「海辺のカフカ」のなかで、

【世界はメタフアーだ】

という言葉がどういうことなのか、教えて欲しい。

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A 回答 (2件)

難しいですね。



メタファーとは、対象物を他の何かに例えて表現したりすることを言いますよね。
また、何かを把握しようとするとき、それを自分の経験や知識などに照らし合わせて理解することもメタファーの一種だと思われます。

それを考えると、「世界はメタファーだ」と言う言葉は、世界というものは何かしらの相互関係から成り立つもので独自性はなく、メタファーを用いてしか理解できないものである、と言っているようにも思えます。
もっと分かりやすく言うと、例えば「音楽は奏でるものだ」と言った場合、では「奏でるものは何か?」と言われたら「それは音楽だ」という答えになる、ということです。
つまり、ここで人は二つの事柄をイコールであると示しているだけで、根本的に「音楽とは何か」「奏でるとは何か」を説明できているわけではないということです。

彼が「世界はメタファーだ」と言ったのは、世界というものはそんな風にメタファーでしか表現できない曖昧なものであり、またそのようにメタファーとして相互関係を持ってしかその存在を示せないもの、と言いたいのではないかなと。。。分かりますでしょうか?^^;

あとひとつ、「世界はメタファーだ」と言う言葉には彼のイタズラ心が働いているようにも思います。
「世界はメタファーだ」という表現自体が、メタファーだという事実です。
世界がメタファーである場合、それをメタファーで表現できるのかという、これはパラドックスのひとつですね。


まあ、どちらにせよ本当の意味は彼しか分からないでしょう。
学校でも教わったでしょう。国語のテストの正解はひとつだけじゃないって。
どんな意味にせよ、ご質問者様がその言葉から得たそのものが、ご質問者様にとっての答えで良いと思いますよ。

ご参考まで。
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この回答へのお礼

なるほど、奥が深いですね。

村上独特の表現なのでしょう。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/28 09:38

 「メタファ」というのは比喩表現の1つです。


比喩には「~の様な」という表現と「別の言葉で言い換える」表現の2つがあって、前者を「直喩」後者を「間喩」または「暗喩」と呼び、この後者が「メタファ」に該当する言葉です。
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Q「ある種のメタファー」とはどういう意味?

以下の***印内の文章は、「文明崩壊」という本を読んだ人の感想文ですが、
ある種のメタファーではあるに違いない。という最後の一節はどういう意味でしょうか?

*****
 イースター島がまわりから隔絶した世界だったからこそ、ここで起こったことは地球の縮図のように見える。もちろん話はそう単純ではないのだが、ある種のメタファーではあるに違いない。
*****

「ある種のメタファーであるに違いない」という文節の前に、
「地球の縮図のように見える」という文がありますが、それを強調する為に繰り返し同じ事をメタファーという言葉に置き換えて言っているということでしょうか。?
つまり「ある種のメタファーであるに違いない」というのは、「イースター島が地球の縮図といっても過言ではない」と言っているということになるのでしょうか?
メタファーという言葉がしっくり自分の中に入ってきません。


メタファーの解説をこちらのQ&Aで参照してみましたが、
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3635905.html
難しくて分かりませんでした。

以下の***印内の文章は、「文明崩壊」という本を読んだ人の感想文ですが、
ある種のメタファーではあるに違いない。という最後の一節はどういう意味でしょうか?

*****
 イースター島がまわりから隔絶した世界だったからこそ、ここで起こったことは地球の縮図のように見える。もちろん話はそう単純ではないのだが、ある種のメタファーではあるに違いない。
*****

「ある種のメタファーであるに違いない」という文節の前に、
「地球の縮図のように見える」という文がありますが、それを強調する為に繰り...続きを読む

Aベストアンサー

メタファーの意味自体はすでにご存じかも知れませんが、「暗喩、隠喩」です(「直喩」に対する語)。

前後が分からないので、いくぶん推測混じりですが、
思うに、強調というよりも、きつすぎる表現をより緩やかに言い直したものでしょう。
(逆にこうすることによって最初のの表現を際立たせるという狙いもありそうですが)

「『地球の縮図』という表現ではあまりに細部を無視した表現であるが、
少なくともある部分においては〔あるいは大枠では〕地球全体の相似形といってよいだろう」

というような意味だと私には思われます。

Q村上春樹氏のカフカ賞インタビューについて

 毎日新聞の11月14日の夕刊に村上春樹さんのカフカ賞受賞の記事が載っていました。そこに、村上さんがインタビューに答えた言葉が載っていました。以下の様にです。
「『ノルウェーの森』の登場人物に自殺が多いのはなぜですかとの質問があった。『日本ではハラキリを美しいものと受けとめてきたように、アジアには伝統的に自殺を美化する文化がある』と村上さん」

 私はこれを読んでビックリしました。彼がこのようなことを本当に言ったのでしょうか。本当だとすると、私の村上春樹観は大きく変わってしまいそうです。

 

Aベストアンサー

確かに驚かされますよね。

でも報道されて伝わった発言そのものには、彼の真意と、ほとんど違いはないと思います。

驚きは「自殺を美化する文化」というのがアジアにはあると、彼が本当に思っているのか、あるいは、彼自身が自殺を美化しているのか、なのではないでしょうか。
「アジア」や「ハラキリ」を例えにだしたのは、単に西洋との違いをマスコミ受けを織り交ぜて、わかりやすく言ったに過ぎないのでしょうから。

優れた作品には、常に死生観がつきまとっているようです。

死臭を漂わせる作家は、自殺を美化しておかないと、自身がイザという時に格好がつかなくなるとでも、考えているんでしょうか。

Qメタファーとは

メタファーとはなんでしょうか?まったく意味がわかりません。
何かわかりやすく説明しているいいサイトなどありましたら合わせてよろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
メタフォア(メタファーとも言います。metaphor)は、比喩の一種で、シミル(simile)と並んで、代表的な比喩の修辞技法です。

メタフォアは、「暗喩・隠喩」と呼ばれ、シミルは「直喩・明喩」と呼ばれます。形の上からは、「……のような」「……に似た」というような言葉が入っているのがシミルで、入っていないのがメタフォアだという区別がありますが、内容的にはかなり難しいです。

易しい例を挙げると、一般的に、次のように対比させます:

「彼は、キツネのようにずるい」……「ように」がありシミル。
「彼は執念深いこと、蛇のようだ」……「ようだ」がありシミル。

メタフォアはこれに対し、

「彼はまさに希代のキツネだ」
「彼は蛇だ」

前者のシミル(直喩)では、「ように」などがあるのとは別に、「何を喩えているのか」が、明示されています。彼がキツネなのは、「ずるさ」が比喩されています。彼が蛇なのは、「執念深さ」で比喩されています。

しかし、後のメタフォア(暗喩)では、どこがキツネで、どこが蛇なのか、明示されていません。「ように」とか「似て」は、「キツネのように狡猾だ」「蛇に似て執念深い」などで使うので、何を比喩しているのか明示する言葉が来るのです。

彼はキツネだ。彼はイヌだ。彼は蛇だ。……などは、よく使う比喩なので、メタフォアの形をしていても、前後の関係から、何がキツネで、何がイヌか分かります。「キツネだ」というと、狡賢いになりますし、「イヌだ」というと、誰かの忠実な手先だという意味です。

シミルの形をしていても、どこが比喩なのか分からないシミルもあります。例えば、「青い湖水を静かに泳いで行く白鳥のように彼は穏やかに微笑した」というのは、「穏やかさ」を比喩するシミルですが、「青い湖水を静かに泳いで行く白鳥」が、どういう関係で、「微笑の穏やかさ」になるのか、よく分かりません。

こういうのは、形の上では、シミルですが、実質はメタフォアになっています。

メタフォアというのは、「詩」で多く使われますし、効果的に使うと、非常に印象的になります。

「兵士は、獲物を探す鷹の目で、遙か眼下の平野を見下ろした」というのは、おそらく、「鋭い視線・注意深い視線・鷹のように獰猛な意志」などの比喩なのでしょうが、読む人によって色々なものが、想像され、了解されます。

「西欧中世の古風な宮廷舞踊会の毎日のように、時が傍らを過ぎ去って行った」というのは、「ように」がありますが、これはシミルではありません。時間が経過したというのは、分かるのですが、どういう風に経過したのか、その部分がメタフォアになっています。

華麗に過ぎ去ったのか、繰り返しのように過ぎ去ったのか、静かに過ぎ去ったのか、典雅に過ぎ去ったのか、退屈に過ぎ去ったのか……読む人により、前後の文章により、色々なイメージや意味になります。

つまり、何か「比喩」なのですが、意味が明白でない代わり、イメージや雰囲気があり、「暗示的な比喩」であるのです。

メタフォアが多い文章というのは、イメージや雰囲気は豊かなのですが、それで何なのかが分かりにくいような文章です。メタフォアのイメージや雰囲気を味わうことが意味あることになります。

「新月の夜の緑の沼の眸で、スレートの笑いを彼は頬に浮かべた」では、何のことかよく分かりません。「暗い緑の眸で、スレートのように硬い笑いを彼は頬に浮かべた」なら分かります。「スレートの笑い」は、シミルで言えば、「スレートのように硬い」になるのです。

しかし、そう言ってしまうと、イメージや雰囲気の余韻が出てこなくなるので、メタフォアという、何をどう比喩しているのか、イメージなどは分かるが、それが何を意味するのか、自分で味わって了解しなければならない修辞の形式を使うのです。

メタフォアというのは、文章修辞の典型で、詩の本質は、このメタフォアのできぐあいに係っているという見解もあります。

また、以上は、文章修辞のメタフォアですが、メタフォアは、人間の概念思考に常に付随するもので、あらゆる芸術や日常生活にも、メタフォアが関係するというのが、一般的な考えです。三番目のURLは、かなり難しい文章ですが、メタフォア論になっています。

>日本語の修辞法―レトリック
>http://www.sanseido.net/Main/hyakka2/Rheto/rheto_rhe.html#two

>特別企画 第六回 比喩
>http://plaza5.mbn.or.jp/~gendaibun/kikaku/kikaku0601.html

>メタファーと認知
>http://www.ec.kagawa-u.ac.jp/~mogami/metapher94.html
 

参考URL:http://www.sanseido.net/Main/hyakka2/Rheto/rheto_rhe.html#two,http://www.ec.kagawa-u.ac.jp/~mogami/metapher94.html

 
メタフォア(メタファーとも言います。metaphor)は、比喩の一種で、シミル(simile)と並んで、代表的な比喩の修辞技法です。

メタフォアは、「暗喩・隠喩」と呼ばれ、シミルは「直喩・明喩」と呼ばれます。形の上からは、「……のような」「……に似た」というような言葉が入っているのがシミルで、入っていないのがメタフォアだという区別がありますが、内容的にはかなり難しいです。

易しい例を挙げると、一般的に、次のように対比させます:

「彼は、キツネのようにずるい」……「ように」がありシミ...続きを読む

Q村上春樹 「羊」と「羊男」の違いとは?

現在村上春樹についてレポート作成なのですが、

「羊をめぐる冒険」に登場する

「羊」と「羊男」は、名前は似ていますが全く別物なのでしょうか?

Aベストアンサー

違いますね。
羊男は象徴です。
しっかり「羊をめぐる~」を熟読してみる事をお勧めします☆

Q村上春樹作品でいう、「メタファー」とは

「海辺のカフカ」のなかで、

【世界はメタフアーだ】

という言葉がどういうことなのか、教えて欲しい。

Aベストアンサー

難しいですね。

メタファーとは、対象物を他の何かに例えて表現したりすることを言いますよね。
また、何かを把握しようとするとき、それを自分の経験や知識などに照らし合わせて理解することもメタファーの一種だと思われます。

それを考えると、「世界はメタファーだ」と言う言葉は、世界というものは何かしらの相互関係から成り立つもので独自性はなく、メタファーを用いてしか理解できないものである、と言っているようにも思えます。
もっと分かりやすく言うと、例えば「音楽は奏でるものだ」と言った場合、では「奏でるものは何か?」と言われたら「それは音楽だ」という答えになる、ということです。
つまり、ここで人は二つの事柄をイコールであると示しているだけで、根本的に「音楽とは何か」「奏でるとは何か」を説明できているわけではないということです。

彼が「世界はメタファーだ」と言ったのは、世界というものはそんな風にメタファーでしか表現できない曖昧なものであり、またそのようにメタファーとして相互関係を持ってしかその存在を示せないもの、と言いたいのではないかなと。。。分かりますでしょうか?^^;

あとひとつ、「世界はメタファーだ」と言う言葉には彼のイタズラ心が働いているようにも思います。
「世界はメタファーだ」という表現自体が、メタファーだという事実です。
世界がメタファーである場合、それをメタファーで表現できるのかという、これはパラドックスのひとつですね。


まあ、どちらにせよ本当の意味は彼しか分からないでしょう。
学校でも教わったでしょう。国語のテストの正解はひとつだけじゃないって。
どんな意味にせよ、ご質問者様がその言葉から得たそのものが、ご質問者様にとっての答えで良いと思いますよ。

ご参考まで。

難しいですね。

メタファーとは、対象物を他の何かに例えて表現したりすることを言いますよね。
また、何かを把握しようとするとき、それを自分の経験や知識などに照らし合わせて理解することもメタファーの一種だと思われます。

それを考えると、「世界はメタファーだ」と言う言葉は、世界というものは何かしらの相互関係から成り立つもので独自性はなく、メタファーを用いてしか理解できないものである、と言っているようにも思えます。
もっと分かりやすく言うと、例えば「音楽は奏でるものだ」と言った場合...続きを読む

Q村上春樹「ノルウェイの森」という題名について

最近流行っているみたいなので村上春樹さんの小説の「色のない多崎つくると彼の巡礼の年」を読み、ラノベのようなノリでとてもおもしろかったので、他も読んでみようと思うのですが、ちょっと気になっていたことがあります。

もっとも有名といっていいと思いますが、村上春樹さんの「ノルウェイの森」、これはビートルズの曲の題名からとったと思いますが、元の意味はノルウェイ製の家具、ですよね?

これを敢えて森としたのは、どのような意味があるのでしょうか?
本を読めばわかるのだとしたらそう教えていただきたく、お願い申し上げます。

ついでに流行に乗って読んでみた私におすすめの作品があったら教えていただけるととても嬉しいです。

Aベストアンサー

こんばんは。自分も気になったので調べてみたら次のことがわかりました。

最初は「雨の中の庭」というタイトルを途中で村上春樹の奥様の提言で「ノルウェーの森」に変えたということ。

またビートルズのノルウェーの森については、英国では「norwegian wood」といえば労働階級のひとが住むアパートの内装に使われる安物の木材を差し、そうした部屋に住んでいる彼女は大して裕福ではない娘を表している。(さらに部屋には椅子も置いてないと歌われている。)

村上春樹の「1Q84」は読まれましたか? これもお薦めですよ。

Qメタとは何ですか?

現在大学で、言語学を勉強しています。言語学の勉強で最近頻繁に出てくる単語に「メタ言語」や「メタフィクション」という単語が出てきます。「メタ」という単語を辞書で引くと「高次的な」や「超越した」という意味しか載っていなくて、理解に苦しみます。
どなたか、「メタ」という単語の意味をわかりやすく説明してください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

たとえば、メタ言語って。

「犬」は、日本人にとっては、「四本足で歩く、ワンワンと鳴く愛玩動物」を指しますね。
これは、つまり「犬」は日本人にとって通常の「言語」というです。

で、「dog」は、「犬」を指します。
このとき、dogは、犬に対するメタ言語です。

「対象を指し示す言葉」を指し示す言葉。
それがメタ言語。
犬は言語だとしたら、dogは「犬」を指し示すので、メタ言語です。

メタフィクションは、物語の世界で物語を物語ってしまう、というか、
つまり、物語の中で、これが物語であることを説明しちゃうような感じでしょうか。
作中の語り部が、こんなの作り話だから、って語っちゃうような感じです。

大昔、小泉今日子さんが「なんてったってアイドル」って曲を歌っていましたが、あれは「メタアイドルソング」だと思います(笑)。

Q村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」について

村上春樹が人気があるとのことで『ノルウエィの森』『スプートニクの恋人』『TVピープル』と読んできて、いまいちわかりにくい印象はあるものの現代に生きる人間が悩まなければならない心の闇のようなものがほのめかされている感じを受け取っています。ほのめかしだけが多い小説というには疲れるもので、ちょっと村上春樹さんから離れていました。
 ところが、村上春樹さんがイスラエルに呼ばれて講演され、イスラエルの人たちにも取材を積極的にされたのに刺激され、長編小説『ねじまき鳥クロニクル』ならクロニクルとつけられているので、多少硬いところもあるのかと期待して読みました。
読後感としては 他の方のブックレビュー;
>ねじまき鳥の存在、海月についての考察、「壁抜け」などなど春樹らしい意味深な描写も盛り沢山である。とにかく難解。あり得ない。設定にぶっ飛んだ人物。クロニクルなのに全然時系列では描かれない。

 と似たことになってしまいました。南京事件、ノモンハン事件、新京動物園の、動物虐殺や中国人撲殺など正視しがたいくらい生々しく描出され、作家の力量が認識されましたが、なぜこれらの事件を絡ませなければならなかったのかについてはよくわからず、ひょっとしたら以前からの村上文学ファンにショックを与える目的を著者が意図したのではないかなどと単純な想像を加えたりしました。
 上述の他の村上春樹の小説なり、エッセイを読んでいませんが、なぜ著者はノモンハン事件などを選んだのか説明しているサイトなり、文章はないでしょうか?
 教えてください。

村上春樹が人気があるとのことで『ノルウエィの森』『スプートニクの恋人』『TVピープル』と読んできて、いまいちわかりにくい印象はあるものの現代に生きる人間が悩まなければならない心の闇のようなものがほのめかされている感じを受け取っています。ほのめかしだけが多い小説というには疲れるもので、ちょっと村上春樹さんから離れていました。
 ところが、村上春樹さんがイスラエルに呼ばれて講演され、イスラエルの人たちにも取材を積極的にされたのに刺激され、長編小説『ねじまき鳥クロニクル』ならクロ...続きを読む

Aベストアンサー

1995年の本で、新潮社の『新潮』11月号に、村上春樹氏が
『メイキング・オブ・ねじまき鳥クロニクル』と題して書かれています。
ノモンハンのことについては、最後のページのところで少しだけ触れています。
できれば、難しいでしょうが、本を手に入れて自分で読まれたほうがいいでしょう。

Qネルヴァル 火の娘たち 超個人用語で語られる文学とは。。

ジェラール・ド・ネルヴァルの「火の娘たち」を読みました。気が触れそうなくらい疲れました。
ネルヴァルの超個人的な追憶と 物語がこんがらがってるみたいだし、訳注を見ていくと、女神の名前とか 花の名前とか 他の言葉にも個人的な暗示みたいなものが綿密に含まれていて、オカルト風な所もあるあるし(勝手な判断かもしれませんが)漠然と読むのが精一杯で、ぐったりです。
狂気と幻想の詩人とよばれるネルヴァルのようですが、フェチな情熱がないと読み込めるものでないとう気がしました、私の頭が弱いんでしょうか?揺さぶられるものはありましたが、そこまで入り込む情熱は今のところありません。
これってほとんど変人の戯言とギリギリのところではある。。(本音
作家と向き合うこと自体 体力消耗するものですが 相手がここまで私的な世界に入り込んでて手が届くんでしょうか?こういう火薬の投げ込みみたいな文学っていかがなものでしょうか。
若干大げさになりましたがクライシスです。自由なご意見お願いします。

Aベストアンサー

さて、こんにちは。
『火の娘たち』読み直してみました。以前はたぶん十代のときに読んだのだと思うんですが、いま読み返してみて、全然ちがう印象を受けた。とってもおもしろく読めました。

もちろんのちの象徴主義運動がネルヴァルに範を求めた、というのはよくわかります。
けれども、そんなふうに文学史的に読まなくても、これは十分楽しめます。「象徴」とか「メタファー」とか、はたまた「狂気」だとか「夢」だとかというまえに、まず、この作品に「何が書いてあるか」をきちんと理解していきましょう。

最初の「アンジェリーク」これを読んでわたしは森鴎外の『渋江抽斎』や『伊沢蘭軒』とピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』を思いだしました。

つまり、この作品にはひとつの大きな筋がある。それは作中で「ジェラール・ド・ネルヴァル」と呼ばれる「私」という語り手が、バスチーユを脱獄した僧侶ビュッコワ師の物語を探し求める話です。
この「原稿発見」というのは18世紀の小説のひとつのパターンとしてあります。鴎外がネルヴァルを読んでいたかどうかはよくわかりませんが、『渋江抽斎』や『伊沢蘭軒』にしてもこのネルヴァルにしても、そういう「原稿発見」の物語のパターンを踏襲しています。

抽斎や蘭軒の足跡をたどる鴎外が、「わたくし」としてしばしば作品に登場するように、「私」も登場する。
鴎外の「わたくし」が、あくまで抽斎や蘭軒を書くという目的を持った黒子に徹しているのとはちがって、まるで『競売ナンバー…』でエディパ・マースが謎の闇郵便組織「トライステロ」を求めてさまよい歩くように、「私」も「ビュッコワ師」の物語を求めてさまよいます。

読者であるわたしたちは通常、この「謎を求めてさまよう」物語を読むとき、あたかも穴をずんずんと掘っていって、途中の大きな石や木の根っこなどの障害を取り除き、とうとう最後に「真実」を掘り当てる、という物語を頭の中に思い描きながら読み進みます。たいていの「謎」の物語は、そういう構造を持っているからです。

ところが『競売ナンバー…』にしても、「アンジェリーク」にしても、決して深まらない。鴎外はたえず抽斎や蘭軒を手元に引き寄せ、抽斎や蘭軒の物語を書き継いでいきますが、この「アンジェリーク」ではビュッコワ師の物語は一向に進まず、同じ地平をごろごろと横滑りしていくだけです。何か出来事が起こっても、理解が「深まる」のではなく、出来事はたんに物語を横滑りさせることしかしない。そこで、読者はとまどうわけです。

そうしてポストモダンの作家ピンチョンは、出来事のネットワークの中心にはひとつの意味がある、という伝統的な世界観をこうしてひっくり返してみせるわけですが、ネルヴァルは、「ビュッコワ師の物語は私の『幻視者たち』と題する本(ヴィクトル・ルクー社、パリ)でお読みいただきたい」とずらしてみせる。もちろんポストモダン的意図があったわけではないにせよ、期せずしてポストモダンの小説と同じ構造になってしまったわけです。バスチーユを脱獄したビュッコワ師はどうなったんだ、という読者の期待は、最後まで宙づりにされたままです。

さて、この作品にはもうひとつの物語が織りこまれている。それが、同じビュッコワ家の一因であるアンジェリック・ド・ロンブヴァルの物語です。

「私」はビュッコワ師の足跡を追いながら、同時に、この駆け落ち貴族の娘であるアンジェリックの生涯をたどっていく。わたしはこれで18世紀の戦争というのは、戦場に相当多数の兵士や将校の奥さんや恋人がついていっていた、というのを初めて知ったのですが(ああ、昔読んでいたはずなのに……)、タイトルが「アンジェリック」であることを見ると、彼女の物語がメインストーリーといってもよいのかもしれません。ともかく、この彼女の物語は脱線をはさみ、ビュッコワの追跡とからみながらも、ひとつのまとまった物語として語られます。
ところがこのふたつの物語がどう関連づけられるのか、一向に明らかではない。

さらにここには芝居とか詩とかルソーの墓を訪れる話とか、どう関連していくのかよくわからない印象的なエピソードも、どっさり挿入されています。
いくつもの色鮮やかな物語が相互に関連づけられないまま展開されているために、わたしたちは取捨選択に迷うのです。

だからこれはそういうものとして、楽しめば良いのではないか、と思います。

つぎの「シルヴィ」、この作品は作品集『火の娘たち』のなかでもっともネルヴァルらしい作品といえるのかもしれません。

これはひとりの女優オーレリーを愛している劇作家の物語です。
この劇作家は女優のことを思いながら夢に入っていく。その夢を通じて子供時代の記憶がよみがえっていく。自分が過ごしたヴァロワで知り合ったシルヴィとアドリエンヌというふたりの少女。その夢によって、自分のオーレリーに対する思慕の情は、アドリエンヌから来ていることに気がつくのです。

そこで主人公は、まずシルヴィとの再会を求めて、自分が育った田舎へ戻っていく。
そこでシルヴィにはすでに恋人がいることを知る。その恋人というのは、自分の乳兄弟(乳母の子供)、つまり、自分の分身とも言える存在だった。

またパリに戻った主人公は、戯曲の執筆を通じて、オーレリーに手紙を書く。女優の側もそれに応えてくれたかに思いますが、記憶のなかのアドリエンヌのことを話したとたん、自分が求められていたわけではなかったと知った女優は、自分には別に恋人がいる、と主人公を退けるのです。

やがてオーレリーと共に地方巡業に出かけた主人公は、シルヴィに女優を見せ、アドリエンヌに似ているだろう? と確認を求めます。そこでシルヴィからアドリエンヌの消息を聞く。

これがこの作品のおおまかな筋です。

この作品の特異な点は、人と人の境目が極めて曖昧だということです。
「私」という語り手と、シルヴィの恋人は「乳兄弟」という意味で重ね合わされている。と同時に、シルヴィの恋人と女優の恋人も、主人公を拒否する理由であるという意味で、重なり合っている。さらに、シルヴィとアドリエンヌと女優の境界もきわめて曖昧です。

つまり、夢の中で出てくる登場人物というのは、最初はいまの友人のAさんが、いつのまにか小さい頃の友だちだったBちゃんにスライドしていたり、さらにそれがいつのまにかまた元に戻っていたりしますよね。それが作品のなかで人物が二重写し、三重写しにされている。そう思ってみてみたら、パリが現実の世界で、ロワジーの村が幻想の世界なのか。
確かにそうも思えます。語り手自身が、夢に見たことなのか、と考えたりもしています。
ところがパリへ戻って、それまでの逡巡をかなぐりすてたようにオーレリーに手紙を書いて思いを打ちあけたのも、ほんとうにこれは現実なんでしょうか。

-----
「そこで私はすべてを物語った。宵闇にほの見えて、のちに夢に入り、彼女の中に実現した愛の源を語った。彼女はまじめに耳を傾けていたが、やがて言った。「あなたはあたくしを愛していらっしゃるのではないのだわ。『女優は修道女その人なのです』とあたくしに言わせたいのね。あなたが捜していらっしゃるのはお芝居よ、それだけ、そして、その結末はあなたには見えないの。さあ、もうあなたのおっしゃることは信じませんわ。」
-----

これもよく見ると、なんとも不思議な言葉です。
もしかしたら、「邯鄲の夢」ではありませんが、冒頭で眠りに入った語り手の夢のなかの言葉なのかも知れません。

そうして最後、シルヴィがアドリエンヌの消息を告げたのちに、ヴァロワの民謡と伝説を紹介した不思議なページが続きます。
これも、「アンジェリック」と同じように、あまりひとつの筋書きに関連づけしないほうがいいように思います。


これはあくまでもわたしの読み方なんですが、わたしの場合、このような錯綜した物語を読むときは、基本的にメモをとりながら読み進んでいきます(鴎外の『伊沢蘭軒』などであれば系図を作りながら読んでいきます)。そうやって、筋を追っていく。
わたしはたぶんあまり頭が良くないので、論旨の通ったものしか理解できないんです。だから、複雑なものが出てきたら、とにかく整理しながら進んでいく。整理しないと理解できない(笑)。

読者というのは、作品を読みながら、自分でもうひとつの物語を作っていくものです。
だから、わたしの作った物語は、たいていいくつかの要素に整然とまとめられてしまっていて(笑)、原作と似ても似つかぬものに変型してしまっている。だから、こういう読み方を幻想的な作品に適応させていいかどうかよくわからないんですが。

ともかく、ネルヴァルの作品は一方で非常に明晰な断片を持っていますから、こうやって読んでいけば、かならずいくつかの断片の筋なら追うことができます。それを全体に撚り合わせることはかならずしもひつようではないのではないかと思います。
まずはいくつかの物語を追うこと。
幻想の要素、夢の要素を味わうのはそこから先でも良いのではないでしょうか。

『火の娘たち』しか読んでないんですが、ほかの収録作品に関して、もうちょっと聞きたいことがあれば(こんな読みしかできませんが)補足要求ください。

さて、こんにちは。
『火の娘たち』読み直してみました。以前はたぶん十代のときに読んだのだと思うんですが、いま読み返してみて、全然ちがう印象を受けた。とってもおもしろく読めました。

もちろんのちの象徴主義運動がネルヴァルに範を求めた、というのはよくわかります。
けれども、そんなふうに文学史的に読まなくても、これは十分楽しめます。「象徴」とか「メタファー」とか、はたまた「狂気」だとか「夢」だとかというまえに、まず、この作品に「何が書いてあるか」をきちんと理解していきましょう...続きを読む

Q村上春樹作品のオススメを教えて下さい

こんにちは。

わたくしはタイトルこそ知っているものの、村上春樹氏の小説を一冊も読んだことがありません。
ですが、今朝のNHKのニュース内の特集で、実に多くの作品が国内外で読み親しまれていることを知り、興味を抱きました。

皆様方から「特にこれは良かった」という一押しの作品をぜひうかがいたく、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

Aベストアンサー

村上さんを初めて読んだのは 氏翻訳サリンジャー著の 《ライ麦畑でつかまえて》……17歳 35歳 二度挑戦しましたが よくわからなかったというのが 本音
次は あの地下鉄サリン事件の被害者へのインタビューをまとめた分厚い作品 《アンダーグラウンド》……一気に読んじゃいました。
それから No.2の方と同じ作品……これは単純に面白かったです。何だか これぞ村上ワールドっていうものは読んでなくて …まぁ 番外編ということで どうぞ、ふふふっ。因みに もう一方の村上さんも(龍さん) よければ 読んでみられては。


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