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昨日、ここで煩悩について聞いた者です。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6974398.html

煩悩の定義についてはNo3でお聞きいたしました。
そこで煩悩についてもう少し整理してみたいと思いました。

煩悩といえば直ぐに思い浮かべるのが性的なことです。
しかし、子作りのSEXなどは正常な営みといえます。
よって、現状はこれは煩悩ではないと考えています。
 
それ以外の健全な性行為は煩悩でないのでしょうか。
例えば次の2つが挙げられます。
1 アイドルなどに入れ込みブロマイドなどを集める
2 自慰行為をする

あるいは、これが日常生活(智慧の1つでいいのでしょうか)を
妨げるようになると煩悩になるでいいのでしょうか。

A 回答 (15件中1~10件)

「自分さえ」満足に至れば結果オーライとする?煩悩は


いうなれば「虚無存在に対する不安」を紛らわせるもの。
煩悩の対極は「人気者」になって い る こと。

出世は「共生関係」を構築し培うこと。
難しく考えなくても、男なら女を、女なら男を喜ばせれば健全ですしいいことで。

それがわからないなら独立精神とか自立心とか自己探求しなきゃならなくなります。
「滅却」の方法は身内、親族に冷たく、
あかの他人(窮したとき助けてもらえる期待もなく)等しく優しくなりましょう。

正義にしろ、性的なことでも追求し出すと、もうどんなものでも汚く見えてきてしまうもので、
より善さを探求しだすと自然とそういう理論に当てはまっていくのです。
釈尊(ブッダ)はアレ(息子さん)も切り取ってしまわれ、
物質的な男という囚われだって捨てました。生活の智慧の一つ?

私は感心しないですけどもね。

この回答への補足

色々と新しい発見をさせて頂き、
ベストアンサーを挙げたい人が大勢いるのですが、
今回は4回もお世話になったmiko-desiさんに致します。

仏道はもとより、もっと色々と勉強せねばなりません。
またの機会があればお願いします。

補足日時:2011/09/04 16:57
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この回答へのお礼

度々のご指導あり難うございます。
やっと仰っていることが理解できましたが、
その内容は凡人ではまだまだ理解が足りないようです。
 
自己探索の滅却とは親族に冷たく、
あかの他人に優しくですか。
これについては別の機会に質問してみたいと思います。

お礼日時:2011/09/04 16:47

そうですね、あまり煩悩という言葉にとらわれすぎないほうがいいと思います。



SEXは自慰行為は自然なことで、普通にやりたい時にやればいいと思います。

あと、アイドルのブロマイドも好きならば気が済むまで集めればいいと思います。

ただ何でもやりすぎると、普段の生活に支障がでてきますよね。

質問者様のおっしゃるように、日常生活を妨げるようになると煩悩と定義付けて
いいのではないでしょうか。

煩わしく悩ませるようなくらいなら、いっそのことSEXでも自慰でもしてスッキリ
したほうがよくて、変に我慢すると余計に反動がきますよ。

ただ性エネルギーは、単にSEXや自慰行為だけに使うのではありませんから、そこは
ご自分で検証されてもいいかもしれません。

例えば、私はSEXや自慰行為をせず、100日間かそれ以上の禁欲をよく行いますが、
性エネルギーは体に蓄えられ、すごく若返り、頭も冴え、女性にモテる様になります。

性エネルギーの活用方法はいろいろとありますので、射精ばかりではなく、他にどんな
効果があるのかご自分で検証されてもおもしろいですね。

こういう禁欲の目的をもったときに、「あ~でもやりてえなあ」となってくるのが煩悩だ
と私は定義づけています。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。
他の方の返信でも述べている通り、
本題は煩悩であり、性的なことは題目に過ぎません。
 
とはいえ、性エネルギーが体に蓄えられるとは
全く新しい見解で興味がひかれます。
少し調べてみましたが、別の用法があるらしいですね。
これは瓢箪からコマでした。

日常生活に支障をきたす、または禁欲の目的を持った時に
現れてくるのが煩悩ということには同感です。

お礼日時:2011/09/04 16:52

>>出世よりも優先する夢があるなら


>>修行して知恵を肥大化させ、
>>性欲も自己顕示欲という煩悩をも滅却するが宜しかろう

>これの意味するところが凡人では理解できません。



恋愛感情の目的は種族保存と自己保存という本能の延長線にある大事なので
男性は女性を、
女性は男性を意識するように本能にプログラムされている。
しかしながら、本能より理論より現実は優位だから本能を拒む精神性を実現することも可。
いろんな人が居てしまいます。

本来異性の体と情を欲して行為に及ぶこと(目的)は原初的にして健康的なもの。
男性なら男性社会においてもセックスアピールのあることは優位であった。

大概の人間の行動理由、目的は主に「種族保存」と「個体維持」と、趣味などの「癒し」に分類できます。

女性に関心や加護を受けたい以外の目的で出世を望む男性、というと自分さえもわかってないのですから
「自己探求」を趣味や癒しにして目的にする必要がおのずと出てくるのでしょう。という意味です。
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この回答へのお礼

たびたびご回答すみません。
本文の主旨はだいたい分かったのですが、
No5の返信で書いた内容とどう結びつくのか
未だにさっぱりと分からない状態です。

自己探求を趣味や癒しにして、
性欲も自己顕示欲という煩悩をも滅却する
という解釈でよろしいのでしょうか?

お礼日時:2011/08/31 22:58

性欲も性行為も煩悩ではないですか。


ごく自然に煩悩という捉え方でいいと思いますが。
諸欲の煩悩に振り回されて、悶え苦しんで・・・
それが人間ではないでしょうか。

昔、今東光さんが若者から相談を受けたことがあったそうです。
どうしても自慰がやめられない・・・どうすればいいのか?
答えは、すこぶる振るったものでした。
じゃんじゃんかけ。。。
かきすぎて、少しボケるかもしれんが、脳味噌は腐らないから大丈夫だ。。。

という、煩悩を飲み込んでしまったような答えだったわけですが
人殺し以外は何でもやったという、今東光さんならではの答えだったように思います。
なぜ?そう言い切れたのでしょうか。
そこには、人間丸ごと包みこむような大きな心があったように思います。
人間の本能愛の本質を凝視する深い智慧に裏付けされた、慈悲心に満ちた言葉であった、とも解釈できます。

煩悩があっていいんじゃないでしょうか・・・
人間ですから・・・
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。
確かに凡人には悶え苦しむのが煩悩のように思います。

然るに快楽は煩悩ではないのか。
いえいえ、ここできっぱりと否定され導かれました。
 
今東光さんがどれ程凄い方なのか私では分かりませんが、
性欲を欲望の赴くがままにしておくのは問題だと思います。
miko-desiさんが仰る滅却が宜しいかと思います。

凡人の考えなので気に障ったら忘れて下さい。

お礼日時:2011/08/31 22:42

前回のご質問でもお邪魔したものです。


貴ご質問は、なかなか分かりにくいです。
私の解釈では
どうも質問の芯がないように思えます。

今私がとりあえず理解しているのは、前回を通じて

煩悩とは何か?と問うておられることですね。

そのなかで、A・趣味の技能が上達しない悩みは煩悩なのか?
B・性欲は煩悩なのか?
と、次々に問いを発しておられるということなのかと思わせていただきました。

AもBも煩悩です。

煩悩の定義はもくぞさまがされておられますから繰り返しませんが、仏教用語ですね。


それで、質問者様は補足でご自分の立ち位置を明確にせねばならないと思います。

私の感じでは、質問者様は、未来へ向かって何らかの目標をたてておられ、
それを邪魔するものを「煩悩」と考えておられるのかと。

それは正解だろうと思います。
性欲も、趣味も、子供たちへの執着も、美味なものを食いたいと言うことも皆煩悩だと思います。

回答になっているでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。
自分の立ち位置ですか。少々難しいですが、
Mokuzouさんの仰る涅槃静寂を
求めているというのが本音だと思います。

しかし、生きていかなければならない以上、
人生の目標みたいなものが欲しい、
あるいは自分の過去を振り返ってどうなのか、
そもそも私は魂みたいなものは理解しているのか、
色々と疑問点が有りすぎて整理のつかない状態です。

多分、私と同じような状態の方は多くいると思います。
取り敢えず、知っている方にお聞きして
少しずつ理解を深めていくしかありません。

そういう意味でMokuzouさんは私の知りたいことを
平易に教えてくれるので有り難いお方です。

お礼日時:2011/08/31 14:14

No.8ですが、再回答させていただきます。



>これは哲学の手順に沿った回答でしょうか。

いや、質問者さんが「性行為は煩悩なのか」と問うている以上、また、古来、人々が性欲を「煩悩」と受け止めてきたのが事実である以上、私としては、まず「なぜ人間は性欲を煩悩として忌避したり、罪悪視したりしてきたのか? その理由は何か?」について明らかにしておく必要があると判断したのですが、質問者さんはそんなことは不要とおっしゃりたいのでしょうか?

>あまり論理的な回答は望んでおりません。

ここは、おっしゃりたいことがよく理解できませんでした。
まさか、しかるべき根拠の裏付けのない回答をお望みということではないですよね?
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。
性行為は本タイトルでつけましたが、あくまで副題です。
本題は煩悩の意味についてです。
 
少し話が変な方向に向いてきているので、これで失礼します。
気分を害されたら済みません。

お礼日時:2011/08/31 22:36

No.5です。



恋愛感情は集団欲の一形態に過ぎず、性欲には群れの欲求がありません。

愛とか正義とかいう言葉が脳裏に浮かぶ時には先行して
「好ましい」とか「善い」自分の姿を客観視している自分が居て
恋愛していることを確認し気付ける。

群れない種には種の安全を確保するために大人の振る舞いをする必要もなく
盲目の本能は執拗に命じるだけで経験を必要にしておらず、
その後の責任を負ったり、犠牲を覚悟の上でもなく実行を迫ります。

趣味などは命じられて行為するものでも、
止めてはいけないものでもなくもっと自由ですよね。

盲目の本能は無目的に行為を命じ。
煩悩は自由を制御し小賢しく立ち回る経験を求める。と違いがあります。
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この回答へのお礼

再度のご回答有り難うございます。
これまた分かるようでいて分からない、
難解な文章になっています。
 
本能と煩悩の違いは何となく分かりましたが、

>出世よりも優先する夢があるなら
>修行して知恵を肥大化させ、
>性欲も自己顕示欲という煩悩をも滅却するが宜しかろう

これの意味するところが凡人では理解できません。
滅却に関してはMokuzouさんのお言葉通りと理解しています。

お礼日時:2011/08/31 03:23

>煩悩といえば直ぐに思い浮かべるのが性的なことです。



確かに、無数の「煩悩」中、昔から今に至るまで、性欲がその代表格として冷遇されてきたのは間違いない事実だと思います。

となると、古来、性欲がかくも冷遇されてきた、しかるべき理由があったはずと考えるしかないわけで、まずはその理由が何だったかについて考えてみませんか。
その検証をしないで、世俗的な一般通念や常識に依拠しながら、

>しかし、子作りのSEXなどは正常な営みといえます。
>よって、現状はこれは煩悩ではないと考えています。

とおっしゃったところで、あまりにも恣意的すぎるとの批判は免れませんから。

思うに、「性欲=煩悩」という考えが生まれた時期と人類がはじめて「セックスと女性の妊娠との因果関係」に気づいた時期とはさほど違わなかったのではないでしょうか。
なぜなら、われわれの遠い祖先が、男性の性欲を野放しにしておくと、妊娠した女性及びその女性の産んだ子が野垂れ死にする可能性が高いことに気づいたとき、はじめて自分たちの性欲の罪深さを痛感し、これを罪悪視しないではいられなかったと考えるしかないからです。
こうして、「性欲=煩悩」という分別が人類の脳裏に棲み始めたのではないでしょうか。

なお、女性はさておき、男性が「わが子」を可愛がるようになったのは、私有財産という観念が生まれ、その相続人として、自分の血を分けた「わが子」を欲しがるようになってから以降のことでしょうね。
もちろん、これは死の観念の発生とも密接にリンクしていると思われますが。

ということで、質問者さんの脳裏に棲息する「性欲=煩悩」という判断にしても、性・セックスをめぐる倫理規範、道徳律、法的規制等々の成因にしても、人類の「セックスと女性の妊娠との因果関係」の発見以前に遡って説明することはできないと思います。

なお、アイドルのブロマイドを収集することや自慰行為の是非についても、以上を参考になさった上でご判断いただきたいところです。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。
これは哲学の手順に沿った回答でしょうか。
 
哲学のカテである以上仕方がないかもしれませんが、
あまり論理的な回答は望んでおりません。

気分を害されましたら済みません。

お礼日時:2011/08/31 02:57

#3です。



>しかし、ポルノでもない限り心身は乱されません。

本当ですか? この点を見極めないとイケないですね。

神道や道教や儒教や○○教などなど他宗教と異なる仏教の特徴は、三つの基本的な考えで表わされます。

諸行無常
諸法無我
涅槃寂静

このうち、三つ目の涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)とはなんでしょうか。

涅槃寂静とは、煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるという意味です。

凡夫が修行して、仏になる(成仏)には、寂静を手に入れなければいけません。
いつでも、どこでも、寂静を自由に手に入れられるよう、禅の修行をします。

修行を積んだ人間が禅を組むと、脳波は4~7ヘルツのゆっくりしたシーター波を出す状態になります。
凡夫では、シーター波は眠りに就くときに短時間発生が観測されるだけですが、禅の修行を積んだひとは何時でも、この境地に入ることができます。

これが「煩悩の炎の吹き消された悟りの世界」に入る条件ですね。

さて、一般の映画で大爆発が起きたり、人の悲鳴が聞こえたら、この寂静の境地をたもてるでしょうか? シーター波がみだれて、アルファー波やベーター波が出てしまうことはないのでしょうか?
よほど修行を積んだ高僧であれば、「目の前で親が殺されてもシーター波の乱れがない」と例えれら得るほど、煩悩を遮断することができるようですが、凡夫はそうはいきません。
すべての映画や音楽や、スポーツ観戦などは、アドレナリンを出し、脳が興奮するから楽しいのです。
セックスも麻薬も同じでしょう。

「教祖様に直接会えて、握手できたので感激する」宗教もあるでしょうが、仏教はそのような感激を否定しています。
これが涅槃寂静なんですね。

質問者さんも普通の人間なら映画や音楽で感動してしまうレベルでしょう?
「あの感動をもう一度」ってのは煩悩です。

その煩悩の炎の吹き消された悟りの世界を求めるのですから、仏教っちゅうのは世にも珍しい宗教ですね。
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この回答へのお礼

Mokuzou100nennさん、再度のご回答有り難うございます。
確かに私は凡人であり、平常心を常に保つのは難しいです。

しかし、涅槃静寂の意味合いは何となく理解できます。
白一面の銀世界とかイメージもできます。

でも理解できる積もりでいても、なかなか奥が深い。
煩悩1つ取ってもこれだけ右往左往です。

お礼日時:2011/08/31 02:55

性行為自体はただの行為ですよ。


煩悩は精神的なものですから性行為(それだけに限らず)に執着する心の働きこそが煩悩です。
性欲は人間の脳に備わっている機能ですが、それに執着せず、拒まず、時と場合に応じて無理なく制御できるようになることこそ、煩悩としての性欲がなくなったと言えるのかなと思いますね。
執着しない。執着しないことにも執着しない。それこそが悟りのような気がします。
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この回答へのお礼

執着しないことにも執着しない。
まさしくその通りだと思います。
やっと執着しないことには慣れてきましたが、
本当にこのままでいいのかと迷った時もあります。

ご回答有り難うございました。

お礼日時:2011/08/30 00:11

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