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または変化ですか

A 回答 (27件中1~10件)

「分かる」というのには、レベルがあります。


この花なに?→ひまわり→わかった。
これも、レベルは低いかも知れませんが「分かる」のひとつです。

もう少し、深い「分かる」についていうと、

その1:ものごとの原因まで見えること
(説明するまでもないかもしれませんんが、原因を理解すると分かり方のレベルが深まります。)

その2:ものごとの傾向が見えること
(こういうものには、こうなる傾向があるな。…というように、ものごとを一般化できるとレベルが深まります。)

その3:ものごとの意味が見えること。
(それは、こういう意味があるんだ…ということです。)

さらに深い分かり方もあると思いますが、上の3つでもかなり「分かる」です。

分かりましたか(^_^;)。

この回答への補足

これはこれでBa候補

補足日時:2011/08/29 01:47
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この回答へのお礼

これは分かりやすい! ヒントになりました1 謝1

お礼日時:2011/08/28 22:41

他の方の意見をつまみ食いしつつ…。



1.わかること。

地動説、万有引力、光速度不変、…。
我々は、新しい概念(ツール)を生み出すことで
世界をより深く知りました。

がむしゃらな経験、論理の帰納や演繹、
数学における座標軸や補助線も同様です。

我々は、人間としての感覚や知性をもって、
世界を理解します。逆に言えば、
意識や認識に則った方法や概念でなければ、
理解し得ないということです。
それ以外のことはわからないということですね。
存在すらあやしいと言えます。

2.わからないこと。

対象を意識すれば、その他のことが
意識から外れ、ボヤけてしまいます。
わかっていたはずのことが、目を離したスキに
わからなくなっているのです。
意識すればするほどボヤけるなんてものも
あるかもしれません。

一度わかったと思ったことを、バラバラにして
わからない状態にし、再び別の形に組み上げる。
そんなことの繰り返しが理解なのかもしれません。

何を意識し、何を対象に選ぶのか。
その時点で、無限の選択肢から
答え(わかるわからない)を選んでいるとも言えます。

物理学の観測問題というのも、
わからないことがわかる、いい例ではないでしょうか。
エネルギーを測ると位置がわからない。
位置を測るとエネルギーが不明になる。

不確定性原理、ツイスター理論、超ひも理論…。
いろいろな試行錯誤が繰り返されて、
新しい理解を目指します。

ひとつの行き止まり。思考停止。
しかし同時に、状況を打破する新しい概念を
創造する第一段階とも言えるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

知と無へ混淆

お礼日時:2011/08/31 14:47

辻褄が合っていないことを意識することです。

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この回答へのお礼

間接で知

お礼日時:2011/08/30 15:08

めずらしく?、フアン、じゃなかった回答者が多いですね。


質問の意味が
課題を抱えて眠ると、朝には答えが出ている。というような、
目覚める、悟る、知恵が作動する。
というような状態を聞いているのか?
知ることが出来ない、解らない自己、を認識する。
ソクラテスの「無知の智」、あるいは釈迦の「己を陽炎泡沫の如きもの」
との自覚、認識、はどういう状態かを聞いているのか?
私には判りません。
いずれにせよ「困た」というほどの事でもないと思います。
「人間は知らない事を考えることは出来ない」と、誰だったか(オーストラリアの哲学者?)
言っていたようですが、知らないことを考える、解らないことを
(自覚なしに)考え、に答えに気づく、のが知恵、の意味もありますよね。
友人の(嘘ですが)ニュートンが、万有引力を発見した時。
何が解ったのか、何処が知恵なのか。
リンゴが落ちるのを見て、引力を発見した。との話しもあるように。
気づいたのは、距離と引力は同じものであり一体のものである。
距離×引力=単位 単位=質量 という事なんですね。
それに気づけば、二つの質量に働く重力は
重力=m1m2/r^2  となる。
あとは、月の運行を観測し、接線方向からの落下距離、これが重力である、と
誇らしげに書いている、との解説もありましたが。
距離=引力 である事にきずけば、あとは、観測と数学力で定数を算出する。
のは、知識、技能、ですね。
距離=引力 距離×引力=1 というのは、誰も知らない事、
気づかない事。ですよね。
それに気づいた事によって、ニュートンは
自分が知り得た真理は砂浜の一握りの砂でしかない。大海には未知の世界が
ひろがっている。との認識に変わった。
わからない事を解るとわからない事が増える。
だから人は本当の事は知りたがらない?

すが
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この回答へのお礼

解釈するまで回向

お礼日時:2011/08/30 15:08

量子論的世界像において、不完全な認識による現象表面


的な定性化によって、有限的な存在性は生じている。
即ち、無いとは分からない事が、存在する事。
そこに在ると思っていたものが、実は無いと理解する事。
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この回答へのお礼

凝縮された知性に謝

お礼日時:2011/08/29 19:24

ようやく「わかりました」。


ですが、こちらもスキルオーバー気味です。

1.言葉、関連付け、比喩、…あらゆるツールに
適当な手持ちがないこと。

対象を分析すればするほど、
複雑多岐になっていく構造の理解。

2.前述の建造物の周りに浮遊する、
関連付けできていない微粒子。

諦め。
言葉遊び。
論理の迷宮。
わかることの裏返し。
忘却にも似た知の分散消失。

3.>分からないまま確保
そのままではないでしょうか。

あるいは、取っ掛りがない壁。
「困た」そのものの状態。
変化というよりは思考停止。

名前をつけたり、情報を構築したりしても、
未だに未知の空間に浮遊している自己を
確認する作業。

ただの散文にすぎません。失礼しました。
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この回答へのお礼

鑑みて知る新た

お礼日時:2011/08/29 01:45

例えば・・・


楽器演奏などで、過去に暗譜しているはずの曲などが、脳の引き出しのどこかにインプットされているはず、なのだけれど、その日の体調や日頃の練習量などにより、スムーズに出てくる時と出てこない時があったりします。

スムーズに出てこないと、分からない・・・しかし 突然出てくることがある、と、分かった。
それ以降、スムーズに出てくる、分かる、、、ことが多くなります。

つまり、頭で考えて記憶しているのではなく、脳で手の指を通して感じて、身体の感覚に記憶させているので、頭でいくら考えても分からない、ことが 感覚が蘇って、分かるになる、ということがあります。

変化かも知れません。

他人が言葉にしていない思いについて、空気読んで、その気持ちを言葉なしに読み取る、というのも近い状態かも知れません。
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この回答へのお礼

時間と意識の仕組みも疑問になりました

お礼日時:2011/08/29 01:20

NO,8 です。


補足を頂きましたので、もう一度チャレンジします。

>この問は読手の意識構造で解釈幅広

これは私の解釈が物足りなかったということでしょうかね。

さて
>>分からないことがが分かる 

昨日分からなかったことが、今日分かったとしましょう。

どんな変化がこのときに起こったのか。

どんな人でも既に分かっていることはあると思います。

それを私はそのひとが「現在持っている知識要素で理解できるもの」としました。

これをもっと平易に言えば、現在持っている知識であなた自身が説明できるもの」もっと砕いて言えば「現在持っている貴方の理解している語彙の組み合わせで自分なりに説明できるもの」ということになります。

新しく分かったものとは、そのいいかたでいけば「これまで理解できている語彙同士の新しい組み合わせが貴方の記憶の中で出来た」ということではないでしょうか。

そういうことを言いたかったのです。

まだ解釈がずれているかもしれませんが、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

質問者の日本語がまずかったです
質問はつまり
分からないということを把握している状態
もしくは
分からないということを認識した瞬間
これらは何かということです

お礼日時:2011/08/29 00:29

わかりやすい方向…になればいいのですが。



対象に名前を付ける。
名前と名前の関連を見つける。
関連からより大きな構造を見出す。

ときには分解したり組み立たてたり、
置き換えたり比喩にしてみたり、
様々な技法を使って抽象化して、
現実からエッセンスを抽出する。

それがわかることではないですか。

そうやって、自分の中に現実世界を投影する。
現実により近い、知識の建造物を造る。
はじめはバラバラでデタラメで散文的なものが、
成長と共に組織を構成するようになる。

その現実を模倣した建造物が、
自意識の中に建っているのか、はたまた、
その建造物のひとつが自意識なのか。
そこまではわかりません…。

無限の選択肢の中からひとつのエッセンスを
選んでいるのは、自分自身かもしれません。
だから気づくことや理解することに個人差が
出るのではないでしょうか。

さらには、可視または不可視の構造を
見抜くことによって、直感的に理解することも
可能になるのではないかとも考えます。
これも個人によって経験の差が出ます。

わからない(理解不能である)ことがわかる。
これについては、「無知の知」に通じます。

想像力や理解力は無限だとしても、
世界を知る技術には限りがあるのが現状です。

理解できる範囲だけで生きるのは困難だし、
あるがままを受け入れるのもまた困難。
世界を丸呑みするのと、世界に丸呑みされるのは
似ているのではないかというのが、個人的な認識。
それができたら、たしかに気持ちいいかもしれません。
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この回答へのお礼

No.21さんのお礼欄にほそくしました


ええと
ともかく質問者は自分自身よくわからないです
困た!

お礼日時:2011/08/29 00:31

それが何であれ、 》分からないことが分かる《 と 気持は明るくなります。



ですので 多くのことが分かるようになると 人柄も明るくなってきます。

分かることによって 苦悩に陥る時もあります。

でもその闇を突きぬけて さらに分かる 時には、その明るさは より確かなものとなると思います。

哲学の目的のひとつは

そういう脳の状態 またな変化を求めているのだと思います。

この回答への補足

修辞法が適切性を欠いていると感じます
正直言ってあなたの記事全般に言えることです

善意は読み取れるけど 表現はおかしいとおおもう

ましかし
頭の整理という目的に益にはなりました

どうぞよろしく

補足日時:2011/08/29 01:51
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この回答へのお礼

ですかね

お礼日時:2011/08/28 20:04

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