プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

 最近見たNHKの「無縁社会を」見た感想です。
 「そりゃなるよね。核家族化だってあるし、その家族間だって親が死んで兄弟同士疎遠になるケースだっていくらでもあるだろうし、今時30代独身男性なんか珍しくもないし、特に男性にとっては職場の切れ目が他人との縁の切れ目になるのが多いから、そうなって当然だよね。あるアニメの言葉を借りるとするなら、そうなるとわかってて突き進んだ結末じゃん。その結果無縁仏になったって、何をそんなに嫌がってるの?」
 私の家も親族の男性が子供をもたないまま早死にしたり、一人っ子で姉と結婚して子供がいないままだったり、兄の子供が女の子だけだったりして、このまま行けば家は絶えるだろうなあと思っています。正確には兄と姉の家もまとめて絶家するだろうなあと思ってます。
 かくいう私は30代後半の男性ですが、定職に就けず、異性との交際経験もゼロなので(陰でキモいと呼ばれたことは一度や二度じゃない。その根拠が根も葉もないうわさですが・・・。)、結婚はしないしできないと確信してます。
 だから将来3つの家ごと無縁仏になる事は百も承知です。
 それなのに、そういう将来がわかりきっているのに、無縁仏になるのを嫌がるのは何故でしょうか?死んだあとの体のことなんかどうでもいいはずなのに、身内だけでなくそれ以外の人まで嫌がるのは何故でしょうか?

A 回答 (9件)

人の最大欲求の1つが、人に認めてもらいたい、認識してもらいたい、ですから、



絶家とか、死後の世界とかじゃなくて、

死んだ後に、自分のことを思い出してくれる人が誰もいないのが、
嫌....というか、悲しいんだと思います。

かのマザーテレサも、いろんなこと成し遂げた人だけど、核となるのは、
要するに、「あなたのこと、少なくとも私はちゃんと見てますよ。」ということを、
死にゆく人に伝えていたということですから。
    • good
    • 0

私も子供がおりませんので絶家となることになります。

妻の実家においても同じです。最終的には私も含め「無縁仏」となっていくものと思います。

人間の根本には、いつまでも大事にしてほしいというものがあります。これは自分が亡くなってからでもそうされたいと思う気持ちが存在します。

無縁仏というのは誰からも相手にされない、誰からも供養すらしてもらえなくて寂しい思いをするというイメージが、なっていく身にとってはあるものです。
また無縁仏になった人に対しては、その思いがわかるが故に、自分が関わって縋られたくないという思いから忌避する傾向があります。

根本的には人間の「寂しさ」にかかる問題だと思います。生きている間の感情ですからこればかりはどうしようもないものだと思うのです。

長い目で見ると絶えてしまう可能性というのは誰しもあることです。いずれはまとめられて誰しも土に還るのが基本です。みなわかってはいることなんですけど、人間とはどうしてもあがくものなんです。簡単に諦めはつかないし、無縁仏だと避けられる現状が垣間見えるところですから、よけいに思うものかも知れません。

こんなところではないでしょうか。
    • good
    • 3

例えば、両親や兄弟、祖父母達が眠る墓が朽ち果てて、


遺骨が野ざらしになっている状況を想像してみて下さい。

特に何とも思わないなら、墓地がゴミ捨て場と化したり、
遺骨が埋まったままなのにマンション等が建てられた、
と言う様な状況を想像してみて下さい。

これでもピンと来ないのであれば、
一族の墓石を蹴り倒して遊んだり、
唾や痰を吐きかけ、糞尿をブチ撒けるなどして、
ゲラゲラ笑っている奴等が居る状況を、
想像してみて下さい。

それでも何ら問題は無いと思うのであれば、
私の方から申し上げる事は、何もございません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 >これでもピンと来ないのであれば、
一族の墓石を蹴り倒して遊んだり、
唾や痰を吐きかけ、糞尿をブチ撒けるなどして、
ゲラゲラ笑っている奴等が居る状況を、
想像してみて下さい。

 生きている間に目撃すればそりゃ不快です。一部の家族を除きますが。
 ただ死んだ後なら心もないから何も感じないはずです。

お礼日時:2011/06/14 19:37

誰も供養する者の無い仏を,無縁仏といいます。


供養されないので,死して尚,魂は上界へ逝かれず,
現世にさ迷い,生きている人々に霊障を与えることもあるから,恐れて嫌うのではないでしょうか。

独身であったり,子を持たない生き方は人それぞれ自由ですが,
後継ぎがなく,家門が絶えるのであれば,永代供養を申し込んでおくとか
自分が死んだあとのことを,きちんとしておくのが,
自分の選んだ人生に対しての責任というものでしょうね。

そして何よりも,死後,迷うことのないような
今現在の生き方や在り方,心掛けを是正しておくことです。
    • good
    • 0

私は嫌ですよ、孤独死したからと勝手に無縁仏にされるのはごめんです、仏教徒ではありませんので。


なので、死んだ際の処理の仕方は遺言として残しておきます。
    • good
    • 1

わたしもよくわからんです。

自分で望んだ結果なので当たり前だと思うし、それがいやならならないよう努力をすべきでしょう。わたしは自分の最後は自分で終わらせる計画的な終末を考えてます。10年計画で1年たちました。30歳に何をすべきか、40歳に何をすべきかと人生計画のハウツーを語りますが 確実に来る死のことだけは目をそむけていますね。死ぬことだけは人生計画にはいっていない、入っていても保険のことだけ。だから、わたしは死ぬときも一人楽しんで死にます。
    • good
    • 1

どちらがいい?



誰からも看取られず、誰からも相手にされず、
適当に焼かれて捨てられるのと。

孫や子供に看取られながら、悲しまれながら、
死んだら子孫代々参ってもらえるのと。

どちらが人生の質が高いか。

お腹が膨らめばなんでもいいと、
コンビニの弁当を3食食べているのと、
健康や相手のことを思って手づくりの食事を
いただくのとどちらが人生の質が高いか。
というのと同じだと思う。

別に前者がいい。というなら、それはそれで
個人の勝手だから、それはいい。ご自由にとしかいいようがないし、
後者の意味が分からない。というのも、それはそれでいいと思う。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 具体的に説明しますと、人間関係において前者のような味気ない経験が圧倒的多数なので、後者のかちがわかりません。参考までに。

お礼日時:2011/06/14 19:35

 私たちが今現在この世に生を受けているのは、この地球上で生命というものが生まれて・・・ミトコンドリアイヴですか?よくわからないけれど。

ようするに、気の遠くなるような年数を経て、奇跡的に命のバトンが行われているわけですよね?
 私に繋がる祖先の誰かが死んでたら、私はこの世にいないわけです。
もちろん、私がいなくても、もっとすごい誰かが生まれてきた可能性も否定しませんが。
 
 しかし、事故や病気の場合は仕方が無いですが仮に自分の命を自分で断つような事がある場合などで子孫を残せない場合・・・これは本来生き物としての「役割」「責任」「義務」どういう言葉で表現すればいいかわかりませんが、祖先から受け継いだ命のバトンを私の代で断つことになるんですね。

 この事ってすごく大きな事だと思います。
そして、もう自分の子孫が確実にこの世から無くなることが分かったときに、その事の重大さに胸を傷めるのかもしれません。

 たとえば自分自身は結婚して子を設けたとします。女子がいいですね。
で、その子が歳を経て、成長したにもかかわらず、一人も子を産む事無くもう出産可能な年齢を超えた場合(男子の場合は事実上60~70でも子を持つ可能性はありますが)「あ・・・私の子孫もここで終わりか」なんて感じるのではないでしょうか。

 祖先から奇跡的に受け継いできた命のバトンを自分が次の世代にバトンリレーできない現実って大きいと思います。
    • good
    • 0

私的な意見です <m(__)m>



 最近、京都の有名なお寺の舞台は、昔死者を弔った舞台だそうです。
  埋葬ではなかったようです。
   つまり、鳥葬とか虫葬とか、獣葬になっていたのかもしれません。
    舞台から飛び降りるということは自らを葬ることだったようです。

  舞台でなければ川に流したようです。
   身分の低い者の埋葬は許されなかったとか。

  人口の少ない時期にはこれでよかったのではないか?

 封建制度も円熟した江戸時代になって商人まで管理する必要が生じて寺請制度などで対応した。
  農民は結束しないと農業ができない。風評でもおさえたのでしょう。  
  
 お寺は、檀家の結束を促すためにじっくり、仏教の教えを説いたのだと思います。

 結果的に、強制ではなくて、不安が生じて帰依するようになるのかな。と思います。

 男女の縁は、家庭環境によると思います。
  家族観や男女間のセックス感、諸々の要素がその家族の文化になっていると思います。

  人生の節目をきちんと儀式としてけじめをつける家族、どうでもいいとする家族。

 あなたも、自由に生きてきて、立ち止まって周囲を見渡した時、他の家族一族と違うことに気が付いたのです。
 気づきが不安を醸したのです。  

  結婚して家族を育み、先祖を祀ることに関心の薄い家庭で育ちそうしてきたのです。

 しかし、世代交代で頼る人が次第に逝くようになって、一族の考え方に不安が出てきたのです。

 家族がいて、その扶養に必死で取り組んでいれば貴方のような不安は考えている暇がありません。

 連合国の占領政策の効果が出てきたなどと、飲み会で言われることは少なくなってきました。が。 
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!