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皆さんこんにちは。

「強いから勝つ。と、勝つから強い。」
は後者が正解だと僕は思うのですが、

「正義は勝つ。と、勝つから正義」である。
と、
「良いものは売れる。と、売れるものが良いもの。」
では、それぞれどちらが正解でしょうか?

よろしくお願いいたします。

A 回答 (21件中1~10件)


No8です。
僕の言った趣旨が充分理解されていないようなので、補足説明します。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5438150.html
ここのスレッドで私が言いたかったのは、前後を読んでいただければ分かると思いますが。
rin00077 さんが、ここのNo6で、「欲」と言う言葉に対して

人間に限らず生物は皆自己主張をする物体であり、それなりの欲を持っていると考えられます。植物でも、カビでも生存争いは熾烈です。
無生物はどうでしょうか。
高い山は周囲へ崩れることでまわりの自然に影響をおよぼします。位置エネルギーの優位ということでしょうか。
巨大赤色恒星は末期の膨張で周囲の矮星群を飲み込んでいきます。これもエネルギー優位の自己主張と取れないこともないでしょう。
欲は無生物にもありそうです。

と言うことで、無生物にも欲があるとしている発言です。
それに対し、「欲」について、辞書を引いたほうがいいと、言っているのです。

rin00077 の過去の発言(例えば、人間は偽善者か?)でも、言葉の意味を自己解釈しているので、危うさを感じましたので、もっと、言葉の意味をちゃんと確認して、発言したほうがいいと言っているのです。

哲学では、言葉を使って、思考を深めていきます。だから、言葉の意味をしっかり把握しないと正しい推論は、とてもおぼつかないのです。

そんな意味で、rin00077 さんは、言葉の定義をすることを軽く見ているので、その、態度の危うさを、心配しての発言です。

自分が、辞書を引くと言うことではないのです。

今回の質問も、言葉の定義をちゃんとすれば、質問する以前にin00077 さんの方で答えが見えてくる問題なのですから・・
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 回答番号:No.16:誤植訂正


 人お間、社会や世界では勝つ力と条件のものが勝つのですね。
 ⇒人の間、そして社会や世界では勝つ力と条件のものが勝つのですね。 
 (すみません、nのキーを押していなかった。指の力がなくなり、注意力が維持できなくなってきました)
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現実的結果(それも世俗的な)を、正解?というか、そのまんま定義にしてしまっていいのかどうかという疑問はともかくとして、



何らかの法則に合致してるか否か。それも結局、スパンの問題でしょう。
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たとえば蟻の集団においては、自己犠牲的に活動し、生殖もしない個体が


ほとんどですが、それが「勝つ」という定義に該当するでしょうか?
「正義」は集団の原理であり、「勝つ」は個体の意識です。
もちろん「考えられる最大限の集団において最高の生産性を発揮するように奉仕する」ことを、
『勝つ』と意識できるような愛があれば、それは「勝つから正義」と言えます。
逆に、自己中心的&短絡利己的な形での「勝つ」は、集団を劣化させるガンのようなものです。
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人はナニが正義なのか、本当のところはわからず、多数決で過半数の人が納得することが、正義ってなっているだけ。



例えば選挙で当選して「正義は勝った」と言ったとします。
でも、ワイロをばらまいて金で買った権力であれば、多数の支持をした人は不正の賛同を与えたわけで、選挙で勝ったから正義だったって証明ではない。


例えばイラク戦争は、情報操作をしてイラクを悪者にしたてあげて、乗っ取りをしたものでしたよね。
正義の裁きを とか言ってましたが、作られた正義。
戦争でアメリカが正しかったから勝ったわけじゃなく、勝って自分達のことを正義って人工的にしただけ。


殺人を人が無罪になる事件ありました。
シンプソン、殺人をした理由は小さい頃から差別を受けていたから。
それが裁判で通った。
でも、後にそれは正しい裁きだったのかってなって、もう一度審議されることになったと思います。

時代により正義って違うんです。
社会の風潮を操作しても、違ってくるんです。
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 人お間、社会や世界では勝つ力と条件のものが勝つのですね。


 正義というのも勝つための条件の一つですね。
 でも支持する人がいて、その支持が勝つための力にならないと勝つ条件にはなりません。
 勝つ方、退く方。どちらにも立場と正義があるのでしょうね。
 全くないということもあるかもしれませんね。
 そういう場合は力だけの論理ですね。
 そういう力だけの論理の世界にしか重点を置かないようでは真にザッハリッヒ(ジャングルの即物主義)となりますね。
 勝てば官軍、自己のことを正義として歴史にする。
 人類や世界、文明にはそういう側面がありますね。
 低く或いは悪くされて、敗退した側、人々の中に素晴らしいことがたくさんありますね。
 歴史はいつも一方の事しか書かれていない。
 生き残っている人は、ある正義を押しつぶした人たちなのでしょうね。
 私も46年大学にいました。口八丁手八丁の女性が悪く言う管理者をみんなは、とても悪く思っていましたが、あるとき静に語り合えました。
 とてもいい人でした。
 そういえば、一番下っ端の私にも、いつも微笑み優しくしてくれていたんだっけなぁと、気付きました。
 法哲学者で、ワイマールの司法大臣でもあったグスタフ・フォン・ラートブルッフは、法の三理念として平和(法的安定性)をその一つにあげておられます。ネオ・カントの方ですね。
 いくらどうであっても、その統治や正義の中で生活する人、そして社会と文明が安定して、平和にできないようではいけない。
 だから統治する力と能力は具備するものに論拠の一端はある。ということです。
 そして法律の場合の正義は倫理や哲学の正義とは異なり、理が貫徹する事です。犯罪を犯したら、一定の法規により、扱われる。
 買った者は金を払い、売ったものはその売買物を引き渡す。
 これが正義です。人によって、人の利害や都合で立場で異なるものではない。
 ここで「愛は悪なのか?」というご質問があり、愛が自己と愛する対象で、愛したり愛さなかったりするのを愛とはいわない。
 こういう立場の考えもあるのです。ご参考までに。
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No.12


誤:○○○○老人

正:人

訂正します(編集申請済み)。
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こんばんは。



正義の定義が定まらない中でこの議論は成り立たないのでは?

立ち居地によって正義は逆転すらしますし、結局は水掛け論なのでは?
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 > しかし、究極的(最終的)には 正義は勝つでしょう。




 いや、やはり人々の振る舞い、認識次第でどちらへも転ぶかもしれない。

 もし、正義(正)が負け続けて不正がはびこれば、世界は回復されず、滅びるのでしょう。
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善とは 正



悪とは 不正


 つまり この世界は相対的ではないということ。

 程度問題だけでなく 質的な問題というのもある。

 この世界を相対的なゲーム、勝ち負けのゲームだと規定しているキチガイ老人は、自分が「負けそう」になると真実さえ捻じ曲げる。

 これが悪です。そして、その悪を指摘し、自覚させるのが正義でしょうか。

 そう考えると 

>正義は勝つ (正義だから勝つ)
>勝つから正義

 どちらも、 正義と 勝つ ということの直接の関連性はないと考えられます。

 しかし、究極的(最終的)には 正義は勝つでしょう。
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