助動詞「れる・られる」には「尊敬」の意味もが含まれていますが、
古代日本社会では西洋近代的な自我同一性が普及していなかった訳ですので、
"respect"の語を翻訳する為に当て嵌められた「尊敬」の語には、
違う意味での利用への適格化が無意識の裡に期待されている筈ですから、
質問をさせて下さい。
『「れる・られる」の「尊敬」と"respect"との相違に気付かなかった理由は何なのでしょうか?』
此の問題は深い価値をも孕んでいる筈ですから、
辞書からの単なる転記ではなく、思想的な背景への言及を御願い致します。
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
補足とお礼をありがとうございます。
沢山考えるヒントを教わったのはこちらの方です。
自分の文章を読んでも、これは伝わりにくいと反省していて
それは自分でもよく分かってないせいだと思います。
「人間にとって一切は衣装である」
謙譲、尊敬、批判する態度も制服を着るようなもの、だと思います。
ただ、内から湧く?「心heart」を予め選んだり、意志によってで着替えられません。
勇ましいのは選べないものの方ではないか?なんて気がしてきました。
respectの根源をそんな要素から探っている途中です。
平安言は美しい、英語も聖書を読まねばと思います。
暢気な私のためにももう少し時間をください。
この回答への補足
素早く回答を下さいまして、誠に嬉しく思います。
前回の返事の際に、一部の表現を盛り込ませて頂くのを忘れておりましたので、重要な部分になっておりますから、追加をさせて下さい。
『「時制の一致」の管理者の尊厳への表敬』に拘りたがる民族の文化圏では、作者の主張の独自的な「秩序」を自分の作品で訴え過ぎていますので、その「透視遠近図法」的自然観のせいで、
「連歌」の様に『「諸行無常」の「混沌」』を受け入れる、という発想が、其処(近代の西洋)では誕生し難いですよね。
確かに相手の尊厳を称える為に精神的な距離を設ける発想の御蔭で、
共通の認識客体へ距離を設けられる様になり、
結果的に『再現性が高い情報の「帰納」』が叶ったのでしょうから、
"respect"の威力は素晴らしい、と私にも思われます。
でも違う伝統文化の領域で流通してきた概念を
「西洋近代」的な手段で分析しますと、
「不完全性定理」の指摘の通りのパラドックスに陥るのでしょうから、
其の展開からの「解脱(?)」の為には、
「天神合一」の視点からの見直しが必要になるだろう、
と考えまして、此の質問を纏めさせて頂いております。
No.8
- 回答日時:
No.6です。
回答者からの情報を理解しようとする気がないと見ました。
降ります。
同じ言語は丸ごとで1つの思想を形成している筈ですので、
断片的な文法の食い違いを切り離してしまいますと、
(「東洋思想」等の)本質を見落としてしまいませんか?
臨床技術を見ましても、患者達との付き合い方の相違が、
此の質問の内容からも連想され得る筈です。
因みに「おそれられます」という表現は存在していますか?
No.6
- 回答日時:
No.2&3&5です。
★ ~~~~~~~~~~~
「モノ」と「コト」とを混同されていませんでしょうか?
同じ文化圏で発生した発想を切り離して考える遣り方の採用の方が、
遥かに強引でしょう。
~~~~~~~~~~~~~
☆ ものごとについて一つひとつの主題を捉えそこから筋道立てて問い求めて行くという姿勢 これにとぼしいと見ました。もしあなたの言っていることが学問から見ても妥当であったとしたら そうだとしても あまりにも論旨に飛躍があり過ぎましょう。
ご自分の仮説について そのように飛躍があった場合であれば まだゆくゆくは筋道を追うという救済策が残されていますが 相手の(つまり回答者であるわたくしの)立論について どう受け取ったから それについてこう考えるといった対話の手続きを省いてしまっています。
というところでしょう。
ご返事によって次の対応を考えます。
すなわち一例を前もって上げておきます。
★ 同じ文化圏で発生した発想を切り離して考える遣り方の採用
☆ じゅうぶんに歴史的にも言語学的にも論証しています。
たとえば《国ゆづり》によって《文化のありようが切り離された》と捉えることは じゅうぶんにあり得ます。
《れる・られる》と《召す・召し(⇒飯)・お召しもの(⇒着物)》とは 同じ文化圏の中でも 切り離されていると考えてまちがいないはずです。その発生の過程が違っているということです。
飯が 尊敬語の召しから出て しかも卑俗語の地位に貶められているといった歴史的な経過についてみても それは ひとえに第二次の敬語法として飾りとしてのごとく出来たからで そうではなく第一次のていねい語法のレル・ラレルのほうは 生活に根ざした基礎的な語彙として使われ続けているのです。
吟味しないでも分かるということでしたら もうそれまでだと考えます。
というよりも 質問者について言語学の素養が・・・とおそれられます。このラレは どういう用法でしょう?
この回答への補足
質問を拵える際には安易にその直接的な回答だけを求めている訳では御座いません。
深い意図を汲み取った回答が望ましいです。
実際に企業への苦情を訴えられる方々の中にも、
質問の本意を率直に出し難くて困っている方々が
少なく御座いませんでして困りますが、
問い合わせの切っ掛け作りの為の手段に属している事情を諒察しまして、その場合にも、冷静に応対を提供しています。
因みに仰っている「ラレ」の用法は「自発」と違いますか?
『「思われる」「考えられる」「感じられる」「偲ばれる」』
の「ラレ」の用法と同じだと感じ「られ」ました。
私の知識に重要な漏れが含まれているといけませんので、
端的に伺います。
西洋文化圏の言語にも、
用言が表敬の為の変形の余地が含まれていますか?
No.5
- 回答日時:
No.2&3です。
★★(No.3補足欄) ~~~~~~~~
4番の方が気付いていらっしゃる通りに、
要素還元論の基になっている思想と「謙譲」の文化圏の思想とは明らかに大きな食い違いを含んでいます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ これは 間違っていましょう。もしくはあまりにも単純にものごとを割りきって見てしまっていると考えます。
1. 要素還元論だけの文化は ありえないでしょう。《全体観》を持つ思想の系譜もありましょうし あるいはクリスチアニズムでは とうぜんのごとく 《非経験の領域》を想定します。この領域が 要素に還元されるなどということはあり得ません。
2. 《〈謙譲〉の文化》と敬語法における《謙譲語》の交通(まじわり)とは別物だと捉えます。
文化としての謙譲は その基礎に第一次のていねい語法におけるウヤマヒの文化があると断定してよいでしょう。《国ゆづり》の系譜でもあります。
謙譲語は尊敬語との対(つい)であって まとめて第二次の敬語法におさまります。すなわち お二階さん(もしくはお上)と第一階(つまり市民・庶民)との逆立ちした連関制がつくられたあとその二階建て構造としての社会の中で 尊敬ないし謙譲といった人為的な人間関係〔の飾りのようなもの〕が言わば社会の風潮として・あるいは一種の社会政策として上から作られて行った結果だと捉えます。
従いまして 上の引用した命題は あまりにも分析が粗いと考えます。違う意味で 要素還元的に過ぎる こう思います。どうでしょう?
この回答への補足
「モノ」と「コト」とを混同されていませんでしょうか?
同じ文化圏で発生した発想を切り離して考える遣り方の採用の方が、
遥かに強引でしょう。
No.4
- 回答日時:
日本語の「尊敬」の意味を逆説的にですが、
弱みを強調する「皮肉」と受け取るようになって
外的必然性や秩序を保つのに弱点によって、貫こうとする意志が尊ばれた状態。
多才な人に向かって素直に「尊敬します」というと
大概「自分はバカです」と反論されます!不思議な現象です。
競争によって人は成長もするでしょうが、
皮相ではなく内実が充実している人は競ってない。
報酬をどんな場合にもいくつも挙げることが出来るからこそ他人を恐がらせませんね。
博愛精神を掲げているようでもなく、素朴なんです。
“respect” の定義を私なりに(英語にも無頓着な背景なりに)すると
「歓迎される体現者」だと思います。
要素還元論的に??私も少し考えておきたい提案でしたので、
もう少し相違点を租借していきたいと思います。
今はまだ中途半端な一考です。
この回答への補足
素晴らしく良く分かっていらっしゃいますね。
こういう御意見を伺いたかったものですので、安易に締め括らなくて良かった、と思いまして、とても感謝しています。
個人の尊厳を御互いに称え合う、勇ましい”respect”の影響で、
「時制の一致」さえもが出来上がっている、という事情を鑑みますと、
「連歌」の様な「謙譲」技術を育んできた文化圏での「尊敬」は、明らかに”respect”と違いますね。
そして、奈良・平安の時代の文学は、更に奇妙な発想の存在を諭してくれています。
例えば、かの「源氏物語絵巻」は虚構ですので、
実在の人物達を登場させている、とは考えられ難い筈ですが、
奇しくも「帝、せさせ給ひけり」という表現等で、
作者が自分の虚構作品の登場人物への表敬を盛り込んでいますね。
是を「ロムルスとレムス」の物語の発想と比べて頂きますと、
アナタの理智なら更に理解して頂ける、と思います。
(名詞中心の発想の下では、少なくとも”respect”を盛り込んだ「活用変化」は存在し得ませんよね。「男性名詞」と「女性名詞」との違いに拘った言語なら尚更で、自己の権利の確保の為に、相手の立場を称えている様です。)
因みに、「れる・られる」の助動詞の意味の中には、
「迷惑の受け身」という項目もが含まれていて、
その理由を問う質問が此のサイトにも、頻繁に登場している様ですが、
「尊敬」という姿勢の意味を見直しているのでは有るまいか、
と考えまして、皆様と一緒に学びを得る為に、
此の質問を提出させて頂きました。
従いまして、此の質問の精度を高める為に、
深刻な勉強不足の私への御協力を御願いしたいものですから、
畏れ入りますが、追加の質問をさせて下さい。
『本来の日本的な「尊敬」の対象は自然現象だった』
という認識は妥当だと思われますでしょうか?
勿論乍ら仮説でも構いませんから、
御忙しい中への御邪魔を致しますが、
御教授を宜しく御願い致します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A0% …
上記のページの内容は分かり易い、と思われますから、
もし見られた事が御座いませんでしたら、御覧になって下さいませ。
No.3
- 回答日時:
No.2です。
★(No.2補足欄) 残念乍ら、「時流迎合」の発想は、 / 要素還元論的な"respect"の態度から生まれ得ません。
☆ 初めは意味がよく分かりませんでしたが 次のように解釈しました。つまりまづその言わば補足要求の中身を確認します。
1. ウヤマヒを《 respect 》という言葉で表現する人びとが思想(生活態度)の上で すべからく《要素還元論》に立つかと言えば そこまでは言うべきではないとまづ考えます。要素に分けてものごとを分析するのは きわめて一般的な《問い求め》の姿勢です。
2. 《時流迎合》というのは どうもつらつら考えるに《長い者には巻かれろ / 寄らば大樹の陰 / 〔権威・権力・権限の筋から発せられる意向としての〕空気を読めなどなど》の風潮を言い その風潮と互いに通じ合うところの――わたしが前回述べたところでは《第二次の》――敬語法について問うているのですね?
3.すなわち詰まるところ 《リスペクト》と表現する場合には 第二次の敬語法は作られなかったし 要らない。しかるに《れる・られる》と表現する場合には 人びとは《お上に弱くその意向に気を遣い もっとはっきり言うなら 皆が皆というほど右へならえする》そのような言語習慣としての・つまりその一環としての第二次の敬語法が《発達》してしまっている。これは 何とするぞ?
4. すなわち:
★ 『「れる・られる」の「尊敬」と"respect"との相違に気付かなかった理由は何なのでしょうか?』
☆ これでよろしいでしょうか?
わたしが前回No.2で答えたことは こうです。
5. 《れる・られる》という丁寧語法にもとづく敬語表現は 人びとの言わば対等の関係としてのウヤマヒを表わすものである。ゆえに 《リスペクト》としての敬い方と 基本的に言って 差はない。
6. けれども質問者の問いは それなのに――レル・ラレルのウヤマヒ表現でじゅうぶんであるはずなのに―― 《時流迎合》といったかたちの第二次敬語法が生まれてしまった。それは如何に?
☆ となるようですね?
まづこの第二次の敬語法が作り出される過程を見てみます。
7.〔前回答No.2の( b )より〕~~~~~
その昔――弥生時代から説き起こすのですが―― 秋には初穂をカミガミに《まつる(そなえる)》ことで 感謝祭のごとく《まつり(祭)》を催し ムラの人びとの共生を図っていた。
このときムラは 社会のかたちとして平屋建てだった。特に抜きん出た指導者がいたわけではない。
そうしてそこへ どうしてもお山の大将にしてくれ そうでなきゃおれは生きて行けないという人間が現われた。
人びとは とうとう社会にも神棚をこしらえて そこへその人間をまつりあげたのではないか。
――こういう推理を提出します。《くにゆづり》と言われています。
これが オホキミ(大君)であり のちのスメラミコト(天皇)であり さらには現人神であろうと。
《神だな》を第二階として社会が 二階建てに成った。そういう国の家である。
~~~~~~~~~~~~~
8. この《くにゆづり》から 敬語法の第二次派生が生まれたと見ます。
9. ゆづる思想は 言わば非戦論なのです。主戦論も非戦論も 人間の弱さから出ているものだとすれば 無駄な死者を出さないほうをえらんだ。よって 《隣の土地に囲いをつくって ここはおれの土地でおれのモノだ》と宣言する人間に対して 長期的に――千年・ニ千年を視野に入れて――話し合いで解決するという対話路線。ここから一たんゆづったのだから お二階さんが少々わがままなことを言ったりやったりしても まあまあまあとおだやかに――或る種の仕方でばかになって――相手を説得しようとします。ここにお上の言うとおりといった風潮が現われたと考えます。
10. 言いかえると リスペクトの文化では 土地を誰もがそれぞれ囲って それぞれオレのモノ扱いするということかも知れません。獲り合いが ふつうだということなのかも分かりません。一般に主戦論に立つのでしょう。(《人は人に対して狼なり。万人の万人に対するたたかい》。《朕は国家なり。絶対主権》)。
11. どうでしょう 確かにリスペクトの文化では 第二次の敬語法を生まなかったかも知れないが ぎゃくに見方を換えてみるならば 第一次のていねい語をつうじてのウヤマヒ合い――ゆづる文化―― これを見失っているのではないか?
12. 主戦論の世界では リスペクトを基礎としつつも それがないがしろにされたならば エニミと見る。果ては アクマ呼ばわりする。お上を転覆させる(レヲ゛リュ―ション=回転)。
こういったところでしょうか? (ニ千字にて)
この回答への補足
4番の方が気付いていらっしゃる通りに、
要素還元論の基になっている思想と「謙譲」の文化圏の思想とは明らかに大きな食い違いを含んでいます。
分析の発想は既に古代ローマの神話にも登場して、
他人の尊厳への歓待の態度が西洋近代文明の源動力になっています。
御気の毒乍ら、是は基本的な内容です。
「時制の一致」が採用されている事情から鑑みましても、
『”respect”の心境の積極的な自己主張の「権利」が保証されてきた文化圏からは、「連歌」とか「鍼灸」とかの技術的な発想が登場しなかった』という展開の理由は明らかですが、
種子島への鉄砲伝来の頃から翻訳語を早急に拵える必要に迫られたせいで、当時の御先祖様達が勘違いへの分析を怠って、
安易に新たな言葉を当て嵌めた、という場合もが多く、
特に幕末から奇妙な抽象語句が発案され続けてきましたね。
つまり政治経済的な都合によっても歪められてきた訳です。
従いまして、そういう経緯への注目を踏まえまして、
此の質問を提出させて頂いておりますので、
”respect”という語だけに拘った質問には留まっておりませんから、
更に哲学的な考察への御協力を御願い出来ますでしょうか?
宜しく御願い申し上げます。
No.2
- 回答日時:
こんにちは。
日本語における敬語には
第一次のていねい語法と
第二次の尊敬語(謙譲語をも含む)の用法
とがあります。ていねい語法には 人と人とのあいだで善意や好意を示す気持ちやよその人びと(《まれびと》)を歓迎するという厚意を示す心つもりが込められていますから 《うやまひ》の用法つまりその意味で敬語法も含まれます。レル・ラレルは ここに含まれています。
第二次の敬語法は おそらく当然のこととして 第一次のていねい語法から派生したものと考えられます。
その第二次の用法が どのようにして発生したのか また第一次とどのように違うのか おもにこれについて次のわたしの回答は述べています。
( a )【Q:ほにゃらか形而左右学 敬語(2)】その回答No.9
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5771150.html
( b )【Q:ほにゃらか形而左右学 敬語(3)】その回答No.13
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5818729.html
中で 第一次のていねい語法について 次のように簡単に触れました。つまり レル・ラレルの語例についてです。
☆☆〔上の( a )より〕 ~~~~~~~~~
レル・ラレルという敬語法を見てみるとよいはずです。古語では ル・ラル。
これは 自然生成の相を表わすようです。
日本語で《出来る》という言葉は いわゆる可能を表わしますが その可能の相というのも――《出て来る》と言っているに過ぎないのですから―― 自然生成の相であるにほかなりません。つまり自然生成の相をもって 能力の有無を表わそうとするものです。日本人は そのような表現のかたちを取るようになったと考えられます。
自然生成の相かつ能力があるという相を 言語表現としてその表現に使えば 相手を敬うかたちになったという言語習慣のことです。
見ラレルや食ベラレルは あまり使わないのですが――というのも 第二次の敬語法としての《ご覧になる》や《いただく》もしくは《めしあがる・おめしあがりになる》がそれらに取って代わったからだと考えられるのですが―― 第一次的なうやまひの気持ちを添えようとしていると見られないでしょうか。
すなわち《見る》ことや《食べる》ことが あたかも自然に起きて来ていますねと表わしているようなのです。あなたのその行ないは そのまま自然の力のもとに起きていますねと表わして 相手にうやまひを示すかたちであるようです。
〔ちなみに 自然に起きて来たものごと(およびそう見なしたものごと)を人が受け取るなら そのとき《受け身》という相が発生しています。ですから同じくこの受動相・被動相も 自然生成の相から生じて来ています〕。
この語法にかんしては 身分関係にかかわらず――つまりこの身分関係がからんで来るのが 第二次の用法になるわけなのですが そうではなく―― 人と人とのごく自然の互いのうやまひの気持ちをつうじておのづから発生したのではないだろうか?
~~~~~~~~~~~
★ respect
☆ これは《見( -spect )返る( re- )・振り向く;見直す・返り見る=省みる・顧みる》の心つもりで うやまふと言おうとしているのでしょう。
《うや・ゐや》はとうとぶ心であり いわゆる礼です。《まひ》は舞ひかと言われます。振る舞ひのそれのごとくに。
で このウヤマヒという思いと振る舞いにかんして 人間にかんする限り 違いはありません。自我だか自己同一性だか コギトだの理性だのと言っても それほどの違いはありません。キャンワ゛スを絵の具で塗りたくるか 水墨画で描くかもしくは白地を残しておくかの違いくらいです。表現の濃い薄いの違いくらいです。
つまり レル・ラレルのウヤマヒの語法で 日本人もじゅうぶん己れをもひと(他人)をもリスペクトしています。むしろリスペクトし過ぎるくらいではないでしょうか? その言語表現に関するかぎりで。
したがいまして:
★ 「れる・られる」の「尊敬」と"respect"との相違
☆ は さほどないとお答えします。表現を全部言葉に表わすかそれとも言い残しているか そのような違いだけだと考えます。
『「秩序」よりも寧ろ「混沌」を重視した文化の下では、
個人の尊厳を称え合う発想の芽生えは起き難い』
と言える筈ですので、情報提供を頂いてい乍ら畏れ入りますが、
自然観の違いにつきましての更なる検証を
御願い出来ますでしょうか?
No.1
- 回答日時:
「先生がお話される」という受身を尊敬に適用したケースに対する、
「先生が話す」というのは、自分が主体として状況を客観的に見て
いる事であり、前者の「れる・られる」は、相手の立場に立った表現
だと言える(自己のポジションを弱める)。
遠慮・思いやりの日本文化において、“相手の立場に立つ”というのが
基本であり、それを表現するには自分の方を受身にするのが妥当だ。
また、そうした“コンセンサスを前提とした自他の同化”において、
物事を明確に表現することは不躾であり、昔から偉い人の名前を直接
呼ばずに土地の名で呼んだり、主語を省略したり、あるいは今でも
相手を「自分」と呼んだりする。
(個人主義&自己主張をベースにした西欧文化において、「IとYouの
区別」を不明瞭にする事など考えられない)
この回答への補足
有り難いのですが、念の為に確認をさせて下さい。
『西洋近代的な個人の尊厳を主張する「責任」の発想が、日本の純粋な伝統から生まれ難かった』
という事情の根拠もが此処に有るのでしょうか?
「受け身を称える発想」という視点はとても素晴らしい、と思います。
世間には、何故か、
『「自発的な尊敬」という意見が趨勢になっている』
という馬鹿げた主張を繰り返す方々の人数が少なく御座いませんが、
既得権益保有者達への”respect”を提示させないといけない立場の都合のせいで、多くの重要な議論が封じられざるを得ない、という憂き目に会っていますので、
こういう貴重な機会に恵まれる経験を此処で終える展開は、
非常に勿体無く思われますから、御忙しい中で畏れ入りますが、
上記の「補足入力」欄の中の質問に対しましての御意見を伺えませんでしょうか?
何卒宜しく御願い申し上げます。
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