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自殺とは、何ですか?
自分の生命を自ら絶つその行為の意味は、一体何なのでしょう?

自殺について、思うところがあれば何でも回答を下さい。
どのような立場の人でも構いません、あなたの考える「自殺」とは何か、
聞いてみたいのです。

ちなみに私は、学問としての哲学の素養が無い素人なので、専門的な用語などは
殆どわかりません。できれば私のような人間にも了解しうるやりかたで、回答を
お願いします。

A 回答 (15件中1~10件)

 自殺が何なのかを考えるには、まず「死ぬことがなんなのか」を考える必要があるかも知れません。


 しかし、少なくとも生物は必ず死にます。とすると、自殺は「自らの意志によって死期を決定すること」だと言えます。
 憲法的に言うなら人は「生きる権利と義務」がありますから、純粋に悪いことです。しかし、考え方にもよりますね。

 次に、自殺の理由です。大きく分けて2つあります。それは「十分生きることに満足し、自分で生に幕を閉じたいから」と、「生きることに疲れ絶望し、生きていたくなくなったから」です。
 個人的には、前者に対しては条件付きで奨励します。その条件とは「自分の死と、死の経緯と、その理由を知って悲しむ者がいないこと」です。人生に満足し、死ぬことに後悔もなく、みんなに自信を持って「俺はいい人生を送った」と言えるようなら、それ以上の人生はありません。逆に「お疲れさま」と笑顔で見送りたいくらいです。
 しかし、後者は許せません。
 僕は若輩者で、本当に辛いことや悲しいことを経験したことはありません。しかし、いくら悲しいからと言って、悲しみや絶望に囚われたまま死んでいって、喜んでくれる人がいるでしょうか?そして自分はそのたった一つの人生に満足なのでしょうか?そんな答えは分かり切っています。
 そんな人はどう苦しもうと構いません。しかし、遺された者を苦しめることだけは許せません。許されません。たとえ自分の人生があまりに辛いものであっても、自分が理不尽に死んだとき悲しむ者がいるなら、せめてその人のためにも生きるべきです。頑張って生きても「不憫な人でした」と言われてもいい、「一生懸命生きて、後悔はしていないだろう」と思わせてあげなくてはなりません。そんな人たちのために、そんな自殺の仕方はしてはいけません。

 そんなところですね。

この回答への補足

ご回答、有難うございます。
自殺が果たして良い事なのか、否か、ということに関しては、曖昧な書き方
なので、Yuya_Tachibanaさんも、判断しかねているのだな、と考えておきます。

次に、自殺の理由についてです。確かに、残された人々には、非常に大きな
悲しみが与えられるでしょう。その悲しみというのは尋常ではないはずです。
そのことを考えると、自殺という行為は、他人に迷惑をかけるという意味で、
歓迎される行為でないことは確かですね。しかし、そのことが全ての自殺者に
通じるならば、自殺など無かったはずです。自殺者だって、残された者のことを
少しは案じ得る。しかし、それを通り越しても、自らの命を絶ちたいと考える
はずです。第一、どんなやり方、どんな経緯であろうとも、自殺という死の方法
からは、残された人々は一定以上の悲しみを得ずにはいられないはずです。残さ
れた人々が納得できる自殺など、果たして存在するのでしょうか。

補足日時:2001/04/22 01:06
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僕が思うには、


自殺をする人の精神状態は多分普通じゃありません!

すなわち、正常な状態ではおそらく自殺など怖くてできないでしょう!
だから、「僕は絶対に自殺しない!」とは言い切れないです。
だっていまこう話している状態はまぁ正常ですので
追い詰められ精神に異常をきたした状態になれば
正常の状態の論法は通用しないと思います!

僕個人の意見では、まぁ死にたくなくても人間は死ぬんだから
自殺するこたぁないよなぁ・・と年下の子が自殺したとういう
記事を見たとき思いますねぇ・・!
だけどそう思うことすら思い上がりかもしれません!
これが僕の意見です。参考になれば幸いです!
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
言うまでも無く、「自殺」というのは敏感な問題ですから、慎重な態度で
考えなければならなくなりますね。

自殺者の精神状態、これは正常ではない…。私もそう思います。ですから、
精神的に弱いだの強いだの、という論理は自殺者には当てはまらない。
人にはそれぞれ、何にだって苦悩する理由があるはずですから。あるいは最初
から私の質問が的外れだって言っても良いかもしれないですが。まぁ、それは
そうとして、tappyさん自身の慎重な意見、有難うございます。

お礼日時:2001/04/22 01:45

こんにちわ。


こういうテーマって本筋見失う事多いのですが
まず、生は自分のものと考えていいですか?
また、他人に干渉を受けない。
「身寄りのない老人、山上の仙人、誰も面会に来ない死刑囚」このような人には残された者自体がいないか
悲しまないか。

「いいやっかいばらいができた」人は平気でいいます。人間を美化した上での質問か、個人として考えた場合の質問か定義していただけると有り難いです。

この回答への補足

こんにちは、kierkeさん。

>まず、生は自分のものと考えていいですか?
はい。そう考えてくださったほうが良いかと思います。自分ではない何かに、
生の立脚地を還元してしまうと、質問をした私自身、ややこしくなりすぎて
本筋を見失いかねません。生とは何か、自分とは何か問うこと、確かにこの問題
を考えるうえで必要なことだと思います。kierkeさんのように"考える"こと
を大切にする人にとって、そのことを放置したまま、「自殺」について論じる
ことは我慢ならないかもしれませんが、それは今のkierkeさん自身の立場に
基づいて考えてもらって結構です。

>他人に干渉を受けない。
それもまた、kierkeさんの立場に還元して考えてもらってほしいです。できる
なら、今のkierkeさん自身の、一般化されない考え方を聞いてみたいです。
ですから、この質問、kierkeさん自身の、個人の問題として考えてくださって
結構です。というか寧ろ、その方が私にはいいかな。一般化してくださっても、
私の頭の中で、それを処理しきる自信が無いですから。従って、人間を美化しても
しなくても、kierkeさんの考え方に応じて、やり方を決めて下さって結構です。

補足日時:2001/04/22 02:04
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自殺。

年間三万人の人が自殺するそうですね。
すごい数ですよねぇ。
私(♀)自身は、自殺について否定はしません。

今まで自殺しようか、と漠然と考えたことは何回も
あります。その時の心理を今思い出すと、
「この世に自分が生きる場所はない、
 この世に自分は必要ない、自分の嫌な面は治らない、
 生きていて申し訳無い、この先いいことなんか無い」
・・・という絶望感のみでしたね。行為に意味はない。

なぜそこで死ななかったんだろうか?と考えると、
やっぱり心のどこかで「またいいことあるさ」って
部分があったんでしょうね。死ぬの怖いし。お腹すいたし、家に帰ろう、ってとこでしたね。

私の知人で今まで二人自殺者がいます。
彼らに共通することは、「恨み」でしたね。
恨みながら死んでいきました。二人とも優しくて
正義感が強く、正直な人でした。それが故に、
自殺によってこの世の不条理と決別するしかなかった
のかな。
この世には納得できないこと、いくら自分が正しくても
どうにもならないことが山ほどありますよね。
彼らの場合の自殺の意味は、自分のプライドみたいな物
だったんじゃないかと私は思っています。
 
絶望感、厭世感、もうひとつは自分の最後のプライドを
守る為、というのが自殺の意味?かなぁ。
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この回答へのお礼

自殺された知人が、二人もおられるとは…。

言葉を失ってしまいます。
確かに、この世の中、正直者が馬鹿を見る、というような部分もありますね。
世の中と自分の信念との行き違いが、一人の人を執拗に苦しめることはあります
よね。しかし信念は譲れない…。このような葛藤が、gokigenさんの知人を
追い込んだのかも知れませんね。無論、私はその方々を知らないので、何とも
適当な物言いになってしまいますが、立派な方たちだったのでしょう。そのような
方々の生き様を見て、プライドを守るため、という考えを持たれるのは、何とな
くわかる気がします。

有難うございました。

お礼日時:2001/04/22 02:20

自殺にはいいと思いません。

私はそのような方はこの世から逃げていると思うのですが、仮にあの世があるならば,この世を嫌だから,と逃げだしても,あの世で「この世は嫌だから,また自殺をするのではないでしょうか。」、逃げていたはなにも解決しないと思います。それを乗り越えてこと生きる価値があると思いますし,例え失敗しても,やりとおしたことで満足感と自身が沸いてくると思いますが 
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この回答へのお礼

ご回答、有難うございます。

searchingboyさんの考える、自殺の是非はわかりました。
しかしその前に、自殺者は何故自殺しようとするのか、ということを
考えられたでしょうか?「それを乗り越えてこそ生きる価値がある」
という節がありますが、自殺者は、生きることに価値を見出せないの
だから、自殺と言う行為に出うるのではないでしょうか。まぁ、これは
私個人の考え方ですから、他にも自殺の条件的なものはあるのでしょうが。
すこし、その箇所が気になったので、失礼を承知しつつ言わせてもらい
ました。

お礼日時:2001/04/23 00:32

過去にこんな質問があったのでお知らせしておきますね.結構,おもしろい話でした.参考になると思います.(参考URL)



参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=35688
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この回答へのお礼

アドバイス、有難うございます。
こんな板があったとは知らなかったです…。

お礼日時:2001/04/23 00:36

こんちはー! 僕は超~素人なので軽く聞いてください・・・(^^;


たぶん僕にとっての「自殺」とはみんなが思ってるのと違う気がします・・・
普通(?)は現実から逃れるために自殺するとか言いますよね????
僕にとっての自殺のするときは、誰かを助けるためなら自殺をするかもって感じです・・・まぁ普通そんな場面にならないでしょうが・・・(笑) 以上 ぼくにとっての「自殺」でした・・・(^^;
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この回答へのお礼

ご回答、有難うございます。

dotiteさんの考える自殺、私にはすこしわかりにくいですね…。
誰かを助けるための自殺…と言ってもなかなか思い浮かばないです…。
すいません。

お礼日時:2001/04/23 00:40

Res about ANo.#1補足



>歓迎される行為でないことは確かですね。しかし、そのことが
>全ての自殺者に通じるならば、自殺など無かったはずです。
>自殺者だって、残された者のことを少しは案じ得る。しかし、
>それを通り越しても、自らの命を絶ちたいと考えるはずです。

 その辺りは、個人の道徳観念に左右されてしまうかも知れませんね。自分の身が滅びようとも悲しませたくない人がいれば、その人は絶対に自殺なんてしないだろうし、自殺することで悲しみを生むかも知れないが、ある人のためを想ってのことかも知れません。
 また、例え「ある人のためだ」と思って自殺しても、それはその人のいいわけかも知れませんし、弱い心のせいであるとも言えます。強い心の人は自殺に行き着く割合は当然弱い人より低いでしょうから、遺された者を案じるということ自体が弱い人の自慰でしかない場合だって大いにあると思います。その辺は結局、答えのないシュレディンガーの猫ではないでしょうか。

>第一、どんなやり方、どんな経緯であろうとも、自殺という死の方法からは、
>残された人々は一定以上の悲しみを得ずにはいられないはずです。
>残された人々が納得できる自殺など、果たして存在するのでしょうか。

 あると思います。自殺という一般的な意味合いから完全に目を離せば、自ら死ぬことにも意義すら見出せるはずです。
 悲しみが残るのは仕方がないでしょう。人が死ぬんですから。納得し満足した上での死は最高の死ですが、それはあくまで死の中での基準です。「死」自体にはやはり純粋な悲しみというものはつきまとうと思いますから。
 そう考えれば、納得できる「自殺」というものはある、と言えるのではないでしょうか。悲しみは別として。
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この回答へのお礼

再度の回答、有難うございます。

Yuya_Tachibanaさんの言われる「答えのない」というのは、確かにその通り
かもしれないな、と思います。このような問題と言うのは、数学のように
答えが一意的に定まるものではないでしょうからね。私もそれを承知して
いますし、その上で皆さんの「意見」が聞きたかったので、Yuya_Tachibana
さんのようにご自分の意見をはっきり言っていただくのは本当に嬉しいです。

確かに、自殺という形をとるとはいえ、そこには様々な事象の可能性が存在する。
問題が手におえないくらい大きくなっても、その可能性を否定するわけには
いかないですよね。私ももう少し、方法論から考え直す必要があるかも
知れないですね…。

お礼日時:2001/04/23 00:56

自殺を考えたことは何度もあります。


未遂も一度だけあります。
友人も何人も自殺しています。
そんな環境で暮らしてきました。

そんなとき友人におまじないの言葉をもらいました。
「それは死にたいんじゃなくて死にたいぐらい辛いんだ」
一瞬で納得しました。自分のことも、周りのことも。

自分自身で生を完成させるために死を選ぶ人もいるかもしれません。でも、圧倒的に多いのは死にたいほど辛い、ことと死にたい、ことの区別が出来なかった人ではないかと思います。

私のように的確な助けがあれば彼らは生きていたのかもしれません。自殺しようとしたことも忘れているかもしれません。
私にとってはこれは非常に生々しい問題なので、観念的でなく書かせていただきました。
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この回答へのお礼

ご回答、有難うございます。

私も、話があまりに観念的になりすぎると、ついていけなくなるで、このような
形で書いていただいて、非常に嬉しいです。と、こんな書き方はあまりよくない
のかもしれませんが…。

「それは死にたいんじゃなくて死にたいぐらい辛いんだ」
という言葉、私には個人的な体験のバックグラウンドがないので、すぐには
納得ですが、基本的には、本当に死を望む人はいないのではないか、という
ことでしょうか(生を完成させる手段としての自殺というケースを除いて)。
それなら私にも少しは解る気がします。勿論、全く解る、というわけでは
ありませんけど(そこまで書くのはおこがましいですしね)。

お礼日時:2001/04/23 01:04

補足ありがとうございます。

あくまで私の意見ですので怒らないで下さい。
「辞職」。責任をとって辞職。満足したので辞職。いづらかったので辞職。3番目を責める人はいても1と2については少ないと思います。生き方として、職であれ生であれ同じだと思います。
償う方法がそれしかなかった人
ホントは生きて償うべきであっても、その方法が無い程の事をした。そんな時、死も選択の一つでしょう。
私は私の子が他人を殺したりしたら、多分償う方法を
しらない。逆だったら相手を殺したいと思うし、死ん
でくれと思うから。
満足したひとについて
医療の尊厳死などありますが、言ってみれば自殺です。
また私自身、得たいと思うものを得る事ができたなら
尊厳死という自殺もよいかと思っています。病気であ
れ、健康であれ尊厳は等しくあると思います。
悲しみの内のひとについて。
自殺は勧めません。生あるうちにはきっといいことも
あるだろうから。死の先にいいことが一つも無かった
ら、生きているうちにそれを謳歌すべきと思うからです。

では、本題ですが私の考える自殺とは
一種の希望です。今から逃れたい、先にはもっといい
ことがあるかも、もう十分だ。理由はいろいろあるけ
れど。
また、仮に”絶望”と言うものの中にいる人が見つけ
る唯一の希望です。絶望の末期症状へいく人は少ない
とは思いますが、彼等にとっては希望です。
ただ、その先にさらなる絶望の永遠性を知っている人
こそ本当の絶望者でしょう。
ですから、その唯一の希望にすがらないで、目をこら
して、幽かな生を見つけてほしいと自殺したいと思う
人には訴えたいです。

少しややこしい話でごめんなさい。
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この回答へのお礼

丁寧な回答を有難うございます。
「本題」の方を特に興味深く読ませて頂きました。
kierkeさんの言われる絶望、正鵠を射ていると思います。また、自殺とは
一種の希望である、という部分。生の過酷から逃れると言うのでは必ずしもなく、
相対的に優位にたつ選択肢としての死、と考えてよいのでしょうね(なんか
言い方が変になってしまってすいません)。自殺者は生きるよりも、死を選ぶ。
確かにそうです。単純な話ですが、とても重要なことです。それを再確認しま
した。

お礼日時:2001/04/23 01:13

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