誰が言ったのか忘れたのですけど
『神は死んだ』っていうのはどういう意味ですか?
けっこう激震?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (16件中11~16件)

 他の方々が言われているように、出所はフリードリッヒ・ニーチェ。

1882年の『悦ばしき智慧』、アフォリズム125番が初見でした。市場に突然一人の狂人が現れ、「神は死んだ、我々が殺したのだ」と叫びます。最も聖なるものをわれわれは殺した、誰がこの血糊をナイフから拭うことができるのか…そして、「この殺害にふさわしい存在になるには、われわれ自身が神とならねばならないのではないか!」と激しい言葉が続きます。

 意味の方です。上に引用した言葉からうかがえるかと思いますが、直接は「人間理性による神の殺害」という事態を指して言っています。始まりはデカルトによる「機械仕掛けの神」。神は精神と肉体の同期を司る存在として、いわば人間の道具のような地位に据えられています。カントでは「理性的存在者一般」という名前で、理性を持つ者という意味では人間と同列のものとして、一括して扱われます。ヘーゲルに至っては「精神」の名において完全に人間と神が連続化されます。
 ここまで来ますと、神はなんら「超越者」ではありません。人間と連続していますから。この世界については、一面では「すべてが神である世界」とも言えますが、他面から言うと「世界のすべてが人間化された」とも言えます。神に立つ瀬がなくなったということです。つまり、哲学的な「神殺し」。

 19世紀末の関連する時代背景にも少し触れておきましょう。まず、ダーウィンが進化論を唱えています。当時の人は、これを「人間をサルと連続化するもの」と捉えました(ちょっと誤解なんですが)。人間は自然を超越した特別な存在なのだという自信が打ち砕かれます。ニーチェより少し時代が後ですが、フロイトによる無意識の発見も同じ流れの上にあります。人間が、「自分が知らない自分」としての無意識に突き動かされる生き物であることが明らかにされることで、「理性・自律=自分が自分の主人でありうること」に「No」が突きつけられたわけです。
 キリスト教的価値観、およびそれをバックボーンとする人間自身の尊厳がガタガタになっていた…そういう時代の雰囲気でした。そういう時代を背景に、ニーチェは「神の死」を宣告したのです。
 アインシュタインやゲーデルはもう少し後の時代の人たちです。ニーチェが「理性の限界を示すこと」をしていたとすれば、それはむしろ「ニヒリズムの肯定による価値転換」の方に、ある意味でそういうものが読み取れるでしょう。

 言葉の意味に戻ります。
 「神は死んだ」という言葉は、『悦ばしき智慧』の翌年から書かれる『ツァラトストラ』以降の、後期ニーチェの思想と切り離せません。この場ではとうていまとめきれませんが、ここでは「永遠回帰」と関連付けておきましょう。
 神は世界を創造し、最後の審判を下す者です。始まりと終わりをもつ歴史を区切る者です。このような有限の長さをもつ直線で考えられたときにのみ、歴史には「意味」が生じます。「終末」へ向けての因果関係の中で、個々の出来事、個々の人間の生に一定の役割が認められるからです。終末に向けて何らかの役割を果たしたということが、「私」という存在の意義となります。
 が、時間が無限に続くとすると、その中で一定の長さに刻まれた「私の時間」は無限小に希釈されていきます。「無」になります。また、時間が円環状に回帰すると考えても同じです。まったく同じ事が、何ら新しいものを生むことなく、ただそのまま繰り返されるとしたら、すべての出来事は無意味です。
 「神が死んだ」ということ、それは私たちの生に意義を与える存在が死んだということです。私たちの生は無意味です。
 そして、この生が永遠の時を経て回帰するということ、これも私たちの生を無意味なものにします。
 ですから、「神の死」と「永遠回帰」は、直視することの困難な恐怖の思想なのです。しかし、ニーチェにとってはこの恐怖こそが真実なのであり、この恐怖に耐え、ニヒリズムを肯定する「超人」たることを私たちに課してきます。「神は死んだ」という言葉も、われわれに「強者たれ」と迫るニーチェの言葉の一つです。
    • good
    • 0

形而上的にはみなさんが書いていらっしゃるので,違うことを.



「神が死んだ」――正確に訳せば「神は死んでいる」――を大きく捉えてみます.
神性ratioとは即ち合理的rationalであるというのが,
デカルトからヘーゲルまでの近代理性主義でした.
ここで,理性が完全だということは「神」が保証しているとされました.
形而上学的な意味で「神が死んだ」というのもありますが,
現代哲学に大きな意味を持つのは次のような<危機>がありました.

近代的な実証科学において,挫折が出てきたのです.
数学においては,近代の時点から揺らいでいました.
非ユークリッド幾何学です.
ここでユークリッド幾何学の特権性が失われ,
遂に,アインシュタインの重力論が追い討ちを掛けました.
物理においても,
アインシュタインの一般相対性理論,
プランク以降の量子論,
ハイゼンベルクの不確定性原理と,
既存のニュートン物理学が崩壊していきます.
論理学においては,
ヒルベルト=プログラム上で,
ゲーデルが不完全性定理を証明し,
数学・論理学の危機が叫ばれました.
文系の学問でも,
歴史学主義,心理学主義,社会学主義といった実証科学が自滅していきました.
このように<理性の限界>が示されていったわけです.
ニーチェの死んだ1900年を挟んだ100年間くらいが,
理性の危機の時代でしょう.

「神が死んだ」というのは
<理性の限界が示された>とも言えます.

尚,現代哲学では,失われた理性の復興が行われつつあるそうです.
例えば,<現象学>.フッサールやメルロ=ポンティで有名ですね.
フッサールやキェルケゴールに影響されたハイデガーも実存哲学者と言うより,
現象学的存在論者と言ってもいいかもしれません.
    • good
    • 1

今後ニーチェに詳しい方が細かく説明されると思いますが、ニーチェが言った「神」は当然キリスト教を背景とした、西洋文化全体に向けられています。


 「貧しき者は救われる」「死んで来世に行かなければ人間の原罪は贖うことが出
来ない」「右の頬を叩かれれば左の頬を差し出せ」といったような、日常生活のす
べてにはりめぐらされたキリスト教精神を「貧しき愚民の敗北者主義(ルサンチマ
ンとでも)」として退け、散文調の「ツァラツストラはかく語りき」でアジったこ
とから、20世紀の幕開けを告げる言葉として、残ったのでしょう。
 この解釈をめぐり、ハイデガーは西洋精神から、それを生み出した、理性にまで
考えを及ぼし、背景にあった「形而上主義」の撤廃に向かい、この路線が、やがて
はフーコーやデリダにひきつがれ、現在にいたっています。
 ニーチェが唱えた「神」が不必要だ、という考えは、「神と動物の間の人間」と
いうようなひ弱な考えをきらい、「孤高の哲学者」として「鉄のハンマー」で「愚かな大衆」をうちのめしていくという決心の裏返しです。情熱的ですが、それほど、彼は「異端者」であり、誰からも認めてもらえなかった、という辛さがあった
のでしょう。その劇的で文学的な哀愁の哲学は、やはり私たちを捉えずにはおかな
い、魅力にあふれた思想ではないでしょうか。「俗衆」の私も、ニーチェはいい、
と思ってしまいます。こんなの今時流行りませんが。
 
    • good
    • 0

どしろうとですが、ひとこと。


ニーチェのこの言葉はもちろん衝撃的なものでした。
それまでのヨーロッパはキリスト教思想が支配しており、絶対的な一神教であったのです。
それがあろうことか、神は死んだ、と言うとは。神は「かつて」いたとしても今はいなくなった。
これが衝撃的ですよ。それからというものドイツに無神論的な思想が広がりはじめていき、その影響は哲学において重要な意味を持ちます。特に実存主義なんかはそうなんじゃないでしょうか。
    • good
    • 0

ニーチェです。

この言葉の前提には、キリスト教にニーチェが存すると考えた「奴隷道徳」とか、近代の危機としてのニヒリズムとか色々あるので、ニーチェを読んでみてください。(古い訳の哲学書は日本語がしちむずかしいので、新しい訳を読むか、英訳本を読むことをお勧めします。)下記は日本語で見られるニーチェのリソース(青森大学?の研究者の方のサイト)です。

参考URL:http://www.aomoricgu.ac.jp/staff/suzuki/index.html
    • good
    • 0

下記URLで「神の死」に関して解釈しています。


思想的、宗教的にそんなに詳しい方ではないので僕のコメントはあえて控えます。

参考URL:http://www.sutv.zaq.ne.jp/the-one/niet/gott.html
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q日本人の名前で、「神硯」は、何と読みますか?珍しい名前なので、その歴史的意味は?

散歩をしていて、近くの商店?工務店のような店構えの看板に、「神硯」という名前がありました。果てなんだ?という好奇心が沸いてきました。この名前の方、この名前の方と親戚の人、或いは知人友人がいる方、教えてください。少なくても読み方を知ってますか。或いは、名前には何か、家系の上で面白い歴史的背景があるのでしょうか。

Aベストアンサー

宮崎の高千穂峡に、「神硯の岩」という岩があるらしいです。
長い年月のうちに硯のように削られた岩だそうです。
が、一つしかソースが見つからないので本当にあるのか?
不明です。(一応参考URL)

道教の護符を書くときの呪いの言葉(水・墨・硯等を
霊力のある特別なものにするための呪文)に、
「神硯四方」というくだりが出てくるようです。

良い硯を大げさに褒めるときにも使いそうな言葉なので、
硯屋さん、あるいは書道具屋さんではないでしょうか・・・?

表札ではなく、看板に書いてあったのですよね?

参考URL:http://www.transport.ne.jp/rikuya/20020215.html

Q私が神だとして、何故、他の人が神だと気づかないのか

オカルト風味になっているし、私もまだ誰からも「貴方が神だ」と言われたこともないので、こういう話もあるということでお願いします。

私の意味は、Sが3つ、SSS、そして、イエス・キリスト=ユダ=私=神、の生まれ変わりのようです。

そして、西と南の意味があります。つまり、Left+South=LとS。
一応、北と東の意味も無理やりにするとあります。

あと、雷=thunderと、雲も?意味あります。雷神?ただ、風神はわかりません。

どうも、私の想像が、創造になって、世界を構築し続けているようです。ハルヒアニメのハルヒみたいなものです。だから、周りは下手に干渉できない?
本当は、オカルトみたいなカテゴリーがあれば、いいのですが、歴史とも違うと思い、ここにしました。占いでもよかったかな?

私が神ならば、他の人は気づくはずなのですが、気づきません。これは私が神でも、今はその時ではないから気づかせていないだけでしょうか?
ただ、イエスは、「私は神の子だ」と言っていました。私も神の子なのかもしれませんが・・・ただ、色々と考察すると、私が神の子ではなく、神だと思っています。

これは、他の神の子が、「私こそが神である」と、私が神であることを認めていないからでしょうか?

ともかく、何が何だか、どうすれば全世界の人々に私が神だと気づいてもらえるのか、その証明方法は?などなど、不明な点が多いです。ただ、どうも、神の計算式があるようで、そのうち私が神であることが証明はされると思っています。

そもそも、宗教などで、「神が降臨する日」というものはあるのでしょうか?
私が神であることは他の人はわかっていても、そう反応できないように、私が操作しているようにも思えてきます。
そして、私が何かの人格データを取っているようにも思えます。(だから、期限になるとテストが終わる)
オカルトでも宗教でも何でも良いので、ヒントとか答え下さい。。。

オカルト風味になっているし、私もまだ誰からも「貴方が神だ」と言われたこともないので、こういう話もあるということでお願いします。

私の意味は、Sが3つ、SSS、そして、イエス・キリスト=ユダ=私=神、の生まれ変わりのようです。

そして、西と南の意味があります。つまり、Left+South=LとS。
一応、北と東の意味も無理やりにするとあります。

あと、雷=thunderと、雲も?意味あります。雷神?ただ、風神はわかりません。

どうも、私の想像が、創造になって、世界を構築し続けているようです。ハルヒ...続きを読む

Aベストアンサー

若い方なんでしょうね。アニメの影響なのでしょうが、考え過ぎて、思考の罠にはまったらしいと思い、投稿することにしました。当人も苦労しているでしょうが、たぶん周囲の方が、もっと大変な思いをしているだろうと思ったのです。

まず端的に言って、論理的に、あなたが「神ではない」と証明する方法はないといわなければなりません。というのも、「神」とはどういう存在なのかが、定義できないからです。だから、何者が神であるとみなしてみてもいいわけです。
たとえば同じ理屈が、宇宙の中心点です。あなたが宇宙の中心であるかどうかを証明せよ、という問題があったとする。しかし宇宙の大きさも形も、誰もわからないから、証明できない。そこで机の上の消しゴムが宇宙の中心かもしれないし、あなたかもしれないし、お母さんかもしれないし、木星かもしれない。その確率は、皆同じ程度なのです。というのも、誰も計算する手掛かりがないからです。

しかしこれは、論理の罠です。あなたが神であってもいいが、他に等しく、誰もが神であってもいいのです。したがって、たとえば非常にばかばかしいと思うだろうけれど、台所に捨ててあるイワシの頭が神ではないと証明する方法もないのです。イワシの頭よりは、ジャングルのゴリラの方がマシだし、鬱蒼とした山麓の大樹の方がそれっぽいかなという気持ちがあるとしても、論理的に示せるわけではありません。こういう不確定という意味で、「お前が神ではない」と誰も断言はできないはずなのです。

しかし、こうやって考えていくと、これを書いている私が神であってもいいという理屈になる。それなら、なぜ私は自分を神だと思わないか。簡単にいえば、自分より優れた人がいることを知っているからです。質問者さんは、まだあまり世界を知らないようだという印象を持っています。外に出たり、いろいろな人と話したり、アニメばかりじゃなくて本を読んだりして、勉強してごらんなさい。他に優れた様々な人がいることが分かって来ると、「このオレが神だ」と主張しても、どうして誰も聞いてくれないのか、次第に分かるでしょう。また神だと主張してもあまり意味がないことが分かって来るでしょう。

たとえば雷が操れるのは結構です。では雷を研究している学者に会って御覧なさい。どちらがより、雷のことを熟知しているのか比べてみて御覧なさい。「オレって神かなぁ」と疑問に思ってくるでしょう。それでも不満だったら、あなたが雷の学者になって御覧なさい。突出した研究をすれば、もしかしたら「これは神の数式を知っているのかもしれない」と学者らが認めてもらえるかもしれません。これは宗教とかオカルトに頼らない安全な証明方法です。というのも、仮に証明に失敗したとしても、その時、質問者さんは雷の研究者になっており、学歴も、就職口もあるでしょうから。

――ちなみに、神であるかどうかを証明するために死なないように。なるほど世界が終ってしまえば、それはその人が神だったことの証にはなるでしょう。しかし神って、不死の存在じゃなかったでしょうか。だから死んでしまった時点で、世界が仮に終わっても、彼が神ではないということになってしまうのです。

若い方なんでしょうね。アニメの影響なのでしょうが、考え過ぎて、思考の罠にはまったらしいと思い、投稿することにしました。当人も苦労しているでしょうが、たぶん周囲の方が、もっと大変な思いをしているだろうと思ったのです。

まず端的に言って、論理的に、あなたが「神ではない」と証明する方法はないといわなければなりません。というのも、「神」とはどういう存在なのかが、定義できないからです。だから、何者が神であるとみなしてみてもいいわけです。
たとえば同じ理屈が、宇宙の中心点です。あなたが...続きを読む

Q日本神話の神様の名前が

アマテラス大御神の漢字のところがわかりません。
誰かわかる人教えてください。

Aベストアンサー

>大御神の読み方です。
 オーマイガッ。

あ、いや、その・・・おーみかみ!

ykkw_2001(恥)

Qソクラテスの死の意味について教えてください。ソクラテスが自ら死を選んだ理由です、

ソクラテスの死の意味について
教えてください。
ソクラテスが自ら死を選んだ理由です、

Aベストアンサー

無知を自覚していない人は無知だ等という自説を説いたソクラテスは、政治家達の反感をかい、異分子として排除するため裁判にかけられ、死刑判決を受けます。が、もし、ソクラテスが自分の考えを説かずに、今後一切黙れば、死刑を見逃し生かしてあげよう、という条件を言い渡されます。が、ソクラテスは、自説を曲げ、お上に従って生きても、それは生きているとは言えない、植物人間と同じだ、それならば、死刑を受け入れる事を自ら望んだのです。つまり、ソクラテスは魂を売り渡し、飼い慣らされた豚になるよりも、自分の信念を貫き通す事を選んだのです、死を持って。そこにソクラテスの意思の強さ、ソクラテスの死の尊さがあるのです。支配に屈しない、元祖パンクロッカーと言えます。かっこいいですね。私も踏襲しています。自分が正しいと信じた事を貫き通します。それにより多少石が飛んで来る事があっても。でも、本当の強さと自信があれば、そんな小石はものともしません。ソクラテスのように、命を落とす事に比べたら。。

Q日本神話・天津神・国津神

お心当たりがある方ぜひご回答お願いいたします。

学生なのですが、最近ふとしたことから日本の神様について興味を持ちました。
今まで日本史(戦国~江戸幕府開幕)は好きで個人で本を読んだりということはしていたのですが、神話になると予備知識がほぼまったくと言っていいほどありません。
きっかけは『少年陰陽師』という角川ビーンズ文庫発刊の小説です。
そのため、その小説に名前が登場した神様のお名前、祀られている場所…ぐらいしか今現在はわかりません。

できればこれをきっかけに少し日本神話、天津神、国津神などについて知りたい、と思うのですが
なにかおすすめのサイト様、文献などをご存知でしたら教えていただきたいです。
もちろん大いに『個人的』にこれがオススメ、などの主観が入っているもので構いません。
参考までに『初心者に読みやすい』のか、『バックグラウンドが入ってる人向け詳しい』のかも一緒に教えていただけると嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。
どうぞよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

もげやま日本神話
http://mogeyama.client.jp/jp.htm
★ネットで読める漫画日本神話

太葉と三花月 Laboratory(神話研究室) Myth
http://woodland.rakurakuhp.net/i_235979.htm
★イラスト入り漫画日本神話

ffortune.net
出雲・神無月特集
http://www.ffortune.net/calen/izumo/index.htm
★まずはここで準備体操を

日本の神話 古事記
http://www15.plala.or.jp/kojiki/
★初心者向け

総合心理相談ES DISCOVERY
『古事記』『日本書紀』の日本神話
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/vision/es003/japanese_myths.html

神奈備
http://kamnavi.jp/

『神々の国しまね~古事記1300 年~スペシャルサイト』
http://www.shimane-shinwa.jp/

【ピクシブ百科事典】日本神話 (にほんしんわ)
http://dic.pixiv.net/a/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E8%A9%B1

願えば叶う 餅鯛稲荷大明神
http://ooinarien.web.fc2.com/inariy-site/index.html

日本書紀を読んで古事記神話を笑う <初版>
http://www3.point.ne.jp/~ama/old/index.html
★興味深い解説・考察
神功紀を読み解く・・・神功皇后のごり押しクーデター
http://www3.point.ne.jp/~ama/shinkoki/

日本神話の御殿
http://j-myth.info/
★かなり専門的な内容

なぞなぞ古事記 上
http://www1.cts.ne.jp/~nakoziki/index.html
★学術論文集だそうです

新古代学の扉
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html
★古田武彦先生のお弟子さんたちのサイトのようです

もげやま日本神話
http://mogeyama.client.jp/jp.htm
★ネットで読める漫画日本神話

太葉と三花月 Laboratory(神話研究室) Myth
http://woodland.rakurakuhp.net/i_235979.htm
★イラスト入り漫画日本神話

ffortune.net
出雲・神無月特集
http://www.ffortune.net/calen/izumo/index.htm
★まずはここで準備体操を

日本の神話 古事記
http://www15.plala.or.jp/kojiki/
★初心者向け

総合心理相談ES DISCOVERY
『古事記』『日本書紀』の日本神話
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/vision/es003/japanese_myt...続きを読む

Q本当に『 神は死んだ 』のだろうか.

日々の信仰に励まれる,知性高き皆様,こんにちは.

世の中の出来事は,すべて数学で記述できるといいはる
数学者がいます.

しかしこれは単に,記述の美しさに酔いしれる,愚かな
考えではないだろうか.
数学を芸術として捉えるのならば,それでもいいんですが.

実際のところ,記述しえない ≪志向性≫ ありきでの,
世の中であり,それは神が生きていることを示唆してい
るのではないか.と,思えるのです.

志向性は,数字ならば零に過ぎない.しかしそれは記述
不可能だからではないでしょうか.

本当に神は死んでしまったのでしょうか.休んでいらっ
しゃるだけではないんですか.

帰納法によって,神の息吹を感じることはできますか.

よろしくお願いします.(´ω`;)

Aベストアンサー

神様は優しいです。旧約聖書を読めばわかります。
定義とかはどうでもいいのです。

ただ、子供の心で聖書を読み信仰する。信じる。自分の上に超越者を持つ。

そしてイエス・キリストというお方は実は人間社会を混乱させるために生まれたと新約に書いてあります。

バベルの塔は崩壊します。神に逆らう行為だからです。
だから数学は芸術として捉えて「知りたい。解明したい」と思わないほうがいいと個人的には思います。
神様は自然を宇宙を人生をコントロールできるからです。

別に私はクリスチャンではありません。
しかし、聖書を読むことは重要なことだと思っています。

ニーチェ、フーコー、まともな死に方をしましたでしょうか?

だからと言って宗教に入れと言っているわけではありません。
聖書を読むことはいろんな意味で大切なことだと思っているだけです。
たぶんパスカルが本当に賢い天才だと思います。

バカなことを言っているように思えますでしょう?(笑)

Q「千と千尋の神隠し」に出てきたヘドロ神の名前

急に思い出せなくなったので、どうか教えてください!!

「千と千尋の神隠し」に出てきた神様の名前を教えてください!!千尋が温泉に入れてあげて、ごみやヘドロで汚くなっていた神様がきれいになった・・・神様なんです。きちんとした名前を教えてください☆
(ハクの名前にきちんとした川の名前があったように、きちんとした名前があったと思うので)

Aベストアンサー

オクサレさま・・だったかな?
記憶が曖昧ですみません。

Q何と言う《神は死んだ》のか?

 主題は ふたつです。
 神とは何か?――あるいはつまり 神とは何でないか?
 ニーチェのたましいをやすらかな眠りにみちびくことばをかけるとしたら それは何か?


 まづ 三島憲一のニーチェ論の一端を引きます。あとで 具体的に問います。

 ▲(三島憲一:ニーチェが戦ったもの) ~~~~~
 ニーチェが『喜ばしき知識』の中で《神の死》を宣告した話はよく知られている。

   寒くなってきてはいないか?
   これからはますます夜に 夜が深くなっていくのではないか?
   昼前から行燈を灯す必要はないのか?
   神を埋葬する墓掘人たちの音がまだなにも聞こえないというのか?
   神が腐る臭いがまだしてこないのか?
   ――神々といえども腐るのだ。
   神は死んだ!
   死んでしまい 蘇ることはない!
   しかも 我々が殺したのだ!
   殺しの中の殺しをした我々は いかにして自分たちを慰めたらいいのだろうか?
   これまで世界が持っていた最も聖なるもの 最も強いもの その神が我々のナイフによって血を流して死んだのだ。
    (『喜ばしき知識』125番)

 大方の思想史では このいささかパセティックで安っぽいレトリックに溢れた文章によって ニーチェはプラトニズムとキリスト教がその根拠となっていたヨーロッパの道徳の自己崩壊を確認したということになっている。形而上学の完成と解体が告げられている とされている。

 しかし 考えてみれば 変な話である。すでに一八世紀の啓蒙主義以降 知識人は 家庭のつきあいを別にすれば キリスト教の神は信じていなかったはずである。プラトンのイデアとなればなおさらで 大学の哲学科の訓古注釈の営みの外で そんなものを信じている銀行家や工場主や労働者や農民や そしてなによりも将校たちが多数いたとは到底考えられない。なぜ キリスト教の神の死を ニーチェはいまさらのごとく触れ回ったのだろうか。

 実際には・・・ニーチェはいわば 自己の議論の正当化のために 当時において標準化されていたヨーロッパの思想の歴史を逆転して 新たに構築しただけであって 実際に闘っていたのは一九世紀の自分の周囲の生活形式(あるいは文化)であり それへの抵抗の中で このようなキャッチフレーズを生み出したのである。

 《我々が殺したのだ》ということは 神を生かしておくも 殺しておくもこちら側 つまり我々の思うまま 我々のさじ加減一つということである。すでに神は我々によって構築されていたことが含みとしてある。つまり 神を構築してきた当の我々が葬られるべき存在なのである。ニーチェが闘った相手は 神の語をむやみに重視する一九世紀の生活形式であり 文化なのであった。

 ひとことで言えば この生活形式の中核は ナポレオン戦争の終結とともに だがさらには一八四八年革命以降 特に顕著になったヨーロッパの再キリスト教化 そしてそれとタイアップした市民階級の再封建化といわれる現象である。ニーチェはその知的生涯においてそれと闘う中で 彼の《破綻の美学》を生み出したのだ。
 ・・・
 再キリスト教化自身が ニーチェには神の死を意味していたのである。

 (三島憲一:『ニーチェ以後――思想史の呪縛を越えて』 2011 第五章 破壊的理性の美学――素描の試み   pp.149-151 )
 ~~~~~~~~~~~~~~~~

 一九世紀の《再キリスト教化》について三島は きちんと例証していると思いますが 割愛します。
 そこでそのことに深入りはせずに 全体としてこの三島の議論に 必要な注釈をつけたり あるいはちょっと違うのではないかという批判を加えたり 言うべきことがありましたら まづそれらをおしえてください。

 と言っておいて あとは 神とは何か? を問います。

 三島も触れていますが 《われわれが構築した神をナイフで殺した》のなら それは《観念の神》であって・あたまの中の想念の中に描かれた思いや考えであって 劣ったものであったり時代遅れになったりしたら ナイフで切り殺されても当たり前です。ただの想像の産物を相手に闘った。またそういうたぐいの文章である。

 つまり そんな《ただの観念の構築と抹殺といったお遊び》のことを どうしてその熱情を燃やして闘ったりしたのか? それは どこから見ても《神》ではなかったというのに。

 いったいニーチェとは何だったのか?
 レクイエムを書いてやってください。

 主題は ふたつです。
 神とは何か?――あるいはつまり 神とは何でないか?
 ニーチェのたましいをやすらかな眠りにみちびくことばをかけるとしたら それは何か?


 まづ 三島憲一のニーチェ論の一端を引きます。あとで 具体的に問います。

 ▲(三島憲一:ニーチェが戦ったもの) ~~~~~
 ニーチェが『喜ばしき知識』の中で《神の死》を宣告した話はよく知られている。

   寒くなってきてはいないか?
   これからはますます夜に 夜が深くなっていくのではないか?
   昼前から行燈を...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。


それが何であるかはひとまず置きまして、
素朴な心性として「神はいるのであろう。そして、ヒトは神を知っているのではなかろうか・・・」などと、昨日から考えるようになっています。
ここでいう神は、宗教などで神とされる存在ではなく、もっと素朴で原始的なものです。日本人が漠然と感じるような、素朴でナイーブな神、あるいは、神という直観(直感か?)の存在は、素直に認めるべきなのではないか。そこを出発点として、神について語るべきなのではないか。
そんなことを考え始めています。


何事の おはしますかは しらねども
 かたじけなさに 涙こぼるる     by 西行


この神(?)は教えを説かない。
実は錯覚なのかもしれないけれど、
ヒトの脳が見せる《まやかし》なのかもしれないけれど、
この神、???の存在、神の直観(直感か?)、神感覚・神体験の存在だけは、認めるべきなのであろう。

と同時に、
ヒトは神を知っている。
プラトンのイデア想起説ではありませんが、そして、すこし文学的な表現になりますが、
ヒトはかすかに神の記憶を有している。
そして、これをもとに、神と神でないものを直覚的に嗅ぎ分けることができる。
―――直覚的にです。ここに理性や悟性などと呼ばれるものが加わると、おかしなこと、おかしなものになる―――
ひょっとしたら、これはヒトが進化の過程で身につけた、ヒトという種の存続のために獲得した能力なのかもしれないのだけれど、
こうした《こころのハタラキ》、この存在だけは認めるべきなのであろう。

そして、
この神は、決して、死にません。
キリスト教、イスラーム、仏教などなどの宗教、
金、自由、理性などなどの新参の神さまがすべて死に絶えようと、
この神だけは、死・な・な・い。
この神だけは、ヒトが葬り去ろうとしても、葬り去ることはできない。


そんなことを、ちょっくら、考え始めています。

ニーチェは「神は死んだ」と考えていない、と思いますよ。
アポロン・ロゴス的な神は死んだのかもしれないけれど、
何だかわからないディオニュソス的・パトス的な神の存在は否定していないじゃないですか。
コスモス的な神ではなく、カオス的な神の存在までは否定していない、と思いますよ。

こんにちは。


それが何であるかはひとまず置きまして、
素朴な心性として「神はいるのであろう。そして、ヒトは神を知っているのではなかろうか・・・」などと、昨日から考えるようになっています。
ここでいう神は、宗教などで神とされる存在ではなく、もっと素朴で原始的なものです。日本人が漠然と感じるような、素朴でナイーブな神、あるいは、神という直観(直感か?)の存在は、素直に認めるべきなのではないか。そこを出発点として、神について語るべきなのではないか。
そんなことを考え始めています。
...続きを読む

Q【小売・流通の神様の本】日本の小売・流通業を経営している人は必ず読んでいるという小売の神様が書いた書

【小売・流通の神様の本】日本の小売・流通業を経営している人は必ず読んでいるという小売の神様が書いた書籍の名前を教えてください。

ダイエーとかマクドナルド、ニトリにUNIQLOの社長もEコマースやECビジネスやのれんやフランチャイズをする人は必ず読んでいるという本です。

ほとんどの経営者が読んでいるという。

Aベストアンサー

日本銀行券

Qどんな《神は死んだ》のか?

 どんな《神は死んだ》のか?

 主題は ふたつです。
 神とは何か?――あるいはつまり 神とは何でないか?
 ニーチェのたましいをやすらかな眠りにみちびくことばをかけるとしたら それは何か?


 まづ 三島憲一のニーチェ論の一端を引きます。あとで 具体的に問います。

 ▲(三島憲一:ニーチェが戦ったもの) ~~~~~
 ニーチェが『喜ばしき知識』の中で《神の死》を宣告した話はよく知られている。

   寒くなってきてはいないか?
   これからはますます夜に 夜が深くなっていくのではないか?
   昼前から行燈を灯す必要はないのか?
   神を埋葬する墓掘人たちの音がまだなにも聞こえないというのか?
   神が腐る臭いがまだしてこないのか?
   ――神々といえども腐るのだ。
   神は死んだ!
   死んでしまい 蘇ることはない!
   しかも 我々が殺したのだ!
   殺しの中の殺しをしたの我々は いかにして自分たちを慰めたらいいのだろうか?
   これまで世界が持っていた最も聖なるもの 最も強いもの その神が我々のナイフによって血を流して死んだのだ。
    (『喜ばしき知識』125番)

 大方の思想史では このいささかパセティックで安っぽいレトリックに溢れた文章によって ニーチェはプラトニズムとキリスト教がその根拠となっていたヨーロッパの道徳の自己崩壊を確認したということになっている。形而上学の完成と解体が告げられている とされている。

 しかし 考えてみれば 変な話である。すでに一八世紀の啓蒙主義以降 知識人は 家庭のつきあいを別にすれば キリスト教の神は信じていなかったはずである。プラトンのイデアとなればなおさらで 大学の哲学科の訓古注釈の営みの外で そんなものを信じている銀行家や工場主や労働者や農民や そしてなによりも将校たちが多数いたとは到底考えられない。なぜ キリスト教の神の死を ニーチェはいまさらのごとく触れ回ったのだろうか。

 実際には・・・ニーチェはいわば 自己の議論の正当化のために 当時において標準化されていたヨーロッパの思想の歴史を逆転して 新たに構築しただけであって 実際に闘っていたのは一九世紀の自分の周囲の生活形式(あるいは文化)であり それへの抵抗の中で このようなキャッチフレーズを生み出したのである。

 《我々が殺したのだ》ということは 神を生かしておくも 殺しておくもこちら側 つまり我々の思うまま 我々のさじ加減一つということである。すでに神は我々によって構築されていたことが含みとしてある。つまり 神を構築してきた当の我々が葬られるべき存在なのである。ニーチェが闘った相手は 神の語をむやみに重視する一九世紀の生活形式であり 文化なのであった。

 ひとことで言えば この生活形式の中核は ナポレオン戦争の終結とともに だがさらには一八四八年革命以降 特に顕著になったヨーロッパの再キリスト教化 そしてそれとタイアップした市民階級の再封建化といわれる現象である。ニーチェはその知的生涯においてそれと闘う中で 彼の《破綻の美学》を生み出したのだ。
 ・・・
 再キリスト教化自身が ニーチェには神の死を意味していたのである。

 (三島憲一:『ニーチェ以後――思想史の呪縛を越えて』 2011 第五章 破壊的理性の美学――素描の試み   pp.149-151 )
 ~~~~~~~~~~~~~~~~

 一九世紀の《再キリスト教化》について三島は きちんと例証していると思います。
 そこでそのことに深入りはせずに 全体としてこの三島の議論に 必要な注釈をつけたり あるいはちょっと違うのではないかという批判を加えたり 言うべきことがありましたら まづそれらをおしえてください。

 と言っておいて あとは 神とは何か? を問います。

 三島も触れていますが 《われわれが構築した神をナイフで殺した》のなら それは《観念の神》であって・あたまの中の想念の中に描かれた思いや考えであって 劣ったものであったり時代遅れになったりしたら ナイフで切り殺されても当たり前です。ただの想像の産物を相手に闘った。またそういうたぐいの〔ニーチェの〕文章である。

 つまり そんな《ただの観念の構築と抹殺といったお遊び》のことを どうしてそんなに熱情を燃やして闘ったりしたのか? それは どこから見ても《神》ではなかったというのに。

 いったいニーチェとは何だったのか?
 レクイエムを書いてやってください。

 どんな《神は死んだ》のか?

 主題は ふたつです。
 神とは何か?――あるいはつまり 神とは何でないか?
 ニーチェのたましいをやすらかな眠りにみちびくことばをかけるとしたら それは何か?


 まづ 三島憲一のニーチェ論の一端を引きます。あとで 具体的に問います。

 ▲(三島憲一:ニーチェが戦ったもの) ~~~~~
 ニーチェが『喜ばしき知識』の中で《神の死》を宣告した話はよく知られている。

   寒くなってきてはいないか?
   これからはますます夜に 夜が深くなっていくので...続きを読む

Aベストアンサー

歴史も文献もすべて軽視自覚の上ですが、ニーチェが否定したかったのは、外から拘束してくる外在神でしょう。

観念化、教義化、制度化され、それゆえ、人を縛ってくるのが、外在神。

ニーチェに安らかさを与えうるのは、外在神でもあり内在神でもある、梵我一如であり、観念の縛りを越えた境地でしょう。

もっともキリスト教にも聖霊という内在神の面もありますが、観念化、教義化、制度化により、実質離れてしまってきていたのではないでしょうか? 観念、教義、制度の度合いを少なくしたクエーカーあたりに、本来の内在神との接触が残されてきているように思われます。日本では、梵我一如の同型として、大乗仏教や神道があり、これらに触れていれば、ニーチェも満足したかもしれません。


人気Q&Aランキング

おすすめ情報