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若手論客の方々の対談を聴く機会があって、頭の良い方々の議論を聴くのは刺激があってそれはそれですごく楽しいのですが、自分なりに色々疑問とか違和感も湧きました。

地域地域の共同体が崩れて、これから新しい共同体の形を模索できないだろうか、国家と個人の間に入る、理想的な中間共同体は無いだろうか…というような議論があって、1人の方は、ネット上で同じ趣味の人同士がつながって趣味共同体みたいなのができればそれでいいんじゃないか~みたいなことを言っていました。

またもう1人の方は、人間生活の元々の形態は農業だから、農業社会の再生を~みたいなことを言う人がいるが、難しいんじゃないか~とか、人間の歴史は○○年代まで農業社会で○○年代まで企業社会でそれもだんだん崩れてきて~みたいなことを言っていました。

やっぱり評論家みたいな人たちってこういう議論が好きなんだな~と思いながら聞いていたのですが、やっぱり違和感がありました。

ネット上で多くの人がつながれる、というイメージ自体は私も好きですが、それとは別の話で、現実の社会の大多数は、いまだに企業共同体、しかないと思うのです。

今までの時代は企業のつながり、お金のつながりを通してしか、人は徒党を組めなかったけど今からは違う~みたいなことを言っておられたのですが、実際そうかな…確かにネット等を通じて、新しいコミュニティみたいなものが少し芽生え始めているかもしれませんが、実際大多数の人は、学校を卒業したらもう企業の社会に絡めとられてしまっている、と思うんですね。

これは高度成長期、バブル前後、から、別に今もそんなに変わっていないと思うんです。

なんとなくバブルが崩壊してから何年もたって、ネットが登場して、リーマンショックでアメリカの凋落とか言われたり世の中が大変化しつつあるような印象がありますが、世の中の大多数の人は依然「資本主義」の論理の中で生きていて、組織の有無を言わさぬ圧力のもとで忙殺に近い生活を強いられている人が大半じゃないか、と思うんです。資本主義の次は○○主義だ、とか、農業社会、企業社会の次は○○社会だ、みたいな言い方をする人がいるようですが、資本主義も企業社会も全然終わっていないと思うんですね。

そういう感覚が、頭が良いはずの評論家、学者の方はもしかしたらちょっと分かっていないんじゃないかな~と思いました。

トヨタもそろそろ倒産するかもしれない、とか、日立の明日も危ないとか、そういう話、あり得ませんよね?

ですから、こういう言い方をすると共産主義の人ですね、と言われて終わりそうですが、言論で仕事をされる方に望みたいのは、いかに資本主義、企業の圧力から人々を解放するか、そしてそれ以外の共同体とか、BIなり、企業以外で生活を建てる方法がないか、そういうことを具体的に考えて欲しいんですね。

人間一人ひとり、ここの議論みたいにもっと社会はこうあるべき?とか、もっとこういうサービスを作るべきじゃない?とか、若い人でも本当は色々考えられるはずなのに、企業に入ったとたん、大抵の人は考える余裕を奪われていると思います。企業の価値観、あり方に全身染まることを要求されるのです。そういう意味でも、マルクスの時代から100何年たった今でも、資本主義、企業社会は依然問題を多く孕んでいると思います。

そういう議論、必要だと思いませんか?

A 回答 (10件)

僕が思想を始めた'70年代は、まだ学生運動の余熱が残っており、


それが次第に市民と遊離した過激派として追いやられ、消えて、
その後に三無主義(無気力・無関心・無責任)と呼ばれる波が
来ました。
それでは、その「三無主義の波」は去ったかというと、そのまま
時代の基調になって、今に至ります。

「いや無気力・無関心じゃない」と言われる人もいるでしょう。
しかしこの『無気力・無関心・無責任』というのは、自分の利益や
自分の仕事についての話ではなく、社会的な事についてなのだ。
要するにそれまでは、『社会は個人の意志で変えられる』という
通念があり、実際に学生に限らず社会人もデモやストライキで
大なり小なり世の中を動かした時代があったのだ。
しかし、次第に体制の締め付けと国民の軽薄化が功を奏し、
“親方日の丸”で国政は腹黒い政治家と官僚に任せっぱなしに
なりつつある中、その閉塞感への若い力の最後の抵抗が'70年
代の学生運動の騒乱であったのだ(そして敗れて三無主義)。

今、「哲学」ならまだしも、社会体制的なことに関わる「思想」的
だと思われる事を口にすれば、その内容の如何を問わず周りの
人から危険人物認定され、出版やネット発信が過ぎれば当局
のブラックリストに載る。
この、独裁者なきファシズム国家は、容易に変革できない(叩く
べき頭のない)粘着質の構造をつくり上げたのだ(抵抗できず
海外に逃げた派の私のような人間にも責任がある)。
これを動かすには、何か学術的な権威において証明するとか、
パブリックなブームに乗せるとかして、一気に数を集めないと、
隅っこで議論しても潰されるだけです。
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この回答へのお礼

そうですね、いつも思うのですが、マルクス思想などをバージョンアップして何か現代に大きなインパクトを与える思想って生み出せないんですかね?しかし思想史上でも今までマルクスの後継者的な人っていくらでもいたんですよね?アルチュセール、ルカーチ、ネグリ他多々…その人たちでも、世の中を変えるほどのインパクトを作りきれなかったんだとすれば、まだまだこの路線で有力な思想を作るのは難しいということでしょうか?

お礼日時:2012/04/28 09:18

>ソ連と言う国家が倒れたというだけで、マルクス思想の社会分析力は有効性を失っていないと思います。

色々マルクスの解説本などを読む限りでは私はそう思っています。

私も、分析力としては鋭いものがあると思います。では、それをどう、実践的な経済活動に組み入れるか? 結果論的には、それに何らかの甘い点、重大な欠点があったのか?と推測します。

>共産主義(共産党の活動の仕方、等は別として)だからと言って即全否定、というのは短絡的ではないでしょうか?

共産主義を即全否定しているわけではありません。何十年もかかって、徐々に緩慢な死を迎えるように否定されていったのです。共産主義が壮大な実験だったというのはよくいわれますが、実際、ソ連が倒れ、中国が資本主義化し、北朝鮮がヤクザ化するなか、あなたは共産主義でうまくいっている国を挙げられると言うのでしょうか???

どんな資本主義国でも、弱者保護の観点から、共産主義的要素を取り入れています。すなわち、私が即全否定しているとは決め付けられません。まあ、皮肉な意味で日本には共産主義的要素が十分根付いていると思います。
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 No.6です。



 処方箋を明らかにせよとのご注文です。


 1. インタムライズムを提唱します。ムラ(市町村)どうしの国内外にわたる自由な連携であり連合活動です。

 2. インタムライズムには とうぜんのごとく企業を巻き込まねばならないでしょうね。

 3. たとえば名古屋市が 国内の陸前高田市やらあといくらかのムラと連携し 海外の南京市やロサンジェレスでしたかあるいはあと数か所のムラムラと連携する。

 3-1. 文化的・経済的・共同自治的な交流・貿易を活発にする。

 3-2. 留学・学問そして企業どうしの人的交流など人間の交流を大々的におこなう。

 3-3. ムラ議会議員を相互に選び合い その仕事をまっとうする。

 4. 国家政府が何か言って来たり邪魔したりするときには インタナショナルなインタムライズムによって抵抗する。

 5. 要するに 現在の国家は 社会形態として二階建て構造だと見ます。お二階さんが第一階を――しかも主権の存する市民社会なる第一階を―― 支配するかたちの二階建てです。

 5-1. したがって スサノヲ市民圏(=第一階)が インタムライズムなる運動体において アマテラス公民圏(=二階)を主導するかたちに持って行くことを目指す。

 5-2. 優秀なる現在の国家公務員は 極力インタムライズムのもとなるムラムラの公民として――そこへとアマクダリして―― その持てるチカラをじゅうにぶんに発揮して欲しい。

 6. キャピタリズムについては 大企業と中小企業といった対比としてではなく 必ずしもそうではないけれども 人間の行動形式として ふたつの類型に分かれると思われる。

 6-1. 人間の行動形式として 基本的に資本志向ではあっても ふつうの勤勉とそしてそれが自己目的となったガリ勉とのふたつの類型に分かれるのではないか。勤勉資本志向とガリ勉資本主義とである。

 6-2. インタムライズムは ふつうの勤勉資本志向を基礎とする。 

 6-3. とは言っても この勤勉資本志向は 地道にあゆんでいるとしても ほとんどその姿は ガリ勉キャピタリズムのブルドーザーの唸りのもとにかき消されてしまいがちである。

 6-4. でもおそらく それでも この地道なあゆみは絶やすことは出来ない。しかるべき政策のよろしきを得て それが死なないようにはきちんと安全網を張って行くようにしたい。

 6-5. ガリ勉資本主義の潮は 引いて行かないであろうが 言わば金融資本なる犬のしっぽが 犬本体を振り回すような事態に対して 安全保障策を打ち出したい。(おしえて欲しい)。
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評論家などが、新しい共同体や地域通貨など、社会から遊離したような


夢想的なことを言ってるので、質問者さんは不満なようですが、
だいたいにして革命というのは夢想家や理論家が先行してアイデアを出して、
それを運動家が運動にして、革命を起こして、実務家が政治をやって定着させてゆくと
いうプロセスで進行します。だから評論家はこれでいいんです。

ソ連で共産主義が失敗したので、この30年あまり新自由主義で資本側が強くなりましたが
リーマンショック、欧州危機で破綻したので、また振り子が逆に振れ始めました。
これからは労働者側のほうが強くなるでしょう。今後10年くらいは、日本の政治も
いろいろ揉めつつも社会主義、修正資本主義の流れになってゆくと思います。
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この回答へのお礼

しかしね~~まあ現実には確かに評論家さんってそんなもんだと思いますが、いつも知的に刺激的なことを言い続けてくれればそれはそれでいいかもしれませんが、同じパターンのことを繰り返し言い続けられたらそれはちょっと…て思いますけどね。何か具体的な社会へのインパクトにつながることをいつかは言ってくれないと、て思うんですけどね。例えば柄谷さんは地域通貨の活動、NAMってやっておられたんですよね?まあ失敗しちゃったということですが、この活動の経緯、柄谷さんの感想などに興味があるのですが、そういうことが書かれた文献等、知りませんか?例えば柄谷さんがそういう活動を踏まえて、現実の社会にリンクするような思想を発表してくれるとか、そういうことを他の言論人にも求めたいんですけどね~

お礼日時:2012/04/28 09:25

>ここの議論みたいにもっと社会はこうあるべき?とか、もっとこういうサービスを作るべきじゃない?



反例としてはサービス業の中でもグーグルがあります。ここの広告も一部グーグルw。大成功した例ですね。あまり成功しすぎて、巨大になり、前ほど自由度がなくなったと言う話ですが。 サービス業という観点では、言われるようなことにもある程度(かなり?)は競争原理が働いているかと思います。

>マルクスの時代から100何年たった今でも、資本主義、企業社会は依然問題を多く孕んでいると思います。

結局、資本主義と共産主義を比較して、消去法で資本主義が残った、、、というのがある意味正しいと思います。共産主義はもっと問題だということです。

この回答への補足

私はマルクスも別に読みこんではいませんが、よく言われるようにマルクス思想が否定されたわけではないと思いますよ。思想は別として政治状況でソ連と言う国家が倒れたというだけで、マルクス思想の社会分析力は有効性を失っていないと思います。色々マルクスの解説本などを読む限りでは私はそう思っています。共産主義(共産党の活動の仕方、等は別として)だからと言って即全否定、というのは短絡的ではないでしょうか?

補足日時:2012/04/28 09:14
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 こんにちは。



 1. マルクスは 資本主義が途中で――つまり社会主義へ到るという途中の段階でその途中の過程を飛び越えて ロシア革命によってのごとく――挫折するとは見ていなかったのではないでしょうか。
 地球最後の辺境に到るまで普及し 世界資本主義となった段階で 世界中のプロレタリアート労働者らが政治的にも権力を奪取することによって 次の社会主義の舞台へと《一挙に》移行するのだと。


 2. おそらく 経済制度として資本主義が 地球から辺境を無くすまで発達し浸透して行くという見方〔だけ〕は 当たっているのではないでしょうか。
 マルクスの名誉のためにつけ添えるならば それまでの間は 資本主義によって人びとの生活が圧迫されるその苦痛をやわらげるための政策を少しでも――資本主義下においても――獲得して行こうと かれは したのだと言っておきます。

 3. その意味では いまの BRICS のあとにもまだまだ新興国群が出て来るかも分かりません。
 そのつてで 企業社会としての人びとの生活のあり方も なお続くというように思われます。なにしろ競争せねばなりません。

 4. 《最少の費用で最大の効果を上げる》ということ そしてそのことが《社会として見て資源や材料がその最適の配分のもとに使用され消費される》ということ これを目指すことが 資本主義の行為形式および行為様式だと思いますが 社会的な配分やあるいは成果の分配にかんしては この経済行為の外のチカラもあずかるものと思われます。経済外の政治的なチカラでありその行為です。

 5. 経済外のチカラを 広く《社会力学上のチカラ》と言うとしますと そこには したがって――同じく一般的な呼び方をすれば《共同自治のためのチカラでありそのウゴキ》ということになると思いますが そこには―― 権力を持つもっぱらの公民による政治と市民のチカラとしての政治と あるいはもろもろの歴史伝統と少数者の伝統とを含めた社会文化とがあると思われます。

 6. 日本の社会にかんがみて この社会力学を最も広い意味での《クウキ》と呼ぶとしますと おそらくそれは《現行の有力なる・言ってみればふるいクウキ》とそして《ふるいクウキを変えようとするあたらしいクウキ》とがあると言えましょうか。

 7. ですから――きわめて乱暴で或る種の仕方で無責任な言い方なのですが―― 一般に企業社会に立脚する主流としての資本主義(これが 有力なるクウキです)に対してあたらしいクウキ(つまり 思想ですね)を 有効な内容をもって 打ち出して行く。これが 有無を言わさないキャピタリズム閣下に対してもうったえることのできる物言いなのではないでしょうか?

 8. もっとも 有効な思想が そのまま社会力学上 普及して有力になるかどうかは分かりません。自然史過程にしたがうものと思われます。でも 出来ることとしては そういう あたらしいクウキとしての 思想の問題だと考えます。

 9. あるいは そのあたらしい思想(要するに 生活態度です)を保持するニンゲンを増やすことです。 この場合には 市民のウゴキとしての政治的なチカラとなるクウキのことを言っているのですが 一般に 三分割された状態にまでなれば 有効にして有力にもなると見得るのではないか。
 つまり あたらしい思想に同感する三分の一と 浮動層だが共感する三分の一 そしてあたらしいクウキはお呼びでないという反感の三分の一とです。
 
 10. あとは 国際関係がありましょうか。あるいは あたらしいクウキの動きに やはり企業をも《巻き込む》必要があるでしょうね。どこまで賛同が得られるか。また国内で得られても ほかの国々ではどうなのか。こういった問題が横たわっていると思われます。(安全保障のもんだいは 分からないので触れません)。

 11. あとは 資本主義と一口に言っても そこには その経済活動の行為形式として ふたつの種類があると考えます。行為形式について《勤勉》である場合と そしてこの勤勉志向を自己目的として勤勉資本志向主義なる《経済人間》となる場合とです。
 後者が 一般に《ガリ勉資本主義》として経済や社会を引っ張っているのかも知れません。しかもおそらく 前者の《勤勉資本志向》は基礎として土台として けなげにも《ガリ勉資本主義》のために黙々とはたらいているということかも分かりません。

 12. あたらしい思想・あたらしいクウキは とうぜん勤勉資本主義をになう人びとの中から現われて来ましょう。やはりつねに 一歩一歩 地道にということではないでしょうか。
 ガリ勉キャピタリズムはつらいよと 寅さん合唱をしてもいいのではないでしょうか。潮の流れも変わって行くかも分かりません。
 ガリ勉キャピタリストたちには 勝手に行動させておいて 勤勉資本志向の世界とそれとを ふたつに分けて 生きるようになるといったことも空想されます。〔つまり ガリ勉キャピタリストは そのときには死ぬ(生きていけない)ということを意味しているかも分かりません。でも 村八分にするわけにも行かないし。・・・〕。

 ・・・
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この回答へのお礼

大変詳しく論じていただいて恐縮ですが、新しいクウキを有効な内容を持って打ち出してゆく、この場合の新しいクウキ、有効な内容とはどんなものなのでしょうか?思想レベルのある程度抽象的なことでもいいので、その内容をできれば教えていただきたいのですが。

お礼日時:2012/04/28 09:08

将来予想のシンクタンクなんかのデータを見る機会が多いのですが当たったためしがありません。


原発事故の影響でますます不透明。

私見なのですが、ということはですね、予想もつかない変化が起こるということだと思うんですね。

一方で、特に日本はなんにも変わっていないということですね。
この武家と庶民、官僚と庶民の構図は続くのではないでしょうか。

この厳のような意識はもうしっかりと染みついていますよ。
先の大戦でも原発事故でも変わらない・・・
主義、システムはその盤石な土台の上に乗っていると思いますね。

本当のことを知ろうとしない怠惰な庶民とその上に立つ庶民のことを考えない指導層。
庶民は生かさず殺さず。指導層監視の下、一方的に社会システムと情報を与え続ける。

残るは、累々たる屍。
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評論家や学者が選ばれた(幸運な?)少数であることは忘れられがちです。

身の周りに討論の場に積極的に参加して自分の考えを主張したいという友人がいるでしょうか。もしいたとしても、著しく目立ちたがりだったり、"意識の高い学生"のようだったり、特定の思想に強い信念を持っている少々特殊な人々であることが分かります。そんな特殊な人々の意見ですから一定の傾向に偏っている可能性は高いと思います。
さて働きだすとおっしゃるとおり考える余裕はなくなりますね。これはとくに日本ではモーレツ社員とか愛社精神などにあらわれているような<仕事を崇拝する>という価値観が変わっていないことによります。いまでは社畜などと批判され和らいでいる気はしますが、企業の価値観・ルールを決める世代がそのような教育を受け、当然のこととして省みることが少なくなかなか変わりません。若い人々がルールを決めるなど、働くことの価値観の転換がなされれば考える余裕もできると思います。とにかく、高度成長期に(のみ)有効であった価値観は早めに転換したいところです。
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>そういう議論、必要だと思いませんか?



思考実験的な議論は刺激的かもしれませんが
社会的に役に立つ議論というのは、事実や統計データを基にした地味なものになるものだと思います。
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>トヨタもそろそろ倒産するかもしれない、とか、日立の明日も危ないとか、そういう話、あり得ませんよね?



トヨタの財政状態は知りませんが、ありえることです。
労働者が要らないからといって失業者だらけになったら
企業が物を生産しても買える人がいないということになり
企業も存在できなくなります。

マルクスは、資本主義の次は共産主義と主張したようですが
現在は、生産力が上がりすぎて、共産主義でさえ(もちろん
資本主義も)時代遅れになっています。

マルクスでさえ、想定できなかったことなので
現在の理想的は経済を何主義というのか
私にも分かりません。
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