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イスラム過激派の人達は、祖国の発展を考えないのですか?

かつて自分達の国と同じく欧米諸国に植民地にされた国々の中には発展している国もあります。日本は太平洋戦争の傷跡から立ち直り、世界屈指のGDPを誇る国に成長しました。中国も清朝末期の悲惨ぶりから一転、今や国力は日本を凌駕するほどになっています。対してイスラムの国々ではGDPは日本や中国に遠く及ばない国が大半を占めているのが現状です。トルコやインドネシア、マレーシアはイスラムの国でも発展している方ですが、それでも日中と比べれば見劣りします。

イスラム過激派の人達はイスラム諸国の発展という発想など頭になく、アメリカなどの国々にテロを仕掛けています。欧米諸国を恨むのであれば、なぜテロでしか抵抗をしなのですか?中国、韓国でさえ、日本に対して謝罪や賠償を要求しているだけで、自爆テロなどをしているわけではありません。しかしアルカイダ、ヒズボラ、ハマスなどのイスラムテロ組織は、銃や爆弾、ロケット砲で欧米の人達を殺したりしています。こんなことを続けていても無意味なこと位分かりそうなものですが、なぜイスラム過激派、ならびにイスラムの人達は国の発展、近代化を積極的に行おうとはしないのですか?過激派でない普通のイスラムの人達を見ていてもあまり近代化に熱心とはいえません。イラン革命を見ても、パーレビ国王の時代とは違って、厳格なイスラム法を適用しているせいで近代化とは遠くなっている気がします。イスラムの人達は近代化に嫌悪感でも抱いているのでしょうか?



やはりイスラムの人達は欧米から受けた恨みを忘れようとしないのですか?ベトナムなどはベトナム戦争で、多くのベトナム人がアメリカ軍に殺されましたが、アメリカを恨まず、反米でもありません。日本は原爆を落とされても、アメリカに謝罪や賠償を要求もしないという態度を取っています。日本人らしく「昔のことは忘れる」ような考えがなぜイスラムの人達にできないのですか?過激派ではないイスラムの人達でも、アメリカなどの国々を恨んでいる人は多いと聞きます。イスラムの人達の考えは中国、韓国の文化である「恨」という考えに近いのでしょうか?

A 回答 (8件)

彼らに正論は通用しません。



宗教とはそう言う物です。イスラム以外でも
狂?信者達は文明などどうでもいい事です。
ハッキリ言って不幸な人達な訳です。

又昨今の近代化=幸福とは言えないのも事実です。
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 イスラム過激派の人たちも、もちろん祖国の発展を考えています。



 しかし彼らの望む祖国の発展とは、外敵を追い払った後にのみ実現できるものなのです。

 彼らはテロを行いますが、明治維新のころは日本でも攘夷か開国かで刀によるテロが横行していました。

 結局、「自分たちの社会で平和にやっている小国へ大国が首を突っ込んで混乱させるから、争いが起こる。」という歴史の繰り返しではないでしょうか。
 
 GDP云々というのは、経済の基準であって、人の幸福や平和の基準ではありません。
 「祖国の発展=近代化」という考えは、イスラム原理主義と同じくらい独善的な考えです。

 そっとしておいて、彼らの自主性に任せれば(民族自決)、大半の問題は解決する、もしくはそもそも問題など起きないのですが、大国は資源を狙い全世界に食指をのばしていきますから、小国の平和はこれからも乱されていくでしょう。

 そしてわたしたちもその共犯者に成り下がったのです。

 
 宗教は副次的な問題に過ぎません。

 日常的に空爆などで家族や家、平和な日常を破壊された中東の人々が、家族や祖国を守るべく立ち上がった。
  しかし敵が強大すぎるから、仮に戦車や戦闘機が手に入ったとしてもまったく歯が立たない。
 でも敵を許すことなどとうていできないから、テロに身を投じているのです。

 あなたは、家族を殺された恨みを忘れて、その加害者と仲良くできるのですか?

 私たち日本人も、日本に生まれたから、原爆の苦しみや悲しみをいつしかすりかえられてアメリカかぶれに生きていますが、彼らと同じ立場ならば、AK47を手にして米軍に突撃するのではないでしょうか。

 彼らの望む祖国の発展は、目前の敵を倒すことによってのみ実現に近づくのです。
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質問者さんは、欧米の価値観が絶対だと


思っているのではないですか。

世界が欧米の価値観に染まりきってしまったりしたら
文化の多様性に欠け、欧米文化の行き詰まりイコール
人類全体の衰退に繋がります。

イスラムの人達は、そういう西欧の価値観に
抵抗しているのでしょう。

価値観の多様性を維持する、ということは
人類単位で鳥観すれば、必要なことだと思います。
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貴方のお考えに賛同します。


イスラム諸国ってアホちゃうかといつも思っております。
頭が硬い。硬直している。
砂漠の遊牧民独特の考え方なんでしょう。
昔ハムラビ法典というのがありました。目には目を歯には歯をというやつです。
彼らは報復ばかり考えている。
たとえば日本人はいじめられたらいじめかえすのではなく、しっかり勉強して偉くなって見返すということを良しとします。そういう考え方がない。
昔日本にあった寺子屋みたいなものが国の隅々にまで普及して国民に教育が浸透すれば考え方も変わり、妙な宗教対立や破壊活動の愚かさに気付くことでしょう。でもそれには百年以上かかります。
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「国家」と宗教は、通常、違う集合となります。

そして、当然ながら日本では国家が宗教の上にたっています。
とはいえ、例えばかつてのオウム教団では、信者は完全に信仰への指向が勝っています。彼らは「お国のために」という発想で行動するでしょうか?
イスラムがオウム教団と同じだ、とは言いませんが、イスラムは未だにカルト的な要素が残っていると思っています。これは過激派でなくとも、です。過激テロリストを許容し、育成する土壌は広く存在します。(アルカイダはかなり広い寄付を集めていました)

あと、例えばパレスチナのハマスなどは、緊張を高めることが自分たち勢力のプラスになります。平和な状態だと、存在価値が無くなりますからね。

とはいえ、トルコでは世俗主義とイスラム主義のせめぎあいが長い間、国家の中心議題になっています。そして、最近はかなりの経済成長を遂げているようです。ですから、トルコの歴史・経済は興味深いのでは、と思いますけど。
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イスラムの考え方の根本を知りたければ、イスラム教を考えることは避けて通れません。


そしてイスラム教の考える「発展」と、現在の先進国で主流の資本主義による「発展」がイコールではないことが、食い違いの原因ではないかと思います。

イスラム教は、ユダヤ教・キリスト教と同じ「神」を信じるもので、イスラム教信者にとっては、イスラムの教えがもっとも最後に神が人間に与えた、もっとも正しい教えとなります。
神の教えから逸脱した「発展」は、イスラム教の信者にとっては堕落なのです。

そのうえで、イスラム教の観点から今の先進国を見ると、「素晴らしい」とは言えません。

一例を挙げますと、イスラム教徒は「喜捨」を重んじます。商売で儲けるのは肯定したうえで、富めるものは貧しきものに分け与えよ、という考えです。
この考え方が顕著に表れているものが、ワフクと言って富裕層が自発的に提供した信託財産で運営されている公共施設や、イスラム銀行という利息を取らない銀行になります。
そういう価値基準からみると、先進国はどうでしょう?
「税金」といって強制的に国がお金を集める。しかも強制的に集めないと出さない人が多い、強制的に集めていても払うまいとする。
金を貸し借りして利息を貰ったり払ったりするのが当たり前。
イスラム教徒の考え方では、まっとうな人間ではありませんね。

そしてイスラム教にはジハードという考え方があります。
アラーの教えに反することには、きちんと反対しなければいけないのです。
多くの日本人にとって「過去のことは水に流す」「多少の違いには目をつぶって和を尊ぶ」という考え方が美徳であるのと同じように、イスラム教の考えがベースにある人にとっては「間違った価値観には従わない」のが美徳です。
「恨」とは少し違うと思います。「恨」は自身の感情に基づくものではないでしょうか。だからこそ、いくら補償をしたと言われても、「恨」は消えないのだと思います。

もっとも、イスラム教は「平和の宗教」とも呼ばれるほどに、他の宗教に対しても寛容なので、本来テロリズムとは無関係です。
テロ組織として名指しされている集団に、アラブ諸国、イスラム教関係が多いのは事実ですが、これにはテロ組織と名指しをする側の団体が欧米諸国であることも一因があると思います。IRAのようにヨーロッパ内部だけの団体も存在していますよね。

テロに走っている過激派と、イスラム教の考えにより先進国と同じ価値観を持たないイスラム国家との間に共通点があるからと言って、ひとくくりにするべきではないと思います。
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私の独断と偏見で書きます。

参考までに。


イスラムの人たちの抱える感情みたいなものは、ひとつは宗教による考え方が強いと思います。


イスラム教は姿のないたった一人の神様をあがめています。これを一神教というらしいです。

日本では昔は神仏習合(しんぶつしゅうごう)といって、神様も仏様も一緒にあがめていたときがあったらしく、簡単に言ってしまえば神社とお寺が一緒の敷地にあるような感じです。(今でもその名残があるらしいです)しかも、いろんな神様がいました。これを多神教というらしいです。(インドの宗教も多神教だったような…)


つまり、日本は昔からいろんなものを受け入れられる器のようなものを持っていたのでしょう。戦争に負けた後、目覚しい発展をしたのもその素質によるものだと思います。
そして、あまり宗教に固執していません。お盆やらクリスマスやら、宗教行事の入り乱れは日本ならではでしょう。

しかし、イスラム教はただ一人の神様をあがめていて(しかもその神様だけしか信じていない)、そして考え方も割と閉鎖的です。(人にもよりますが)

そこに違いがあるのではないでしょうか。


たぶん、過激派の人たちの考えていることは一生わからないと思います。

彼らは神様のために戦っているのだと思っているのではないでしょうか。

「平和的に、近代的未来のために」とこちらが呼びかけても、彼らにはそれは意味のないことかもしれません。
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 質問者は、経済の発展とか、社会の近代化を望ましい変化だと考える西欧風の価値観に立って、イスラム過激派ないしイスラム原理主義を批判しているように見受けられます。



 イスラム原理主義(復興主義というほうが当たっている)とは、こうした世俗的な価値観を拒否し、イスラム法が支配するかつての共同体への復帰を目指す運動です。したがって西欧的なものはもちろん、自分たちの国の近代的・民主的な政府にも従いません。ただし、原理主義者の中にもテロを否定する人びとは多く、過激派と同一視することはできません。

 「恨」という湿っぽい考え方は、イスラムの教えとはまったく馴染まないと思います。ブッシュ大統領は、進歩や繁栄といった西欧的な価値観が勝利を収めると信じて戦争に踏み切ったわけですが、その帰結は今見る通りの泥沼です。自分たちの価値観を普遍的なものとして考える限り、相手を理解することはできないでしょう。

 とりあえずWIKIで、イスラム原理主義やイスラム過激派について御調べになってはいかがでしょう。
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