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よく、人間として「好き」だけど・・・(経験上、女性に多い)という言葉を耳にします。何故、このようなことが起こるのか?自分が考えるに人間としての「好き」と恋愛対象としての「好き」、両者の差はごくわずかではないかと思います。好意を持てない人とは、彼(彼女)をおろか、友達にもなり得ないはずです。
やはり、曖昧で不安定な恋愛感情が支配するから、こういう差異が生ずるのでしょうか?
両者の差を、理論的に説明をお願いします。

※「直感」でとか、「一目惚れ」など理論的でない記述は求めていませんので不要です。

A 回答 (19件中1~10件)

No15の回答を読んでちょっと驚きました。


私も全く同じで下記のような告白をする人間でした。

>好きになった女性に対する告白は
>「○○さんのことが好きです。でも付き合いたいとは思ってません」
>という告白

私は女性ですが、現在通院中でホルモンバランスが乱れていると言われています。
病気になって初めて知りましたが体内物質は人間の心や体調にかなり影響するんですよね。
精神病だってハッキリと断定はされていないですが脳内物質が不足する事による脳の機能障害だとかも言われているし、だから薬で不足した物質を補う必要もあるわけで・・・鬱病等が投薬治療になる事も実際に自分が病気になりわかった事実でもあります。もちろん精神的なものはものの考え方も関わってきますが。

でも、ホルモン分泌の問題があるという共通点でおかしな心理状態(好きだけど付き合いたいとは思っていないという気持)まで同じだなんてちょっと驚きました。。
精神薬は飲む人によって作用・副作用も様々で効果があることをかなり感じているので、そういった事を考えると人間の体内物質(ホルモンやその他物質)には見えないところでかなり左右されているといった印象を受けています。もうこれは・・・自分の身体で体感して実証された感じなので他の方に話しても理解しがたい話だとは思いますが。そういう経験をしている私はNo15さんの回答はとても興味深いものでした。

「恋愛対象=性欲」という結び付きについては・・・私も否定はできないと感じています。
動物であれば感情というコントロールや抑制がないわけですから本能のままに行きますよね。そのように人間もなってしまうと・・・それはレイプ等の犯罪になります。
でも人間は感情や理性等でコントロールが可能なので、私は女性だから一般の男性の性欲については解りかねますが「恋愛対象=性欲」というものはあるけど、そういう性欲だけで相手を見ているのではなく「愛している=ひとつになりたい」という欲求が沸いて、でも「愛している=相手が望まないのであれば我慢ができる」という事ができるのではないでしょうか。

好きな人としたいと思う事はごく自然な事だと思うので「恋愛対象=性欲」という事はあると感じます。
それだけをピックアップしてしまうと、じゃあ本能で襲うのか?といった印象も受けそうですが・・・それだけじゃないですよ。人間ですから。
なんていうか難しいのですが、「恋愛対象=性欲」というよりは・・・恋愛対象の相手に全く性欲を感じない事があるのか?と考えるとそれはないと思うんですよね。

質問に対する回答ではない話が長くなってしまってすみません。
で、本題については

両者の差はごくわずか。

私も質問者さんと同じように思います。
以前は全く別物かと思っていましたが。

理論的ではなく申し訳ないですが、なんとなく若い人ほど「人間としての好き」と「恋愛の好き」を分ける傾向があるように感じます。
としをとり結婚を意識する年齢になってくると(20代後半以降ぐらい?)、「好き」というもののとらえ方が変わってくると思うんですよね。

「恋愛対象」としてというより「結婚対象」とか「家族になる相手」といった目線が加わってくると思います。
そういう価値観が加わると、

人間としての「好き」 → 恋愛対象としての「好き」

この差があまりなくなるのではないでしょうか。
人間として好きで尊敬できて、一緒にいて楽しくて安らげる・・・そんな相手って最高だと思いますし。
理論的にというか私の経験談ですが、結婚を意識する年齢になってから感じるのはそういった人間として好きな相手が恋愛対象になりつつあるので、両者の違いはホボなしです。友達を経て恋愛対象~と考えているからです。

そう思うと何でしょうね。
価値観によって様々?と言ってしまうと全ての事に対して「価値観のせいだよ」という答えになってしまうじゃないかという感じがして微妙ですが、それぞれの恋愛の始まり方も大きく関係しているのでは?

(1)人間として好き → 友達になる → 恋愛に発展
(2)人間として好き → 友達になる → 友達と恋愛はありえない
(3)恋愛対象として好き → 恋愛に発展

簡単にパターンわけするとこの3種類がパッと浮かんだのですが、私は(1)の考えです。
だから人として好きと恋愛対象として好きは僅差だと考えます。
でも(3)の考えの人は僅差ではないと言いきるでしょうね。

となると理論的に説明するには難しいですね。
でも結局はやはり性欲・・・というか相手に対して性的魅力?を感じるかがこっそり絡んでいると思います。
だから理論的に説明するとやはり性的な魅力を相手に感じるかどうかじゃないですかね。
恋愛感情を持つタイミングは人によって様々だと思うけど、その恋愛感情が芽生えた時点で相手に対して性的魅力を感じているのではないかな~と。
上の(1)~(3)について考えると

(1)最初は性的魅力を感じなかったが、性的魅力を感じるようになった
(2)最初からずっと性的魅力を感じない
(3)最初から性的魅力を感じた

といった感じで。
長すぎて意味不明だったらすみません。
ということで、個人的には両者の差は「性的魅力を感じるかどうか」だと思います。
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この回答へのお礼

なかなか興味深い結果になりましたね。友達と恋人を分けるというのは、今までの経験上、女性に多いと思います。貴殿の分類を拝借しますと、恋愛対象になるのは人間としての好きがあることが大前提で、そもそも人間として好きでなければ、恋愛対象はおろか、友達にはなりたくないと考えるはずです。ですので、(1)の友達~人間として尊敬~恋愛対象というのが、最も整合性があると思います。女性のよくある発言で、恋愛対象かそうでないかは右脳で瞬時に判断できる、という人がいますが、あくまでもそれは一目惚れに近いような感覚なので、理論的に相手のどこが好きなのか?と聞かれても「ただなんとなく」という曖昧な回答しかできないでしょう。なんとなく付き合ったなら、別れるときも「何となくすいでなくなった」ということになるでしょう。
貴殿の仰るように、一緒にいて安心できる、信頼できる、落ち着けるというのは、とても重要なことで、実は結婚対象を考える上で恋愛感情よりもウエイトが高いと個人的には思います。燃え上がるような恋愛感情よりも安心、信頼、落ち着くという静かな感情、結婚を「生活」として見れば、間違いなく後者の感情がある方が有利でしょう。

お礼日時:2011/05/04 21:06

とても興味深い内容でしたので書き込みさせていただきました。



一ヶ月ほど前にお付き合いしてた彼から、人としては好きだけど愛情があるかどうかわからなくなった。と別れを告げられました。

人としては好きという表現に悩み考えましたが答えが出ないままに今日まできておりました。

皆さんの投稿もとても興味深いものですね。


私にも人として好き、と思える人がおります。
何かに長けてたり、頭が良いなど尊敬できる部分がある場合に用いる表現です。

恋愛感情の好きは、やはりこの人と手をつなぎたいなどの肌の触れ合いを求めるものじゃないでしょうか。


しかし、恋愛感情も尊敬するものがないと芽生えません。

気持ちという目に見えないものを言葉で表現するのは難しいんですが、好きというものを二つにわけるとしたならば、肌同士を触れ合えるか触れ合えないかだと私は思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。肌の触れ合い、確かに重要なところではありますが。ボディタッチは人によって得手不得手があり、外国人は割合派手に肌に触れてきますが、日本人はどちらかというと苦手なようです(個人差はありますが)。愛情があるかどうかわからないで別れる・・・というのはよくある話で、恋愛感情という曖昧で不確実な感情だからこそ、このようなことが起こるのでしょう。
「ただ何となく・・・」付き合えば当然「何となく好きでなくなったから別れる」という結果になります。

お礼日時:2011/05/11 18:50

NO15の者です。

NO17の方に私の言いたいことをすべて言っていただき感謝しています。
文章表現が乏しいのでNO17の方の回答をもとに+αで自分の考えを書いていきたいと思います。

>恋愛感情が芽生えた時点で相手に対して性的魅力を感じているのではないかな~と。
私も「人間として好きなだけ」の人に対しては何とも思いませんが付き合いたいかもと思った人に対しては多少なりとも性的魅力を感じていたことを自覚しています。

やはり人間として好きから恋愛対象として好きに昇華するときには相手に対して性的な欲求もプラスされると思います。

拙い文章のため質問者様に誤解を招かせてしまったようですが
>恋愛対象である=性欲が湧く
ということではなく性欲が「今まで持っていた好きな気持ち」に上乗せされるという感覚だととらえています。もちろんその性欲は自分の理性でコントロールできるものであり、相手のことを考えて使用(?)するものです。この「上乗せ」というのがポイントです。単純に性欲まかせではいつ犯罪者になってもおかしくありません。

質問者様は性に対する欲求が希薄とおっしゃられていますので、質問者様が今までの気持ちに加えて性的な欲求を満たしたいと思えるような方と出会ったときに(ストレートな感じですみません)恋愛感情をもつことができるのではないかと思います。



ここからは蛇足ですが私は現在一歩進んで恋愛感情を持てる人に出会いましたが自分はこの人のことを100%好きなのだろうか、100%好きかはわからなくても付き合っていくうちに100%になるかもしれないからとりあえず告白しようかという葛藤中です。おこがましいですが質問者様にもこれから訪れる可能性がある次の障壁としてちょっと書かせていただきました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。恋愛対象になるには、人間的に好き+気持ちの上乗せ、これがポイントというのはなかなか斬新な発想ですね。例えば、100%は相手のことを好きでなくても人間として50%は好きだ、でも、残りの50%は好きなのか?じゃ、恋愛感情は20%ほどは持てそうだから、合わせて70%、70%好きであれば合格点、じゃ、告白に行くか!という考え方もできるでしょう。しかし、付き合うといっても、何をもって「付き合う」のかは各人で判断基準がまちまちで、難しいですが・・・
恋愛感情だけで付き合うというと、破綻する可能性が非常に高いと思います。

お礼日時:2011/05/04 21:13

#14です。

  <この回答へのお礼>を読みました。

「恋愛関係」と「恋愛感情」は別な事ではないですか。
確かに、「恋愛関係」は、自分と相手の二人の関係ですから、相手の考え方によっては不安定な関係になる事もあると思います。
恋愛すると言う事は、独立した二人が愛する、愛されると言うギブ・アンド・テイクの関係だと思いますので、相手が情熱を持ってくれなければ、不安定にならざるを得ないでしょうね。

しかし、相手を好いて愛して、自分の中に相手を受け入れて一体化したいと言う「恋愛感情」は、相手が自分の事をどう思うかには関係なく、自己完結出来ると思います。
つまり、自分の中で湧き出てくる”愛する”と言う感情は、一方的に相手を思う事ではないでしょうか。
「一目惚れ」の経験があれば、理解し易いと思いますし、利害損得に関わらず、勝とうが負けようが、雨が降ろうが、風が吹こうが、熱心に応援するスポーツ競技のファンの気持ちに通じるところがあるのではないかと思います。

確かに、女性は感覚の鋭い人が多いようですので、友達か、恋人かと言うような論理では見極めがつかないような微妙な関係でも、判別するのは早いようですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。恋愛感情=愛する=一方的に相手を思う、言い換えれば、スポーツや競技んファンの気持ちに通じることがある・・・たしかに、片思いというのが端的な例ですね。相手にどう思われようが、自己完結できる・・・というのは間違いないでしょう。恋愛感情は一方的に起こっても、相手はどう思っているかわからない・・・難しいですね。

お礼日時:2011/05/03 20:40

私はホルモン分泌の病気のせいで女性と付き合いたいと思ったことがない時期を経験した者として回答させていただきます。



治療前
私の場合治療前は女性を見てもかわいい、きれいという感情はあっても付き合いたいと思ったことがありませんでした。その時に好きになった女性に対する告白は「○○さんのことが好きです。でも付き合いたいとは思ってません」という告白された側からすると意味不明なものでした。しかしこれがその時の自分の本当の感情でした。
この時のことを思い返してみるとこの時の「好き」は人間として尊敬している部分を相手が持っているところから来る好きだったと思います。彼女は容姿が自分の好みだったということもありますが毎日昼食後に演奏会に向けて自主練をしに行く姿に魅力を感じていました。
→この時の「好き」は人間として尊敬しているからだけの「好き」(恋愛感情無し)

治療を開始して
性格のせいではなく病気のせいで女性に興味が出ないのだとお医者さんから言われホルモン治療を始めて一カ月がたち、次第に女性と付き合ってみたいと思ってきています。私の感覚からするといままで「この人はいい人だな」という程度の好意しかもっていなかった人に対しても自身の男としての性欲が加わり恋愛対象としての「好き」を感じています。
→この時の「好き」は尊敬はしていなくても悪い印象を持っていない+女性としての魅力を感じることによる「好き」(恋愛感情あり)

つまり恋愛対象としての好きは性欲が働くか否かだと思います。やはり尊敬しているだけでは恋愛対象としての「好き」には至らないと思います。そして性欲によって女性に求めるもののハードルが下がるように感じます。

私の経験から言うと質問者さんのおっしゃるように両者の差は「性欲」かあるかないかのわずかなものだと思います。しかしその性欲をつかさどるホルモン(ホルモンは一生でスプーン1杯ほどしか出ないそうです)の量の多少によってこんなにも自分の感情が変わってしまうことを考えるとこの二つの「好き」にはとても大きな隔たりがあるようにも思います。(女性のがよく言う人としては好きなんだけどの言葉は断るための方便だと思いますが)
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この回答へのお礼

生物学的な観点からの説明ありがとうございます。ただ、恋愛対象である=性欲が湧くという結論は詭弁かと感じます。というのはセフレは必ずしも男女に恋愛感情があるわけないですし、合コンで知り合った初対面の女性を「持ちかえり」するという事象は恋愛感情があるとは言い難いです。一般的に、男性の方が性欲が強く、それがコントロールできないとレイプや誘拐などの犯罪になるのではないかと思います。
自分は異性(女性)の友人は多い方ですが、いわゆる草食系のため、性にたいする欲求がとても希薄です。なので彼女らに性欲は感じたことはありませんし、付き合いたいとも思いません。それが継続している所以かもしれません。あくまでも恋愛感情を特定の人に抱くのは自由ですが、問題はそれを相手が受け入れられるかどうかです。いつ、どこでどういう理由で恋愛感情を持たれたかわからないわけですから。

お礼日時:2011/05/02 14:39

哲学者ではないので、「好き」と言う概念を定義したり、分析したりして説明できないですが。

。。

1. >人間として「好き」。。。と言うのは、
相手が自分の嗜好に合致しているので、その相手を精神的に受け入られること。。。と思います。
つまり、例えば、価値観や考え方、趣味や興味、周りの状況や環境、容姿や雰囲気等々が自分と似通っていたり、好みのものに近いと親近感を覚えるので、好ましい人として認めることが、>人間として「好き」と言う事なのではないでしょうか。

2. >恋愛対象としての「好き」。。。とは、
人間として「好き」と思える相手との精神的、肉体的一体化の欲求が伴う場合の感情ではないかと思います。
つまり、>人間として「好き」を超えて、その相手が持っている精神的、肉体的なもの等の全てを自分のものとして共有したい、独占したいと言う欲求が、>恋愛対象としての「好き」と言う事ではないかと思います。

>曖昧で不安定な恋愛感情が支配するから、こういう差異が生ずるのでしょうか?

1.と2.の差は、自分と相手が一体化したいと言う欲求の有無ではないかと思います。
自分と相手の間にある壁と言うか、制約条件となるものを乗り越えられるか如何かによって、友人と恋人に別れるのではないかと思います。

大雑把に言うとそんなところではないかと経験的に思うのですが。。。
如何でしょうか??
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この回答へのお礼

ありがとうございます。この「好き」の意味の差は、考えれば考えるほど難しくなってきます。しかし、人間的に「好き」という感情が根底になくては、恋愛対象になりえないと思います。精神的、肉体的全てを独占したいというのが恋愛感情とすると、相手がそれを受け入れなかったら非常に不安定なものになりますね。相手の自分の制約条件をクリアできるかによって友達と恋人に分類される・・・どちらかというと、女性の方がその友達か恋人かを判断する能力に優れていると思います(あくまで経験上)

お礼日時:2011/05/02 09:27

>人間としての「好き」と恋愛対象としての「好き」、両者の差はごくわずか



同感です。では、その差は何か、ですね。
私の意見では、それは結婚につながる条件を満たしているか否か、です。

どんな「好き」でも同じです。犬が好き、猫が好き、ふるさとが好き、うどんが好き、このペンが好き、キムタクが好き。でも、それらとは結婚できない。

あの人が好き、私的には結婚したい。

その間にあるのが、あの人は好き、でも結婚する気はない。結婚できる条件を満たしていない。

その条件は人さまざま。同性だから。年齢が離れすぎだから。相手が既婚者だから。相手に恋人がいるから。そして、異性としては合わないから。たとえば趣味が合わない、仕事に対する姿勢が違う、顔が嫌い、などでしょうか。

曖昧で不安定ではありません。結婚を望めるか否かの条件次第です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。よく、「恋愛と結婚は別」と言われていますが、貴殿の結婚につながるかどうかで恋人かそうでないかが決まる、というのは一理あると思います。貴殿の意見を拝借すれば、お見合いで結婚した(即ち、恋愛感情がなくても結婚できる)ということが説明がつきます。でも、恋愛対象になったからといって必ずしも結婚対象かというと必ずしもそうではない(逆もまたしかり)、恋愛感情の寿命は概ね3年と言われていますし、相手への思い入れが強いほど感情的には不安定になると思います。非常に合理的な意見、感謝します。

お礼日時:2011/05/02 09:35

まず最初に逆に質問する形になってしまいますが、


質問者様は、人間として「好き」と言う感情と異性として「好き」と言う感情が、
一致するというお考えということですよね?

私も質問者様の意見に同感であり、
近頃、この感情が理解出来ないという人たちが多く、
自分でも悩んでいたので、丁度、いい機会なので考えを述べさせてください。

私には、将来を約束してる人がいます。

現代にしては珍しく、お見合いとまでは行きませんでしたが、
とある重要な人物からの紹介で知り合ったので、
お互いにいい加減なことを出来ない状況にありました。

はじめて会った時の印象は、とても良く、
この人とだったら長く居られるな、と感じたところです。

しかしお恥ずかしながら、お互いバツ一だったので「恋愛」と言う目線よりは、
「結婚相手」として成り立つか成りたたないか、という問題がすぐに浮上し、
周りからもその辺のところをどう考えているの?と問い詰められたのですが、

お互いに結婚をする意志があるかないか、と言われたら、
当時も今も変わらず「NO」という答えでしかありません。

なぜならば、結婚をして自分も相手も束縛をしたくないし、
されたくない、と言う考え方だからです。

では、次に「恋人としてはどうなの?」と聞かれた時も、
恋人としても答えは「NO」だったので、
周りは「一体、じゃ、どうしたいの?もう終わってるよ!!」とまで言われていました。

しかし不思議なことに、それでも、
お互いにつかず離れず数年過してきています。

周りの人間は身体の関係があって、
初めてその人のことを理解できると言い張ってもいましたが、
彼も私もその辺のことは全く関係ないと思っており、
本当にその人のことを知りたいのなら、
良くも悪くもその人の精神構造というか、考え方のクセや行動パターンなど全てを
理解してあげたい、と言う心が自然とわいてくる、という考え方であり、
極力考えてみると、彼も私もこの辺の部分が一致しているから、
何もなくても一緒にやってこれたのだろうな、と思っております。

お互いに思っていることは徹底的に話し合う。

その上で男性としてや女性としての違いがあり、理解できるからこそ、
惹かれあっていくんだな、と言う結論に達したのです。

周りから見ると、友達ともいえず、恋人とも言えず、という不思議な
関係に見えていたので、絶対に上手く行かないだろう、
終わるのも時間の問題と言われ続けて来ましたが、
今では、唯一無二といえるほどまで相手のことが大切に感じられてなくなっており、
逆に今からが自分たちはスタートだね、とも言っております。

さて…。

>やはり、曖昧で不安定な恋愛感情が支配するから、こういう差異が生ずるのでしょうか?
両者の差を、理論的に説明をお願いします。

はい。

ここは断言できると言います。

人間て結局一人では生きられないモノであり、誰でも淋しさを抱えてると思います。

だから、その穴埋めをするために常に感情的に自分が没頭できる対象を、
無意識のうちに探している思うんです。

でも、若い時には、このことはなかなか理解出来ませんよね。

何だか、分らないけど、つまらない、とか、淋しいとか…。

そんなときに眼の前に好みの人間が現れたら、
フラフラ~と行ってしまうのが人間なのだと思います。

そして、その人間に対し100%好意的な目を向けられるか?といえば、
ここも「NO」ですよね。

でも、その嫌な部分を「嫌だ」と言い切れる自信も経験もない。

そうすると、恋愛依存症のような形が起こり、色々と心の葛藤が始まるのだと思います。

これが先述した「未熟さ」です。

この未熟さを打破するには、時間と経験しかありません。

しかしながら、歳をとっても男女関係で溺れる人って結構多いですよね。

それは成長しきっていない、証拠ですよね。

話は元に戻りますが、恋愛って、結局、心でするものだと思うんです。

だから、そこに友達って言われたから「駄目」とか、
そういう問題ではないと思うんです。

日本人に比べると外人のカップルは仲が良いですよね。

お爺ちゃんになってもお婆ちゃんになっても手をつないだり、
旅行をしたり、何故、そうできるか?

それは一人の人間として相手のことを認め、
異性としての区別がきちんとついているからだと思います。

でも、日本人は一度深い関係になってしまうと、
その境界線が消えていってしまう。

男女としてではなく、人間として好きだということを発した途端に、
まるでセコハンで買ってきた、価値が無いモノのように扱いますよね。

そうすると、自信喪失に繋がり、常に相手にどう思われているか?とか、
自分には魅力がないのではないだろうか?などという疑念が付きまとうのだと思うのです。

しかし、一人の人間の個性を認め、愛し愛されていれば、
いつまでたっても、異性でいられるような気がして、私はなりません。

何年経っても、彼を目の前にすると未だに恥ずかしいという気持ちも起こりますし、
いつまでたっても、変わらず同じような新鮮な気持ちでいられたらな、と感じている次第です。

結局、最後、人間として愛せるかどうか、に掛っていると思います。


長くなりましたが、一意見まで。
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この回答へのお礼

長文ありがとうございます。少し補足をしますと、貴殿の仰るように、人間としての好きと恋愛対象としての好きは、一致といいますか、人間としてと「好き」がベースにあって、そこから発展していくものと考えます。要するに、人は瞬時に好きか嫌いかは判断できるものではなく、付き合っていくうちに良い面、悪い面が見えてきて、人間的に尊敬できて、そして理解してj結果的に恋愛対象になるのだと思います。ですので、人間として好き=恋愛対象ではない、と思っている人があまりに多いのではないかという気がしてなりません。最初は(恋愛対象として)すごく好きでも、その後、人間性が段々と理解していくうちに、恋愛感情と現実のギャップに気が付き、ああ、こんなはずじゃなかった、と思う人も結構います。貴殿の仰るように、人間は1人では生きていけないのであり、何か感情的の没頭できる対象を探している、そして、それが見つかった場合はフラフラ行ってしまう、というのは共感します。それが恋愛の怖いところであり、自分の感情をコントロールできるかどうかにかかっていると思います。

お礼日時:2011/05/02 09:48

単純明快です。

要は容姿外見が良いか悪いかの違いです。


大抵の場合、人間的に好きというのは性格が良いとか社会的ステイタスがあって金持ちだとかいうのを指します。


恋愛対象として好きというのはイケメンとか容姿外見がカッコ良い、美人や可愛い感じですね。
付き合いたいと思える。

人間ていうのは本当に見た目が重要です。
いくら人間的に好きでも容姿外見が悪けりゃ恋愛や結婚は出来ないですね。
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この回答へのお礼

外見が重要、人は第一印象で大半が決まる、と言われますが、確かに、ホームレスの格好や浮浪者のように体臭を放つようでは嫌われるでしょう。さて、容姿、外見が良いというのは人によって判断基準がまちまちで、何をもって「イケメン」とか「かわいい」「美人」とか判断できるのでしょう?

お礼日時:2011/05/02 09:53

49才、既婚男性です。


人間として好きと恋愛対象の好きってのは、大きく違いますよ。
恋愛対象として好きは、人間として好きであるのも確かだけど、嫉妬や、不安、好きだけの感情だけじゃないですから。
人間として好きな人とは、喧嘩はしませんが、恋愛対象として好きな相手とは喧嘩もするんです。
それは、相手に期待しちゃう面がどうしても出てきちゃうし、感情がコントロール出来なくなるんですよね。
そこら辺が曖昧な人も確かにいるかもしれないですが、本人はきちんと人として好きと恋愛対象として好きは認識してるはずですよ。
理論的にこの差を説明するのは難しいですよ。
だから、回答として意味が無いかもしれないですね。
理論的に考えると、私の考えとしては、ある程度の恋愛経験を持ってる人の場合は、過去の経験・記憶が支配しているような感じはしますね。
過去の恋愛経験の記憶から、自分が求める相手がある程度わかっているからです。
だから、極端に違うタイプと恋愛感情を持つ事は無いんですよ。
これは、外見より、性格というかコミュニケーションの方法で決まる事が多いと思います。
声やしゃべり方が支配的になるんですよ。
私が、恋愛感情を抱きやすい女性のタイプは、わがままで、自分が一番だと思っていて、お金が好きな女性です。
外見に関してはこだわりません。
ただ、声とかしゃべり方は、はっきり好みが出ますよ。
従順で、おとなしくて、意思表示のはっきりしない女性は苦手です。
これは、身近な女性の記憶が自分の中にあるんでしょうね。
私は、自分が愛されたいと思ってるから、そういう女性だったら愛してくれたって記憶が残ってるんだと思います。
極端に言えば、わがままな女性ってのは、愛情表現も強烈なんですよ。
束縛もすごいですからね。
ただ、そっけない時は、思いっきりそっけないです。
動物で言えば、猫型といえるでしょう。
私自身は、人として好きと恋愛感情の好きの境界はほとんど無いタイプですけどね。
だから、男女の友情ってのは無いと思ってます。
異性に対して好きって感情を持てば、それは恋愛感情を含んでしまうんですね。
ただ、それを表現するかどうかは、別の問題ですけどね。
女性の場合は、ある程度条件とか、ゆずれない面が多いんでしょうけどね。
ある程度は、条件を満たしていても、それが恋愛感情まで進まないって事なんだと思いますよ。
心理学として、類型化はある程度出来るとは思いますが、直接思考を検査出来ない以上、研究者の主観や思い込みで理論が構成されるしかないので、物理学みたいに法則化するのは難しいんじゃないですかね。
人間の脳機能がすべて同一であれば可能かもしれませんが、そういう事はありえないですからね。
なんか、回答としては中途半端になってごめんなさい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。人間として好きと恋愛対象としての好きの境界線がないタイプであれば、なぜこの差が大きく違うのでしょうか?ある程度の恋愛経験を持っている人はその過去のデータが蓄積され、自分の好みのタイプが分析でき、付き合い方もある程度分かってくる、これは共感できますし、1つ1つの恋愛から学んだ結果として、現在に活かされているのだと思います。人間として好きであっても意見の対立はありますし、喧嘩もあります(少なくとも自分は)、人間は全く同じ考え方ではないので、全く喧嘩しないのは語弊があるように思いますが・・・コミュニケーションの方法で決まる、というのは同感です。

お礼日時:2011/05/02 10:06

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