中島義道氏の主宰する「無用塾」に入りたいのですが、どうやったら入れるか、もしくは「無用塾」のことを知っていらっしゃる方がいましたら教えてください。

A 回答 (1件)

直接は何も知らないのですが、中島氏の著書『人生を<半分>降りる』(ナカニシヤ出版、97.5)の3章の最後(P153)に、連絡先が書いてあります。


ただし、4年前の出版ですし、「…なるべく来ないでください」とかって書いてあります(苦笑)。今はどうなのでしょうか。
この本は、新潮OH!文庫(2000年発行)からも出たようなのですが、その中ではどう書かれているのか、確認してみたほうがよさそうです。

参考URL:http://www.bk1.co.jp/
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Q昔より塾へ行く小学生が増えた。なぜ?

私が小学生の頃、学習塾へ行く子供なんて居ませんでした。ピアノや習字はありましたが。古き良き時代というやつだと思います。それが現代では子供は夜に帰宅するから携帯を持たせるとか、私立へ入学した方が面倒見が良いから学習塾への費用を減らせるとか、塾に関係した話を多々耳にします。

・今時の小学生はそんなに学習塾へ行く必要が出ているのでしょうか?
・今時の小学生は昔と比べて学力は伸びているのでしょうか?つまり塾の効果が出ているのでしょうか?

Aベストアンサー

 一つ,補足として,首都圏の公立高校入試で,塾に行っている子をすべて除いて平均点を出すと,40点以上平均点が落ちる,という試算があります。

 これは,簡単に書くと,「県で発表している入試平均点×公立高校受験者数」-「大手塾で発表している各校合格者数×その学校の予想平均点を学校ごとに合計した値」を,(全体受験者数-塾からの合格者数)で割った値です。

 各受験生の正確な得点は分かりませんし,実績を発表していない中小塾の実績を除いての大まかな試算ですので,だいぶ誤差があると思いますが,簡単に言えば,公立の中で,「国立大学に10名以上合格者を出している高校」がすべて無くなってしまうぐらいの差になります。また,この値は,「大手塾で実績を発表している学校の分だけを引いた値」であることを考えると,塾に行っていない子の平均点は更に下がると思われます。

Q「無用塾」について。

中島義道先生の「無用塾」に関して何かご存知の方が
いらっしゃったらお教え下さい。メンバーの方がこの
中にいらっしゃらないでしょうか?

Aベストアンサー

中島義道教授は、電気通信大学で、哲学や第二外国語の講義を行っています。
講義内容は、面白い!ですよ。
講義中、うけて何度も笑ってしまいました。

中島教授は、日本の騒音が大嫌いです。
講義中に携帯電話が鳴るのも嫌いなようです。
日本の騒音と、よく戦うそうです。

中島教授は、ドイツ留学をしていたことがあります。
ドイツ留学の私生活については、「ウィーン愛憎」中公新書 \540に掲載されてあります。

Q小学生からの塾

この時期になると4月から小学生になる子供を持つお母さん方が、どこの塾に入れようかというお話を聞きます。

小学生から塾へ通わせるメリット何でしょうか?
たくさんのご意見も聞かせて頂けると嬉しいです。

Aベストアンサー

こんにちは、

そうですね。
受験しないにせよ、今の学校教育ってデタラメ的な部部多いので、他の部分での補いは必要かなって思います。
でも、一年生なんて学校って所が初めてで毎日生活するのに本人は必死なんだと思うんです。
そこに塾通いが加わるのはどんなものかなって思います。
その前に、基本的な生活身に着けることのほうが大事だとも思います。
受験の場合でも、三年や四年になってからでも遅くないと思います。
コンビニなど行って非常識な小学生は大体勉強バッグ持ってます。
どんな教育してるんだ?って思います。
それで面接の時はお坊ちゃまぶり演じるのかな・・・みんなそうなんだろうけど、なんか違うような気がします。
けど、私が行ってた小学校はもう今から15年ぐらい前ですが、学校崩壊でした。
先生の指導は全く成ってない。
校長先生も同じです。
私は真面目だったので、学校が嫌いでした。
けど、勉強は嫌いじゃなくて。
だから、親が塾に通わせてくれました。
学校で本来するべきことを塾でやってもらった感じです。
こういう場合はいいかなって思います。

けど、結局はご家庭の教育方針に沿うことになるのかなって思います。
難しいですね。
あまりまとまりませんでした。

こんにちは、

そうですね。
受験しないにせよ、今の学校教育ってデタラメ的な部部多いので、他の部分での補いは必要かなって思います。
でも、一年生なんて学校って所が初めてで毎日生活するのに本人は必死なんだと思うんです。
そこに塾通いが加わるのはどんなものかなって思います。
その前に、基本的な生活身に着けることのほうが大事だとも思います。
受験の場合でも、三年や四年になってからでも遅くないと思います。
コンビニなど行って非常識な小学生は大体勉強バッグ持ってます。
どんな教育し...続きを読む

Q「人嫌い(非社交的)」と「思慮深い」の違いは何ですか?? また、私の友人C氏より思慮深い人はこの世にいるのでしょうか??

彼は、躁鬱病で、更に精神衰弱なだけなのでしょうか??
それとも、悟りを得たのでしょうか??
世の全てを悟ったのでしょうか??

彼は、神さえも超えたのでしょうか??

後云々についても御聞き下さい。
私の友人C氏は、普通の人よりちょっと真面目過ぎるぐらいなので、よく人からは「真面目だねえ。」と言われます。
基本的な性格は、真面目で几帳面で優しい。
ですが、ノイローゼになりつつあるのか、
「1%でも悪が勝つ事は許せない。」と言う頑固者になりつつあります。
善が100%勝つ世界は、この宇宙に存在しないと解りながらも。

しかし、本人はその事については「俺の知った事ではない。」等と言っています。

何故なら、「この時代、軟派で明るいだけが取り柄の、熱くなる男が所詮は馬鹿を見るのだろう。」、
「クール~ニヒルで、生真面目で人をあまり信じないぐらいの男が得ではないか??」
との事だからです。


・好きな女を守ろうとする男、モテたくて女性に優しくしようとする男性は、所詮は「都合の良い男」になるだけ、また何らかの拍子で「単純馬鹿」とか「情けないor頼りない」等と謗られるだけであって、
大してモテる訳でもないだろう。だから馬鹿馬鹿しい。熱くならない方が良いだろ。

・また、逆に冷たい男は「悪い男」、「酷い男」として非難される。

・この世は全てが「虚無」である。
「いい男」も「格好良い男」も存在しない。
何度言ったら解るのか??!!
何だかんだ言って、死なない限り、「安住の地」には行けない。
生きている限り「成功」や「満足」なんてものは得られない。
生きている人間に、所詮ユートピアは無い!!


努力しない男=駄目駄目男
努力する男=駄目男(最後には飽きられて捨てられるかも知れないから。)
死んだ男=イイ男
では??

本当に格好良い男なんて、所詮は
「死んだ男」か「石像になった男」か「生涯孤立して恋愛、結婚をしない男」ぐらいしかいないのでは?恋愛した時点で軟派だろう?

・生きる事そのものが無意味で酔生夢死であって、矢張り 死 こそが全てである。死ぬ以外に解決策が無い。
仏教の教えでも「人は死ぬ為に生まれて来た自己矛盾の下にある。」とも言われている。

・羽を休める事の出来る場所、疲れた心癒せる場所は、地上には存在しない。生きる事はただ彷徨うばかりである。

*なので、上辺だけ、礼儀正しくて優しい人間を装った、疑り深い、恋愛とか形の無いものは信用出来ない、だから人のいない所で文武に励む、硬派で不言実行的で人とは関わらない男が良いのではないか。馬鹿を見ないのだから。
やがてそれを解ってくれる人も現れたならその人と一緒になれば良い。「果報は寝て待て。」である。
孤独なら孤独で、精神の自由を楽しめる。読書や創作活動にも専念出来る。これぞ両刀論法。

・100%利用されないようにするなら、100%人を信じない以外に無い。

・俺のように考える人間の事を、「負け犬」だの言う奴が、ヤフーとか2ちゃんねるには時々いるようだが、そんな事言う奴自体が、
負け犬か、ガキである。つまらん誹謗中傷だな。

・思慮深い人間の事を、僻んで「根暗」とか「陰険」とか、根拠も無く謗っていないか?
ガキじゃないのなら、もうヤメにしようぜ。

・女に手を出す男は最悪と言うが、しかし、
女を大事にしたせいで、つけあがってそれを逆手に取り、調子に乗って男をぶったり利用したりと言うような、ズルい女が、稀にでも現れるようなら、それは馬鹿馬鹿しいな。
嗚呼。もう石になりたい…………。

果たして彼の言っている事は正しいでしょうか?
彼は、全てを悟っていますか?

彼みたいなのを「悟りの境地」と呼ぶのですかね?


注意事項:
このように書くと、すぐに「過去に辛い経験を御持ちですか??」、「何かあったのですか??」、「誰かに振られたんですか??」
とか仰る人おられますが、
違います。

もう 思想の終焉 でも来そうでしょうかね?

彼は恋愛経験も無く、ただ、漫画や物語、ドラマの決まったシチュエーションに飽き飽きしている、そして自分の憶測が正しいと確信しているまでの事です。
でも彼は、正義漢、責任感、自意識が過剰なぐらいで、いつもは真面目で優しくよくやってくれる人なので、周囲からは寧ろ慕われています。
彼の心の中は解らないので、彼を悪く言う人は少ないです。

では御願いします。

彼は、躁鬱病で、更に精神衰弱なだけなのでしょうか??
それとも、悟りを得たのでしょうか??
世の全てを悟ったのでしょうか??

彼は、神さえも超えたのでしょうか??

後云々についても御聞き下さい。
私の友人C氏は、普通の人よりちょっと真面目過ぎるぐらいなので、よく人からは「真面目だねえ。」と言われます。
基本的な性格は、真面目で几帳面で優しい。
ですが、ノイローゼになりつつあるのか、
「1%でも悪が勝つ事は許せない。」と言う頑固者になりつつあります。
善が100%勝つ世...続きを読む

Aベストアンサー

自分の考えを「彼」の考えとして発表したと 推察します。
なぜなら

>彼の心の中は解らないので

 と自分で解っているようですので。

 で、内容そのものはどうかと言うと... ノーコメントです。もうお分かりですよね。

 こういった思想を自分の考えとして発表すると、非難されたり誹謗中傷された時に恥ずかしいから「彼」の考えとして発表したのでしょうが、恥は恥です。

 自分で否定しておられるようですが、やはり 内面世界においてヒドイ事があったようですが...例えばマンガや小説の悲劇の主人公と同調してしまったとか。

 過去のことは忘れて新しい自分として生きるのも良いことです。

Q教えてください。小学生の英会話教室のお月謝の相場はいくらくらいでしょうか?

教えてください。小学生の英会話教室のお月謝の相場はいくらくらいでしょうか?

Aベストアンサー

人数にもよりますね。そう人数から逆算すれば、3000円〜5000円(地方ですが)週二日〜三日くらいではないでしょうか。(娘の時は3000円)
3000円/4週=一週間750円/3回=250円つまり、一回一人250円X10人で2500円3時間教えて、
時給833円らくといえばらくなしごとですが、時給計算すると安いしごとですね。
20人くらいを教えないと、3000円では、計算が合わないです。

Q「偏見を持たない」と「能天気」の違い、また「硬派」と「頑固」の違いについて。

「すぐ偏見を持つ」は、良い見方をすれば裏面では思慮深く、二度と同じ失敗をしない、と言う意味でも使われるのではないでしょうか?
純真で偏見を持たないが為に「能天気」とか「単純」とか謗られるのが嫌なら、猜疑心を持ち続けてとことん人を疑う他方法ありませんよね。
能天気とは、深く考えられないような人の事を言う、ではないでしょうか。

また、硬派と頑固の違いはありますか??

「男らしくて勤勉で性格良い男に限って、悪い女に利用されたり我儘な女に振り回されたりするから、恋愛、結婚はしない方が良い。」

「女らしくて勤勉で性格良い女に限って、悪い男に利用されたり我儘な男に振り回されたりするから、恋愛、結婚はしない方が良い。」


従って、
「善男善女は絶対に恋愛、結婚をするな!!」、
「孤立は正義である。」、「恋愛、結婚をした時点で軟派だ。」、「視野の狭さこそが、思慮深さであり、所詮は 
視野が広い=能天気で単純 だ。」
と言う偏った考えが正しくなるケースもありますね。
違いますか??
「100%騙されるのが嫌なら、100%人を信じない以外に無い。」
のですから。

注意事項。
私は恋愛の経験とか、酷い経験がある訳ではありません。
ただ、本や漫画、ドラマ、法律相談番組等の決まったシチュエーションに飽き飽きしているだけですので。

自分をダイヤモンド硬派と名乗るつもりはありませんが。
ただ、熱くなるのは好きではありません。
「熱くならなければ、また恋愛とかせずに一人でじっと読書や思想や筋トレ等に黙々と耽っていれば、誰からも『単純な奴』(単細胞)とか『能天気』とか言われて謗られる事はない。」
かと思いますので。

「すぐ偏見を持つ」は、良い見方をすれば裏面では思慮深く、二度と同じ失敗をしない、と言う意味でも使われるのではないでしょうか?
純真で偏見を持たないが為に「能天気」とか「単純」とか謗られるのが嫌なら、猜疑心を持ち続けてとことん人を疑う他方法ありませんよね。
能天気とは、深く考えられないような人の事を言う、ではないでしょうか。

また、硬派と頑固の違いはありますか??

「男らしくて勤勉で性格良い男に限って、悪い女に利用されたり我儘な女に振り回されたりするから、恋愛、結婚はし...続きを読む

Aベストアンサー

ン・ベルテさん、今晩は、

疑うということ自体は、哲学を深めるため、あるいは人生についての考えを深めるために必須の事と思います。

疑って疑って 疑いきれないものを見つけてゆく作業が哲学とも言える面もあるかと思います。

そうすることによって、より多くの視点から物事が見れるようになり、 最後は この人生の全体の視点が総合化されてきたら、 ほんとうにこの世で必要な正義を見つけ そこに実際の見通しもつけることができ、 こうして生きた人生のリーダーが育ってゆく場ともなってゆくのが哲学の広場だと 私は思ってます。

ここは、もう1つ 総合的に つっこんだ回答をしてみたいと思います。

前回のン・ベルテさんの質問にも、こちらの質問に けっこう特殊な長所がン・ベルテさんには見られるのですが、

どんな欠点にも裏には、良い見方、つまり長所にすぐ結びついてゆくような面も隠されていたりしますが、 ふつうはこれを発見するのは中々大変で 私のように常に教育に興味のある63歳の人間でも、  いまでも勉強中のところなのです。

だからこそ、ここでは いまひとつひねり方をつっこんでみましょう。


でもン・ベルテさんは、 質問文の一番最初にその観点を語られています。

簡単にそういう裏を見ながら思索を展開出きる能力がある人なのです。

「純真さ」という、おそらく人間にとって最後は最大に大切となる命の宝ものについてなのですが、

それは大人となるにしたがって 失っていったりする人が多いです。

世の中の汚い面、欲望におぼれた姿、そこから人をだます人たちが多い姿などの中に置かれることで、 自分の心に ゆとりを失ってしまうからです。

でも、この時に、そうした汚い面は どうしてこの世に生まれるのか?という事を 徹底して哲学しておけば、 またその根元である欲望についてしっかり吟味しておけば、

だます人のだます手口や心の中まで理解できるようになり、けしてほんとうにはだまされなくなると同時に、 その人自身は純真であり続けることは出きるのです。

欲望について、 簡単に言えば 生物としての欲望が浮かんできますが、そこから経済欲も簡単に派生していたりしますが、 深く分析してみれば、

そういう簡単な欲望は 表面的であり イメージで言えば幻想的な夢みたいな希求でしかなく、 誰もがその奥にその生物性を土台としつつも もっともっと 生きてることを感じたい、その幸せを知りたいという深い希求があることに気がつきます。

そうすると、 普通の欲望の世界も もっと大きく落ち着いてその必要性とかを「みつめる」ことや「みつめなおす」ことが出きるようになるのです。

それが出来ないから 小さな幻想的な欲望も土台として まるで本能におぼれた動物達のように、こころにゆとりを失って、おぼれとらわれ、 

こうしてそこに人をだましてでもその欲望を満たそうとしあってしまうということなのです。

つまり、 現代のこの情報化社会のねずみ小僧は、 ほんとうは、もうひとひねりして、

お金持ちの心自体を教育して、みずから考え方を改めた「みんなのための企業」にお金を捧げる人たちにしてしまう英雄を必要としているということです。

以上の点を もうひとひねり深く考えられるような人になるならば、ン・ベルテさんのような人は、 後に続くすべての質問文の疑問もご自分の力で解答を見つけることが出きるようになると思います。

男と女の問題については、それ自体が奥が深いですから すぐには答えが出てこなかったりする世界ですが、

いきなりそういう人生の本質への関心が文になる点も、ン・ベルテさんの特徴です。

いつか、きっと、そのへんの答えも見つかると思いますよ。

いわゆる常識を超える人となってください。

期待していますよ。

ン・ベルテさん、今晩は、

疑うということ自体は、哲学を深めるため、あるいは人生についての考えを深めるために必須の事と思います。

疑って疑って 疑いきれないものを見つけてゆく作業が哲学とも言える面もあるかと思います。

そうすることによって、より多くの視点から物事が見れるようになり、 最後は この人生の全体の視点が総合化されてきたら、 ほんとうにこの世で必要な正義を見つけ そこに実際の見通しもつけることができ、 こうして生きた人生のリーダーが育ってゆく場ともなってゆくの...続きを読む

Q小学生の塾の開始時間と終了時間について

小学生向けの学習塾(進学塾ではなく)は
だいたい何時から始まって
何時に終わるところが多いでしょうか?
個人塾でも大手でも結構です。

Aベストアンサー

私が通っていた塾は、個別指導でしたが、小学生が帰ってくる時間に合わせて、15時に塾長が来て、16時に授業が開始されていました。

夜は、22時が最終で、だいたい22時30分ごろ閉まっていましたよ。

忘れ物したり、早めに行き過ぎた時の記憶からです。

Q狭き門より入れ

キリスト教で、広き門から入るな狭き門より入れ、というのを聞いた事があるのですが、どのような意味か教えて下さい。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

マタイ7:13ですかね?
道徳や聖書の教えにとらわれない自由気ままという意味で広い門。
ですが、命(救い)に至る上でそういう楽な(広い)門を入る人がとても多いのと比較して狭い(努力が必要な)門を通るように努めなさい、という事だと思います。

Q小学生に結婚の申し込みをしました。僕は塾で講師をしていて、その塾で好き

小学生に結婚の申し込みをしました。僕は塾で講師をしていて、その塾で好きになった小学生の女の子がいました。で、

「好きだよ、愛してる、先生と結婚しよう!!」
と勇気を振り絞ってプロポーズしたら
「先生、オンナは16歳以上じゃないと結婚できないよ、民法に書いてあるよ」

といわれました。これは本当ですか?
結婚は何歳でもできるのではないのですか?

Aベストアンサー

同じ塾講師でも、高校生相手なら微妙な話になるところですが・・・。

最後の文章を拝見した時は、失礼・・・目が点になりました(^^;;;

いや、「基本中の基本」ともいえるこの法律をご存じない方がいると知り、かなりびっくりです。

「まだ男性が17才だから結婚はできないけど同棲はしている」という話は結構聞くのですが、さすがに、小学生にそれは要求できないでしょうし・・・。

未成年者といっても、まだ何の権限もない、無力な「子供」をお持ちの御両親に会うという話になったら、いったいなんとお話するつもりなのかとも思ってしまいますね。

その小学生の女の子が利発そうで、「民法」という言葉まで知っていることも驚きましたが、もし本気になって親御さんに話してしまったら、あなたの立場は「塾講師」として以前に「危ない人」扱いされかねませんよ。

まあ・・・普通は本気にとらえる大人はいないと思うので、この段階で法律をひとつ学んでいただいて、「女性16才以上と男性が18才以上にならないと結婚は不可能だし、さらに未成年の結婚は親の承諾が必要」ということも知っておいた方がいいですよ。


あなたにしたら、純粋な恋心で、傷つくかも知れませんが、まだ全面的に義務教育などすべてが親の保護下にあり、家事もまともにこなせない女の子と結婚して、どんな生活をするつもりなのでしょうか・・・。

まあ、今回は、下手に言い訳してもしょうがない気がするので、何も言わずに黙っておくのがよい気がします。

その子を本気で忘れられず「16才まで待てるほど好きだ」と思う時に、また改めてプロポーズしたらどうでしょうか。
といっても、その子が「自立した生活ができる女性になったら」ということを考えると、最低限20才まで待つのが一番かと思いますが・・・。

今回の件は、小学生相手なのですから「恋愛」とするにも苦しい問題となると思うので、あなたの立場を考えても、くれぐれも誤解を受けないようにしてくださいね。

つらいかもしれませんが、「冗談ですよ」ですませることも必要な時があるかもしれませんし。

あまりにも一般的な常識なので、検索してもろくなサイトがなくて恐縮ですが、参考までにURLをごらんください。

全世界で統一されているわけでなく、海外でも様々な法律がありますよ。

平安時代にでも生まれていれば、あなたのプロポーズは受け入れられたかも知れませんが、現代では、とにかく無理ですので、ご注意を。

参考URL:http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-09-30/20090930faq12_01_0.html

同じ塾講師でも、高校生相手なら微妙な話になるところですが・・・。

最後の文章を拝見した時は、失礼・・・目が点になりました(^^;;;

いや、「基本中の基本」ともいえるこの法律をご存じない方がいると知り、かなりびっくりです。

「まだ男性が17才だから結婚はできないけど同棲はしている」という話は結構聞くのですが、さすがに、小学生にそれは要求できないでしょうし・・・。

未成年者といっても、まだ何の権限もない、無力な「子供」をお持ちの御両親に会うという話になったら、いったいなんとお話す...続きを読む

Q「心」「意識」「精神」の類似点、差異点を教えてください。

ご存知の方、宜しくお願いします。

「心」「意識」「精神」の類似点、差異点を教えてください。

Aベストアンサー

こんにちは。
「意識」とは「状態」
「心」とは「構造」
「精神」とは「心の構造によって形作られるもの」
ということになると思います。

この三つの共通点といいますと、それはこれらが全て「神経系の働き」を指すものだということですね。この内、「意識」といいますのは神経系、厳密には大脳皮質での情報処理過程で発生する「現象」であり、他の二つとはその定義が全く異なります。それは「有意識」という「特定の状態」を指すものであり、これによってどのような情報や結果が扱われるかということは一切の関係がありません。大脳皮質の意識に上る対象がなければそれは発生しませんし、大脳皮質を介さない情報処理や、自覚の成されない結果選択は「無意識行動」と分類されることになります。
このように「意識」といいますのは「状態」です。そして、これは神経系の情報処理過程やその結果を示すものではありませんので、他の二つとは全くの別物です。

では、「心」と「精神」の違いとは何かということになるわけですが、「精神」といいますのは元々心理現象や生理構造を科学的に分類したものではありませんので、その定義は極めてあいまいです。これに対しまして近年では、長い間謎とされていた我々の「心の構造」に就いてたいへん多くのことが解明されるようになりましたので、この辺りはもはや哲学の力を借りる必要がそれ程ありません。
心理現象とは「知覚入力―結果出力」という神経系の情報処理によって発生するものです。そして、我々の脳内では知覚入力に対して価値判断を下し、結果を出力するための中枢系が以下のように三系統に分かれています。
「生命中枢:無条件反射(本能行動)」
「大脳辺縁系:情動反応(情動行動)」
「大脳皮質:認知・思考(理性行動)」
この内、本能行動を司る「生命中枢の無条件反射」といいますのは、それは遺伝子にプログラムされた全人類に共通の反応規準であり、幾ら学習体験を積み重ねてもこれが変更されるということは生涯に渡って絶対にありません。ですから、如何なる場合であろうとも結果は予め定められているわけですから、これを「心の動き」とすることはできません。
これに対しまして、与えられた状況に応じて我々の脳内に様々な「心の動き」を発生させているのは「大脳辺縁系の情動反応」であります。大脳辺縁系には身体内外のあらゆる知覚情報が入力されており、ここではそれに対する「利益・不利益の価値判断」が行われることによって「情動反応」が発生します。この知覚入力に対する価値判断を行うための反応規準を「情動記憶」といい、これは生後体験に基づいて大脳辺縁系に獲得された「学習記憶」です。大脳辺縁系では何の入力に対してどのような反応を発生させたのかという結果が随時記録されますので、それは我々の「価値観」として成長してゆくことになります。そして、この価値観によって形作られるものが、そのひとに宿った「精神」です。

通常、我々が「学習記憶」と呼んでいるのは大脳辺縁系の情動記憶ではありませんよね。それは大脳辺縁系の「YES・NO」のように単純な結果ではなく、何時何処で何をしたといった具体的なものであり、個人の思い出から数学計算の技術、成功・失敗の結果からその社会の法律・道徳に至るまで、生後の実体験や教育によって大脳皮質に獲得されたありとあらゆる情報であります。大脳皮質はこの記憶情報を駆使し、知覚情報からは得ることのできない「未来の結果」を予測します。従いまして、大脳皮質の司る理性行動といいますのは、その全てが未来予測による「計画行動」であり、原因と結果の自覚された「意識行動」ということになります。
ところが、大脳皮質の導き出した結果が如何に高度で理性的であろうとも、実際に心が動かなければそれが実行に移されることはありません。つまり、大脳皮質の役割とは未来の結果を予測してより価値の高い計画行動を立案することであり、それに対して最終的な決定を行うのは「心の動き」を司る大脳辺縁系であります。ですから、大脳辺縁系に何の情動反応も発生しなければ、我々は一切の行動を選択することができません。
「ここは理性的な行動を執るべきだ」、与えられた状況に対して大脳皮質が判断を下し、それに対して大脳辺縁系が「賛成・YES」と反応することによって、それは初めて実行に移されます。

上記の中枢・三系統における機能分類を「脳の三位一体説」といい、現在では我々の「心の構造」というものがここまで判明しています。
ならばこれに基づき、
「大脳辺縁系の情動反応=心」
「大脳皮質の理性行動=精神」
とできるならば、生理学的にも解剖学的にもたいへん明解なのですが、基本的に「精神の定義」というのが元々あいまいであるため、これでは一般に扱われている概念とはどうしても一致しません。
このため、
「心とは構造」
「精神とはその構造によって形作られるもの」
ということになります。
我々の「心の動き」といいますのは、喜怒哀楽などの直接的な情動表出から高度に論理的な意思決定まで、その全てが大脳辺縁系の情動反応を中核として行われています。これが「心の構造」です。そして、大脳辺縁系にどのような価値観が獲得され、大脳皮質にどれだけの知識を持っているかによってその結果が異なります。従いまして、「道徳な精神」や「ひとを愛する気持ち」あるいは「目的に対する不屈の精神」などといったものは、みなそのひとの「心の構造」によって形作られているということになります。
また、価値判断を行う中枢系も、そのときの覚醒状態によっては反応の結果が異なります。ですから、精神といいますのはあれやこれやと極めて広範囲な概念ではありますが、これまでのような解釈を行うならば、このようなものを「精神状態」と呼ぶこともまた可能となります。

こんにちは。
「意識」とは「状態」
「心」とは「構造」
「精神」とは「心の構造によって形作られるもの」
ということになると思います。

この三つの共通点といいますと、それはこれらが全て「神経系の働き」を指すものだということですね。この内、「意識」といいますのは神経系、厳密には大脳皮質での情報処理過程で発生する「現象」であり、他の二つとはその定義が全く異なります。それは「有意識」という「特定の状態」を指すものであり、これによってどのような情報や結果が扱われるかということは一...続きを読む


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