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または変化ですか

A 回答 (27件中11~20件)

 ANo.1


 お礼欄のコメントを拝読しました。
 私は、自分の考えるところを余計なことばを使わずに、真面目に真底から書きました。哲学カテでの余計なおしゃべりは無意味と思いまして。
 戴いたコメントを私は意味を受け取れませんでした。
 コメントにある語で検索をかけましたが私の回答との関連性を理解できませんでした。
 私の回答も多分、理解してもらえなかったのだろうと申し訳なく思います。
 私は、もし何かあれば補足での更なる行き来があるかと存じておりましたが、致し方ありませんでした。
 皆さんのご回答も一応拝読させていただきました、私自身も非常に関心を持っているテーマでしたから。
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この回答へのお礼

少ない知恵で全力なので上手にはいきにくいです

お礼日時:2011/08/28 17:16

定義の定義などは自分で調べることでしょう。

他人を試すための質問は頂けませんね。
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この回答へのお礼

一人ひとりの考えをお訊きしています

お礼日時:2011/08/28 17:15

>気持ちよ存在するための工夫<ですか、難しい質問です。



釈尊は、最も楽な生き方は、中庸に生きなさい。
「あるがまま」に生きなさいと言うことだと思いますが?

人間は、社会、国家を自分達が生き残るためにつくり、宗教
法律を作りました。

其の社会で、自分が生き残るためには、まづ法律を守らなければいけません。
そして、自分で考えて楽しく生きることをしなければいけません。

まづ、人に優しくした方が生きやすいでしょう。
そして、働いた方がお金が得られ、物を買えるでしょう。
病気ならば、国に頼んで、援助してもらえばいいでしょう。

兎に角、誰もが、生きるために一生懸命だということを理解して、そのために
行動しているんだ、だから誰も悪くない。
ただし、法律を犯すものは、社会から除外される。
法律を守り、自分の幸せを追求することは、全て良いことなんだ。
そのためには、他の人に優しくした方がいい、貴方が、悪いと思うことをしている
人は、聞き流せばいいんです。ただ、貴方の労働に対してお金をくれる人は、
悪い人ではありません。
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この回答へのお礼

無用な衝突を回避します

お礼日時:2011/08/28 17:15

回答ではありません。

アドバイスです。

時間をかけて言葉を転がすこと。

自分の言葉や感覚に置き換えて経験すること。

恋愛のように、生の経験で語ること。

そしてよく眠ること。あとは夢が処理してくれます。
世界を丸呑みする夢を…。おやすみなさい。
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この回答へのお礼

言語記号と自意識は別物ですよね

お礼日時:2011/08/28 17:14

こんばんは。



>分からないことがが分かる<これがソクラテスの「無知の知」の言葉を意味しているのなら、
自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い。真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まる。(ウィキペディアより引用)

axia7さんは、「真の知への探求」をしたい状態なのかな?

 
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この回答へのお礼

気持よく存在するためのくふうです

お礼日時:2011/08/28 01:24

処理枠?…本当に?



わかることがわかるなら、その裏返し。

わかることもわからないなら、質問が違う。

この回答への補足

みなさんへ
ご回答も文量も多くて読解消化おいつきません
ば 選ぶ能力足らないですよ
こまた

補足日時:2011/08/28 01:15
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この回答へのお礼

始点 
回帰 
開放端

お礼日時:2011/08/28 01:08

分からないままに分かる、という事です。


推測の及ばない未生の事象が知らされることは、個人の意識外の働きによってもたらされるものです。
それは、意識における能動性が受理できないものを、感性が捉えた結果だとも言えるものです。
これらは、感性における直観の働きが把握したものである場合と、そうでない場合があります。
そうでない場合とは
客観的事象により、直接に感覚を通して知らされるものです。
感性の働きにおいて、前者は直観によるものであり、後者は感覚によるものです。
前者は一般的に「閃き」と呼ばれるものであり、後者は主に視覚と聴覚による「感受」です。
後者における場合は即物的なものとも言えますが、一般的には有り得ない事と解されるかもしれません。
しかし、それらが示すものを明らかな結果として受け止めざるを得ない場合があります。

共通しているのは、それらがもたらす認識は、個人の意識外の働きによってもたらされたものであるという事です。
個人の意識を含む、より大きな立場から見返せば、全ては必然的なものでありながらも
個人においては偶然としか認識されないものなのだと思います。

変化とは、正にその中において個人が体験しうるものです。
その内容は割愛させていただきます。

超心理学のようになってしまいましたが、多少の体験を持つ者としてお話させていただきました。
ご参考になさってください。

この回答への補足

高度です

補足日時:2011/08/28 01:21
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この回答へのお礼

置き場や時

お礼日時:2011/08/27 23:59

バラバラだと思っていたものが、蜘蛛の巣のように繋がる。

この回答への補足

補足日時:2011/08/28 01:22
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この回答へのお礼

間欠泉

お礼日時:2011/08/27 23:58

解ることと、解らないこととの区別が


つくようになった、ということでしょう。

この回答への補足

文字通り

補足日時:2011/08/28 01:23
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この回答へのお礼

時間の地図

お礼日時:2011/08/27 23:57

ある意味自分のものになったということでしょうか。


自分が現在持っている知識要素に溶け込んだ、消化出来たともいえると思います。

この回答への補足

この問は読手の意識構造で解釈幅広

補足日時:2011/08/28 01:25
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この回答へのお礼

分からないまま確保

お礼日時:2011/08/27 23:54

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