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A 回答 (9件)
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No.8
- 回答日時:
No.5です。
★(No.5お礼欄) ~~~
率直に言えば、遍在する知性とは「神」のことです。
> ○ 無明の状態にあったときには 世界がいかにおぞましくても おぞましいとは感じなかった。いま明知が成ったなら いかにもおぞましいと知ったわい。ということでしょうか?
> もしこういうことでしたら その《明知》つまりさとりが まちがっています。
そのおぞましさとたたかうために さとったのですから。
戦うというよりも相手にしないことがさとりだという認識です。
~~~~~~~~~~~~
☆ 次のように考えます。
1. 《遍在する知性 すなわち 神》によって その指先で触れられたとしたなら 泉の水が湧き出るがごとく よろこび勇んで 世間の中にひとは躍り出て行くと思います。
2. 《さとり》について勘違いされています。
★ 戦うというよりも相手にしないことがさとりだという認識です。
☆ 主観の問題だというのは たしかに 大前提なのですが 大方の認識では これは間違いであって むしろ《無関心》は 死です。いのちの死であり 愛の死を意味します。
3. たとえばこうです。
《和光同塵》という見方があります。《無明から明知へ移行した》そのあとの姿勢についてです。
あるいは 《無住処涅槃》という思想も言われています。
▲ (岩波仏教辞典:無住処涅槃) ~~~~~~
大乗仏教では 《無住処涅槃 むじゅうしょねはん》ということが言われる。・・・生死(=迷妄=無明)の世界にとどまることなく かといって涅槃の世界にも入らない状態 すなわち生死煩悩の迷いの世界にもさとりの世界にもとどまらない涅槃のことをいう。
〔・・・この〕思想の背景には あらゆる人びとを救うためには 自らがさとりの境地に入っていては救うことができない といって煩悩に捉われていても救うことができない 自らはさとりの境地を体験しつつもその世界にととまらず 悩み多い人びとの住む生死界にあって活動することこそ菩薩の行である という大乗仏教思想の展開が見られる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
4. 《おぞましき世間》の問題ですが 政治は 高々国民の境地止まりだと言われます。カネに汚いのも共同自治に格差や無駄が入るのも 結果として国民の《さとり》の度合いに合わせたということになるのだと。
ひるがえって考えてみるに そういう大昔からのふるい政治家や経済人に 国民の多くは――その庶民こそがすでに《さとり》を得ていて―― しかもそのふるい人間たちにていねいにつきあってやっているとも言えるでしょう。無住処涅槃だからです。和光同塵の実践であるからです。
このように考えます。
回答ありがとうございます。
>《和光同塵》という見方があります。《無明から明知へ移行した》そのあとの姿勢についてです。
いろいろな考え方はあると思います。
どれが正しいかはわかりませんが、分散して研鑽を積むのはいいことだと思います。
必要と感じたときはお聞きするかもしれませんので、その時は解説をお願いします。
No.6
- 回答日時:
偏在している知性を探しまくっているうちに邂逅し、
無明から抜け出ることは可能だろうとおもいます。
>実際、そういったものってあるのでしょうか?
>まあ、どちらにしろ有る振りをして生きていくのでしょうが・・・
探しまくっておられる気配が見えません。
そんな態度では悟りは遠ざかるだけでしょう。
疑念を挟まず精進されるのが真に悟るための秘訣だと思います。
回答ありがとうございます。
>そんな態度では悟りは遠ざかるだけでしょう。
悟りが何であるか先触れ程でも実感している人間は私も含めほとんどいないでしょう。
ということは、悟りという目標から逆算して行動するというのは実質上不可能だと思われます。
No.5
- 回答日時:
もぐさん これぢゃだめだ。
あれかこれかですべてをかんがえてしまっている。
無明か明知か。明知なら こうか。いや そうではないか。
世界はおぞましいか。それともそうでないか。
拠り所はあるか。ないか。
無明の状態にあったときには 世界がいかにおぞましくても おぞましいとは感じなかった。いま明知
が成ったなら いかにもおぞましいと知ったわい。ということでしょうか?
こんなにもおぞましく見えるのなら もういちど拠り所をみつけなきゃならないという意味でしょうか?
そんなものはないはずだ。でも 有るという振りをしていなくてはやりきれないという意味でしょうか?
そういう状態にあるのは だから
★ 偏在する知性
☆ だという自重のことばにあるのでしょうか?
そうではなく 知性の遍在 ということであって 漢字の打ち間違いなのではないでしょうね?
あらためて 尋ねますが
○ 無明の状態にあったときには 世界がいかにおぞましくても おぞましいとは感じなかった。いま明知が成ったなら いかにもおぞましいと知ったわい。ということでしょうか?
もしこういうことでしたら その《明知》つまりさとりが まちがっています。
そのおぞましさとたたかうために さとったのですから。
まさか さとれば 世界は矛盾も対立もなくなると思っていたのですか?
むろん 自分じしんは すでに やわらがしめられています。矛盾的にして自己同一の状態にあります。
そして対立が見えます。ゆえにこれを解き明かして行きます。これだけのことです。
回答ありがとうございます。
>こんなにもおぞましく見えるのなら もういちど拠り所をみつけなきゃならないという意味でしょうか?
はい。
>そんなものはないはずだ。でも 有るという振りをしていなくてはやりきれないという意味でしょうか?
”そんなものは有るのか無いのか知りようがない。でも”という意味です。
>そうではなく 知性の遍在 ということであって 漢字の打ち間違いなのではないでしょうね?
率直に言えば、遍在する知性とは「神」のことです。
> ○ 無明の状態にあったときには 世界がいかにおぞましくても おぞましいとは感じなかった。いま明知が成ったなら いかにもおぞましいと知ったわい。ということでしょうか?
> もしこういうことでしたら その《明知》つまりさとりが まちがっています。
そのおぞましさとたたかうために さとったのですから。
戦うというよりも相手にしないことがさとりだという認識です。
No.4
- 回答日時:
無明が晴れると、世界を美しいと感じる側にも、おぞましいと思う側にも立たず、ただ静寂の中に安らぐ様になります。
必要とあらば、どちらの側にも立つ事が出来るので、臨機応変に立ち回れたりもします。悟っても相変わらず食事はウマイし、せくすもきもちぃけど、それに執着したり、とらわれたりする事は無くなります。あと、心の拠り所なども、一切必要無くなりますので、有るのか無いのかが良く判らないものを気にする事も無くなります。
回答ありがとうございます。
>無明が晴れると、世界を美しいと感じる側にも、おぞましいと思う側にも立たず、ただ静寂の中に安らぐ様になります。必要とあらば、どちらの側にも立つ事が出来るので、臨機応変に立ち回れたりもします。
おっしゃるとおりではありますが
それは涅槃まで達したときの理論値のようなものです。
質問の仕方が悪かったのかもしれませんが
無明の晴れ方にも清濁の幅があり、明澄度の低い場合にどうするかという趣旨なのです。
No.2
- 回答日時:
仏教経典では『仏』キリスト教の聖書では『神』です。
一人の人間には『必ず一つ存在しています。』言葉にするなら『命そのものの働き』です。
その働く様子を少し挙げてみます。腹が減ったら教えてくれる働きです。
暑い時や水分が足りなくなった時には『求めさせている働きです。』自我意識に『探すように指示さえ出しています。』
高い所に上がった場合では『その高さに応じて』恐怖感と共にその高さの情報を詳しく認識させる方法で『教えています。』
眠る時には、自分に替わって『心も身体も』全ての指揮を取ってくれています。そのお陰で『良く休む事が出来た、或は、ぐっすり眠れた。』と感じます。
心臓も腸も体温も呼吸も、その場その時に上手く適応するように『働いてくれています。』
緊急の場合では『自我意識に取って代わって』自分の命を守るようにしています。上手く切り替わった事によって、『その時の事が記憶にはない場合も在りますし、自分が体を使う時よりも力が出る場合もあります。そういう場合に『火事場のくそ力』と形容しています。
そういう働きが人間の何処に『封印されているのか、分かり易い動画が在りますので』載せてみます、
URL:
この意識(人格)は、人間が『無意識、或は無意識的』になった状態での『自分の身体や心を支配していると考えられます。』
メンタル面が強いと言う場合での『自我意識が出ていない時』に働いている意識という事になります。
自我意識が『この者』と戦っている時に『心と身体が』障害になったという気がします。気持ち的には『心に圧迫を感じる。』と言う意味ですが、人によっては『罪悪感や生き難い想い』と言う感じでしょうか?
この気持ちを『排除しようとする事で』自我意識は、『無意識に入れなくなる場合があります。』
無意識の心の状態に入れないと言う意味は『意識が働いている、或は自我意識が出てしまって、引っ込む事を忘れてしまう、或は意識地獄の状態』になっているという意味になります。
右脳と左脳が共に手を取り合っていない状態が『意識地獄』を作り出しているという意味です。心の矛盾や対立や分裂と言う意味になります。
二つの意識が上手く同調出来たり、交替制が順調に行っている場合を『健常者』と言っています。『心に漠然とした不安を感じていない状態』です。
無明とは『自分自身が分らない、と言う意味ですので。』
無明が晴れれば世界は『山河大地明浄明心』と云う事になります。心に何のわだかまりも無いという意味ですので、『心は何時も澄みきった青空の如しです。』
言い替えるなら『心同士が争いをしなくなる事を意味しますので』何時も心に静寂が漂っていると言う意味になりますので『涅槃』と言う状態になります。
右脳と左脳の間にホットラインが開通したと云う事ですので、自分の心が争う事を止めたと言う意味になります。
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