとしたら、
それは妥当ではないと思えてくるのです。
子どもが大人へと成長して⇒だんだん泣かないようになり⇒高齢になって再び涙もろくなる、
このようなケースを考えると、経験や知識の効果というものは必ずしも直線的なものではなく、
もっと複雑に影響してくるものだと思えてはきませんか?


一旦自分の目に見えた範囲だけで、早くこうだと結論づけてしまおうとするより、
問題に絡んでくるさまざまな要素を無限に見つけていこうとすると、
問題がどんどんと詳細に・鮮明になってきて、
さらに、自分の考察力を高めることができます。
ありとあらゆる可能性・要素を考えて見つけるようにしていくと、
物事を自分の思い込みだけでなく、客観的に見ることができるようになってきます。
そうすれば、他人への説得力の高い説明もできるようになってくるものです。

↑この文章に説得力が無いとすれば、それは私の「未熟さ」ゆえです。ご勘弁ください。

心理学はまだ初心者ですので、個人的な考えを多分にまじえて書きます。


「泣く状況」としては、主に不快感情を覚えたときでです。
それ以外には、映画への感動などの快の感情を覚えたときなどもあるでしょう。
人間が持っている感情は、誕生直後は「興奮」のみで(←これでも泣きが生じます)、
3か月後には「快」「不快」が加わります。
その後、「嫌悪」「恐れ」「怒り」「悲しみ」「驚き」「喜び」などの感情が芽生え、
さらに、「嫉妬」「困惑」「罪悪感」「恥」などのもっと複雑な感情を持ちます。...続きを読む

Q硬派な男性ってどんな感じの人?

硬派な男性というのは、性格・行動にどんな特徴があるものでしょうか?

あと、女性に対しての感じとか。
恋愛観とか。
女性よりは野郎同士のきずなを大事にするとか。
流行やファッションに敏感なのかとか。
メールとかに興味ないのか、とか諸々。

どういう男性を硬派と呼ぶのか?
(逆に何派な男性ってどういうのか??)

人それぞれ違いはあるでしょうが、『O型の人はこんな性格』というような大雑把なものでかまいません。

硬派な男性に興味があります。
どんなことでもよいので教えてください。

Aベストアンサー

お邪魔します。
軟派と硬派を単純にイメージとしてとらえると、
軟派は、服装バッチリ、機会があれば、女の子にすぐ声をかけたり・・、硬派は意思かたく、服装だらしなく髪も自然体(?)。それはあくまで見かけ上で、
軟派と硬派の違いは、日常社会生活に満足しているかどうかだと思います。軟派は日常生活をすこぶる快楽的に過ごされますが、硬派と言われる人は、日常社会生活の矛盾なんかを一身で受け止め、それを変えなければと、自分自身に信条ずけしているんですね。何事においてもそれが優先してきますので、どうしても日常のことはお留守になってきます。こういったことが、硬派は融通がきかない、女の人に興味が無い、自己中心的だと評価されるのではないですか。またそうした近寄りがたいものに魅力を感じる女性もいられるとおもいます。
 

軟派も硬派も大半はその人の人生の中の一過性のものだと思います。昔軟派が今しっかり父さん、昔硬派がいくつなっても女にだらしないなんてのは日常茶飯事ですよね。
余計な事かもしれませんが、
もし質問者さんが、硬派の方とお付き合いされるのでしたら、その方の信条的な面まで立ち入らず、日常生活面だけをサポートしてあげれば相手の方は喜ばれると思います。(今の若い人でこんな付き合い方で満足できるのか知らん?)

ところで、現代の日本で、俗に言う硬派の人ってはたして何人いるのでしょうか?

お邪魔します。
軟派と硬派を単純にイメージとしてとらえると、
軟派は、服装バッチリ、機会があれば、女の子にすぐ声をかけたり・・、硬派は意思かたく、服装だらしなく髪も自然体(?)。それはあくまで見かけ上で、
軟派と硬派の違いは、日常社会生活に満足しているかどうかだと思います。軟派は日常生活をすこぶる快楽的に過ごされますが、硬派と言われる人は、日常社会生活の矛盾なんかを一身で受け止め、それを変えなければと、自分自身に信条ずけしているんですね。何事においてもそれが優先してきます...続きを読む

Q明日は仮免試験…S字、クランクが心配で仕方ないです

毎度お世話になっております。

今、普通AT車の免許をとるために短期で教習所に通っています。
そして早くも、明日は仮免試験です…。

私はS字とクランク(特にS字)が苦手で、昨日も2時間教習を受けた際何回か脱輪してしまい、
また道路をどうしても右寄りに走ってしまう癖があって、昨日も教習で確認の時一人の先生に「後半はなおってきたけど、前半走行位置がめちゃくちゃでしたよ」と言われました;;

なので今日の朝、検定前最後の教習があったときには、昨日の先生のアドバイス通り左側の白線がだいたい車体の真ん中くらいに来るよう左寄りで走り、S字とクランクも今まで習ってきたことをもとに(特に私はハンドルをはやく切りすぎてしまうことが多いので、少し遅めに切るようにしました)やってみました。

そうしたら、S字とクランクどちらも何回かやったのですが初めて一度も脱輪することなく、始めにあらかじめ先生にも「S字とクランクが心配」と言っていたのですが終わりころには「だいぶいいね」と言ってくださり、S字クランクを通る時のスピードなど注意を受けたものの、一発で見極め良好をもらってしまいました・・・。

正直、私の場合先生によってリラックスした気持ちでできるか緊張してしまうかが分かれてしまう、というのもあるのですが・・・^^;

修了検定は、確かとなりに教官はいないのですよね・・・?(無線で指示をうけると聞きました)
今まで練習では、厳しい先生だとしても先生がいてくださったので「脱輪しそうなら指示を出してくれる」と思っている部分があり、それで少し気楽にできた、というのがありました。
しかし明日は隣にいない状態で一人で判断して操作しなければなりません。。

今日は成功したものの、明日脱輪しないか・・・と今から落ち着きません;

クランクで柵にぶつかったら検定中止になる、というのは聞きましたが、脱輪の場合も
中止になるのでしょうか?
また脱輪した場合、そのまま進行方向に進んだほうがいいのかバックしたほうがいいのか、
バックの場合ハンドルは切るのかそのままなのか、、状況による使い分けがまだいまいちわかりません;;
クランクやS字の際、これは気をつけて運転したほうがいい、というのはありますでしょうか・・・?

今私が通っている教習所には、母の友人の知り合いの方が教官をなさっていて
そのつながりで紹介をしてもらって通っています。
実際にその教官に技能を教えてもらったこともありますが気さくな本当にいい先生で、
「一発で合格してほしいから」と私のできていないところの注意、アドバイスを丁寧にしてくださって、なぜできないのか一緒に考えてくださったり、また私が運転の指導をしてもらった他の先生にも私の運転について聞いてくださっていたり、「もうすぐ検定だけど、まだ走り慣れてないみたいだから」と心配してくださっていたようです。
それを知ってとてもうれしく思ったと同時に「一発で絶対合格したい」という気持ちが強くなり、
また今春休みで帰省しておりその中で短期でスケジュールを組んで受けているので
落ちるとこれからの計画がくずれてしまって、この休み中に卒業検定まで
いかないこと、また両親に金銭的な面であまり負担もかけることはできないことなどがあり
とにかく明日のことが心配です。。

何かアドバイスありましたら教えていただけないでしょうか・・・?

長文失礼いたしました。

毎度お世話になっております。

今、普通AT車の免許をとるために短期で教習所に通っています。
そして早くも、明日は仮免試験です…。

私はS字とクランク(特にS字)が苦手で、昨日も2時間教習を受けた際何回か脱輪してしまい、
また道路をどうしても右寄りに走ってしまう癖があって、昨日も教習で確認の時一人の先生に「後半はなおってきたけど、前半走行位置がめちゃくちゃでしたよ」と言われました;;

なので今日の朝、検定前最後の教習があったときには、昨日の先生のアドバイス通り左側の白線がだいたい車...続きを読む

Aベストアンサー

コツと言えるかどうか分からないけど、2点のみ助言を。

1.既回答にもありますが、方向を決めるのは車の前輪です。その前輪はあなたの体の真下ではなく、1m近く前にあります。まして、ボンネットの最先端にあるわけでもありません。

あ、曲がらなければ、と思ってハンドルを切る初心者のハンドル操作は、カーブが始まるかなり手前になる傾向があります。目ではカーブを捕えていても、車は実はまだまだカーブの手前なんですね。

ここでハンドルを切ると、当然脱輪します。体がカーブ開始位置に来たな、ぐらいでも十分曲がれます。感じとしては、ドアミラーがカーブ開始位置に来たあたりが、ナイスタイミング。スピードが遅いから、これで大丈夫!

S字カーブでも最初のカーブと次のカーブの曲がり具合はほとんど同じはずです。最初はゆるいカーブで、次が90度曲がるなんてコースはないですよ。同じタイミングでいいんです。

で、まず一つ目のコツ。前輪がカーブに対してどの位置にあるかをイメージしましょう。でも、これって教習中に指導員から教わりませんでしたか? あしたの仮免前に練習は出来ないでしょうから、夜にイメージトレーニングするしかないですねえ。

ハンドルは手を緩めると元の位置に戻ろうとします。当然車のカーブ具合もゆるくなり、そのままにすると直進します。そして次のカーブ開始がドアミラー付近まで来たら、同じようにゆっくりと曲がっていく。どうせスピードは20-25km程度過ぎません。

2.脱輪した時点で試験はおしまいの筈です。「再試験ね」と冷たく言われて・・・。

そこで第二のコツ。脱輪しそうになったら、まず止める。Rにギアを入れて、ハンドルはそのまま。ブレーキを緩めて絶対に切り返さずにバックして元の位置まで戻る。ここであわててハンドルを切ると今度は後輪が脱輪する可能性が大きくなります。

もとの位置まで戻ったらやり直してカーブを回る。

さあ、頑張って! 憧れの運転免許はすぐそこにある!

コツと言えるかどうか分からないけど、2点のみ助言を。

1.既回答にもありますが、方向を決めるのは車の前輪です。その前輪はあなたの体の真下ではなく、1m近く前にあります。まして、ボンネットの最先端にあるわけでもありません。

あ、曲がらなければ、と思ってハンドルを切る初心者のハンドル操作は、カーブが始まるかなり手前になる傾向があります。目ではカーブを捕えていても、車は実はまだまだカーブの手前なんですね。

ここでハンドルを切ると、当然脱輪します。体がカーブ開始位置に来たな、ぐらいで...続きを読む

Qケンカしたことのない夫婦って・・・

 友達夫婦は、結婚4年。子供一人。結婚以来今まで夫婦ケンカをしたことないと言います。(付き合っている時も)

 奥さんの方が学生時代からの友達なのですが、その当時付き合っていた彼とも5年ほど付き合っていたにもかかわらず、一度もケンカしたことないと言っていました。

 我が家は・・・というと、小さなものを含めたら、ケンカというか言い合いはしょっしゅうです。

 世の中の夫婦の皆さん、どのくらい夫婦ケンカしていますか?

 ケンカしたことのない夫婦の皆さん、どうしてケンカにならないのですか?

 また、よくケンカする夫婦のみなさん、どうしたらケンカにならないのだと思われますか?

 色々なご意見を聞かせていただけたらと思います。

Aベストアンサー

こんばんは。27歳既婚女性です。
交際期間7年間、内5年間同棲。結婚2年目です。

うちは喧嘩しませんよ。
機嫌が悪くなったり怒ったりちょっとした意見の食い違いも出ることはありますが、一般的に言う「喧嘩」はしたことがありません。
友人にも「喧嘩しないなんて不思議だ」といわれます。(笑)

なぜ喧嘩にならないんでしょう?
相手が怒る前に「ごめんなさい」を言う。主人も私も自分のほうが悪かったなと思ったらすぐに謝っちゃいます。
意地を張って謝るタイミングを逃したら、ずっと気まずいままだし、仲直りの方法を考えなくちゃいけないですよね。そんなのは面倒臭いので、「ごめんなさい(^-^;)」で終わりです。
でも、自分の意見を伝えることはきちんとしますよ。「ごめんなさい。あんな言い方して・・・私が悪かったね。でも、私はこう思ったからああ言ったの。それはわかってね。」「うん。わかった。」って感じです。

たぶん、2人とものほほんとした性格だから、沸点が高いんでしょうね。(なかなかキィ~ッ!とならないタイプみたい。)
ちょっとムカついて(-з-)ぷぅ!っとふくれても、3分後にはもう笑っています。(笑)



うちとは逆に、友人夫婦は喧嘩でコミュニケーションをとっているようなものです。
30分に1回は言い争い。理由は本当にくだらない、道を間違えたとか、カップラーメンのかやくを先に入れるか入れないか、遊びに来た私達夫婦にジュースを出すかお酒を出すか・・・どうでもいいよってことで喧嘩。と言うよりも夫婦漫才。
二人の喧嘩を見たことのない人は「あの二人止めなくていいの?」と心配しますが、5~10分位すれば喧嘩も終わって、ケロッとしています。普通の会話がまたスタート。そして30分位するとまた始まる・・・。(みていると本当に面白い)
年に1度くらい離婚をするしないの大喧嘩をするみたいだけど、実は2人とも小心者なので「次の日とかに本当にあっちが離婚届持って来たらどうしようかとハラハラドキドキする!」って・・・「じゃあそんな喧嘩しなきゃいいじゃん!」って言うんですけどね。これが2人のコミュニケーションの一つになっているみたい。(笑)


以上、全く正反対の2組の夫婦の紹介でした。

こんばんは。27歳既婚女性です。
交際期間7年間、内5年間同棲。結婚2年目です。

うちは喧嘩しませんよ。
機嫌が悪くなったり怒ったりちょっとした意見の食い違いも出ることはありますが、一般的に言う「喧嘩」はしたことがありません。
友人にも「喧嘩しないなんて不思議だ」といわれます。(笑)

なぜ喧嘩にならないんでしょう?
相手が怒る前に「ごめんなさい」を言う。主人も私も自分のほうが悪かったなと思ったらすぐに謝っちゃいます。
意地を張って謝るタイミングを逃したら、ずっと気まずいままだ...続きを読む

Q女のどういう部分にクラクラするの?>成人男性へ

 ふとわいた疑問です。
 特に、20才以上の大人の男性にお聞きしたいのですが・・・
 
 「おもわず女性にクラクラした(悩殺された)のは、どういう時・どういう女性ですか?」
  
 ・・・冷静でクール(だけど包容力があって心が大きい。)に仕事をこなしている大好きな男性職員を見ていて、そのような疑問がわいてきました。
 このような人でも、仕事中でも、思わず女性の魅力にグラッときたことはあるのだろうか、と・・・。もしあるのだとしたら、彼のような男性は、どのような状態でなのだろうか、と・・・。
 
 なるべくなら、「ちょっとだけクラっときた」というような軽い程度の衝撃ではなく、「一瞬だけでも我を忘れるほどに強い衝撃を受けた」という経験・体験談を知りたいです。

 ☆教えてください☆お願いします。m(^-^)m

Aベストアンサー

私の場合仕事で営業をしていて通勤先がかなり遠い場所に移動になったときに、秘書課の女性に自分だけのために買ってきてくれたお守りをもらったときには、そ女性の外見など一切関係なくそののやさしさに強い衝撃を受けました。 「自分のためだけににされたこと」に男は強く感じると思いますよ。

Qパーセンテージの出し方

パーセンテージの出し方をおしえてください

Aベストアンサー

主人公÷母体×100


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