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ドイツのタイガー戦車が強力で有名ですが、
ソ連軍のT-34という戦車がそれを打ち負かしたということを知りました。
さらにタイガー戦車より最新のパンター戦車というのもあるらしいです。
総合的に見て最優秀の戦車(一対一で勝てる)は何だったのでしょうか?

又日本は戦車の開発には関心が薄かったようですが、
それはどうしてでしょうか?
中国戦線では大活躍すると思うのですが。
よろしくお願いします。

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A 回答 (12件中1~10件)

兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。

別に兵器に限った話ではないのですけれど。
1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。つまり整備が大変だったからです。

1対1で強い戦車があれば戦争に勝つかというとそうでもないのです。例えば1940年のフランス電撃戦のとき、ドイツ軍の持つ戦車は3号戦車と4号戦車(前期型)が中心で、武器としては機関銃しか持っていない2号戦車の数もまだまだありました。
一方のフランス軍にはシャールB1という重戦車があり、イギリス軍にもマチルダ2という戦車がありました。カタログスペックだけ見たら、B1戦車もマチルダ2も3号戦車や4号戦車より優れているのです。しかも、その数はドイツ軍に比べると英仏連合軍のほうが多くの戦車を持っていたのです。
しかし、戦争にはドイツ軍が勝ちました。その勝因は、戦車を集中して運用したからです。

プロ野球でも、ものすごい4番バッターがいたら優勝するかというとそうではないですよね。チームとしての全体のバランスが重要です。サッカーもそう。軍隊(戦争)もそうなんです。
第二次大戦のときのアメリカ軍の主力戦車はM4シャーマンです。カタログスペックだけ見ると、ドイツ軍の4号戦車よりちょっと優れている程度です。だからドイツ軍のタイガーやらパンターやらには直接対決では勝てなかった。でも、アメリカ軍はそれでよかったのです。アメリカ軍にとってM4戦車は歩兵支援用です。だから、それ用のための性能を重視しました。そして、ドイツ軍の強力な戦車には、航空機などの戦車の苦手な手段で当たればいいと考えていたのです。これぞアメリカ人の超合理主義。「戦車の相手は戦車がしなきゃいけないと誰が決めたのだ」というわけです。

戦車というのはですね、基本的に消耗品なのです。いくら優れた戦車でも1両だけじゃどうしようもない。それなら平凡な性能の戦車が10両あったほうがいいのです。
これが基本的に理解できなかったのが日本軍。理解できなかったというか、受け入れられなかったというべきでしょうかね。基本的に貧乏な日本軍では、お金のかかる戦車を大量に用意して消費しながら戦うなんて贅沢な戦い方はやりたくてもできなかったのです。

日本軍悲劇の戦車チハタンこと九七式中戦車は、カタログスペックだけを見ると同時代の戦車、例えばドイツの3号戦車初期型とほぼ同等の性能を持っています。3号戦車初期型が37ミリ砲を搭載していたのに対して、チハタンは57ミリ砲を搭載していたので、カタログ上は上です。
しかしこの、「カタログ上は」ってのがネックで、実はチハタンの57ミリ砲、初速が遅くて徹甲弾の性能が低かったので対戦車砲としては使い物にならなかったのです。これは日本工業力の限界。
そしてなによりエンジンの性能が低かった。3号戦車が300馬力のエンジンを持っていたのに対してたった170馬力しかなかった。だから、改良を加えたくても性能に余裕がなかったのです。

日本軍は戦車の開発に関心がなかったわけではないです。ただ中国軍にはほとんど戦車はなかったし、アメリカ軍も第二次大戦前にはほとんど戦車を持っていませんでした。しかしソ連軍は戦車を大量に持っていたので、ソ連軍への対抗上戦車への関心は持っていました。
しかし、ソ連軍が戦車を「大量に動員する」という戦い方をしてきたノモンハン事変を目の当たりにして、「あんな戦い方は(貧乏で戦車を揃えられない日本には)とてもムリ」となったのです。
戦車は戦車単独で存在しているわけじゃなくて、修理をする整備兵や、補給をするトラックなども必要ですよね。ところが当時の日本人にはそもそも車の運転ができる人がいなかった。自動車運転は「特殊技能」扱いです。ましてやそれの整備ができる人となるともっといない。だから運用にも限界があるのです。国に車が行き渡っていて、当然自動車修理工がいっぱいいたアメリカとの違いです。
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またきました(;^_^A



質問者さまも、1対1と言われていますね。失礼しました。
サシで、戦争ではなく果たし合いに使うのなら、1945年5月だったらタイガー2かもしれませんね。
ヘンシェル社砲塔型でよろしく。

ただ、質問者さまの言われている「総合的に見たら」を鑑みると、戦後も発展してM60にまでなったM26だとやはり思います。
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この回答へのお礼

活発なご議論ありがとうございます。
ディスカバリーチャンネルの「最強の対決 最強の戦車」を見ました。
結果トップ10
第1位 レオパルト2
第2位 M1 エイブラムス
第3位 T34
第4位 メルカバ
第5位 センチュリオン
第6位 Sタンク
第7位 T-72
第8位 パンター
第9位 シェリダン
第10位 シャーマン

第二次世界大戦時ではT34が最強とのことでした。
理由は、大量生産可能、誰でも運転できる、
装甲強度・火力・陸上走行性のバランスが良好、
ディーゼルエンジンで軽量且つメンテナンスが簡単とのこと。

お礼日時:2011/12/04 21:17

No.5です。

横はいりで申し訳ないですが、いくつかコメントさせてください。また人の意見に文句を付ける気があるわけではないので、単なる私見としてご容赦くださるとありがたいです。

 さて、M26の件ですが・・・

(1)参加時期と台数
 戦線に送られたのが200輌程度、そのうち実戦に参加できたのが20輌程度、しかも参加時期はすでにドイツ軍が崩壊途中であったわけで、どうみてもまともに参加したとは言いがたい。

(2)戦果
 弾も燃料も不足し何もかもボロボロなドイツ軍あいての状況で、確認された戦果はティーゲルIとIV号くらいで、ティーゲルIIを撃破した記録はない。

(3)搭載砲のスペックから(若干違いがあるかもしれない)
 M26の主砲の貫徹能力:射距離1000m、直立した装甲に対して、APCBCで131mm
 ティーゲルIIの主砲の貫徹能力:射距離1000m、直立した装甲に対して、APCBCで215mm

 ということで、こと1対1の戦闘を想定したならば、さすがにM26が最強言い切るにはちょっと無理があるのでは。
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まちがいなく間に合って、5号戦車の砲弾12発食らって反撃、撃破した実績があるので、カウントしないほうが不思議でしょう。



センチュリオンやISIIIいれたら言われてもしょうがないですが、知らなくても恥ではないですよ。
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M26パーシングは実践に間に合った数が少なすぎたので、カウントが微妙w

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なぜか出てこないですが、



まちがいなくアメリカのM26だとおもいます。

ドイツ戦車と戦って、破壊されたのは1両だけ。5号(パンサー)、6号(タイガー)といったドイツ戦車と正面から殴り合いができる優秀な戦車です。
当然、アメリカ製の優秀な無線機、照準器、大砲(アメリカの戦車砲は優秀です)、機関銃装備しています。エンジンが若干アンダーですが、トランスミッション込みでドイツ製よりよほど優秀です。

戦後は朝鮮戦争でソ連のT34/85と殴り合いしていますが、このときは終戦までヒトケタの損失だったはずです。もちろん、T34には圧勝です。

M26戦車の改造型がその後も造られ続け、M60にまで進化しました。戦争に負けたことのないイスラエルが愛用していて4次中東戦争でソ連の戦車に勝利しています。

今でも、M60つかっている国はいくつもありますし、M60近代化キットの開発も盛んです。

---------------------------
日本は戦車の開発に、非常に熱心でした。
ドイツ人が農業トラクターで練習していたころ、大陸で戦車を実戦投入していて、二次大戦始まった瞬間でみると、世界一実戦経験豊富な戦車部隊を持っていたのは日本陸軍です。おっしゃるように、中国大陸では大活躍でした。

問題は、お金も工業力も低かったので、次の戦車を造ることができなかったことでしょう。
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1対1の強さ > ティガーII


戦争前半総合力 > T-34
戦争後半総合力 > パンター
生産性 M4シャーマン

日本に関しては
 ・旧日本は運搬手段である鉄道のインフラが未成熟で、戦車の設計が制限された。
 ・周囲が海に囲まれていることから、海軍に力を入れなくてはならなかった。
 ・日ソ不可侵条約で戦車の必要性も少なくなった。
ってところですかね。

T-34の優秀さ
  傾斜装甲
  幅広キャタピラ(東部戦線の雪道でも走る
  攻撃力
 に衝撃を受けたドイツがあわててパンターを開発しました。
 
パンターとシャーマンを比較すると
  性能でパンター
  数でシャーマン
 ですが、制空権をもっている連合国が圧倒的優位でした。
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>ドイツのタイガー戦車が強力で有名ですが、ソ連軍のT-34という戦車がそれを打ち負かしたということを知りました。


 →いや、タイガーIにしろIIにしろ、1対1でT-34に負けるようなケースはまず無かったと思いますよ。たいていは圧倒的な数で押し包まれて撃破とか、燃料枯渇で放棄されたものを爆破とかだったと。

>又日本は戦車の開発には関心が薄かったようですが、それはどうしてでしょうか?
 →戦車への関心はかなり早くからあり、第一次大戦後にいち早く各国の最新型を輸入、自力開発も早期に着手し、第二次大戦前には曲がりなりにも重戦車まで開発していました。ただし当時の日本は貧乏国だったので、関心はあったけれども大量装備するお金が無かった、というのが本当のところらしいです。

>総合的に見て最優秀の戦車(一対一で勝てる)は何だったのでしょうか?
 →相反する条件ですが・・・。総合的にはパンターとされている意見が多いですね。敵であったフランス軍も大戦後にはパンターを制式戦車として採用していますし。1対1であれば文句無くタイガーIIでしょうが、機動力や整備性その他の要因で総合力としては劣るという判断があったようです。
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一対一なら


キングタイガーじゃないですか?

ソ連崩壊後のロシアで情報公開で戦時中のデータが公表され多くのロシア発の文献が書かれましたが
ロシア人だから
西側からの大量の輸送車両や機関車、貨車、燃料、機械潤滑油、鉄鋼やアルミ、
電圧の安定した大型発電機、衣料、医薬品、食糧というレンドリースを過小評価し
ソ連の兵器のネガティブな部分は差し置くか軽く触れポジティブな部分を誇張し書かれるのは仕方ないですが

ソ連製戦車にはカタログデータに出てこない決定的欠陥が幾つか散見されます

第一にトランスミッション
KVの独ソ戦初年度にドイツ軍に捕獲された車両の殆どはこれの故障により放棄されたもので
T-34などではシフトチェンジは時には二人いないと出来なかったそうです
指でシフトチェンジできたタイガーに比べるとかなり操縦性が落ちます

またカタログデータでなくイギリスの戦後の実測データでは
路外の巡航速度でタイガーIの方がT-34/85に勝っていました

ドイツの重戦車の稼働率が極めて悪いと言われますが
44年5月から45年3月の実際の統計では4号戦車とあまり変わらなかったようです

第二に砲塔バスケットがないこと
つまり砲塔を正面以外に回すと乗員、特に装填手は体を捻りながら弾薬を取り装填しなければなりません
ただでさえ発射速度の遅いソ連製戦車には致命的でしょう

第三に照準器など光学機器の劣悪さ
レンドリースである程度輸入されましたが、全てには行き渡らず
例え先手を取れても初弾命中がなければ返り討ちにされてしまいます

第四に通信機の絶対的不足
一対一でなく部隊同士の戦いで相互援護できなければ損失は極めて甚大なものになります

最新の公表データによるソ連軍の戦車・自走砲損失数は
44年に23700両
45年(4ヶ月)に13700両
と月平均一ヶ月で同時期のドイツ軍の東部戦線の戦車・突撃砲の総数に相当する数量を消耗していたのが現実です
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重戦車なら


JS-2(ソ連)

中戦車なら
T-34(ソ連)パンターD(ドイツ)

駆逐戦車なら
ヤクートパンター(ドイツ)

ドイツの戦車も火力・防御力共に相当なものですが、結局、肝心の高出力で小型のエンジンが量産できなかったため、重戦車のキングタイガーも中戦車のパンターと同じエンジンを流用していたことから、総合評価は低くなるでしょうね。

日本の戦車は、太平洋戦争初期のマレー作戦あたりで若干活躍するのみで、後は「鉄の棺桶」と呼ばれました。ヨーロッパ戦線でタイガー戦車に歯が立たないマチルダ(イギリス)M-3シャーマン(アメリカ)を破壊できる日本の戦車は存在しませんでした。

http://www.luzinde.com/meisaku/tanks/chi-ha.html
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Qレオパルト2が最強と言われる理由

レオパルト2が最強と言われる理由

現在の西側先進国が保有する第三世代戦車のうち、レオパルト2が最強だと言われている理由は
何でしょうか?
また、よく戦車ランキングが出ますが、これも大方どのような評価の元ランク付けしているのでしょうか?

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 この質問に本気で応えようと思えばいったい何時間掛かるのか分かりません。ということでざくっと回答すれば、正直いろいろな分野で様々な兵器が世界最強という言葉を冠されていますが、これらが果たしてどのような視点から見た世界最強なのか、誰もその答えは持ち合わせてはいないはずです。もっとも限定的に言えるなら、やはり数次の実戦を経験したM1エイブラムスが最強の言葉にふさわしいかもしれません。

 とはいえこの手のランク付けは、簡単に言えば単なる主観的な問題でしかないといえるのではないでしょうか。レオパルド2が世界最強の戦車というタイトルを付けられたのはずいぶん昔のことですが、その当時でもかなりの攻撃力と斬新な機能や防御力をもった戦車が世界中にありました。それでもレオパルドが最強のタイトルを持っていたのは、やはりレオパルドが先鞭をつけた先進的な攻撃、防御、機動性能を各国の軍隊が後追いしたことによるものと、なんといっても第二次世界大戦でのあの病的ともいえる、しかしあまりも魅力的だった戦車開発の歴史を、世界の陸軍が忘れきれないでいるからでしょう。

 現代の戦車戦はあらゆる要素と資源をシステム的に機能させなければ、とても戦い抜けないほど複雑になっています。広大な開豁地で大量の数の戦車同士が戦うという構図は、湾岸戦争で終焉を告げたと考えていいかと思います。現在は極言すれば一人の歩兵が携帯したATMであっさりと撃破されるほど、対戦車兵器は劇的な進歩を遂げています。イラク戦争(第二次湾岸戦争)ではあのM1エイブラムスでさえも、イラク兵のRPGで撃破されています。しかもHAがです。

 それぞれの戦車の各能力を数値化して、これを比較すれば確かにそれなりにランク付けは出来るでしょう。しかし実際に360度全てが戦場になっている場所で、この数値は何の意味も持ちません。必要なのはトータルシステム的な戦車部隊とその支援部隊の運用法です。

 戦車はほかのサブ的な支援部隊を引き連れていなければ、その性能は十分に発揮できなくなっています。ということで、これからは世界最強の戦車というランク付けは意味をなさなくなると思います。

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Q第二次大戦中に現代の自衛隊を投入したら

くだらない質問ですが、気になったので書いてみます。

第二次世界大戦末期の1945年1月1日時点に、現在の最新鋭の自衛隊(航空・海上・陸上)の全戦力を日本本土に投入したら、日本軍は勝てるのでしょうか?兵器の生産設備などは投入しないものとします。

いくら最新鋭の戦力を持っていても核と資源がないのでアメリカが多大な犠牲を出しながらも勝つだろうという見方もできるし、当時の日本はインドネシアを占領していたので資源不足を克服し日本の勝利という考え方もあると思います。

Aベストアンサー

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、護衛空母17隻を含む大艦隊を出撃させてきており、このうちの正規空母12隻、護衛空母4隻が日本近海に現れ本土空襲を行っています。これを狙います。ちなみに、この当時の米艦隊の正規空母の数は14隻ですから全部撃沈できれば、後がかなり楽になります。
F2攻撃機、約80機を中心とする対艦ミサイル攻撃で、空母を撃破します。現代の対艦ミサイルを当時の米軍艦艇がそれほど迎撃できるとは思えないので、うまくいけばかなりの空母を撃破できるのではないかと・・・
また、B29への迎撃にもF15を出撃させます。最大で4発のミサイルを別々の目標に連続発射できるF15の戦闘力に、B29の部隊は大打撃を受けるのではないかと・・・
さらに海上自衛隊の潜水艦部隊によるハワイの真珠湾攻撃を行います。ハープーン対艦ミサイルは対地攻撃にも転用可能とという事なので、ハープーンで真珠湾の燃料施設や艦艇補修設備などに攻撃を行い、打撃を加えます。
要は自衛隊の進んでいる兵器を一挙に出して大打撃を加えるとともに、米軍にショックを与えます。
これでうまくいけば、アメリカは空母艦隊とB29の部隊とハワイの後方施設に大打撃を受け、直ぐには大きな作戦をできなくなるのではないかと思います。

その後は、まずシーレーンの確保です。九州から中国沿岸、そして台湾海峡を通ってシンガポールへの海上交通路の守備に海上自衛隊のP3C対潜哨戒機の部隊や、一部航空自衛隊の戦闘機部隊を派遣します。輸送船団には海上自衛隊の護衛艦隊も付けます。航空部隊の根拠地の設営は大変でしょうが、部隊が稼動すれば米潜水艦隊の脅威へ大きな力になると思います。日本の輸送船の撃沈された半数は、米潜水艦隊の通商破壊戦によるものだそうですが、当時の旧式な潜水艦なら現代の対潜哨戒機と護衛艦でかなりの確率で防ぎ、逆に戦果をあげられるのではないかと思います。
日本本土の防空は航空自衛隊の戦闘機とPAC3ミサイル部隊と、陸上自衛隊の高射特科団(改良ホーク地対空ミサイル部隊)が守ります。
攻撃には海上自衛隊の16隻の潜水艦部隊を使います。潜水艦隊で通商破壊戦を行います。第二次大戦末期のドイツで建造されたUボート21型は連合軍の対戦哨戒部隊にも察知されにくかったそうです。それよりさらに技術の発展している現代の潜水艦なら数は少なくとも大きな戦果を期待できると思います。
未だフィリピンの日本軍の抵抗は続いており、米陸軍20万人が投入されている時点で、米空母艦隊が大打撃を受け、さらに通商破壊戦を仕掛けられたら・・・米軍は楽勝とはいかなくなるでしょう。

米軍としてはこうした進んだ技術の兵器対策に苦慮する筈です。簡単には有効な対抗策は出てこないのではないかと思います。まずは打撃を受けた艦隊の再編と、戦略爆撃部隊の戦術の見直し、フィリピンへの海上補給路の守備を固め、真珠湾の設備の再建をしなければなりません。
建造中のエセックス級空母の建造を急いでも、半年以内に戦闘に参加させる事ができるのは5隻です。
大西洋から部隊を回す必要も出てくるかもしれません。

一方、自衛隊を除く日本の連合艦隊の状態はよくありません。
戦闘可能な空母は小型の鳳翔1隻ですし、戦艦は2隻、巡洋艦も数隻、駆逐艦も二十数隻というありさまです。
南方から資源が入ってきたら、まずは艦隊の増強が急務でしょう。まずは空母で建造途中の伊吹、天城や損傷状態の龍鳳、準鷹、葛城を戦闘可能な状態にしなければなりません。
他にも損傷を受けている戦闘艦艇があるので、大至急修理が必要です。
また、輸送艦の建造も急務です。1945年1月から終戦時までに約180隻の輸送船が建造されています。
しかし、同じ期間に実に700隻が沈められているのです。
まあ、自衛隊の参戦で、その数は減るでしょうが、しかし、1944年だけでも約970隻の輸送船が撃沈されています。
日本の造船所はとにかくフル稼働しなくてはならないでしょう。
また、航空機パイロットの育成や、戦闘機などの生産も必要でしょう。
時間は幾らあっても足りないくらいです。

こうした中で、日本の潜水艦隊がどれだけアメリカに打撃を加えられるかが重要だと思います。
そしてフィリピンの米軍を孤立させ、ハワイを孤立させる事ができれば、新たな展望が開けるかもしれません。
時間が立てば、連合艦隊の戦力もある程度は回復してきます。そうなれば、新たな作戦を立てる事も可能となるでしょう。

なお、そのうち満州にソ連軍が侵攻してくるでしょうが、これについては航空自衛隊の支援を受け、東満山地で持久戦を行えば、かなりの機間、持ち堪える事ができるのではないかと思います。

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、...続きを読む

Q第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由は?

先日、池上彰さんのテレビ番組で「第2次世界大戦のソ連の戦死者は2000万人を超えている」「その恐怖からスターリンは、隣国を共産国にした」ということを知りました。

日本の太平洋戦争での戦死者は300万人くらいと聞いてますが、日本の戦死者と単純に比較できるのかどうかわからないのですが、日本の7倍の戦死者の数には、とても驚きました。

第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由をお教えいただけましたら助かります。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。
そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。

ジューコフは、

1 ソ連軍は弱い

2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない

3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる

ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。
さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。目的達成が勝利なら、なおよし、です。

そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、

最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、

まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、

そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、

味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。

装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。
なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。
また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。

この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭...続きを読む

Q第二次世界大戦頃までの戦闘機乗りの生還率は?(撃墜王の事が知りたいです)

撃墜王なる言葉がありますが
調べて見ると5機墜とすと与えられた称号らしいです、もちろん諸説ありますが
5機墜とす位は熟練パイロットなら出来るのでは?なんて思いましたが
たぶんこれはTVゲームしてる感覚で捉えての結果だと思います
全然ピンときません
生涯戦闘で5機でエースなんて呼ばれるって事は
ものすごく生還率が悪かったと予想出来るのですが・・・

撃墜王って呼ばれるにはかなり大変だったのでしょうか?
また太平洋戦争までの生還率など
素人に解りやすく教えて頂ければ幸いです
よろしくお願い致します

Aベストアンサー

直接的な回答ではありませんが、
アメリカ軍の集計では
・エースは総パイロットの1%に満たない
・しかし、全撃墜数に於けるエースのシェアは40%位
・トップ・エースは生存率も高い(米軍の場合、20傑中戦死者は3人だけ)
という結果が出ています(これがアレグレッサーなどの摸擬空戦を重視する訓練へと繋がっていく)。

 つまり、パイロットになると、大体は戦果を上げることなく敵に喰われる。その時点で運が良いか、技量がいいものは生きのこり、やがてエースになるか、運が良いだけでなんとか生きのこる「その他大勢」になるか、という事になるわけです。

 ただし、生存率に関して言えば、国によって条件が異なり、落とされても歩いて自陣に返ってもう一回出撃、なんて恐ろしいことが平気で起こるWW2のドイツ(3桁級がゴロゴロ。肋骨負っても再出撃した奴もいた)、ローテーション態勢がしっかりしていて、それほどスコアを伸ばせないアメリカ、洋上を長距離侵攻が多く必然的に死にやすい日本など、「その国の事情」があるので、一概には言えません。

 なお、現在ではそもそも空戦自体がほとんど発生しないので、撃墜経験のあるパイロットの方が希少です。最後のエースは1986年のイラン空軍人でした。もう20年以上前の話です。

直接的な回答ではありませんが、
アメリカ軍の集計では
・エースは総パイロットの1%に満たない
・しかし、全撃墜数に於けるエースのシェアは40%位
・トップ・エースは生存率も高い(米軍の場合、20傑中戦死者は3人だけ)
という結果が出ています(これがアレグレッサーなどの摸擬空戦を重視する訓練へと繋がっていく)。

 つまり、パイロットになると、大体は戦果を上げることなく敵に喰われる。その時点で運が良いか、技量がいいものは生きのこり、やがてエースになるか、運が良いだけでなんと...続きを読む

Qソ連がナチスドイツに勝てた理由

第二次世界大戦で日本がアメリカに負けた理由は資源や兵器の物量の差が理由だったというのは、そう言われたら確かにそうだろうと思うのですが、ナチスドイツに国土を蹂躙され、生産設備をほとんど破壊されたはずのソ連がドイツに侵攻し、最終的にベルリンを占領できるほどの力を蓄えることができた理由がよくわかりません。焦土と化した国内でどうやって兵士を訓練し、兵器を増産できたのでしょうか。
普通に考えたら、独ソ戦は日中戦争のヨーロッパ版みたいなもので、ソ連は最終的にドイツを追い出すことには成功するでしょうが、相手方の国土に攻め込むほどの余力はとても持てないのではないかと思うのですが。

Aベストアンサー

1942年6月当時、ドイツ軍が北アフリカ戦線に投入したのは3個師団。これに対し東部戦線は171個師団。

Location Of German Divisions In June Of Each Year
Country      1941   1942   1943  1944
USSR        34     171   179   157
France, Belgium
& Holland      38     27    42    56
Norway & Finland 13     16    16    16
Balkans       7       8     17    20
Italy          0       0     0     22
Denmark       1       1     2     3
North Africa     2       3     0     0
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html

それからイギリスが受け取ったレンドリースは、大戦を通じてソ連の3倍にも及ぶ。

           1941    1942   1943   1944    1945    Total
        (Mar. to Dec.)                (Jan. to Aug.)
Total aid to British
Commonwealth  1,082  4,757   9,376  10,766   4,437    30,073
Aid to Russia    20   1,376   2,436?  4,074   2,764    10,670
Aid to other countries                              2,872
Total lend-lease aid                               43,615
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/BigL/BigL-5.html

 だが、現実は違った。ヒトラーは、対ソ侵攻開始直前の四一年六月十一日に発令した総統指令第32号「バルバロッサ以後の事態の準備について」の中で、対ソ戦が終結した後の四一年から四二年にかけての冬の期間に、陸軍の60個師団をロシアに駐留させるとの計画を立て、この駐留で必要となる冬季用装備についても陸軍側で手配が完了していた。
 ところが、四一年十月以降、ソ連国内での鉄道輸送網がパンク状態に陥っていたことから、用意された冬季用装備は、輸送手段がないためポーランドのワルシャワで山積みになったまま放置されてしまう。
http://wau.private.coocan.jp/wwtef/gaso/kampfe_vor_moskau.pdf

「終戦までのドイツ国防軍全体の損失は1348万8000人を数えた。このうち1075万8000人が東部戦線で戦死するか捕虜になった」
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784059011736

 ユーリー・レヴァダ分析センターが実施した世論調査の結果によると、ロシア人の60パーセントが、ソ連は第二次世界大戦で同盟国の援助なしに勝利できたはずだとの確信を示している。なお、回答者の32パーセントが、それに反対の見解をとっている。
http://japanese.ruvr.ru/2011/06/22/52225119/


戦線別ドイツ軍戦死者統計
Losses per theater
Theater      Dead      %
Africa       16.066     0,3   ←アフリカ戦線ww
Balkans      103.693    1,9
 North      30.165     0,6
 West       339.957    6,4
 Italy       150.660    2,8
Eastern Front
(- Dec 1944)  2.742.909    51,6   ←ソヴィエト赤軍は
Germany (1945) 1.230.045   23,1   ←頼もしいよなぁ♪
Various       245.561   4,6
 Total       4.859.056
http://www.axishistory.com/axis-nations/germany-a-austria/144-germany-unsorted/statistics/2461-german-losses-per-theater


<各戦線のドイツ軍機損失 GRUのデータ3476号>
En frente sovietico-aleman(独ソ戦線)
Durante 1941 (desde 22.6) 4 200
Durante 1942 11 550
Durante 1943 15 200
Durante 1944 17 500
Durante 1945 (hasta 9.5) 4 400
En frente occidental(西部戦線)
Durante 1941 (desde 22.6) 500
Durante 1942 800
Durante 1943 1 800
Durante 1944 14 550
Durante 1945 (hasta 9.5) 4 200
En Alemania y en los paises ocupados {2}(ドイツ国内)
Durante 1941 (desde 22.6) 800
Durante 1942 1 300
Durante 1943 4 850
Durante 1944 2 500
Durante 1945 (hasta 9.5) 1 500
Total aviones perdidos
Durante 1941 (desde 22.6) 5 500
Durante 1942 13 650
Durante 1943 21 850
Durante 1944 34 550
Durante 1945 (hasta 9.5) 10 100
http://www.rkka.es/Estadisticas/VVS_stat/01/01_10.htm

 ソ連側資料によれば、11月14日から12月5日までの期間、赤軍航空隊は西部方面戦区で15903回の出撃を行ったが、これとまったく同じ期間に同じ地区で確認されたドイツ機の上空通過は3500回であった。もちろん、すべての上空通過が確認されたわけではない。後に押収されたドイツ軍の参謀資料からすると、ドイツ軍のパイロットたちは11月末に平均して1日240回発進していたと推察できる(これに対してソ連軍パイロットたちは760回の出撃で応え、敵の約2倍の航空機を有していた)ドイツ軍の対ソ侵攻後初めて、赤軍航空隊はルフトバッフェよりも稼働率を上げて活動するようになっていた。ドイツ第4戦車集団の戦闘行動日誌は上空の様子を何とか説明付けようと試みている。
―「赤い首都はその多数の幹線道路・鉄道とともに前線のすぐ後方にある。敵は『地の利』に恵まれている。ソ連空軍は格納庫や修理所、モスクワの飛行場を持っているが、ドイツ機は野戦飛行場の雪原に立ち、悪天候の影響をすべて耐えねばならぬのである」
 11月18日に西部方面軍戦区の右翼に第6戦闘航空軍団の主力が基地を移し、さらに1日おいてそこに長距離爆撃航空軍の1個師団が投入された。上空ではソ連空軍が明らかに優位にあったことをドイツ第9野戦軍の戦闘活動日誌も認めている。
―「敵空軍再び我が軍進撃部隊を爆撃し、銃撃しているが、ドイツ戦闘機部隊は今にいたるも地上部隊の上空援護を保障できないでいる」
<モスクワ上空の戦い 知られざる首都航空戦1941~1942年
ドミートリィ・ハザーノフ/著 アレクサンドル・ペレヴォースチコフ/監修 小松徳仁/訳>

ノルマンディー上陸作戦
▼フランス展開部隊の実状
 ・フランスは東部戦線で疲弊した師団の休養・再編成地
 ・歩兵師団の多くは沿岸警備用師団か訓練師団
 ・第709師団の平均年齢36歳。対するアメリカの歩兵は平均年齢25歳
  →第一線の軍隊にとっては大きな差。
http://members.jcom.home.ne.jp/hartmann/page008.html

ちなみに米軍死者は欧州戦線で25万二千、太平洋戦線で15万6千人。

MILITARY      HOSTILE               NON-HOSTILE
ACTION       DEATHS      WOUNDED    DEATHS              
World War II
(1941-45)
Total          293,1216       670,846       115,185
European Theater  185,179        498,948       66,805
Pacific Theater    107,903        171,898       48,380
http://www.vfw.org/PR/Media%20Room/AmericasWarDead1775_2009.pdf  

1942年6月当時、ドイツ軍が北アフリカ戦線に投入したのは3個師団。これに対し東部戦線は171個師団。

Location Of German Divisions In June Of Each Year
Country      1941   1942   1943  1944
USSR        34     171   179   157
France, Belgium
& Holland      38     27    42    56
Norway & Finland 13     16    16    16
Balkans       7       8     17    20
Italy          0       0  ...続きを読む

Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい...続きを読む

Qドイツの戦車はなぜ空襲で破壊されなかったの?

 第二次大戦の後期、ヨーロッパ戦線は連合軍に制空権を握られていたそうですが、なんで大規模な戦車戦を行えたのでしょうか?
 ヨーロッパ平原では大きな戦車は隠れるところもなく空から丸見えですし、戦車は空からの攻撃に弱いはずです。しかし1943年以降でもヨーロッパ平原の真っ昼間に数千両のドイツ戦車が前線に出て戦ってますよね?前線に出る前にドイツ戦車は空襲で片っ端から破壊されると思うのですが・・・

Aベストアンサー

日本ではバルジの戦い、ドイツではアルデンヌの森の戦い、として知られている
戦車戦ですね。

ドイツが大規模な戦車隊を集結できたと云う事は、奇襲が成功したと云う事です。
奇襲作戦の成功(初期)の要因は:
1)英米側がドイツには大規模反攻の余力が無いと判断していた、
2)ドイツ側は悪天候の冬季、集中した兵力を隠しやすい森を利用した、
3)ドイツ側の周到な準備(兵力は最終的には足りなかったが)、
の3つでしょう。

1)は末期のドイツに大兵力展開の力はもう無いと見て、この地域には小規模な防衛的な
 兵力しか配備していませんでした。
 情報も手薄で、エニグマを既に解読していましたが、フランス国内に於けるように
 占領地のレジスタンス等からの情報もありませんでした。悪天候のため航空偵察でも
 これと言った情報は得られませんでした。
2)ドイツ側が冬にこの地方を選んだのは、まさに航空監視から逃れるためです。
 まずドイツの地形ですが、なだらかにうねる牧草地とそれを区切る様な広大な森が
 特徴です。アルデンヌの森は針葉樹林と広葉樹林の混じった広大な森です。
 針葉樹林は20m程度かそれ以上で、木々の間は灌木の無い下草だけの地面です。
 兵員が縦列で問題無く行進できます。小型車両も特に問題は無かったようです。
 夜間に森まで移動し、森に大舞台を隠すのは容易です。
 戦車に雪を被せれば、高い上空からの視認は困難です。偵察写真も白黒ですから
 解像の問題が有りました。
 それに雪は騒音を吸収します。
3)ドイツ軍は大部隊の集結を悟られない為に、無線封止を行っています。
 通信は主に有線電話と伝令兵で行われていました。
 攻撃開始の日には濃い霧が予想される日を選んでいます。

欧米軍は、霧の森から出てきた大部隊に驚かされます。音を消す雪の中では
戦車の接近もその数も正確に把握できなかったでしょう。守備部隊間の連絡にも、
混乱を来したでしょう。敵がそんなに強大で有るはずが無いと思っているのですから。

ドイツの補給線が延び、天候が回復すると航空機による反撃を受け、反転攻勢は
失敗します。
航空攻撃に弱かったのは、戦車よりもそれを支援する各種戦闘車両と歩兵です。
戦車を有効に攻撃できる航空機は当時は、ドイツのユンカーJu 87Gぐらいでした。
2基の3.7cm対空砲18を装備しPanzerjäger(パンッーアイェーガー、戦車狩人)、
キャノン砲鳥、戦車潰しと呼ばれていました。
この戦いにドイツが動員できたJu 87Gは少なく、反撃する米軍戦車を阻止するには
無力でした。

参考は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
http://de.wikipedia.org/wiki/Ardennenoffensive#Verlauf
http://de.wikipedia.org/wiki/Junkers_Ju_87


若い頃、ドイツの森をよく歩きました。広く木々は高く茂っていますが、その下は
すかすかです。森に戦車の大部隊を隠せると云う事が、日本の森からはイメージ
しにくいと思います。参考までアルデンヌの森です。
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%8C&hl=ja&rlz=1T4RNVC_jaJP575JP575&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=fSkuVI_wDJfZ8gW7l4GICg&ved=0CEkQsAQ&biw=898&bih=487



 

日本ではバルジの戦い、ドイツではアルデンヌの森の戦い、として知られている
戦車戦ですね。

ドイツが大規模な戦車隊を集結できたと云う事は、奇襲が成功したと云う事です。
奇襲作戦の成功(初期)の要因は:
1)英米側がドイツには大規模反攻の余力が無いと判断していた、
2)ドイツ側は悪天候の冬季、集中した兵力を隠しやすい森を利用した、
3)ドイツ側の周到な準備(兵力は最終的には足りなかったが)、
の3つでしょう。

1)は末期のドイツに大兵力展開の力はもう無いと見て、この地域には小規模な...続きを読む

Qグデーリアンが「第二次大戦でドイツは勝てた」と言ったのはほんとうですか?

何かで読んだことがあります。グデーリアンは「ヒトラーの滅茶苦茶な指令がなければ、戦争に勝つことができた」そう言っていた、と何かで読んだことがあります。

どなたかこのグデーリアンの言葉を裏付けるような書物をご存じでしょうか? よろしくお願いします。

Aベストアンサー

もうすでにお知りになったように、グデーリアンやマインシュタイの回想録の他、学研の欧州戦史シリーズやパウルカレルの「バルバロッサ作戦」とかがいいと思います。でもグデーリアンの名前を知っていた方ならもう既にご存知かも。

ここからは個人的な考えなのですが、ドイツ敗北の原因をヒトラーの戦略や作戦ミスに転嫁するのは非常に偏った思考だと思います。
確かに責任は決定者であり命令者であるヒトラーにあるのですが、彼の
それらの決定をうながしたり、影響を与えたのはドイツ軍の実質的な司令官たちであるグデーリアンやマインシュタイン、ハルダー、ルントシュテット達であると思えるからです。
あのロンメルも、リビアにとどまり防衛戦を行えと命令されていたのに勝手にエジプトまで進攻したり、モスクワを占領しても戦いが終わる保障が無いのに、ヒトラーに要求し冬季でしかも補給が途絶えがちだった
41年10月無理を承知でモスクワ進攻を実行したのは当のグデーリアン達
だったのです。
アントニー ビーヴァーの「スターリングラード攻囲戦」を読むと自分の名誉と歴史の評価にこだわる冷徹無慈悲なマインシュタインがでてきます。多かれ少なかれ貴族出身の将軍なんて現実はそんなもんじゃなかったのでしょうか?

一貫した戦略構想を持たず、補給という概念を無視しひらめきだけで
大国相手に戦争をしかけたヒトラーでしたが、自分達の名誉欲をかなえるためにそんな人物を指導者に据えて利用したドイツ軍部の将軍達もまたドイツ敗北の原因でもあったと思うのです。
戦時中、軍人や企業家たちは自分達の名誉や所領、利権を獲得するために縄張り争いをしてばかりいました。金食い虫のV2ミサイルや多種多様で量産性の低い兵器はその表れです。
結局、ドイツ人はやくざのようなナチスを利用し、敗北後も責任転嫁で
利用しました。
戦後、ドイツ陸軍の名声を守るためにハルダーも全ての責任をヒトラーに押し付けました。
ドイツ人全体も、個々の戦争責任を回避するためにヒトラーやナチスに
全ての責任を押し付け、自分達も被害者だったと考える様にしました。
こういうことって、例えるなら拳銃を自分で求めて手に入れたのに、その拳銃が他人を傷つけたのは拳銃のせいだとさけんでいるぐらい呆れることだと思います。

戦後すぐのそんな社会的雰囲気の中でグデーリアンやマインシュタインは回想録を書いたのでしょう。
責任は「自分たちにもあった」なんて間違っても書けません。

もうすでにお知りになったように、グデーリアンやマインシュタイの回想録の他、学研の欧州戦史シリーズやパウルカレルの「バルバロッサ作戦」とかがいいと思います。でもグデーリアンの名前を知っていた方ならもう既にご存知かも。

ここからは個人的な考えなのですが、ドイツ敗北の原因をヒトラーの戦略や作戦ミスに転嫁するのは非常に偏った思考だと思います。
確かに責任は決定者であり命令者であるヒトラーにあるのですが、彼の
それらの決定をうながしたり、影響を与えたのはドイツ軍の実質的な司令官た...続きを読む

Qなぜ日本の海上自衛隊の潜水艦が世界一の軍事技術なの

なぜ日本の海上自衛隊の潜水艦が世界一の軍事技術なのでしょう?

米国アメリカ海軍の原子力潜水艦より性能が上な理由を教えてください。

Aベストアンサー

>なぜ日本の海上自衛隊の潜水艦が世界一の軍事技術なのでしょう?

音が静かで深く潜水できるからです。

まず、日本の海上自衛隊のような通常動力型潜水艦と米海軍の原子力潜水艦とでは使われ方が全然違います。

原子力潜水艦は速度が速いが音がうるさい、だから敵に見つかる可能性が高い。
原子力潜水艦の使われ方は、敵を攻撃したら後はバンバン音を出して高速で逃げる戦法。

通常動力型潜水艦は速度は遅いが音は静か、だから敵に見つかる可能性は原子力潜水艦より低い。
通常動力型潜水艦の使われ方は、敵を攻撃したら見つからないようにひっそりと隠れる戦法。

どっちの戦法を使うかですよ。
敵に見つからないようにひっそりと隠れる戦法では日本の海上自衛隊の潜水艦の方が上なんです。

ただ見つかっちゃったらもう終わりですけどね。速度が遅いので逃げ切れない。

Q97式中戦車チハについて

なんかやられメカというか、弱いというイメージが定着してしまい…近年ではへっぽことかドジッ子とかかわいいとかチハたんとか擬人化までされてる97式中戦車チハですが、
本当にそんなに何の役にも立たなかったのですか?

まがりなりにも帝国陸軍主力戦車でしょ?
そんな使えないなら生産する必要すらないじゃないですか。


とあるサイトで、
「チハを撃破しても戦車一両撃破とはカウントせず、戦車砲がもったいないので、戦車砲は使わず機銃のみで撃破し、それももったいないので、塩酸をかけてドロドロに溶かしてしまおうという研究までされてた」
と書いてありました。

更にチハは歩兵の小銃でも撃破可能と書いてあり、本当なら
下手すると歩兵1人にやられるかもしれない戦車ということになります。だって戦車が照準する前に小銃撃ちまくれば勝てますやん、そんなの。
本当にそんな弱かったのですか?
弱かったとしたら、なぜそんな意味のない物作ったのですか?
チハが出現したら、敵兵は小躍りして喜んだのですか?
チハだっ!って戦々恐々したり、潰走したりしなかったのですか?

教えてください。
宜しくお願いします。

なんかやられメカというか、弱いというイメージが定着してしまい…近年ではへっぽことかドジッ子とかかわいいとかチハたんとか擬人化までされてる97式中戦車チハですが、
本当にそんなに何の役にも立たなかったのですか?

まがりなりにも帝国陸軍主力戦車でしょ?
そんな使えないなら生産する必要すらないじゃないですか。


とあるサイトで、
「チハを撃破しても戦車一両撃破とはカウントせず、戦車砲がもったいないので、戦車砲は使わず機銃のみで撃破し、それももったいないので、塩酸をかけてドロド...続きを読む

Aベストアンサー

>まがりなりにも帝国陸軍主力戦車でしょ?

主力戦車っつー概念は第二次大戦当時はなかったのですが、主に生産された戦車であることは間違いないです。
ただ、他の帝国陸軍戦車となると、ハ号こと九五式軽戦車となってしまうので、ますます絶望するほかありません・笑。

>そんな使えないなら生産する必要すらないじゃないですか。

お気持ちは分からんでもないですが、他にまともなものが作れないんだからしょうがない。
ただ開発された1937年当時のカタログスペックから見ると、実はそんなに悪くないんです。あのドイツのIII号戦車と似たようなカタログスペックです。III号A型と比べるなら、あっちは37ミリ砲でこっちは57ミリ砲とスペック上は勝っているのだァ!
・・・ただし、他の人も指摘していますが、あの短砲身57ミリ砲は対戦車戦闘を考えていなかったので、初速が遅く何よりかにより徹甲弾の質が悪くて対戦車戦闘では使い物になりませんでした。
ただ、対戦車戦闘があまり考慮されなかったのには日本軍ならではの事情もあります。何しろ主に相手になっていた中国軍はゲリラ兵の集まりみたいなもので、戦車なんてほとんど持っていませんでした。敵が持ってない兵器への対処法は後回しになるのは仕方がない面はあります。

>戦車砲は使わず機銃のみで撃破し

さすがにそれはあんまりないです。そりゃ場合によっては重機関銃で撃破できたときもあるかもしれないけど、なんせ敵のアメリカ軍にはバズーカ砲っつー威力がありかつ携行性に優れた対戦車兵器がありますので、それで主に対処できたようですよ。

>下手すると歩兵1人にやられるかもしれない戦車

それはないですね。まあちょっとウケ狙いのオーバーな表現をしたのでしょう。

それでね、チハたんが低性能で終わってしまったのはエンジンの馬力が小さいせいだということは私も以前から指摘していました。何しろ、180馬力程度しかない。III号戦車が300馬力、T-34が500馬力、M4の400馬力と比べるといかにも貧弱です。
エンジンの馬力が低ければ、重い車体は動かせない。自ずと、砲は小さく、装甲は薄く、となります。トラックのボディに軽自動車のエンジンを積んだら使い物にならない車にしかなりません。

ところがですね、最近、元日本戦車兵の手記を読んで「あーしまった。それがあったかあ」と初めて知ったもっと切実な内情を知ったんです。
その本に、「チハの重さに耐えられずに、デリックのビームがひん曲がった」と書いてあったんです。調べてみると、陸軍が戦前に助成金を出していた大型船には25トンのデリック能力を求めていたようですが、すべての船がそれだけの性能を持っていたわけではありません。
日本はご存知の通り島国でございますので、どこへ運ぶにも一旦船に載せなければなりません。例え朝鮮半島でもね。それこそ、北海道や九州にさえ船で運ばなければならない。そうである以上、デリックの積載能力の縛りは考慮して設計しなければなりません。
だから仮にもっと高性能なエンジンが開発できたとしても、デリック能力の縛りを受けて重戦車は作れなかったのではないかと思います。

また実際問題としては、太平洋戦線では無敵のキングタイガーの如くに思われているM4シャーマン戦車もいうほど大活躍ではありませんでした。アメリカ海兵隊員の手記には、「戦車は使い物にならない」とはっきり書かれています。日本軍の対戦車砲の偽装が巧みで、「いつも戦車がやられてから対戦車砲があることに気づいた」とあります。
だから米軍戦車も常に歩兵の「護衛」がないと前進できませんでした。なんと、意外にも米軍戦車は米兵に守られながらおっかなびっくり静々歩兵の後ろから前進していたのです。
沖縄戦では、戦車中隊が歩兵の支援なしに単独突入をしましたが、なんとこれまた意外にも一方的にやられて攻撃は失敗。以降米軍は決して戦車を単独で投入することはありませんでした。
日本軍の野戦指揮官そのものが戦車の使い方がよく分からなかったというのも、チハの悲劇を重ねた部分もあったかと思います。サイパンでは、戦車隊が夜襲を命じられて全滅しています。

このあたりの経緯は光人社NF文庫の「サイパン戦車戦」に出ています。文庫本で手に入りやすいし、読みやすいので一読をお奨めしますよ。

>まがりなりにも帝国陸軍主力戦車でしょ?

主力戦車っつー概念は第二次大戦当時はなかったのですが、主に生産された戦車であることは間違いないです。
ただ、他の帝国陸軍戦車となると、ハ号こと九五式軽戦車となってしまうので、ますます絶望するほかありません・笑。

>そんな使えないなら生産する必要すらないじゃないですか。

お気持ちは分からんでもないですが、他にまともなものが作れないんだからしょうがない。
ただ開発された1937年当時のカタログスペックから見ると、実はそんなに悪くないんです。...続きを読む


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