「私はあなたが嫌いだ」
「私は古いものがほしい」
「私が新しいものが嫌いな人だ」
「私は歩くのが速い」
適当に4つ文を並べてみましたが、主語はどのように決められるのでしょうか?
とりあえず、文をいろいろ出しただけなので、例文としては出来が悪いかもしれませんが、聞きたいのは主語確定の方法です
ちゃんとしたルールがあるのでしょうか?
日本語とは文意をとらなければ主語が確定しない言語なのでしょうか?
ということは理屈的には、文意の分からない文章、つまり、今までに考えたこともない事柄についての文を読むとき、ネイティブの日本人さえ、主語が分からない(=文構造がとれない)ことがあるのではないでしょうか?
これは、意思疎通、情報伝達を行う手段としては致命的な欠陥だと思うのですが、どうでしょうか?
この文章を読んでもらえば分かるように、自分は日本語に精通している者ではないため、それを踏まえた、一般人に理解できるような説明をお願いします。
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
No3です。
どうも質問者様は「すべての言語には主語がなければならない」という固定観念をお持ちのようですね。
しかし、日本語には西欧語のように文法規則によって明示される主語はない、そしてそれで不都合はないというのが私の考えであり、No3で回答したことです。
No6さんが既に指摘してくださっていますが、私は
>一般に、「は」が主語を導くとおっしゃいましたが
とは言っておりません。
「は」は主題、言い換えるとその文で言いたいテーマを導くと言いました。
これは西欧語で言う「主語」のことではありません。
誤解のないようにお願いします。
>簡単な文で言えば、「彼は鼻が大きい」という文で、間違えて、「彼」がこの文章の主語であると捉えたならば、彼=大きいとなり、、「鼻が」の部分は解釈不能になります。
この例文は、西欧語ネイティブの日本語学習者にとっては理解が難しい文型の文かと思います。
私は外国人向けの日本語教育に関しては素人なので詳しくは存じませんが、たぶん日本人が学校で習う国語(日本語)文法とは別の説明の仕方でこういう文型を教えているのではないかと推測します。
しかし、日本語ネイティブがこの文を読んだなら素直に「大きいのは彼の鼻である」と解釈するのではないでしょうか。
また、
>例えば「私が新しいものが嫌いな人だ」の例文の場合
主語を「新しいものが」にとってしまう可能性があります
(それを否定する文法がない)
その場合、文意がとれない即ち意思疎通が図れなくなった
つまり欠陥があると考えたのです。
これも外国人の日本語学習者の中にはそうとってしまう人もいるかもしれませんが、もう一つ「私が」という「主語」候補があり、これを「主語」と考えれば文意はとれますよね。
もちろんこの例文も日本語ネイティブがこの文を読めばすらすらと誤解の余地なく意味はわかるでしょう。
外国人の日本語学習者にとっては難しいでしょうが、日本語はそういう言語だと思ってもらうしかありません。
No.6
- 回答日時:
全ての文章に「動作の主体」が存在しなきゃならないの? 例えば「雨が降っている」という文章では, 「動作の主体」は存在しないとも言えるんじゃない? それとも, 「雨」が意思を持って動作している?
以下余談といえば余談だけどある意味本質:
自分勝手に他人の文章を読み替えちゃダメだろ. #3 のどこに「「は」が主語を導く」なんて書いてあるというんだい?
ついでにいえば, 日本語に限らず英語だって「文意をとらなければ主語が確定しない」のは確かだよな.
No.5
- 回答日時:
ANo.3のご回答に重なりますが、
> これは、意思疎通、情報伝達を行う手段としては致命的な欠陥だと思うのですが、どうでしょうか?
「致命的な欠陥」と言うことは無いと思いますよ。
主語を省略したら意味が通じなくなるような場合には「私は……」など主語を補ってやれば良いだけの話ではないでしょうか。
中学高校で習う英文和訳の直訳式やり方に従うと、文章ごとに「彼は……、彼は……。」と主語をいちいち書かないと試験問題では×になるし、そいう文章に慣れてしまうと、主語のない日本語は何か不完全な物であるかのように感じられてしまうかも知れませんが、決して「欠陥」ではないでしょう。
> 主語はどのように決められるのでしょうか?
別に、わざわざ文章中でその都度「決め」なくても、それまでの会話や記述の中で主体がすでに明らかな場合には、主語は省略しても文章として成立するし意味も十分通じるのが日本語の特徴ではないでしょうか。
「自明のことは省略しても意味が通じる(ある意味合理的な?)言語」として日本語をとらえる事さえできるかも知れません。
日本語と外国語のどちらが優れているか、という事ではなく、単にそれぞれ歴史と文化の違いに沿ってうまく機能するように言語が形成されてきた、とお考えになったらいかがでしょう。
この回答への補足
下のほうでも書いたことを繰り返す事になりますが、主語の省略は認めています。
例えば「私が新しいものが嫌いな人だ」
の例文の場合主語を「新しいものが」にとってしまう可能性があります(それを否定する文法がない)
その場合、文意がとれない
即ち意思疎通が図れなくなった
つまり欠陥がある
と考えたのです。
No.4
- 回答日時:
文末に置かれた、文の叙述をしている文節が述語です。
要は、その文で言いたいことを言っている文節です。その述語の正体・主体者が主語です。これが主語確定の方法です。
述語が動詞なら、それをしている人や物。
述語が形容詞や形容動詞なら、その性質をもつ人や物。
述語が名詞なら、その正体。
述語がある・いる・ない・いない なら、そのある物。
これが現在の学校文法です。
「私はあなたが嫌いだ」 …主語は「嫌い!」と思っている人、つまり私。「私は」の文節です。
「私は古いものがほしい」…主語は「ほしい!」と思っている人。
「私が新しいものが嫌いな人だ」…主語は「人」の正体、つまり私。
「私は歩くのが速い」 …主語は「速い」性質をもつ人、つまり私。
現実には、人の発する言葉なので、省略されたり倒置されたり反復されたり文が途中でねじれたり入れ子になったりで、どれが主語やらなにやらわからない、ということはあります。ただ、それはそんな文を書いたり話したりする人自身が下手なのであり、日本語の欠陥ではありません。
No.3
- 回答日時:
学問的に広く支持されている見解ではなく私個人の見解を述べます。
私の意見はNo2さんに近いものです。
そもそも日本語は西欧語で言う「主語」が不要な言語だと思っています。
「主語」がなくても日本語として的確な表現をすれば文構造はとれます。
文構造がわからない日本語の文がもしあるとしたら、それは「主語」がわからないからではなく、文自体が日本語として不適切なのです。
また、日本語は「主語」は不要ですが、まともな文章なら主題、つまり何についての話をこれからするのかはちゃんと書かれています。
文法的には助詞「は」の付いた文節が主題を導きます。また、これまでの話の流れから主題が分かっている場合は「~は」の文節は省略できます。
具体例を上げますと、質問文で上げていらっしゃる例文の1つめ、2つめ、4つめには「私は」という文節がありますが、これらの文はすべて「私」が主題、つまり「私」はこういう気持ちだとかこういう動作をするとかいう文ですね。
それに対し、3つめの例文
>「私が新しいものが嫌いな人だ」
は、この文が発せられる前に
「新しいものが嫌いな人は誰ですか?」
という問いがあったと推測できます。
ここでの主題は「新しいものが嫌いな人」で「それは誰か」と言う問いに対して「私がそうだ」と答えています。
さらに、質問文中で
>文意の分からない文章、つまり、今までに考えたこともない事柄についての文を読むとき、
と書いていらっしゃいますが、「今までに考えたこともない事柄についての文」イコール「文意の分からない文章」ではありません。
日本語として的確な文であれば、「今までに考えたこともない事柄について」書いてある文でも意味はわかるはずです。
日本語のみならず言語というものは「今までに考えたこともない事柄についても知り考えることができるようになる」のにも役立ちます。言語のおかげで人類は今までの知識に新しい知識を付け加えることができ、現在のような発展があると愚考します。
なお、「日本語に文法はない」と言っている回答者様もいらっしゃいますが、日本語にも文法はあります。
動詞や形容詞は一定の規則によって形が変化しますし、助動詞は必ず動詞・形容詞の後につきます。
このような文作成のルールを「文法」と呼ばずしてなんと呼ぶのでしょうか?
この回答への補足
「主語」が場合によって省略され、それでも文意が通じているのは確かです。
それは、主語が文脈上明らかな場合なので、この場合は問題がありません。
寧ろ、主語を明示しなければならないとき、日本語には一定に規則が内容に思われます。
一般に、「は」が主語を導くとおっしゃいましたが、一文中に「は」という助詞が複数回出てくる事は、頻繁にあります。「は」が主語にならない場合さえあります。
実際、僕は日本人のため主語を取り間違えたり、話が通じなかった事は、一度もありません。
しかし、規則性のない言語を使っていては、いずれ間違える事がないとも言い切れないわけです。
どうしてこんなに、固執しているかというと、簡単な文で言えば、「彼は鼻が大きい」という文で、間違えて、「彼」がこの文章の主語であると捉えたならば、彼=大きいとなり、、「鼻が」の部分は解釈不能になります。
この時、文意がおかしくなって初めて「鼻」が主語である事にきずくわけです。
次に、「彼は石だ」という文を考えます。
これは隠喩表現で、「彼は堅物で、意思が強い」よいう意味であるとします。
この文を最初見た時、彼が主語で、石が補語であると推測できます(日本語の性質上、確定はしない?)。
次に、主語の取り方が違うのかと思って、別のとり方を考えます。
しかし、どう考えても、この一通りしかありません。
そして、試行錯誤した結果、比喩であることに気づきます。
自分は実際このような考えをしています。
だから、こんな行き当たりばったりな考え方では、問題が生ずるのでは?と考えたわけです。
ですので、主語確定のルールを聞きたかったわけです。
長文失礼いたしました
No.2
- 回答日時:
そもそも「主語」って何? 「主語がわからない」となぜ「文構造がとれない」ってことになっちゃうの?
そして, 「主語」がなぜ必要なの?
この回答への補足
>そもそも「主語」って何?
動作の主体となる文の成分
>「主語がわからない」となぜ「文構造がとれない」ってことになっちゃうの?
「主語がわからない」ということは、主語が存在(省略も含む)しているのにも関らず、文の骨格がつかめないのですから、「文構造がとれない」と同義でではないでしょうか?
>そしてなぜ「主語」が必要なの?
文の成分のひとつなんですから必要なのではないでしょうか?
省略するなといっているわけではなく、主語という概念がなければ、動作の主体がわからなくなってしまうのではと思ったからです。
No.1
- 回答日時:
主語はどれかを日本語学習者に教えてくれるのが文法というもののはずですが日本語の文法はそのようなことを説明してくれません。
肯定文の先頭が主語ではありません。「私をあなたは愛する。」の主語はあなたです。では「~は」が主語かというとそうでもありません。「昨日は私も魚は食べなかった。」の主語は私です。しかし「魚は私は食べない。」は私が主語である場合と魚が主語である場合が有り得ます。結局、その文の意味を検討して行為の主体となるものが主語である、としか言えません。こんなものは文法ではありません。これは主語というものの定義です。結局、日本語には文法が無い、ただ習慣だけがある、と言いたくなります。お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
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