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 斎藤茂吉さんの、下記の短歌の意味を教えてください。




     「石原の湧きいでし湯に鯉飼へり小さき鯉はここに育たむ」


     斎藤茂吉『新潮日本文学アルバム 14 斎藤茂吉』(新潮社、1985)




 上記短歌の読み解き方や、解説がされている文献を求め、
図書館やWeb検索、また、教えてgooなどのQAサイトで同じ質問があるかどうか、
などを調べているのですが、なかなか見当たりません。

 そのため、上記短歌がどのような内容で、どのようなことを言っているのかが分からず困っています。


 湧き出る温泉に、鯉を飼い、その中で小さな鯉が育っている。 といった感じなのでしょうか?


よろしくお願い致します。



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A 回答 (3件)

茂吉は「鯉」という一文を書いているようで、どうも鯉が好きだったのでしょう。


http://www.aozora.gr.jp/cards/001059/files/5074_ …

この文章では深みに居る見えない巨大な鯉に対しての思いと、人間の心の深いところの得体の知れない部分を重ね合わせているようです。

ご質問の歌は
斎藤茂吉歌集(109)(岩波文庫)
ともしび(15)
昭和二年(4)
信濃行
の中にあるというブログをヒットしました。
http://blogs.yahoo.co.jp/jintoku510/45079215.html
この温泉は北信の上林温泉あたりではないでしょうか
http://members.jcom.home.ne.jp/nori07311/jinpyou …
http://members.jcom.home.ne.jp/michiko328/yudana …

石原は温泉が湧いている石原でしょう。
そこに人工的な池があって鯉を飼育しているのだと思います。
北信では食用に鯉を飼う習慣があって、私も昔野沢温泉で毎日鯉を出された思い出があります。今と違って海から遠いところではそうしないと魚はなかなか出せなかったのです。秋田の温泉でも風呂から見えるところに鯉を飼ってる宿がありました。

この鯉は茂吉が想いを巡らした、「逆白波の立つ」最上川の淵底にいるらしい巨大な鯉とは一種の対極なのではないでしょうか。そしてそのような小さな池に居る小さな鯉に、今は小さい鯉だけれど大きくなるだろうと言っているのか、あるいは喰われてしまう運命を哀れと考えて「小さい」と言っているのか。(観賞用ではないと私は考えましたが…)
「む」は推量でもあろうし、「育つがよい」と突き放しているようにも、あるいは小さき者への優しさとも解釈できるでしょう。


助動
(活用は不完全な四段型。[活用]○/○/む/む/め/○)活用語の未然形に付き、まだ起こらない事を想像して述べる語。平安中期以降、発音に従って「ん」とも表記されるようになる。鎌倉時代に「う」の形が生じ、現代語の「う」となる。江戸時代以後、四段動詞・形容詞以外の型の活用に続く場合に「よう」の形が生じた。
1.今より後の事態を推量する。…だろう。古事記下「明日よりはみ山隠りて見えずかもあらむ」。源氏物語若紫「人の国などに侍る海山の有様などを御覧ぜさせて侍らばいかに御絵いみじうまさらせ給はむ」。源氏物語少女「式部卿の宮明けむ年ぞ五十になり給ひけるを」。「泣き出さむばかりの顔つき」
話し手の動作に付いてその実現を思う。(意志・決意)…しよう。万葉集1「熟田津に船乗せむと月待てば」。源氏物語桐壺「朝夕のことぐさに羽をならべ枝をかはさむと契らせ給ひしに」
2.相手の動作に付いてその実現を期待する。(勧誘・軽い命令)…しよう。…するのがよい。…してほしい。万葉集18「居りあかしも今夜こよいは飲まむ」。源氏物語夕顔「いざ、ただこのわたり近き所に心やすくてあかさむ」
3.時に関係なく一般的な推量もしくは空想を表現する。…だろう。万葉集3「こもりくの泊瀬の山の山の際まにいさよふ雲は妹にかもあらむ」。源氏物語帚木「実じちには似ざらめど、さてありぬべし」。源氏物語夕顔「委しきことは下人のえ知り侍らぬにやあらむ」
4.事態を仮定していう。仮想する。(名詞の前に使われる時は多くこの意味に解されるが、これを婉曲とする解もある)もし…であるなら。たとえば…であろう。万葉集4「恋ひ死なむそこも同じそ何せむに人目人言こちたみ吾がせむ」。古今和歌集恋「飛鳥川淵は瀬になる世なりとも思ひそめてむ人は忘れじ」。枕草子7「思はむ子を法師になしたらむこそ心苦しけれ」。「あらむかぎりの力を出す」
適当・当然を表す。…するのがよい。…すべきはずである。万葉集3「言はむすべせむすべ知らず極りて貴きものは酒にしあるらし」。古今和歌集雑「よのなかにいづら我が身のありてなし哀とやいはむあな憂うとやいはむ」
〈広辞苑〉
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この回答へのお礼

詳しく解説していただき、ありがとうございます。


>茂吉は「鯉」という一文を書いているようで、どうも鯉が好きだったのでしょう。
>北信では食用に鯉を飼う習慣があって、私も昔野沢温泉で毎日鯉を出された思い出があります。 …中略… 秋田の温泉でも風呂から見えるところに鯉を飼ってる宿がありました。


斎藤茂吉さんが鯉が好きであるとうかがえる一文や、 Postizos さんが昔野沢温泉で経験された経験者ならではの情報など、質問にある短歌をうたった背景を知る手がかりにもなり、とても参考になります。


憶測ですが、もしかすると斎藤茂吉さんは、温泉宿に泊まった際に、もしくは後に思い出して、この歌をうたったのかもしれませんね。




>この鯉は茂吉が想いを巡らした、「逆白波の立つ」最上川の淵底にいるらしい巨大な鯉とは一種の対極なのではないでしょうか。そしてそのような小さな池に居る小さな鯉に、今は小さい鯉だけれど大きくなるだろうと言っているのか、あるいは喰われてしまう運命を哀れと考えて「小さい」と言っているのか。(観賞用ではないと私は考えましたが…)
>「む」は推量でもあろうし、「育つがよい」と突き放しているようにも、あるいは小さき者への優しさとも解釈できるでしょう。


そういった解釈の仕方もあるのですね。とても勉強になります。
一つ文から、メッセージを汲み取る力や、多面的に解釈する力が養われる気がします。

それと、とても気になっていた「む」にはそのような意味があるのですね。
すっきりしました!


これら教えていただいた情報をもとに、自分なりに読み取った短歌の意味やメッセージを、調整していこうと思います。

Postizos さん、ありがとうございました。感謝しております。




これにて質問を締め切らせていただきます。
ご回答くださいました皆様に、重ねてお礼申し上げます。

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お礼日時:2012/01/25 02:26

たとえば、このような記事を


ご覧に なられませんでしたか

小さな池でジャンボ鯉を目指して
www.takuzushi.com/nishikigoi/sakamoto/sakamoto.html

仙石原 等 で 溪流の脇 等 に
湧き出ているものは ぬるめの
流水で、イオン化していて、
このかたのように 小さな池で
却って 大きく 鯉を 育てられる
のかも しれませんね

湯けむりのたなびく 河原で
爽やかな風が吹くと
鮮やかな赤や 白の 鯉の姿が
ふっと見えて また消えていく
ような 気がします
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この回答へのお礼

おかげさまで解決しました!


hazarさんが、短歌から読み取った想い(ご回答)と、ご紹介いただいたサイトを拝見し、そこからヒントを得て、自分なりに意味を感じとることができました。


 自然界の湧水は、鯉が大きく育つために必要な、3大要素を満たす絶好の場所。

 つまり、自然界のように、色々な刺激(良いことも、悪いことも)がある環境は、小さきもの(弱きもの)も、大きく、たくましく育てる。

 だからこそ、私たち人も同様に、生きていくうえで、楽しいことや、辛いことなど、色々な経験を積極的に積むことがよい。


といったことを、斎藤茂吉さんが、短歌を通して伝えたかったメッセージなのではないかと、私は感じています。


ご親切に教えていただきありがとうございました。

お礼日時:2012/01/25 01:02

これは質問者が感じたことが答えです(ただし言葉を勘違いしていない限り)



質問者の解釈よりも良い(と多くの人が思う)解釈はあります
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この回答へのお礼

迅速なご回答ありがとうございます。


>これは質問者が感じたことが答えです(ただし言葉を勘違いしていない限り)


答えは一つではないということですね。


ただ、「石原」と「育たむ」の、意味が分からず、
言葉を間違って(勘違いして)解釈をしてしまいそうで、困惑しております。


貴重なご意見ありがとうございます。
参考にさせていただきます。

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お礼日時:2012/01/24 18:12

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