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江戸時代や戦国時代では、人を殺すことは日常的であり、
私も実は、そうした感性を持っています。
よく時代劇で敵討ちですとか、ありますよね?
この現代は意識の上では助け合っていないでしょう?
ですから殺しもまた有り、ではないかと思うのです。
超法規的に許される殺しも有るはずです。

A 回答 (14件中11~14件)

人を殺していいということは、逆に言えば殺されても良いということです。


殺すことを許可するためには、殺される事を許可しなくてはいけません。

する側がいれば、必ずされる側がいます。

つまり、殺される覚悟のない人は、はなから殺すことなど許されません。


さらに言えば、殺す側は殺すか殺さないかを選択出来ます。
しかし、される側はそれは選べません。
ですから、自分に覚悟があったとしても相手にあるとは限りません。

ですから、いかなる理由であっても殺人は許されません。

また、この原則からすればすべての殺人者は死ぬことを承諾していることになりますから、常に死刑が相当となります。
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・江戸時代や戦国時代では、人を殺すことは日常的であり



間違いです。

江戸時代では、全国の殺人事件が年十件に満たない年もあったそうです。

また、戦国時代でも戦争以外の殺人は、切腹お家断絶でした。

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殺しが日常的にある場合、


いかに殺すかより
いかに殺されないか
がより重要になります。

宮本武蔵が風呂に入らなかったように
常に警戒を怠らない生活など
まっぴらご免ですね。

そして、現代では武術を極めようが
ライフル銃で2km先から狙われては
どうにもなりません。
日本ではケンカを吹っかけて
ナイフが出てくることすら稀ですが
銃が出てきたらどうします?
全ての場合に対処しないと
「殺しが日常化した世界では」生きていけません。
いやだなぁ、そんな世の中。
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そういう人もいるでしょう

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