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こんにちは。古代の日本では自分のことを何と呼んでいたのでしょうか。江戸時代の頃は「拙者」とか「それがし」とか言っていたのではないかと思いますが、大和時代・奈良時代くらい昔になると皆目見当がつきません。どなたかご存知の方教えて下さい。

A 回答 (2件)

>江戸時代の頃は「拙者」とか「それがし」とか言っていたのではないか



それは時代劇のお侍さんですね。
ちなみに、「それがし」は平安時代には「だれそれ」というような、名前のはっきりしない人、または知っていても明らかにする必要のない人をぼかしてさす代名詞でした。それを鎌倉時代以降になって、男性が自分を謙遜していうときの代名詞に転用したのです。

ま、現代語の「私」に相当する一人称代名詞としては、「あ」や「わ」があります。万葉集ですと、
《万葉集・五・八九〇》 「今日(ケフ)今日と「あ」を待たすらむ」
《訳》今日こそは今日こそはと私を待っていらっしゃることだろう。

《万葉集・一五・三五八〇》 「「あ」がたち嘆く息と知りませ」
《訳》私が立ちつくして嘆いているため息と思ってください。

《万葉集・三・三三七》
「憶良らは今は罷らむ子泣くらむそを負ふ母も吾を待つらむそ」
(おくららはいまはまからむこなくらむそをおふははも「わ」をまつらむそ)
《訳》「私、憶良はもうおいとましましょう。今、子どもが泣いているでしょう。その子を負っている母もきっと私を待っているでしょう。」

《万葉集・一九・四二九一》
「わが宿のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも」
(「わ」がやどのいささむらたけふくかぜのおとのかそけきこのゆふべかも)
《訳》「私の家のほんの少し集まって生えている竹、その竹を吹く風で葉ずれの音がかすかに聞こえて来るこの夕方だなあ。」

一般に、「あ」の方が古い形で、「わ」は改まった形式だといわれています。

そうそう、「やつかれ」というのもあった。これは奈良時代までは男女を問わず、自分をへりくだっていう語で、もとは「やつこ(奴)あれ(我)」の変化したものです。
《日本書紀・安閑》 「また、やつかれ憂へまをすところなり」
《訳》「また、わたくしめは、嘆き申し上げるところだ。」
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この回答へのお礼

詳細な回答大変ありがとうございました。万葉集などの文献を示して頂きながら教えて頂き、大変勉強になりました。「やつかれ」という言い方などははじめて聞きましたが、「やつこ+あれ」という意味があるところなど大変面白いですね。ちなみに自分のことを「わ」とも言っていたという点は大変興味深いです。というのは、以前読んだ井沢元彦さんの「逆説の日本史」第1巻で、なぜ古代日本のことを「倭」といったかという問題が取り上げられていたのですが、日本人が中国人から国の名を問われて「我らの国」と答えたため「倭(わ)」となったという説(卜部兼方・一条兼良・松下見林説)を紹介されていたからです。井沢さんは最終的にこの説を否定されていましたが、古代世界で自分のことを「わ」と呼んでいたのであれば、この説はあながちあり得ないことではないかもしれませんね。それはともかくとして、古代の日本人が話していた言葉を現代にまで伝えている「万葉集」、「古事記」、「日本書紀」などの書物は本当に日本の貴重な宝物ですね。あらためて勉強してみたいと思いました。

お礼日時:2008/08/14 10:54

古代では自分のことは『あ』、相手のことは『な』でした。

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この回答へのお礼

迅速な回答大変ありがとうございました。以前、古代日本では、父親のことを「てぃてぃ」、母親のことを「ふぁふぁ」と呼んでいたということを読んで、自分のことを何と呼んでいたんだろうと思っていました。「わたし」だと3文字と長すぎるような気がして、直感的に一文字ではないかと想像していましたが、相手のことを「な」と呼んでいたということは全く想像外で大変参考になりました。

お礼日時:2008/08/14 10:52

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