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誰が言ったのか忘れたのですけど
『神は死んだ』っていうのはどういう意味ですか?
けっこう激震?

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A 回答 (16件中11~16件)

 他の方々が言われているように、出所はフリードリッヒ・ニーチェ。

1882年の『悦ばしき智慧』、アフォリズム125番が初見でした。市場に突然一人の狂人が現れ、「神は死んだ、我々が殺したのだ」と叫びます。最も聖なるものをわれわれは殺した、誰がこの血糊をナイフから拭うことができるのか…そして、「この殺害にふさわしい存在になるには、われわれ自身が神とならねばならないのではないか!」と激しい言葉が続きます。

 意味の方です。上に引用した言葉からうかがえるかと思いますが、直接は「人間理性による神の殺害」という事態を指して言っています。始まりはデカルトによる「機械仕掛けの神」。神は精神と肉体の同期を司る存在として、いわば人間の道具のような地位に据えられています。カントでは「理性的存在者一般」という名前で、理性を持つ者という意味では人間と同列のものとして、一括して扱われます。ヘーゲルに至っては「精神」の名において完全に人間と神が連続化されます。
 ここまで来ますと、神はなんら「超越者」ではありません。人間と連続していますから。この世界については、一面では「すべてが神である世界」とも言えますが、他面から言うと「世界のすべてが人間化された」とも言えます。神に立つ瀬がなくなったということです。つまり、哲学的な「神殺し」。

 19世紀末の関連する時代背景にも少し触れておきましょう。まず、ダーウィンが進化論を唱えています。当時の人は、これを「人間をサルと連続化するもの」と捉えました(ちょっと誤解なんですが)。人間は自然を超越した特別な存在なのだという自信が打ち砕かれます。ニーチェより少し時代が後ですが、フロイトによる無意識の発見も同じ流れの上にあります。人間が、「自分が知らない自分」としての無意識に突き動かされる生き物であることが明らかにされることで、「理性・自律=自分が自分の主人でありうること」に「No」が突きつけられたわけです。
 キリスト教的価値観、およびそれをバックボーンとする人間自身の尊厳がガタガタになっていた…そういう時代の雰囲気でした。そういう時代を背景に、ニーチェは「神の死」を宣告したのです。
 アインシュタインやゲーデルはもう少し後の時代の人たちです。ニーチェが「理性の限界を示すこと」をしていたとすれば、それはむしろ「ニヒリズムの肯定による価値転換」の方に、ある意味でそういうものが読み取れるでしょう。

 言葉の意味に戻ります。
 「神は死んだ」という言葉は、『悦ばしき智慧』の翌年から書かれる『ツァラトストラ』以降の、後期ニーチェの思想と切り離せません。この場ではとうていまとめきれませんが、ここでは「永遠回帰」と関連付けておきましょう。
 神は世界を創造し、最後の審判を下す者です。始まりと終わりをもつ歴史を区切る者です。このような有限の長さをもつ直線で考えられたときにのみ、歴史には「意味」が生じます。「終末」へ向けての因果関係の中で、個々の出来事、個々の人間の生に一定の役割が認められるからです。終末に向けて何らかの役割を果たしたということが、「私」という存在の意義となります。
 が、時間が無限に続くとすると、その中で一定の長さに刻まれた「私の時間」は無限小に希釈されていきます。「無」になります。また、時間が円環状に回帰すると考えても同じです。まったく同じ事が、何ら新しいものを生むことなく、ただそのまま繰り返されるとしたら、すべての出来事は無意味です。
 「神が死んだ」ということ、それは私たちの生に意義を与える存在が死んだということです。私たちの生は無意味です。
 そして、この生が永遠の時を経て回帰するということ、これも私たちの生を無意味なものにします。
 ですから、「神の死」と「永遠回帰」は、直視することの困難な恐怖の思想なのです。しかし、ニーチェにとってはこの恐怖こそが真実なのであり、この恐怖に耐え、ニヒリズムを肯定する「超人」たることを私たちに課してきます。「神は死んだ」という言葉も、われわれに「強者たれ」と迫るニーチェの言葉の一つです。
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形而上的にはみなさんが書いていらっしゃるので,違うことを.



「神が死んだ」――正確に訳せば「神は死んでいる」――を大きく捉えてみます.
神性ratioとは即ち合理的rationalであるというのが,
デカルトからヘーゲルまでの近代理性主義でした.
ここで,理性が完全だということは「神」が保証しているとされました.
形而上学的な意味で「神が死んだ」というのもありますが,
現代哲学に大きな意味を持つのは次のような<危機>がありました.

近代的な実証科学において,挫折が出てきたのです.
数学においては,近代の時点から揺らいでいました.
非ユークリッド幾何学です.
ここでユークリッド幾何学の特権性が失われ,
遂に,アインシュタインの重力論が追い討ちを掛けました.
物理においても,
アインシュタインの一般相対性理論,
プランク以降の量子論,
ハイゼンベルクの不確定性原理と,
既存のニュートン物理学が崩壊していきます.
論理学においては,
ヒルベルト=プログラム上で,
ゲーデルが不完全性定理を証明し,
数学・論理学の危機が叫ばれました.
文系の学問でも,
歴史学主義,心理学主義,社会学主義といった実証科学が自滅していきました.
このように<理性の限界>が示されていったわけです.
ニーチェの死んだ1900年を挟んだ100年間くらいが,
理性の危機の時代でしょう.

「神が死んだ」というのは
<理性の限界が示された>とも言えます.

尚,現代哲学では,失われた理性の復興が行われつつあるそうです.
例えば,<現象学>.フッサールやメルロ=ポンティで有名ですね.
フッサールやキェルケゴールに影響されたハイデガーも実存哲学者と言うより,
現象学的存在論者と言ってもいいかもしれません.
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今後ニーチェに詳しい方が細かく説明されると思いますが、ニーチェが言った「神」は当然キリスト教を背景とした、西洋文化全体に向けられています。


 「貧しき者は救われる」「死んで来世に行かなければ人間の原罪は贖うことが出
来ない」「右の頬を叩かれれば左の頬を差し出せ」といったような、日常生活のす
べてにはりめぐらされたキリスト教精神を「貧しき愚民の敗北者主義(ルサンチマ
ンとでも)」として退け、散文調の「ツァラツストラはかく語りき」でアジったこ
とから、20世紀の幕開けを告げる言葉として、残ったのでしょう。
 この解釈をめぐり、ハイデガーは西洋精神から、それを生み出した、理性にまで
考えを及ぼし、背景にあった「形而上主義」の撤廃に向かい、この路線が、やがて
はフーコーやデリダにひきつがれ、現在にいたっています。
 ニーチェが唱えた「神」が不必要だ、という考えは、「神と動物の間の人間」と
いうようなひ弱な考えをきらい、「孤高の哲学者」として「鉄のハンマー」で「愚かな大衆」をうちのめしていくという決心の裏返しです。情熱的ですが、それほど、彼は「異端者」であり、誰からも認めてもらえなかった、という辛さがあった
のでしょう。その劇的で文学的な哀愁の哲学は、やはり私たちを捉えずにはおかな
い、魅力にあふれた思想ではないでしょうか。「俗衆」の私も、ニーチェはいい、
と思ってしまいます。こんなの今時流行りませんが。
 
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どしろうとですが、ひとこと。


ニーチェのこの言葉はもちろん衝撃的なものでした。
それまでのヨーロッパはキリスト教思想が支配しており、絶対的な一神教であったのです。
それがあろうことか、神は死んだ、と言うとは。神は「かつて」いたとしても今はいなくなった。
これが衝撃的ですよ。それからというものドイツに無神論的な思想が広がりはじめていき、その影響は哲学において重要な意味を持ちます。特に実存主義なんかはそうなんじゃないでしょうか。
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ニーチェです。

この言葉の前提には、キリスト教にニーチェが存すると考えた「奴隷道徳」とか、近代の危機としてのニヒリズムとか色々あるので、ニーチェを読んでみてください。(古い訳の哲学書は日本語がしちむずかしいので、新しい訳を読むか、英訳本を読むことをお勧めします。)下記は日本語で見られるニーチェのリソース(青森大学?の研究者の方のサイト)です。

参考URL:http://www.aomoricgu.ac.jp/staff/suzuki/index.html
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下記URLで「神の死」に関して解釈しています。


思想的、宗教的にそんなに詳しい方ではないので僕のコメントはあえて控えます。

参考URL:http://www.sutv.zaq.ne.jp/the-one/niet/gott.html
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