中島義道氏の主宰する「無用塾」に入りたいのですが、どうやったら入れるか、もしくは「無用塾」のことを知っていらっしゃる方がいましたら教えてください。

A 回答 (1件)

直接は何も知らないのですが、中島氏の著書『人生を<半分>降りる』(ナカニシヤ出版、97.5)の3章の最後(P153)に、連絡先が書いてあります。


ただし、4年前の出版ですし、「…なるべく来ないでください」とかって書いてあります(苦笑)。今はどうなのでしょうか。
この本は、新潮OH!文庫(2000年発行)からも出たようなのですが、その中ではどう書かれているのか、確認してみたほうがよさそうです。

参考URL:http://www.bk1.co.jp/
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Q「無用塾」について。

中島義道先生の「無用塾」に関して何かご存知の方が
いらっしゃったらお教え下さい。メンバーの方がこの
中にいらっしゃらないでしょうか?

Aベストアンサー

中島義道教授は、電気通信大学で、哲学や第二外国語の講義を行っています。
講義内容は、面白い!ですよ。
講義中、うけて何度も笑ってしまいました。

中島教授は、日本の騒音が大嫌いです。
講義中に携帯電話が鳴るのも嫌いなようです。
日本の騒音と、よく戦うそうです。

中島教授は、ドイツ留学をしていたことがあります。
ドイツ留学の私生活については、「ウィーン愛憎」中公新書 \540に掲載されてあります。

Q「偏見を持たない」と「能天気」の違い、また「硬派」と「頑固」の違いについて。

「すぐ偏見を持つ」は、良い見方をすれば裏面では思慮深く、二度と同じ失敗をしない、と言う意味でも使われるのではないでしょうか?
純真で偏見を持たないが為に「能天気」とか「単純」とか謗られるのが嫌なら、猜疑心を持ち続けてとことん人を疑う他方法ありませんよね。
能天気とは、深く考えられないような人の事を言う、ではないでしょうか。

また、硬派と頑固の違いはありますか??

「男らしくて勤勉で性格良い男に限って、悪い女に利用されたり我儘な女に振り回されたりするから、恋愛、結婚はしない方が良い。」

「女らしくて勤勉で性格良い女に限って、悪い男に利用されたり我儘な男に振り回されたりするから、恋愛、結婚はしない方が良い。」


従って、
「善男善女は絶対に恋愛、結婚をするな!!」、
「孤立は正義である。」、「恋愛、結婚をした時点で軟派だ。」、「視野の狭さこそが、思慮深さであり、所詮は 
視野が広い=能天気で単純 だ。」
と言う偏った考えが正しくなるケースもありますね。
違いますか??
「100%騙されるのが嫌なら、100%人を信じない以外に無い。」
のですから。

注意事項。
私は恋愛の経験とか、酷い経験がある訳ではありません。
ただ、本や漫画、ドラマ、法律相談番組等の決まったシチュエーションに飽き飽きしているだけですので。

自分をダイヤモンド硬派と名乗るつもりはありませんが。
ただ、熱くなるのは好きではありません。
「熱くならなければ、また恋愛とかせずに一人でじっと読書や思想や筋トレ等に黙々と耽っていれば、誰からも『単純な奴』(単細胞)とか『能天気』とか言われて謗られる事はない。」
かと思いますので。

「すぐ偏見を持つ」は、良い見方をすれば裏面では思慮深く、二度と同じ失敗をしない、と言う意味でも使われるのではないでしょうか?
純真で偏見を持たないが為に「能天気」とか「単純」とか謗られるのが嫌なら、猜疑心を持ち続けてとことん人を疑う他方法ありませんよね。
能天気とは、深く考えられないような人の事を言う、ではないでしょうか。

また、硬派と頑固の違いはありますか??

「男らしくて勤勉で性格良い男に限って、悪い女に利用されたり我儘な女に振り回されたりするから、恋愛、結婚はし...続きを読む

Aベストアンサー

ン・ベルテさん、今晩は、

疑うということ自体は、哲学を深めるため、あるいは人生についての考えを深めるために必須の事と思います。

疑って疑って 疑いきれないものを見つけてゆく作業が哲学とも言える面もあるかと思います。

そうすることによって、より多くの視点から物事が見れるようになり、 最後は この人生の全体の視点が総合化されてきたら、 ほんとうにこの世で必要な正義を見つけ そこに実際の見通しもつけることができ、 こうして生きた人生のリーダーが育ってゆく場ともなってゆくのが哲学の広場だと 私は思ってます。

ここは、もう1つ 総合的に つっこんだ回答をしてみたいと思います。

前回のン・ベルテさんの質問にも、こちらの質問に けっこう特殊な長所がン・ベルテさんには見られるのですが、

どんな欠点にも裏には、良い見方、つまり長所にすぐ結びついてゆくような面も隠されていたりしますが、 ふつうはこれを発見するのは中々大変で 私のように常に教育に興味のある63歳の人間でも、  いまでも勉強中のところなのです。

だからこそ、ここでは いまひとつひねり方をつっこんでみましょう。


でもン・ベルテさんは、 質問文の一番最初にその観点を語られています。

簡単にそういう裏を見ながら思索を展開出きる能力がある人なのです。

「純真さ」という、おそらく人間にとって最後は最大に大切となる命の宝ものについてなのですが、

それは大人となるにしたがって 失っていったりする人が多いです。

世の中の汚い面、欲望におぼれた姿、そこから人をだます人たちが多い姿などの中に置かれることで、 自分の心に ゆとりを失ってしまうからです。

でも、この時に、そうした汚い面は どうしてこの世に生まれるのか?という事を 徹底して哲学しておけば、 またその根元である欲望についてしっかり吟味しておけば、

だます人のだます手口や心の中まで理解できるようになり、けしてほんとうにはだまされなくなると同時に、 その人自身は純真であり続けることは出きるのです。

欲望について、 簡単に言えば 生物としての欲望が浮かんできますが、そこから経済欲も簡単に派生していたりしますが、 深く分析してみれば、

そういう簡単な欲望は 表面的であり イメージで言えば幻想的な夢みたいな希求でしかなく、 誰もがその奥にその生物性を土台としつつも もっともっと 生きてることを感じたい、その幸せを知りたいという深い希求があることに気がつきます。

そうすると、 普通の欲望の世界も もっと大きく落ち着いてその必要性とかを「みつめる」ことや「みつめなおす」ことが出きるようになるのです。

それが出来ないから 小さな幻想的な欲望も土台として まるで本能におぼれた動物達のように、こころにゆとりを失って、おぼれとらわれ、 

こうしてそこに人をだましてでもその欲望を満たそうとしあってしまうということなのです。

つまり、 現代のこの情報化社会のねずみ小僧は、 ほんとうは、もうひとひねりして、

お金持ちの心自体を教育して、みずから考え方を改めた「みんなのための企業」にお金を捧げる人たちにしてしまう英雄を必要としているということです。

以上の点を もうひとひねり深く考えられるような人になるならば、ン・ベルテさんのような人は、 後に続くすべての質問文の疑問もご自分の力で解答を見つけることが出きるようになると思います。

男と女の問題については、それ自体が奥が深いですから すぐには答えが出てこなかったりする世界ですが、

いきなりそういう人生の本質への関心が文になる点も、ン・ベルテさんの特徴です。

いつか、きっと、そのへんの答えも見つかると思いますよ。

いわゆる常識を超える人となってください。

期待していますよ。

ン・ベルテさん、今晩は、

疑うということ自体は、哲学を深めるため、あるいは人生についての考えを深めるために必須の事と思います。

疑って疑って 疑いきれないものを見つけてゆく作業が哲学とも言える面もあるかと思います。

そうすることによって、より多くの視点から物事が見れるようになり、 最後は この人生の全体の視点が総合化されてきたら、 ほんとうにこの世で必要な正義を見つけ そこに実際の見通しもつけることができ、 こうして生きた人生のリーダーが育ってゆく場ともなってゆくの...続きを読む

Q狭き門より入れ

キリスト教で、広き門から入るな狭き門より入れ、というのを聞いた事があるのですが、どのような意味か教えて下さい。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

マタイ7:13ですかね?
道徳や聖書の教えにとらわれない自由気ままという意味で広い門。
ですが、命(救い)に至る上でそういう楽な(広い)門を入る人がとても多いのと比較して狭い(努力が必要な)門を通るように努めなさい、という事だと思います。

Q「心」「意識」「精神」の類似点、差異点を教えてください。

ご存知の方、宜しくお願いします。

「心」「意識」「精神」の類似点、差異点を教えてください。

Aベストアンサー

こんにちは。
「意識」とは「状態」
「心」とは「構造」
「精神」とは「心の構造によって形作られるもの」
ということになると思います。

この三つの共通点といいますと、それはこれらが全て「神経系の働き」を指すものだということですね。この内、「意識」といいますのは神経系、厳密には大脳皮質での情報処理過程で発生する「現象」であり、他の二つとはその定義が全く異なります。それは「有意識」という「特定の状態」を指すものであり、これによってどのような情報や結果が扱われるかということは一切の関係がありません。大脳皮質の意識に上る対象がなければそれは発生しませんし、大脳皮質を介さない情報処理や、自覚の成されない結果選択は「無意識行動」と分類されることになります。
このように「意識」といいますのは「状態」です。そして、これは神経系の情報処理過程やその結果を示すものではありませんので、他の二つとは全くの別物です。

では、「心」と「精神」の違いとは何かということになるわけですが、「精神」といいますのは元々心理現象や生理構造を科学的に分類したものではありませんので、その定義は極めてあいまいです。これに対しまして近年では、長い間謎とされていた我々の「心の構造」に就いてたいへん多くのことが解明されるようになりましたので、この辺りはもはや哲学の力を借りる必要がそれ程ありません。
心理現象とは「知覚入力―結果出力」という神経系の情報処理によって発生するものです。そして、我々の脳内では知覚入力に対して価値判断を下し、結果を出力するための中枢系が以下のように三系統に分かれています。
「生命中枢:無条件反射(本能行動)」
「大脳辺縁系:情動反応(情動行動)」
「大脳皮質:認知・思考(理性行動)」
この内、本能行動を司る「生命中枢の無条件反射」といいますのは、それは遺伝子にプログラムされた全人類に共通の反応規準であり、幾ら学習体験を積み重ねてもこれが変更されるということは生涯に渡って絶対にありません。ですから、如何なる場合であろうとも結果は予め定められているわけですから、これを「心の動き」とすることはできません。
これに対しまして、与えられた状況に応じて我々の脳内に様々な「心の動き」を発生させているのは「大脳辺縁系の情動反応」であります。大脳辺縁系には身体内外のあらゆる知覚情報が入力されており、ここではそれに対する「利益・不利益の価値判断」が行われることによって「情動反応」が発生します。この知覚入力に対する価値判断を行うための反応規準を「情動記憶」といい、これは生後体験に基づいて大脳辺縁系に獲得された「学習記憶」です。大脳辺縁系では何の入力に対してどのような反応を発生させたのかという結果が随時記録されますので、それは我々の「価値観」として成長してゆくことになります。そして、この価値観によって形作られるものが、そのひとに宿った「精神」です。

通常、我々が「学習記憶」と呼んでいるのは大脳辺縁系の情動記憶ではありませんよね。それは大脳辺縁系の「YES・NO」のように単純な結果ではなく、何時何処で何をしたといった具体的なものであり、個人の思い出から数学計算の技術、成功・失敗の結果からその社会の法律・道徳に至るまで、生後の実体験や教育によって大脳皮質に獲得されたありとあらゆる情報であります。大脳皮質はこの記憶情報を駆使し、知覚情報からは得ることのできない「未来の結果」を予測します。従いまして、大脳皮質の司る理性行動といいますのは、その全てが未来予測による「計画行動」であり、原因と結果の自覚された「意識行動」ということになります。
ところが、大脳皮質の導き出した結果が如何に高度で理性的であろうとも、実際に心が動かなければそれが実行に移されることはありません。つまり、大脳皮質の役割とは未来の結果を予測してより価値の高い計画行動を立案することであり、それに対して最終的な決定を行うのは「心の動き」を司る大脳辺縁系であります。ですから、大脳辺縁系に何の情動反応も発生しなければ、我々は一切の行動を選択することができません。
「ここは理性的な行動を執るべきだ」、与えられた状況に対して大脳皮質が判断を下し、それに対して大脳辺縁系が「賛成・YES」と反応することによって、それは初めて実行に移されます。

上記の中枢・三系統における機能分類を「脳の三位一体説」といい、現在では我々の「心の構造」というものがここまで判明しています。
ならばこれに基づき、
「大脳辺縁系の情動反応=心」
「大脳皮質の理性行動=精神」
とできるならば、生理学的にも解剖学的にもたいへん明解なのですが、基本的に「精神の定義」というのが元々あいまいであるため、これでは一般に扱われている概念とはどうしても一致しません。
このため、
「心とは構造」
「精神とはその構造によって形作られるもの」
ということになります。
我々の「心の動き」といいますのは、喜怒哀楽などの直接的な情動表出から高度に論理的な意思決定まで、その全てが大脳辺縁系の情動反応を中核として行われています。これが「心の構造」です。そして、大脳辺縁系にどのような価値観が獲得され、大脳皮質にどれだけの知識を持っているかによってその結果が異なります。従いまして、「道徳な精神」や「ひとを愛する気持ち」あるいは「目的に対する不屈の精神」などといったものは、みなそのひとの「心の構造」によって形作られているということになります。
また、価値判断を行う中枢系も、そのときの覚醒状態によっては反応の結果が異なります。ですから、精神といいますのはあれやこれやと極めて広範囲な概念ではありますが、これまでのような解釈を行うならば、このようなものを「精神状態」と呼ぶこともまた可能となります。

こんにちは。
「意識」とは「状態」
「心」とは「構造」
「精神」とは「心の構造によって形作られるもの」
ということになると思います。

この三つの共通点といいますと、それはこれらが全て「神経系の働き」を指すものだということですね。この内、「意識」といいますのは神経系、厳密には大脳皮質での情報処理過程で発生する「現象」であり、他の二つとはその定義が全く異なります。それは「有意識」という「特定の状態」を指すものであり、これによってどのような情報や結果が扱われるかということは一...続きを読む

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