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解体新書を書いた新井白石が解体した遺体は、一般人でしたか?
それとも犯罪者だったのでしょうか?

A 回答 (3件)

犯罪者でした。

ただし小塚原の刑場において罪人の腑分け(解剖)を見学したのですが、それによって下記「解体新書」原本の図が間違いないことを確認し、本格的に翻訳出版する事にしたようです。図は原本のものを使ったので正確には日本人の遺体ではありません。

なお、著者は新井白石ではありません。『解体新書』(かいたいしんしょ、解體新書)は、ドイツ人医師ヨハン・アダム・クルムスの医学書"Anatomische Tabellen"のオランダ語訳『ターヘル・アナトミア』を江戸時代の日本で翻訳した書。西洋語からの本格的な翻訳書として日本初。著者は前野良沢(翻訳係)と杉田玄白(清書係)。安永3年(1774年)、須原屋市兵衛によって刊行される。本文4巻、付図1巻。内容は漢文で書かれている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E4%BD%93 …
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詳しい回答ありがとうございます!

お礼日時:2018/05/24 12:29

先の方も書かれてますが新井白石は解体新書は書いてませんよ。


杉田玄白を中心にオランダ語訳のターヘルアナトミアを翻訳した書物です。

たしかに、犯罪者ですが、定説では罪人に腑分けを確認しながら見学したと言われています。

ちなみに新井白石は朱子学者で、六代将軍家宣の教育係でした。
時代が100年くらい違ってますね。
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この回答へのお礼

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ご指摘ありがとうございます。

お礼日時:2018/05/24 12:31

>解体新書を書いた新井白石…



定説を覆す新説ですか。

解体新書はもともとオランダの書物で、それを翻訳したのは前野良沢・杉田玄白を中心に、中川淳庵・石川玄常・桂川甫周らとするのが定説で、その出版は安永3年 (1774) です。

新井白石は1657~1725の人で、時代がかなり違います。

>解体した遺体は、一般人でしたか…

小塚原の刑場で罪人の腑分け (解剖) をしたというのが定説です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E4%BD%93 …
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この回答へのお礼

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詳しい回答ありがとうございます!

お礼日時:2018/05/24 12:30

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