お酒好きのおしりトラブル対策とは

忍者と侍はどちらが強いですか?
よろしくおねがいし

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A 回答 (3件)

 侍です。


 忍者はそもそも強さを追求しません。
 忍者は陰に潜み、それと知られずに接近して、気付かれずに殺傷するのが仕事。
 それを強いとは言いません。
 侍と1対1になった時点で忍者失格なのです。

 手裏剣を投げれば、と思うかもしれませんが、十分な殺傷力のある手裏剣は重く、何本も携行しては行動の妨げになりますから、手裏剣で敵を倒すには弾数が不足します。
 手練の侍なら弓矢も切り落としたといいますし、手裏剣も急所に必中しなければそれだけではなかなか敵を倒せません。
 手裏剣から刀に持ちかえる隙も生じますし、忍者刀は潜入用に短く設計されており、侍の刀と切り合うには分が悪いでしょう。
 侍は甲冑を着込んでおくという場合もありえるでしょうし、よほどの力量差がない限り、忍者が姿を現して1対1で侍に勝つことは困難と言わざるをえないでしょう。
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この回答へのお礼

弓やも斬れるのですか
侍はかっこいい
私は忍法も刀をも愛しています
良い回答をありがとう!

お礼日時:2012/08/11 19:43

おはようございます。



こればっかりは推測の域の出ない話です。
もし忍者と侍が戦ったらどちらが勝つか…。
私は忍者だと思います。
まず手裏剣といった飛び道具が使える。
侍は自分に向かってやって来る手裏剣をかわしたり、刀で弾いたりするのは困難でしょう。

刀だって使える。
侍の刀と比べて短く真っ直ぐですが、侍より動きが俊敏な為、
侍より早く間合いに入る事が出来ます。

以上が私の推測です。
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この回答へのお礼

おはようございます
シュリケンは強い。かっこいい。
ですが忍法はつかわないのですか?
良い回答をありがとう!

お礼日時:2012/08/11 19:42

 虎とライオンみたいなもので、忍者と武士では生存空間というか、活動の場、活動の方法が違うので・・・



 また、柔道5段と空手1級を戦わせて、柔道家が勝っても柔道が空手よりも強いという話にはならないし、忍者が見つかって武士と戦わなければならなくなった時点で、職務失敗。あまり有能ではない忍者と宮本武蔵みたいなのを戦わせてどっちが強いと言ってみても・・・

 ですから何層にも仮定や条件を積み上げて空想しないといけませんねぇ。

 
 いっぱんに忍者の戦い方は、武士からすると、卑怯な戦い方であろうと思われます。

 例えば、武士では、(たぶん今の剣道の試合でも)足をなぎ払うような行為は禁じ手です。

 他方、忍者はおかまいなし。

 目つぶし、しかり。吹き矢や針・・・ なんでもアリ。

 夜ならば、わずかな光を反射する武士の刀に対し、忍者の刀は黒く塗って見えにくくしてあるそうですし。

 武士には体面があるので逃げませんが、忍者は形勢が悪くなれば躊躇せずに逃げて後日を期すでしょうし。

 ですから、殺し合ってどっちが生き残るか、という話になれば「忍者」でしょう。

 だから忍者が強い、と言って良いのかどうかは、わかりません。

 サッカー選手とラグビー選手がそれぞれのルールで戦っているみたいなもので、ルールが違うのでしようがありませんね。
 
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この回答へのお礼

oh...
忍者が強いのですか。しかし日本刀はかっこいい
良い回答をありがとう!

お礼日時:2012/08/11 19:40

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Q武士と忍者

武士と忍者は、どちらが強いんでしょうか?

私の勝手なイメージでは、忍者ほど強いものはいないと思うのですが。

(宙を舞って忍術を使う・・など、誇張されたものなんでしょうか?)

そこでふと思ったのは、

●戦国武将はどうして、忍術を学ばないのでしょうか?

ちょっと耳にしたウワサで真田幸村は剣術にも長けていたと聞きますが、
それプラス忍びの術も使えたら最強なんじゃないでしょうか?

武将と忍術は、両立が難しいのでしょうか?

Aベストアンサー

ん~滋賀県甲賀に甲賀流忍術を伝える処があるにはあるんですが、皆が思ってるような超人的な事はしてないようですよ。

そもそも、忍術を使う忍者ってのは下忍だけで、その上の中忍は小隊長もしくは指揮官、忍者の主たる上忍は大体その土地の土豪です。
私は三重県の名張という処に住んでますが、名張にも赤目竜ノ口に百地丹波という土豪がいて所謂「百地三太夫」と云われた上忍でした。
隣の町の伊賀には藤林や服部がいてましたが、彼らが忍術を使うというより下忍中忍を統率していたようです。
皆さんが思ってらっしゃる忍者とは所謂、下忍の事です。

>戦国武将はどうして、忍術を学ばないのでしょうか?
戦国時代に係わらず忍者(下忍)という物は化生(けしょう)の者といって、妖かしのような物と認識されており、いくら足が速かろうと空高く跳躍できようと、それは人外の者の仕業として忌み嫌われました。
忍者の事を人間以下と思っていた武将もいたんではないでしょうか。
だから基本的に武術は学んでも忍術は学ばなかったと思います。
両立できないのではなくて両立する必要がなかったのでしょう。
まぁ滝川一益は一説には甲賀忍家の出身とかいってますがね。

あと
>武士と忍者は、どちらが強いんでしょうか?
これは個人戦としてのことでしょうか?それとも集団戦としてでしょうか?
個人戦であれば忍者に分があったかも知れませんが集団戦なら野戦であれば武士のほうが数量、統率力とも上回ります。山岳戦(ゲリラ戦)や城攻めであれば忍者に分があるかもしれませんが結局は数の違いで武士には負けるでしょう。

ちなみに忍者の服装は黒装束ではなく灰色もしくは淡い柿色が多かったみたいです。

ん~滋賀県甲賀に甲賀流忍術を伝える処があるにはあるんですが、皆が思ってるような超人的な事はしてないようですよ。

そもそも、忍術を使う忍者ってのは下忍だけで、その上の中忍は小隊長もしくは指揮官、忍者の主たる上忍は大体その土地の土豪です。
私は三重県の名張という処に住んでますが、名張にも赤目竜ノ口に百地丹波という土豪がいて所謂「百地三太夫」と云われた上忍でした。
隣の町の伊賀には藤林や服部がいてましたが、彼らが忍術を使うというより下忍中忍を統率していたようです。
皆さんが思...続きを読む

Q歴史上の最強の忍者

比較する方法によるとか、その時代の武器は弱かったとかそう言うのは別にして、最強と呼ばれるにふさわしい忍者って誰でしょう?

Aベストアンサー

#5です
いきなり自説を否定するようですが

柳生十兵衛が忍者だったという説があります。
●大和柳生の庄は伊賀甲賀に近く親交があったと思われること
●十兵衛の父、但馬守宗矩が幕府惣目付(大目付)の地位にあり、弟子の柳生剣士を大藩の剣術指南役に推挙してたのも、弟子を間諜(忍者)に使っていたとも考えられる点
●柳生十兵衛はその生涯に全く記録に残っていない次期があり、その間の同行が完全に不明な点
●十兵衛は世間一般には隻眼と流布されているが本当は両目ともあったことが情報操作や変装を匂わせること
●十兵衛は鷹狩の途中で変死しており、それを幕府が検死していること(大名や高級旗本の子弟の死に対して幕府が改めるのは異例中の異例)

これはあくまで「仮説」にしか過ぎませんが、時代小説などでは「柳生忍軍」「裏柳生」の存在は定番ですよね。
そして、もし彼が忍者であるなら、「柳生石舟斎の生まれ変わり」とも「梟雄」とも呼ばれた剣の天才十兵衛でしたら「最強の忍者」の称号を得ても不思議ではありませんよね

Q江戸時代の侍は、普段何をしていたのでしょうか?

江戸時代は戦もほとんどなっかたと思うのですが、平和時に侍は日常何をしていたのでしょうか?行政や事務方の仕事を兼務していたのでしょうか?

Aベストアンサー

 侍は確かに今で言う公務員ですね。
 藩政に関わる仕事を基本にして、あとは娯楽や稽古など・・・。
 初期と幕末期は様子が違いますが、江戸時代らしいと言えばらしい、まるっきり平和ボケな中期の頃の話をします。
 んで旗本大名クラスじゃなくて、ホントの窓口公務員っぽい人たちの話。

 現代のように週5日で朝9時から夕方5時まで勤める、ということはありません。
 お城の番兵みたいな人は、せいぜい月に数日間しか公用がないこともありました。
 接待係のような人も、御用商人が接待してくれれば遊べるかなくらいで、実際にはやる仕事が全然ないんですよね。
 一応、忙しい人がいないわけでもなく、御算用者という財務会計専門の役職は激務だったみたいです。
 理由は・・・そりゃあねぇ。お察しください。
 きっとストレスでバッタバッタ倒れたでしょうな。

 それに地方大名はやれることが限られてました。幕府がいろいろ禁止してますから。
 たとえばお城の石垣が傷んで直そうとしても、幕府の許可がないとやっちゃいけないんです。

 で、大部分のヒマな侍は何をしてるかと言えば「やることがない」のです。
 しょうがないから芝居見物、博打、酒盛り、釣り、生け花、俳句など、いかにヒマをつぶすかに一生懸命だったでしょうね。
 知行はあるけど、これだけ遊んでればお金も無くなります。
 だから武士の命のはずの刀を質に入れ、金を借りたりしてるのが普通なわけです。
 江戸に行けば生活費もかさみますので、ちょっとくらい手当をもらっても借金がふくれるばかりという人もいました。


 仕えていた藩を取りつぶされたりして、仕官先のない武士は「侍」とは言わず「浪人」と言います。
 今でも残っているこの言葉の通り「仕事も何もすることがない人」だったりします。つまりニートってこと。
 ホントに何もやらないと当然収入がないので、内職したりして日銭を稼いだりしてました。
 時代劇じゃ傘張りとか耳かきの製作とかやってますよね。

 そんなわけで士農工商とは言われてますが、武士も実際には商人に金を借りまくってたりして、あまり偉そうにはできなかったというのは有名な話。
 商人、職人、農民は何かヒット商品で成功すれば豪商や豪農のように成り上がれますが、武士にはそれがないのがつらいところ。
 経済的に豊かな武士というのはおらず、実質的に武士は江戸時代を通じて無職者集団に近かった、とさえ言われてます。

 参考になれば幸いです。

 侍は確かに今で言う公務員ですね。
 藩政に関わる仕事を基本にして、あとは娯楽や稽古など・・・。
 初期と幕末期は様子が違いますが、江戸時代らしいと言えばらしい、まるっきり平和ボケな中期の頃の話をします。
 んで旗本大名クラスじゃなくて、ホントの窓口公務員っぽい人たちの話。

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Q何故?お侍さんは刀を2本持ってるのでしょうか?

タイトル通りですが
お侍って腰の所に2本の刀(長刀と短刀)を、持っていていたのでしょうか?

Aベストアンサー

もともとは武士が持っていた
太刀というのが非常に大きくて
合戦のときは鎧の上からこれでぶん殴って
馬上から叩き落す、あるいは組み付いて
引きずり落としてから
脇差(短刀)を抜いて、喉元や脇の下をグサっと刺して
相手を殺していたわけです。
だから実用の武器は実は短い方だったわけ。

ちなみに太刀は非常に丈が長かったので、腰刀にはできず、
短刀のほうも古いものは丈が通常の刀と思うぐらいに長いものでした。

平安から鎌倉を通じてこのような
戦いの作法があったわけですが、
室町・安土桃山の頃になると集団戦が
中心となったために、太刀が廃れ、
より扱いやすい打刀が主流となり
打刀(大きい方)が実用の武器となったわけです。

ちなみに腰に足緒(あしお)で吊る太刀に対して、
帯にさして用いる長い刀を打刀(うちがたな)といいます。

豊臣秀吉の刀狩以降、新スタイルの刀剣、新刀が生産されるようになり
大小拵、同じ鞘塗装、絵巻で統一された打刀と脇差の二本を腰にさす
武士の作法がしだいに完成されます。
江戸時代には幕府の規定で大刀・ニ尺三寸、脇差一尺五~七寸と
定格化されて、時代劇でみるような感じになったわけです。

この頃になると実用性はほとんど失われたので
拵も形式的なものになり、刃も薄く軽くされるようになっていて、
幕末の頃は、古刀(新刀以前に製造された刀)を用いる
示現流の薩摩藩士などとの戦いでは、刀ごと折られて頭を割られたという
事例がでたほどでした。ちなみにですが。

もともとは武士が持っていた
太刀というのが非常に大きくて
合戦のときは鎧の上からこれでぶん殴って
馬上から叩き落す、あるいは組み付いて
引きずり落としてから
脇差(短刀)を抜いて、喉元や脇の下をグサっと刺して
相手を殺していたわけです。
だから実用の武器は実は短い方だったわけ。

ちなみに太刀は非常に丈が長かったので、腰刀にはできず、
短刀のほうも古いものは丈が通常の刀と思うぐらいに長いものでした。

平安から鎌倉を通じてこのような
戦いの作法があったわけですが、
室町・...続きを読む

Q東京の街で芸能人をよく見かける場所はありますか?

こんにちは。

来週ディズニーシーに行って、帰りの日に夕方まで東京にいます。
どこに行くかよく決めてはいませんが、表参道、青山、銀座など街をブラブラしようかなと思います。
そこで、お尋ねしたいのですが・・

高級ホテルとかではなくて普通に芸能人をよく見かける場所などご存知ですか?
できたら、お笑い芸人やご年配の方ではなくて、TVによく出てくる人がいいです。
ミーハーな質問なのですが、よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

普通に街中で偶然見かけるということはあるでしょうが、”よく見かける”というような場所はどうでしょう・・・あるのかな?
強いて言えば青山・麻布・銀座あたりでしょうか。渋谷も意外と遭遇率高いかもしれません。
一番遭遇するのはやっぱりテレビ局の前ではないかと。
遭遇というより”出待ち”になるのでしょうが。(^_^;)

Q本当の忍者とは

過去の歴史本で見ると実際に忍者がいたのは分かるんですが、忍者ハットリ君みたいな事が出来た忍者は本当にいたのでしょうか。常識的に考えると容易に天井裏に隠れたり、2m超えのジャンプはまず無理かと思うのですが・・。

Aベストアンサー

こんにちは。

>忍者ハットリ君みたいな事が出来た忍者は
>本当にいたのでしょうか。

忍術は、体術も勿論ですが頭脳を使った科学です。 起源については中国からの伝来等諸説あるそうですが、「修験道」や「陰陽道」や「密教」と深く関係があると言われており、山伏のゲリラ戦法が近いらしいです。
活躍した時代は、長享元年(1487)です。最も忍者が必要とされたのが戦国時代で、偵察や情報収集をしたそうです。江戸時代になると平和が続き、忍者の活躍の記録は島原の乱が最後になっています。

>常識的に考えると容易に天井裏に隠れたり、
>2m超えのジャンプはまず無理かと思うのですが・・。

忍び込んだり、逃げたり(遁法)隠れたり(隠業の術)するのは忍者の得意とする所でした。手裏剣や忍刀を使用して戦うのは、本当に最後の手段だったそうです。
忍び込む際には、開器と呼ばれる扉を開けたり鍵を壊したりする道具が使われます。また忍び込み方には決まり事(忍び込む時期や時間帯、多人数の場合はその順番、番犬対策等)が沢山あり、その準備にも用意周到でした。
2m越えのジャンプは、#5の方の仰っている2人1組でジャンプする方法があり(人馬)、より高い物を越えるには3人1組で行います。塀を越える場合等ですと、1人でも刀の鍔に足を掛け駆け上る方法があります。その際は下げ緒を口に咥え上ったら刀を引き上げます(つり刀)。

因みに実際に居た忍者は、服部半蔵正成、風魔小太郎、二曲輪猪助、百地丹波、伊賀崎道順、加藤段蔵、熊若…等が手元の書籍に載っています。
#4さんが『忍たま乱太郎』を掲げられてますが、アニメではなく原作である漫画の『落第忍者乱太郎』の原作者は史学科卒で忍者については勿論その時代背景や風俗等も史実に基づき描かれています。

後は、「忍者」をキーワードに検索すると結構面白いサイトさんがありますね。お時間があれば見てみるのも宜しいかと思います。
では。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=959254

こんにちは。

>忍者ハットリ君みたいな事が出来た忍者は
>本当にいたのでしょうか。

忍術は、体術も勿論ですが頭脳を使った科学です。 起源については中国からの伝来等諸説あるそうですが、「修験道」や「陰陽道」や「密教」と深く関係があると言われており、山伏のゲリラ戦法が近いらしいです。
活躍した時代は、長享元年(1487)です。最も忍者が必要とされたのが戦国時代で、偵察や情報収集をしたそうです。江戸時代になると平和が続き、忍者の活躍の記録は島原の乱が最後になっています。

>常識的...続きを読む

Q侍や忍者でかっこいい和名を教えてください

私は今小説を書いているのですが、キャラクタの名前が中々思い浮かびません。
そこで侍や忍者でかっこいい和名を教えてください。

Aベストアンサー

忍者縛りで。十郎太。大蛇丸(おろちまる)。OO斎。夜叉。鬼眼。岩丸。鵺(ぬえ)。          くのいちなら、楓。桔梗。紅葉。椛(もみじ)。椿。牡丹。鶴。燕(つばめ)。咲。伽具夜。市。りく。沙耶。かるら。                     なんだか見た事のあるものばかりですが、参考にでもしてください。 

Q最初の天皇はなぜ誕生したのか?

初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?
神武天皇は、国王(日本で一番偉い人)みたいなものだったのですか?

Aベストアンサー

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたのであろう。と予測する立場があるんですね。
ですから国家や天皇の成り立ち自体はよくわかっていない中で、神話などの古伝承から国家や天皇の成り立ちを整合性を以って説明できるのでは?と目下奮闘中といった人々もいる。とのあり方が現況では一番進歩が見られるスタンスであり、逆にそのような暗中模索な状況こそが、現在の学界における日本国家成立の研究、ないし天皇支配の淵源の研究などの現状だと思います。

そして天皇(大王)を中心とした国家といった概念が表れたであろうとされるのが、いわゆる4世紀の古墳時代と呼ばれる時代であったことは、考古史料から、特に前方後円墳などの規格性の強い墓制の出現で見当がつきつつあるのですが、そこの詳しい実態は、日本はもとより、3世紀段階における日本の国情を伝えた古代中国の史書などが4世紀時点ではないためよくわからないんです。いわゆる「謎の4世紀問題」ですね。

いずれにせよ『魏志』倭人伝などの記述から、卑弥呼が活躍する前後(3世紀)にあっては「倭国大乱」と評価できる内戦状態が、その規模は別として事実あったのでしょうね。もちろんその戦闘状態は天皇の出現と無関係であるとも思えないんです。その様な中、詳しい経緯はわかりませんが、倭国大乱と呼ばれる混沌とした戦乱の世にあって、統一的国家としてのヤマト政権を樹立するだけの武力ないし交渉力が、4世紀段階における天皇(大王)の祖先にあったことは疑う余地はないのかな?と思いますし、考古史料などが語る結果から帰納法的に糸を手繰りつつ明らかにしようと試みている、3世紀から4世紀にどのような経緯で歴史がつながるのか?といった問題は、識者はもとより僕に限らず古代史に興味を持つ者が一番知りたい部分なのです。

ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたの...続きを読む

Q『更迭』と『罷免』の意味

皆様、こんにちは。

最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。(他にも『解任』などもあったりして)

どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。
gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。
『更迭』は他の人に変える事とでてきます。
だとしたら、『更迭』の用法としては『○○を△△に更迭する』という形となると思うのですが、新聞やTVなどメディアでは『○○を更迭』と使っている気がします。
これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか?

なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

罷免--免職と同じで、辞めさせる事. **を罷免する。はやくいえば首
解任---任を解く  課長の任、地位を解く。**さんを解任するはその人の任(地位)を解くで、**さんを辞めさせるという事ではない。結果的には首もあるでしょう.
更迭---人を変える。**を更迭する。--に***を更迭でもいいし、**を更迭するでも、どこへ行こうが更迭をされる事実がわかれば、いいのだから、**を更迭でもかまわいと思います.地位を下げられる人もあり.

Q空腹を我慢して、いざご飯を食べると腹痛があるんです。

以前から時々なんですが、時間がなくてご飯を食べるタイミングをなくしてしまった時、そのあと食事をすると食事中に胃がキリキリ激しく痛みます。みぞおちの辺りが痛み、背筋を伸ばすこともできず、歩くこともできず体を丸めていないと痛くてどうしようもありません。冷や汗も出る感じです。段々やわらいで、2時間ぐらいするとその後は痛みもなくなりけろっとします。
いろいろなサイトを見ると「空腹時に痛む」とか「食後しばらくすると・・・」など書いてありますが、私のは食中から食後にかけてです。私が思うに、本当に時々ですし「なにもお腹に入ってない時に急にご飯が入ってきたから、お腹がビックリしたのかな?」なんて思っているのですが、病気だったらどうしようと思い書き込んでみました。どうぞ教えて下さいませ。

Aベストアンサー

胃酸が足りないようです。あまりかまないで食事をする癖、またストレスがある場合になるらしいです。
りんごジュースが効くと聞きましたが…
私の場合はストレスです。今も格闘中ですが、
危険そうなときは
なるべくやさしいお粥などを食べたりしています。


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