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私は汚れた人間が嫌いだ。エゴの強い者、私欲に塗れた者、弱者に高圧的な態度をとる者・・・この世に汚れていない大人などいないというのに。

私は生きれば生きるほど汚れていく。金に、性に、地位に。全てのものに価値などないというのに見栄を張り、周りを傷つけ生きていく。

ある日私はふと気づく。何の為に生きるのか私自身が分かっていないことに。無駄に年を重ね、しわが増え、家庭を持ち、疲れ切った身体に鞭を打ち、それでも生きていく。そこに意味などないというのに。断とうと思えば簡単に失える営みを私は毎日懸命に行う。

ある日私はふと気づく。幸せと思われる家庭の中で、友との会話の最中に、慌ただしい朝の通勤ラッシュの電車の中で。鮮やかだった少年時代の記憶がいつの間にか色褪せていることに、眼前に広がる世界などとうの昔にくすんでしまっていることに。

ある日私はふと気づく。周りの汚い人達との私欲に塗れた会話に嫌気がさしている自分に。地位や見た目しか見ない他人に。地位や見た目を気にする自分に。

そしてある日ふと思う。生きるために他人を傷つけ、汚いエゴを持たなければならない自分が居ることを。

あなたは「生きること」をどのように考えていますか?

A 回答 (10件)

私は死ぬときに 生きること の意味がわかると思い生きています

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この回答へのお礼

分からなければどうするんですか?私には7,80年生きて分からないことが死ぬ直前に分かるとは思いません。

お礼日時:2012/09/28 22:29

そのヨゴレと引き替えに何を得て、何を後世に伝えるかですね。


生きてヨゴレただけでした、何も残しませんでしたというのはダメでしょ。
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この回答へのお礼

なるほど。「後世に伝える」ですか。気取った言い方ですが、私は自らが死した後の世界を思える程この世界を愛せません。

お礼日時:2012/09/28 22:34

「この手を見て下され、ジル様と同じ病じゃ。


あと半年もすれば石と同じになっちまう。
じゃが、わしらの姫様はこの手を好きだと言うてくれる。
働き者の綺麗な手だと言うてくれましたわい」

かくありたいです。

薄汚れた泥の中にこそ、傷つかず、輝きを放つ真珠を見い出す目が欲しい。
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この回答へのお礼

なにかの小説の一節でしょうか?薄汚れた泥の中にこそ、傷つかず、輝きを放つ真珠を見い出す目が欲しい。ですか・・・その薄汚れた泥は砂漠より広く、輝きを放つ真珠は微生物より小さいでしょうがね。

またこの働き者は「わしらの姫様はこの手を好きだと言うてくれる。」と言っています。この人は姫様に言われたからこれ程喜んでいるのであり、自分の奴隷に同じことを言われてもこんなことは言わないでしょう。人を地位で判断する人間です。姫様もたいした審美眼をお持ちではないかと。

お礼日時:2012/09/28 22:42

>私は自らが死した後の世界を思える程この世界を愛せません。



世界を愛するのはなかなかに難しいと思います。
ご友人や家族のために、くらいでいいんじゃないですか?
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この回答へのお礼

私は汚れた人が根柢の部分で嫌いです。親も、兄弟も、家族も、友も、そして自分も。根では信用などしていないのです。

お礼日時:2012/09/28 22:51

そう云う思いで生きているのは


当然 貴方だけではないでしょう。
私もそう思って生きてます。
自分の価値観と現実との統合失調感に
悔やみ焦り絶望し…
翌日は又 同じ事を繰り返す…
苦悩の連鎖です。

しかしながら
自分を勘定に入れずに
命を精算すれば…

生きる とは 生きる 事です。
それ以上でもそれ以下でもありません。
生きるために 生きるのです。
ですから
生きる とは 死なないための闘争 でしかありません。
弱肉強食の生存競争でしかないのです。

貴方のおっしゃっている事全てが
マットウな生物としての美しい姿です。

どんな価値観を持とうと私の勝手ですから
その結果 どんなに苦しもうが 私の自由です。
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この回答へのお礼

苦しむのは本当にあなただけなんですか?生きるために生きるですか・・・私はそう考えようとするとやりきれない気持ちになってしまいます。

お礼日時:2012/09/28 23:11

生きるとき


人はどうしようもなく欲するものですが

結果として
その過程の中の一番いい時にエゴの部分が固定されます

欲することは構わない
それでも過去の一番を忘れられないのは問題で
この部分は主に地位や名声、知名度でしょうか、名誉ともいいますし
欧米では貴族階級に属することが相当します

生きることは欲することです
欲することは非常に動的で必ずストレスを生みます
このストレスは向上心を刺激し満足を促す良性のもので人生に寄与します

私はエゴの部分を切り捨てるために日頃からふざけているのですが
うまく行きませんね

とりあえずですが
哲学的には
自分の欲しいもの
自分の嫌いな物
自分の責任
自分の今考えていること

これを書き出し
もつれている部分をほどくことでしょうか
特に、責任に強いられて欲しいものが変わってしまうことは多いので
注意して観察してください

自分の欲しいものが分かった時には
それを自らの人生にどうすれば取り込めるかを一通り考えると良いでしょう

欲しいものの折り合いが付けば実行してみてください
その時、エゴがからまなければ最高ですが
もしエゴがからんでもあなたが進んでふざけることが出来るのなら
生きることに寄与するはずです
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この回答へのお礼

>自分の欲しいもの
>自分の嫌いな物
>自分の責任
>自分の今考えていること
>これを書き出し
・名声
・存在
・養う、孝行
・後悔
欲しいもの自体がエゴでした。参考にします。

お礼日時:2012/09/28 23:58

>私は汚れた人が根柢の部分で嫌いです。

親も、兄弟も、家族も、友も、そして自分も。根では信用などしていないのです。

自分自身を侮辱していらっしゃる。悲しいことだと思います。
せめて、自分くらいは自分自身を愛してみませんか?
もし愛せないのでしたら、愛すべき人間になってみてはいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

私が私自身を愛せる存在になったとしたら私は生きていけません。

お礼日時:2012/09/28 23:51

>私が私自身を愛せる存在になったとしたら私は生きていけません。



あらまあ…それはどうしてでしょうか。
もしかして、恥ずかしがり屋さんなのでしょうか。
それとも「世の流れに竿を差している俺カッコイイ」的なものなのでしょうか。
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ご自分が生きていると感じているうちはまだまだ純粋です。



私も若い頃、トルストイやドストエフスキーなど読んでいた頃にはよくその様な事を考えたものです。

生きる意味を考えているうちはまだ幸せなのです、現役で人と関わっている証拠です。

そのうち自分を取り巻くすべての状況が自分を動かし、しかも自分を支配している事に気付くはずです。

私は生かされている自分を強く感じますし、「運命」「宿命」の中で汚れるのも良いかと思います。

所詮、人は生まれた瞬間から血にまみれてこの世に出てきたんですから。
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じじいです。



私は、幸運にも技術屋だったので金にも地位にも目がくらむ事なく生きてきました。

人生の黄昏に、生きている充足があります。

仕事も、もう第一線から離れているので気楽なものです。

残った一人の人生に、ささやかな楽しみを見つけて生きるだけです。

ただ、平穏で、幸せで・・・申し訳ない・・・
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