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1967年10月の時刻表を見ていたところ、日立発で水戸線経由、日光行の「常磐日光」に目が止まりました。「常磐日光」は、これ以前から臨時列車として運転していましたが、ウェブ検索でわかる範囲では気動車だった。ところがこの1967年の常磐日光は、日立~小山間9730M、小山~日光間9831M、日光~小山間9836M、小山~日立間9741Mと、列車番号でみると電車なのです。

日光線にいわゆる「赤電」が入ったとなると結構なレアケースですが、その形式がわかりません。というのも、時刻表には「常磐日光」と列車名はあっても「急」とも「準」とも付いていないし、文字も太字になっていない。このときは快速としての運転だったとみられます。急行であればさすがに急行形電車を充てたでしょうが、快速では近郊形電車だった可能性も高い。

車両形式と、できれば編成を教えていただきたくお願いします。

A 回答 (5件)

 常磐日光の経歴を書きますと運転開始は昭和35年頃から臨時としてキハ55(2連)で運転されており、大規模改正であった昭和43年の改正で姿を消しています。

当初は準急として走り、後に急行になりましたが、走行距離が短い事が幸いして、後に快速扱いになり姿を消しました。

 キハ55は準急の運用が中心でしたが、準急の走行距離が少ない列車用に降格使用をされており、電線下を走る気動車は当たり前にいました。私の記憶の間違いでないとすれば最後の年は急行「なすの」と組んでいたので451系は小山駅始発で運転され、他の「なすの」が黒磯駅での運転に対し、白河駅か郡山駅までの運転でした。逆は上野駅まで行き、折り返しは小金井駅までの普通に使用されていました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
キハ55については、日光形気動車が日光形電車157系と日光駅で並ぶ姿を妄想してしまいました(おそらく、日光到着後はいったん宇都宮まで回送していたのでしょうけど)。

お礼日時:2012/01/19 17:08

 鉄道史の研究をしている者ですので回答をします。



 使用車両は451系を使用し、急行「つくばね」の運用の絡みで運転されていました。水戸線内では快速の扱いで運転されており、最初はキハ55系を使用していました。

 相棒の「つくばね」は上野駅始発の急行で末期は勝田駅までに短縮され、急行の運転区間は結城駅までで後は普通でした。この走行ルートが面白く、小山駅を経由しないで間々田駅から短絡線を利用していた唯一の列車でした。短絡線は廃線になり、撤収されてしまいましたので現在は辿る事はできません。

 常磐線の「赤電」の件ですが日光駅までは乗り入れていませんでしたが、宇都宮駅までは入っていましたし、前橋駅、高崎駅へはJRになってからも桐生駅に短縮されましたが乗り入れていました。この時の形式は415系を使用していました。

 

この回答への補足

ありがとうございます。なるほど、「つくばね」絡みの運用でしたか。先日、小山の短絡線跡を訪ねたばかりです。
もしご存知でしたら、「常磐日光の電車化はいつか、また、いつまで運転していたのか(1968年10月号には載っていないことを確認)」を教えていただけるとありがたいです。
キハ55にしても、電化後にもかつての日光型が日光に来ていたというのが興味をそそるのですが、写真はあまり残っていないようですね。

補足日時:2012/01/18 12:23
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この回答へのお礼

ありがとうございました。補足に対してもご回答くださり、大変参考になりました。

お礼日時:2012/01/19 17:01

 ごめんなさい、先にお断りしておきますが、すべて推測です。



 交流電化区間である常磐線及び水戸線と、直流電化区間である東北本線及び日光線を直通運転できる電車は、1667(昭和42)年当時には、急行「ときわ」などに使用されていた451系と、近郊型の401・403系の2種類しかなかったはずです。

 このうち、勝田電車区所属の急行型451系は、基本編成の7両編成と付属編成の4両編成が存在しましたが、そのどちらにもグリーン車(1967年当時だと1等車)が連結されていたのが特徴でした。
 なので、質問者様がお持ちの時刻表でご確認いただき、その「常磐日光」号に一等車が連結されていない場合には、十中八九「401・403系」近郊型電車で間違いないと思われます。
 それも、輸送キャパの問題から、おそらくは4両付属編成が充当されていたのではないかと思います(DC時代は2両編成だった、という記述があったので)。

 ※ なお、東北本線急行用の451系にはオールモノクラス3両編成も存在しましたが、「常磐日光」号のダイヤから見るに勝田仕立てである公算が高いので、多分401・403系であろうと推測します。

 ※ 逆に1等車が連結されていれば、これはもう451系急行型に100%間違いありません。

この回答への補足

詳細で説得力のある推測、ありがとうございます。

「常磐日光」には1等車のマークはありませんでした。……ところが、ですね。その横の急行「常磐伊豆」(平~伊豆急下田・修善寺)にも1等車のマークが無いんです。調べてみると「常磐伊豆」、451系のうち1等車を組み込んでいない3両編成×3で9両編成を仕立てていたようです。画像検索でも伊豆急線内のモノクラス6両編成が確認できました。

http://1632.amigasa.jp/JNR11.html

さらに「ときわ」「付属編成」で検索。すると、1972年までは勝田所属の付属編成もモノクラス3両だったようです。

http://tsc151bonnet.web.infoseek.co.jp/451train. …

となると、「常磐日光」が451系3両編成(あるいは6両編成)だった可能性は小さくないのではないでしょうか。

補足日時:2012/01/17 20:01
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この回答へのお礼

ありがとうございました。質問の時期とずれてはいますが、415系は付属編成にも一等車が連結されていたとは初耳で、興味深く拝読しました。

お礼日時:2012/01/18 12:35

ゴメン、質問の読み間違え。


No1の回答は撤回します。
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この回答へのお礼

気になさらないでください。
リンク先から察するに、湘南日光と勘違いされたのでしょうか?
しょうなんにっこうとじょうばんにっこう、口に出しても紛らわしいですね。

お礼日時:2012/01/17 20:04

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%841 …

「ひびき」を山崎付近で撮影した画像は、今でも保管しています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/01/18 12:35

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