私、50歳の会社経営者で、既婚者です。
年齢的にも人生の折り返し点を過ぎ、今更ながら、死への恐怖を感じます。
人生のなんたるかも分からない若かりし頃、一度この恐怖に取り付かれ、眠れない日々が続いたこともあります。
自分なりに様様な文献を貪り読んだりし、自分なりの解答を得ようとしました。ある人は、無になる、といい、ある人は、魂は永遠になくならない、という。そして、輪廻転生、つまり、生まれ変わりが続く、という人もいます。
しかし、どうであれ、自分という意識は、この世から消えてしまうということには変わりはないのでは、と思うのです。多くの人の死への恐怖というのは、この自分という意識の消滅、ということへの漠然とした恐れだと思います。肉体が物理的に滅びるということは、誰が見ても明白です。
問題は、自分という意識がどうなるか、ということなのです。
そんなこと、そうなってみないと分からない、ということは、十分承知しています。
みなさんの考えをお教えください。
No.9ベストアンサー
- 回答日時:
30代後半の女性です。
物心ついた時から「死にたい」とずっと思ってきています。
ひと言でいうと「問題児」、小中高ずっといじめられました。学校の先生にも「社会的に生きていけないだろう」と言われ続け(幼~高校の歴代の担任に、です)。
両親のケンカが絶えず、母も仕事(元美容師です)が絶頂の時に妊娠してやむなく結婚した、という話を聞かされて育ちました。
初めての自殺企図は10歳。電気コードで首を絞めました。
とあることがきっかけで、26歳の時に精神科に通い出しました。
ですが歴代の担当医は「なんて病名をつけていいかわからない」。
バイト先や人間関係、いろいろな理由で、過服薬自殺を図ったのが28歳の時。
当時SSRIなど強い薬を処方されていましたので「早く発見されなければ」
望み通り死ねるはずでした。
意識を取り戻して、ある程度人の言葉がわかるくらい回復してから聞かされた話ですが、
10日間意識を失っていて、家族には良くて身体の後遺症、悪くて死を覚悟して下さいと宣告してたそうです。
前書きが長くなりました。
私は質問者さまとは正反対で、「ずっと死にたい」と思っており、実際「死にかけた経験がある」者です。
当時ひとり暮らしでした。発見が早かったというのは、私は意識のないまま実家に電話を入れており、と同時に、家族も私に対して何か胸騒ぎがする…のでアパートに向かったそうなんです。
意識がなかった時は…眠っていたんでしょうね。普通の眠りとは違う意味で。
ちなこにその後の経過ですが、意識が戻ってからは病院が「ええっ?」と相当驚いたほどの回復力で、3週間で「完治して退院」しました。
それから約10年後、やっと正確な症状名が出ました。アスペルガー症候群といい、ざっくり言っちゃうとIQの低くない発達障害です。生まれつきだったんです。
年齢的にも、結婚は諦めた方が良いと言われました(過度のストレスになるため)。
それで自分の生き先をどうしようと考えました。
父が先日、70歳で定年退職しました(60代は高齢者雇用の企業にいました)。母も68歳、どちらもいつどうなるかわかりません。
母は奄美諸島の出身です。母もうつ病(今は不眠症だけが強く残ってるだけですが)で同じく自殺未遂経験者です。
母は、今は亡き祖父母や曽祖母を信仰しています。この時も「まだおまえは来るなって声が聞こえたの」と言ってましたし、65歳で体調を崩し仕事を辞めた時も「もう休め」と聞こえたといいます
あくまで本人が主張してるだけですが、話を聞いていて「ああ…私もそうしたいな」と思いました。
「生まれつきの問題児」で迷惑をかけたし、今も養えてあげられないから、色々差し引いても両親には感謝しなくてはいけません。
今東京郊外のベッドタウンに住んでるので、もし親が他界したら、できれば近郊の霊園で(原付と車の免許別々に取れました)、質素な代わりに私でも清掃できるようなお墓が良いな…と思ったり
(母もむしろそうしてと言ってます、末男・末女同士なので、本家の墓には入れないし遠すぎます)。
もっとも、兄がいるので要相談ですが。
質問主さまの存在、魂は、こういう形で「生き続ける」ことができるのではないでしょうか。
私はー…きっと、良くて生活保護、悪くてホームレスの老後が待ってるでしょうね、質問者さまのお年頃には。やはりまだ死にたいと思うと思います。命に関わる病気になったら「ラッキー!」と思うかも。
でも質問者さまには私のようになる心配はないだろうし、時間とお金の許す限り、やりたいことをやって「我が一生悔いなし」と飽きるようになれば少しは怖くなくなるかも…?
「問題児」を克服したくて、とある通信制短大を先月卒業したばかりですが、60代半ばで通われてた方いましたよ。
これで最後にしますね。
質問者さまは私なんかより文章のうまい方だなと思いました。
ご自身の生きた証、思考、人生などを文章にされるのはどうでしょうか?
もちろんちゃんと印刷して冊子にするのです。電子データとしても残して。
一度死にかけた身でも、死んだらどうなるかわかりませんでしたから。
形に残しておけばご家族や友人知人が、質問者さまの「生きた証」に触れられますから。
長文駄文ですみません。
深く考えすぎて、恐怖症にならないことを祈ります。
ご回答ありがとうございます。
自らの壮絶な半生を綴っていただき、本当に感謝しております。ご回答者様は、魂と呼んでおりますが、私の言う意識と同じ意味だと思います。祖父母から、親、自分、そして、子供たちへと、受け継がれていく連綿とした何か。そのようなものを魂というのでしょうか。もちろん、その通りだと思うのですが。私が言っているのは、そのようなことというよりも、生から死へと、進んでいく過程の中で、私の意識が物理的にいったい、どうなっていくのか?何か意識という未だ未知の物質が人間の体のどこかに存在しており、死をきっかけに人間から離れていっているのではないのか。そのように考えている、というより、考えたい、のです。
No.11
- 回答日時:
再び・・
虹の階梯―チベット密教の瞑想修行という本が、あります。
チベット仏教の教え、秘儀と瞑想方法が、記載
ポアの瞑想も、この中に記載されています。
→http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_ss_i_2_2?__m …
>私のような邪な人間は、天界ではなく、どこに召されるのでしょうか?
普通の人は、五戒を守らず、嫌悪を主従し、むさぼりを愛し、愛着を求めています。
したがって、人間以下の世界に転生とゆわれています。
>なぜ輪廻転生が存在する理由が、宗教がないこと、なのでしょうか。
輪廻転生を否定している宗教は存在しません。
そういう意味で、チベット、インド等では
輪廻転生を肯定してます、これの逆をいったのです。
>また、来世が人か猫というのは、どうして分かったのでしょうか?
自分のバルドーの傾向を、感じてるだけ
バルドーでは、繊細な世界ですから
猫が、好きなので、猫のビジョンに飛び込む
可能性が、ある、そのためです。
なお、バルドーとは、来世をつなぐ中間状態のことと、ご理解ください。
本題に戻って、死が怖いなら
上記に紹介した、本を買って、読んでください。
読めば、私が、何を言っているのが、わかります。
一応、五戒守って、徳、善を積んでいるので
来世は、心配してません、わたしは。
以上
再びのご回答ありがとうございます。
私思うに、輪廻転生というのは、思想というより、制度だったと考えております。
まだ現代ほど法制度も科学も発達していなかった頃、為政者が社会に蔓延していた強盗や殺人などの重罪を未然に防止するためには、各人のモラルに訴える部分が大きかったのでは、と思います。つまり、
人を殺めた人間は、次に生まれるときは、ミミズなのだよ。人のものを盗んだ人間は、次は蜘蛛になって
生まれてくるんだよ、と。当時は、現代ほど、庶民の教育レベルは高くなかったはずであるから、
そのような考えは、当時の人々の心の中に深く根ざし、犯罪を踏みとどませる動機として十分な機能を果たしていたのでは。と考えます。このような恐怖に基づく記憶というのは、人々のDNAに深く刻まれ、現代の私たちの意識のどこかに連綿と残り続けているのでしょう。これが、現代になっても、輪廻転生説が
受け入れられている所以である、と思っております。
No.10
- 回答日時:
簡単に、回答してみます。
結論、ゆうと、輪廻転生は存在すると思われます。
理由は、天界、地獄といった
宗教上の世界観が、存在しない
宗教が、ないこと。
ちなみに、私はいまの状態だと
来世は人間か、猫だろうと思います。
ちなみに、死の宣告、予感が、あったなら
瞑想等で、意識をポアし、できるだけ
高い世界に行くべき、準備を始めます。
又、宗教的な話で申しわけないのですが
天界へいく条件は
不殺生、うそをつかない、不邪淫、物を盗まない、不飲酒
この五戒です、あとは、徳、善を積むこと
死を恐れてもしかたありません。
死の準備として、五戒を守ってはいかがでしょうか。
それで、死の恐怖はなくなります。
なぜなら、天界への道を進むわけですから。
ちなみに、天界への道、目標であり
決定ではないので、あしからず。
輪廻転生を割り切ると、楽になりますよ。
私は、来世、猫かもしれないが
少しづつ、バルドーを変えて以降と思う。
だから、落ち着いているのだけど。
以上
ご回答ありがとうございます。
>>不殺生、うそをつかない、不邪淫、物を盗まない、不飲酒
この五戒です、あとは、徳、善を積むこと
う~ん…。私には五戒は守れそうにないですね。
私のような邪な人間は、天界ではなく、どこに召されるのでしょうか?
少々ご質問なのですが、なぜ輪廻転生が存在する理由が、
宗教がないこと、なのでしょうか。
また、来世が人か猫というのは、どうして分かったのでしょうか?
前にも述べたのですが、輪廻転生した場合、かつての私の意識は
完全に消滅し、全く新しいなにかに生まれ変わるのでしょう。
それはそれで素晴らしいことなのですが、
私が恐れているのは、意識の完全消滅ということなのです。
ですから、輪廻転生が事実あるとしても、私の心の安寧は得られません。
No.7
- 回答日時:
以前、随想まがいの雑文を書いたことがありました。
ご質問の内容と幾分か共通する部分がありますので、半分ほどに縮小したものを下記いたします。私は死ぬのが怖い。
人間の脳には一生に一度しか働かないところがあるという。大脳の側面にある小さな間隙「シルビウス裂」と呼ばれる部位である。で、一生に一度というのがいつかというと、それが何と人生の最後の一瞬、つまり死を迎える時なのである。完全に死んでから生き返った人はいないので定かではないが、生から死へ渡って行くその間に、人間はえも言われぬ恍惚境を体験するものらしい。死の途中まで行って生き返った人たち、つまり九死に一生を得て奇跡的に黄泉の国の戸口から戻った人たちの話を要約すると、ほぼすべてに大同小異共通することであるという。その臨死体験における恍惚境の存在が、くだんのシルビウス裂の作用によるものであると推測される、というわけである。
その次第は、例えばこうである。「暗闇の中に一筋の光明が見えるのでそれを目指して進んで行くと、急にパッと視界が開けて一面に美しい花の咲き乱れる場所に出る。花園の彼方には小川が流れており、その彼岸には先に逝った親類縁者がいてこちらを見ている。彼らの和やかな表情や周囲ののどかな雰囲気に誘われて彼岸へ向かって進みかけると、お前はまだここに来てはいけない、帰れ帰れ、と手で合図するではないか。それで仕方なく戻ってきたのだが、その時の自分としては先へ進みたかった。なぜなら、そうすることが気持ちよかったから。それはそれは快適で、のどかで、うっとりするような状況であった。云々」
(…)それでは、そのシルビウス裂とはいかなるメカニズムによって作動するのであろうか。もちろん推測の域を出ないが、これはおそらく『コンセントに差し込んだ非常灯』のように、周囲の活動が停止した時に初めて作動するような仕組みになっているのに違いない。すなわち、シルビウス裂は一番最後に死ぬか、自家発電ないし蓄電機能を備えているかのどちらかである。私は大脳生理学などに関してはまったく無知なので、ぜひその道の専門家にお尋ねしてみたいところである。
(…)しかし、うっとりするような恍惚境がある一方で、断末魔の苦しみがあるということはどう説明されるのであろうか。推測するに、断末魔の苦しみはすなわち肉体の苦痛であり、肉体の苦痛はそれを感じる主体すなわち脳が活動を継続していて初めて苦痛として感知される。要するにその段階では脳は生きている。したがって脳に死因のある場合を除いて、通常は断末魔が先で、それに恍惚境が続くと考えられる。つまり生と死の接合部は二つのスペースに分かれており、生に近い側に断末魔が、死に近い側に恍惚境がある、ということになる。
では断末魔の存在理由は何か。また推測を重ねるが、生の崩壊が始まったばかりの段階では、いろいろな程度に蘇生の可能性がありわけで、そこで神は、肉体的苦痛という形で当人に回復・蘇生を促している、と理解することができよう。肉体がさいなまれる時、人は神の心知らずでこの上なく神を憎むが、一方神は当人の闘争心を鼓舞すべく、心を鬼にして「戻れ、戻れ、戻れ!」と叫ぶのである。神が「もはやこれまで。組成の可能性なし」と見た時は彼を速やかに恍惚境へといざなう、のである。
例えば凍死の過程を見ると、始めは激しい肉体的苦痛に襲われるが、それを過ぎると今度は一転睡魔がやってくる。脳死の始まりである。例の恍惚境の体験はここでなされる。脳死の進行過程も、おそらくは肉体により近い菱脳に始まり、次いで小脳や中脳・間脳へと移っていくのではないかと推測される。そして最後に、大脳の残りの部分―例のシルビウス裂の所在部位が活動を停止する時に、生のすべてが終焉し、死が完了する。シルビウス裂は、つまるところ、魂が肉体から遊離する時のへそであり、『魂の通り道』なのである。
死期がそう遠くないと予感する私は、これで幾分か死の恐怖から開放されたような気がする。(…)しかしそれでもなお、私は死ぬのが怖い。
ご回答ありがとうございます。
広い見識と深い洞察。とても興味深く読ませていただきました。死の直前の強烈な痛み、苦しみ、そして、そのあとに続く、うっとりするような恍惚境。あまりにも出来すぎており、計算しつくされています。今更ながら、神の存在を信じざるを得ませんね。
No.6
- 回答日時:
「意識」がどこに存在しているのか?ですよね。
「意識」が脳内に存在しているのなら、死んだだけではまだ残っているかもしれませんが、焼いたら消えてなくなります。
それは脳内だけでなく肉体のどこかに存在していても同じでしょう。肉体がなくなれば意識も消えます。
もし「意識」が肉体の外に存在しているとすれば、それは死んでも消えないでしょう。
が、その「意識」を認識できる「肉体」が死んでいれば、残った意識の活かしようがありませんから、結局は消えたと同じです。
その「意識」が他人の肉体で蘇えったとしても、それはもう「自分」ではないのですから。
SFの世界では「新しく生まれる生命体に意識を受け継がせる」みたいな話もありますが
50歳の人間の意識が0歳の子供に移せたとして、それは「自分」と言えるのでしょうか?
>そんなこと、そうなってみないと分からない、
ではなくて、どうすることもできない、のだろうと思います。
それに、死を迎えた時の恐怖や苦しみを持ったままの「意識」で新しい肉体に蘇えるとするのも、私は嫌です。
ご回答ありがとうございます。
<「意識」が脳内に存在しているのなら、死んだだけではまだ残っているかもしれませんが、焼いたら消 えてなくなります。
そうなんです。人は亡くなると、焼かれて、灰になってしまうのですが、もしも、もしもですよ。
脳の中のどこかに、まだ発見されていない超意識という部分が存在しているとします。
長い苦しい人生の旅路を終えて、やっとその超意識が肉体という楔から解放されるときがきたというのに、とんでもない高温で焼かれ、跡形もなく消えてしまっているとしたら。
No.5
- 回答日時:
私も死に対しての恐怖心は幼い頃からありました。
色々な説があり、実際に生きて戻ってきた人も居ないので本当の事はわかりませんよね。
死にかけてお花畑を見たとか、三途の川を見たと言う人もいれば、地獄とはこの現世にありと言う人もいます。
私は、考え方を変えました。
子供が例えば23歳で、私が50歳 とします。
子供が生まれて、その子が育つまで色々な事があって23歳になりました。
その時間よりもっとこれから生きる事ができると思うと長く感じませんか?
私はその与えられた時間を大事に生きようと思います。
死への克服にはならないでしょうが、私の思いを書かせていただきました。
No.4
- 回答日時:
正直に言って、死ぬ寸前までは恐怖は感じないでしょう。
確かに、意識というか人格と言うのでしょうか?
それは間違いなくなくなるでしょう。
死んで見ないとわからないとしか言いようがないし
死んだら意識(人格)がなくならず
先に死んだ会いたい人とかに会えると考えるようにしています。
そのうち、人格を移植出来るようになったりして。
ご回答ありがとうございます。
<<正直に言って、死ぬ寸前までは恐怖は感じないでしょう。
そうでしょうか。私は、先の見えない恐怖に、大きな恐れを感じる、と思うのですが。
No.3
- 回答日時:
死は生理現象です。
腹が減るように、眠くなるように、体がそう望む時が来ます。あなたはその時、当たり前にごく自然に受け取って、逝きます。そういう生理が人の体に備わっています。あなたの意識は見守る人が受け取って、解放させます。残る人に任せて下さい。死を悼むのは、残された者の役目です。誰かに預けて任せられるような生き方を選択して下さい。
ご回答ありがとうございます。
>>あなたはその時、当たり前にごく自然に受け取って、逝きます。
そうありたいのですが、私は死ぬときは、かなりジタバタしそうです。
死にたくない、死にたくない、と。ですが、これも死にゆく人間の自然の姿かもしれません。
No.2
- 回答日時:
30代です。
子供が生まれ、私の爺さんや親父がしてくれたようなことを、今度は我が子にするようになって、私自身が爺さんや親父と重なったような感覚を覚えるようになりました。
爺さんが幼い私を見るときも、こんな感じだったのかな、という風に。
この感覚が、次の世代へと受け継がれていくものであって、私の子や孫、遠い子孫も、我が子を見つめて同じように感じ同じように過去からの系譜に思いをはせるなら、私の認識自体も、過去から連綿と受け継がれてきたものであって、あたかも不滅の存在であるかのように感じます。
その感覚、その思いこそが、最も尊いものだと思います。
その思いがあれば、人間は次の世代に襷を渡し、満足して死ねるのではないか、と思うのです。
自分の意識は、我が子を正しく育てることができたならば、その何割かが次の世代に連綿と受け継がれ、不滅の魂を得るのだと。
だから我が子を厳しく、大切に育てたいと思うのです。
ご回答ありがとうございます。
女性の方でしょうか。そうであるならば、いかにも女性ならでは、のご意見ですね。
とても美しさを感じました。
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