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信用と信頼の違いについて辞書等で幾つか調べてみたのですがよくわかりません。
信用と信頼ではどちらがより信じているのか、もしくは使う場面や対象が違うだけで同じくらいなのか。
また、それぞれの言葉にどういった違いがあるのか教えてください。

辞書では"用いる"か"頼る"かという違いしか無く、Wikipediaは信頼の方が重要となっていました。
しかし、「信頼しても信用するな」という言葉もあるようでどれが正しいのかわからなくなってしまいました。

イメージでもいいので教えてください。

ちなみに、私は信用<信頼で、
信用は相手の地位や肩書きなどある程度目に見える事から推測して能力を信じるもの。
信頼は人柄など目に見えない事柄から深く信じるもの、というイメージでした。

A 回答 (4件)

信用は誰かの「評価」のことです。

信用保証とかクレジットカードの信用履歴などは、そのままずばり、誰かが「この人にお金を貸しても大丈夫」と評価しているということです。

仕事で「信用して任せる」といった場合は、「貴方はこの仕事をするに十分な能力があるはずだ」ということになります。

対して信頼は、任せること(信じて頼る)になります。
たとえば新幹線システムの信頼性といった場合は、「何かよく判らないけど、信用してシステムに任せます(だから安全に目的地に連れて行ってください)」という意味になります。

事故を起した中国版新幹線のような時に、信号システムの信用性とは言いませんので、要するに任せる(頼る)という意味が信頼には含まれています。

これを仕事で「信頼して任せる」と言った場合には、「ある程度の権限まで委譲するから、会社が必要とする成果を挙げてこい」という意味が含まれます。

もちろん、普段から意識して信用と信頼を分けて使っていることは少ないので、新人に「信頼しているから(本当は信用しているだけ)」ともいいますし、新しい営業所の所長に「信用して任せるから(信頼しているから黒字にしてね)」という言い方も普通に通用します。

しかし、言葉の意味としては
信用 誰かの評価としての安全性や可能性の可否
信頼 誰かの評価として安全性や可能性が担保されていること
という違いがあるといえます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やはりどちらがより信じているか、というよりは使い方が違うようですね。
二つの言葉の違いがよくわかってきました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/31 10:49

山岸俊男の定義では、信頼は信用マイナス安心、つまり「信用」の方がより広範囲で一般的な「信じること」であるということになります。


ここでいう「安心」とは合理的な期待に基づく「信用」のことで、例えば「有名ブランドを優先的に買う心理」などが当たります。粗悪品を売りだしたらブランドイメージに傷がつくので、そういうことはやらないに違いない、という期待から「信用」しているわけです。
そうではなくて、合理的な理由が別段無い「信用」を特に「信頼」と言います。例えばここに書かれた情報が真実であるという合理的な理由は何もありませんが、もしこれを信じてくれたとしたらそれは単に「信用」したのではなく、「信頼」したのであると言えます。

もちろん定義次第という面はありますが、参考までに。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
成る程、なんだかわからないが信じているのが信頼で、合理的(客観的?)な理由があって信じているのが信用ということでしょうか。
特に優劣があるわけではないのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/31 10:58

信用となると、一般的に状態が大丈夫かどうかっていうニュアンスです。


人間に限らない、比較的客観的言葉だと思います。
嘘は付いていない、保証されている、そういうニュアンスもあるかもしれません。

信頼は、心理的状況が含まれます。
人間に使う言葉です、道具に信頼と言った場合には密接な関係を思わせます。
主観的評価に基づいている言葉と思います。
能力の有無では無く、期待感の有無かと思います。
根拠が無かろうが、やってくれる、仮に失敗してもやるだけやってくれて納得できる、そういう感じですかね。

用いると頼るの違いそのままでOKだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
どちらがより信じている、ということではなく、客観的か主観的か、という違いなのですね。
なんとなくですがわかってきました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/31 10:41

これは私の勝手解釈です


、「信頼しても信用するな」この言葉は管理者、上級経営幹部にとって大切な言葉と考えます。
あなたは部下を見るときに加点主義で見ますか 減点主義で見ますか
プラス志向思考の方は加点主義で見ます。
マイナス志向思考の方は減点主義で見ます。
減点主義の方は信頼も信用もしていないからだと思います。
加点主義の方は信頼もする、信用するきらいがあると考えます。
美人を見るときに減点主義評価しますか 加点評価主義で見ますか
できるだけ良い点を強調して見ることが信頼関係構築、人間関係構築には必要です。
でも緊張した人間関係になると気に食わない点ばかりが気になってきます。
ここで信頼もするし信用もするとどうなるか
九州電力社長は部下を信頼し信用し過ぎていたのだと思います。
部下はトップへ良かれと行動したのですが実は世間には悪るかれになっているのに気が付かず
行動しています。
部下は一生懸命計算しているのですが残業が継続、神経が散漫になっていると計算間違いが
発生してきます。
信頼しなければ計算の作業を委任、依存できません。
しかしそれが正しいかと信用しすぎるとこの計算間違いを用いて飛んでもない構造計算になったり
します。良かれが悪るかれに発展します。
従って上級者はその計算とか、作業が正しいかチェックする、チェックシステムを構築しておく必要が
あります。これは反面信用していないこととに近いことになります。
中国の新幹線の責任者と政治トップの人たちも同じでしょう。
信頼されている、信用されていると思うから事故の調査をネグレクトして運行再開を重視実施しました。国の威信を高揚したいばかりに事故を隠蔽し運行再開を急ぎました。
上級者はこのような間違いの発生を防止するチェックシステムを構築する責任があります。
担当責任者は我々を信用しないのかとトップ責任者と現場責任者がギスギスした関係になりやすい。このようなときにトップ責任者は信頼して地位につけ、業務につけているが、どんなリスク、失敗
ミスが発生するかもしれない、その責任は双方に致命的失敗をきたす恐れがある、
だから行動、決定仕組みをチェックする必要があると云って説明して信用する仕組みを構築
する必要があります。
信頼しなければ組織はできませんが信用しすぎると双方が首になる事態に発展することは
毎日でも、歴史上の事件でも枚挙に暇がありません。
福島原子力発電所は技術者を信頼し、当時の組織を信頼して建設したのでしょう。
ところがそれを信用してはいけないチェックシステムが全く粗雑であっことに起因した大事件です。
歴史上の史実を調査すると当然に起こるべくして起きた事件で歴史の史実を調査不足で
現代感覚、経済的感覚、名誉的感覚で建設してしまったのです。
信頼して信用しすぎたのです。信用していない眼があったら、過去の史実からやめておこう、
お金がかかっても高い位置に建設しよう、事故が起きたら一日で全施設を埋没させる仕組みを
構築したでしょう。当時の信頼した、信用した人、今まで信頼し信用した上級者全てが給与と
退職金を返上する責任があり、重大責任者は重犯罪裁判責任もあるでしょう。
多分推進者と反対者の意見検討もあり、推進者の力づくで実行した結果が事故となっています。
鉄道事故も同じ、経営の失敗も同じ、夫婦の関係も同じ、子供との関係も同じとみると
信頼しても信用しない眼が必要です。信頼しないのであれば組織は瓦解、夫婦は離婚、
子供も友人も逃げ出しでしょう。
信頼した監査法人すら信用できないのですから。結果会社も監査法人も倒産がいっぱいです。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
「信頼しても信用するな」という語句の意味はわかりました。
しかし、私が質問の意図を上手く説明できていなかったようで申し訳ありません。
私が知りたいのは一般的に「信用」と「信頼」という語句の持つニュアンスや用法の違いについてなのです。

回答を読んで私なりにまとめてみましたが、
信頼は相手に能力があるかどうか、信用はが仕事をした結果について用いるという事でしょうか。

もし私の考えが間違っているようでしたら教えていただけると嬉しいです。

補足日時:2011/07/30 03:54
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/08/10 12:29

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