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正しいと言えるでしょうか?

A 回答 (5件)

「ニューロンの計算不可能性」とは、何を指しているのでしょうか?


ニューロンは細胞であり、ケミカルな反応をしているに過ぎません。

基本的に、ニューロンとシナプスからなるニューロネットは、
一般に考えられているような電気信号のリレーではなく、
「シナプスのすき間に分泌される伝達物質の濃度が高まった
ら伝わる」とか、「伝わった先のニューロンの興奮を逆に抑える
抑制型」といった、デジタルな信号ネットワークとは異なる、
アナログかつ有機的な情報系をなしています。

もしニューロンが物理系に関与しているとすれば、「自由意志」
といった結果的・現象的なものではなく、シナプスか(←あまり
に短絡的か?)ニューロネットの回路の可能性が量子(最小
エネルギー単位)であるとかいったものでしょう。
超弦理論において、全ての素粒子が量子(の定常波)のみから
導かれる事が明らかとなっており、その量子性の有限な物質化
が観察(自己)によって生じる以上、ニューロンなどというバカ
でかいものに依存せずとも自由意志は担保されています。

この回答への補足

>「ニューロンの計算不可能性」とは、何を指しているのでしょうか?

ペンローズが主張している、ニューロン(の集合)の内部にある微小菅のシステムが大規模な量子的干渉を可能にし、しかも個々のOR(客観的収縮)の発生が意識下の出来事を構成しているという説。

補足日時:2012/07/26 11:43
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#1の者です。



>ニューロン(の集合)の内部にある微小菅のシステムが大規模な
>量子的干渉を可能にし、しかも個々のOR(客観的収縮)の発生が
>意識下の出来事を構成しているという説

「微小管」といえば細胞骨格が有名ですが、細胞骨格は、
細胞の形を保ったり、細胞の運動させたり、細胞内の分子の
移動の道になったりしています。
一方精神活動は、個々の細胞の中の反応ではなく、そうした
活動を全て集めた、細胞間の最終的なインパルスのON・OFFの
上に派生するものです。

階層現象性のレベルが違うので、(直接に「微小管のシステム」
がニューロネットに接続するような)精神性に反映されるとは
思えません。
むしろ、そうした物質的なシステム(微小管)が精神の潜在的
要素に直接的に反映しているならば、その物質的因果関係に
おいて自由意志は否定されると思われます。
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この回答へのお礼

お忙しいのに貴重な見解をありがとうございました。たいへん参考になりました。

お礼日時:2012/09/06 08:29

自由意志があるというのは、自らが選択するということですよね。



>ニューロン(の集合)の内部にある微小菅のシステムが大規模な量子的干渉を可能にし、しかも個々のOR(客観的収縮)の発生が意識下の出来事を構成している

ペンローズは意識下のことを明示しているだけで、ここには意識上のことにはふれてなかった気がします。
間違えていたら教えて下さい。読み直してみます。


自らが選択するのは、意識上の出来事で意識下で選択はできないのではないでしょうか。
しかし、意識下のデータが意識上の選択に関与することはあると思います。

過去の体験で、心地よかったものを条件の一つとしている場合か
過去の体験で嫌な思いをしたことを条件の一つとして含める場合です。

過去の出来事を意識上にまで上げなくても、無意識のまま印象として影響する場合があります。
分かりやすいところでは、結婚して気がついたけど父親に似ていたとか母親に似ていたとか。
もちろん父親・母親に似てる人を最初から意識的に探した訳じゃなく。


しかし、人は無意識行動もやります。
自動制御みたいなものです。
右手で持つとか右足出したら次は左足とか。

毎回毎回、頭の中で「右・左・右・左」と、通常は大人になって考えながら歩く人はいません。

それは、最初に自由意志により歩き方を身につくまで繰り返してできた行動パターンであり
それは強くニューロンに刻まれています(回路として出来あがっている)

身につけるとか体で覚えるとかいうやり方ですね。


食べる・寝るなどの生まれた時からできること以外は、すべて自らが選んでいます。
(その時のことを、今覚えていなくても)
それで、「今日の私」を皆がそれぞれ作り上げてきたのです。

つまりはニューロンの計算不可能性は、自由意志に還元するのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

お忙しいのに貴重な見解をありがとうございました。たいへん参考になりました。

お礼日時:2012/09/06 08:28

 ペンローズの言う計算不可能性は、2段構えになっています。

1段目は、人間の意識は、ノイマン型コンピューターの結果ではないです。

 ノイマン型コンピューターには、つうじょうの手続き的アルゴリズム(注:オブジェクト指向も結局はこの範疇),遺伝的アルゴリズム,カオス的挙動など、要するに不完全性定理を越えられない全ての計算行為(動作,思考挙動)が含まれます。人間の意識(思考動作)は、これらのいずれでもないが、1段目です(今のところ、ペンローズの個人的な予想でしょう)。

 しかしこの話は、物理的世界が非決定論かそうでないかとは、直接のつながりはありません。


 2段目としてペンローズは、人間の意識が、ノイマン型コンピューターや不完全性定理を越える動作だと仮定して、その具体的な物理的発現機構として、量子力学を持ち出します。

 上記が本当なら、#1さんが仰るようにように、ミクロなレベルでは自由意思(非決定論)は担保されています。でも、ペンローズが頭からデコヒーレントを信じているとは思えませんが、微小管ほどのマクロなレベルになると、決定論的傾向が非常に強い事は確かです(それが日常世界です)。ミクロなレベルで非決定論であっても、現実に非決定論結果がマクロのレベルに現れるためには、確率的に宇宙の年齢以上の時間が必要だったりする、という話です。それが#2さんだと思います。

 ただペンローズ意見は、量子効果(非決定論)が微小管という、従来の量子力学の感覚からすると、まぎれもなく巨大でマクロな系で発現すると、言っているようにも読めます。

 そうであるなら、あるいは「自由意志をニューロンの計算不可能性に還元」できるかも知れない、というのが、自分の意見です。ペンローズはたぶん、この点には触れてないと思います(あえてかな?)。
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この回答へのお礼

お忙しいのに貴重な見解をありがとうございました。たいへん参考になりました。

お礼日時:2012/09/06 08:28

ガチで答えるなら、正しいとは言えないでしょうね。



まず、「意識は実在するか?」という問題を飛ばしています。
意識は物質的現象に還元しうることを当然と考えていることになります。
これは重大な論点先取ですね。
最も本質的で根本的な問題に気づいてもいないということです。

永井均が『なぜ意識は実在しないのか』の中でチャーマーズを幼稚とか素朴とか言ってボッコボコに批判していますが、現代の「心の哲学」の最前線で行われている議論の精妙さの水準からすると、ペンローズの問題意識は問題外でしょう。

次に、自由意志と決定論との位置づけです。
業界では、なぜか、自由意志と決定論との二項対立を当然のこととして想定します。
しかし、自由意志は決定論の対概念ではありません。
自由意志と、決定論と、それ以外のもの(たとえば「偶然」)がありうるはずです。
そのように考えず、自由意志と決定論との二つだけで考えようとするから、偶然性を無理やり「自由意志」として扱わなければならなくなります。
偶然性を証明しても自由意志を証明したことにはなりません。

三つ目は、「自由」意志以前に、そもそも意志を持つことは可能か?という問いが無視されている点です。
これはウィトゲンシュタインの洞察として有名です。脳科学の実験のような大げさな話を持ち出さなくても、簡単な論理により「意志は存在しない」ということが言えます。

意志とは、「自分」が何かをしようと思うことです。
では、その「××しよう」という思いはどこから生じたのでしょうか?
「『××しよう』という思いを抱こう」と「自分」で思ったわけではありませんね。
意志を意志することはできない、ということです。
つまり、何かをしようという思いは、遡れば、自分以外のところからきていることになります。
思いの出所を遡ればいくらでも続いていきます(無限後退するということです)。

それは何を意味しているでしょうか?
「思い」の発生理由を何かに帰属させるという発想自体が誤りだということです。

ここで最初に戻ると、意志という概念は、何かをしようという思いが「自分」から生じ、「自分」に帰属していることを意味しています。
しかし、その思いは「自分」から生じたものでもなければ、最終的な出所を定めることもできないのですから、意志という概念そのものが誤っていることになります。

意志が存在しえない以上、自由意思を語ることは最初からナンセンスなのです。
自由かどうかの問題じゃないということです。
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この回答へのお礼

お忙しいのに貴重な見解をありがとうございました。たいへん参考になりました。

お礼日時:2012/09/06 08:27

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