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別の質問で「表六・兵六・宿六・亡六」などの名詞が出ていました。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7732993.html
実は、「名前の中にある数字などは出生順を示すもの」としか思っていなくて、これまで気にしたことがなかったのです。
考えてみると普通名詞には、「表六・兵六・宿六・亡六」などあまり良い表現・内容・言葉とは思えないものに「六」が使われています。
一方、蜂須賀小六、村田蔵六、林家彦六、歌舞伎の助六、秦藏六など、「六」を名前に入れている著名人も多いです。 http://www.shinise.ne.jp/receive/highest/hata_zo …
村田蔵六は長男で頭脳優秀ですから、六番目とは関係がなくて、能ある鷹は爪を隠す、実るほど頭を垂れる稲穂かななども踏まえて、「亀が甲中に頭手足尾(六)を蔵して身を守るごとく、人間も六つの感覚器官を制御して」で「蔵六」としたのでしょう。
蜂須賀小六も長男とのことです。何で小六、小六郎だったのでしょう。
正宗彦六(徳川夢声)、林家彦六の六には特別の意味を感じません。六番目だったのかもしれませんが、出生順とは関係のない六なのかもしれないと思えて来ました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001311/files/49830 …
助六、六兵衛などは、元来出生順が六番目の人物がいて、その人物がスゴイ方であったために、引き継いで助六、六兵衛と名乗っただけなのかしれませんが、「六」に悪いイメージがついていたら、昔の人は成人前あるいは成功後には改名して「六」を使わなかったのではないかと思います。
このように考えると、「六」に悪いイメージはなかったのではないかと思えます。
「六=陸」ならば、「陸」も「良い・正常」に近い感覚で、これも悪いイメージはないです。
 
そうすると、「宿六・兵六」が“ゾンザイ扱い”である理由がわかりません。
 
[表六⇔蔵六]は、亀の譬話から推定できても、≪宿六≫はわかりません。
昔のことだから、表六を兵六と書いてしまうことがあるのもわかります。
 
『法句譬喩経』巻1「心意品」第11  水狗(かわうそ)が、歩いている亀を食おうとしたが、亀は頭・尾・四脚を縮めて甲羅の中に隠した。水狗が遠ざかると、亀は頭足を出して再び歩き始め、無事であった。「亀が甲中に頭足を蔵して身を守るごとく、人間も六つの感覚器官を制御して心を守れ」と、世尊は説いた。
おろく(死体)の六は、「南無阿弥陀仏」の「六字」のことだというのは、語源を問われた半可通が作った後付けの俗説でしょうか。
それとも、六⇒六字(南無阿弥陀仏)という常識が、遺体(仏・ほとけ)⇒[おろく]と呼ばせたのが実際なのでしょうか。そうでしたら、仏像をおろくと呼んだり、通夜や埋葬でも遺体をおろくと呼んだりしたのでしょうか。
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名前や普通名詞に使われる「ろく・六」に関して、それなりに根拠のあることなどありましたら、お教えください。

「小六・彦六・蔵六・助六などに六が使われる」の質問画像

A 回答 (5件)

#2です。


>碌々や碌でもないは、陸が正しい字だったが碌に代わられたとなる説明は不自然な気がします。

それどころか、次の薀蓄ではさすがに眉唾もののように思えて…。
「思うに、「甚六」というのは、「碪碌(ちんろく)」を簡略にした宛字であろう。「碪(チン→ヂェン)」は「砧(ちん)」と同じく、槌で布を打ち柔らげるのに用いる石の台であるが、「碌」は、デコボコのゴロタ石であるから、ゴロタ石の砧では役に立たない。そこで、使い物にならない碌でなしを「碪碌」といい、それを略して、「甚六」と書いたものと思われる。」(萩谷朴「語源の快楽」角川文庫)

>「陸」からの否定形への転位は、いつ頃おきたのでしょう。
1603年刊の「日葡辞書」には、すでに形容詞や副詞用法が盛んだったようですが、それが打消しで記録に現れるのは約100年後の浄瑠璃本あたりからのようです。
「Rocuna ロクナ(陸な) 平坦な(こと)。 例」Rocuna michi(陸な道) 平らでなだらかな道。また、まっ直ぐな(こと) Rocuni ロクニ(陸に) 副詞」(「日葡辞書」)
「ろくなことは出かさず片鬢剃りこぼされ。大門口に曝された友達の一分棄てさする。」(近松門左衛門「冥途の飛脚」)

一方、「ろくぢ」で「陸地(平坦な土地)」と「六字(浄土宗の名号)」を掛けた言い方が元禄期には文献に現れています。
「北野に常題目といふ所あり。さる法花の俗人聞き及びて、はじめて参られけるに、寺内事の外ひろしといへども、地形たかひく有てみぐるしゝ。「とてもの事に地をろくにならしたきものかな」と噂するを、亭坊申さるゝは、「此の高ひくありてこそ題目も相続すれ。ろくぢは此方にさし合いぢゃといふ」」(「軽口露がはなし5、9常題目の地形」1691年)
言ってみれば、「平らにならしては困る。高低があるから題目(南妙法蓮華経)なので、平らな六字(南無阿弥陀仏)では当方とは宗旨に差し支える」と洒落ているのでしょう。

>宿六、甚六が現在のような使われ方になったのは、いつ頃のことでしょう。
「浮世風呂」(1809年)には亭主(てへし/おやだま)、主人(おやゆび)といった言葉に混じって「宿」や「良人(やど)」といった言葉が出てきています。

この回答への補足

色々と教えていただきありがとうございます。
 
【ろくでもないの使用開始】
陸はもともと後漢の許慎の説文解字で「陸高平地 从自?(陸の旁)聲」とあるようです。否定形で用いるのが日本では「ろくなことは出かさず」(冥途の飛脚1711年)だとすると、「ろくでもない」になるのはもっと後でしょうか。「ろくでもねえ」と言い出すのはいつ頃なのでしょう。
 
【碌でもないの使用】
仮名で「ろく」と書いていたくらいだから、陸は忘れられていて、漢字で書こうとして耄碌の碌を使ってしまったのでしょうか。一部には「ろく」は平の意味だとはわかっていても、も漢字でどう書くかは忘れられていたのでしょうか。「北野に常題目といふ所あり。さる法花の俗人聞き及びて、はじめて参られけるに、寺内事の外ひろしといへども、地形たかひく有てみぐるしゝ。「とてもの事に地をろくにならしたきものかな」と噂するを、亭坊申さるゝは、「此の高ひくありてこそ題目も相続すれ。ろくぢは此方にさし合いぢゃといふ」」(「軽口露がはなし5、9常題目の地形」1691年)
出鱈目や御目出度う、御芽出度うのようなものでしょうか。
 
【宿六の使用開始】
「宿でもよろしゅうへイ」「宿でも小ごとばかり」など1800年でも「宿で」が常の表現らしいです。(江戸語の辞典)「南総館の竃将軍が求めに諾して(かずさやのやどろくがもとめにやすうけあいして)」と1788年にあるらしいので、18世紀末から19世紀にかけて「やどろく・宿六」が使われるようになったのかもしれません。そうだとすると、この「ろく・六」の使い方は、惣領甚六が歌舞伎で活躍した後になります。鷺坂伴内のような憎めないキャラを甚六が演じたので、甚六や惣領甚六が一般名詞としても使われ、亭主(夫)も「宿が申して、、、」から「宿の人」、そして「宿六」にも影響したのかもしれないですね。
 
陸の「平、凸凹のない」は関係がなくて、歌舞伎役者の名前の転用で18世紀末か19世紀に六が使われるようになり、また18世紀に「正しい、まじめ」の陸の文字を失った「ろく」が否定形に使われるようになって、「六でもない・碌でもない」になっていたために、甚六や宿六の六までも、六でもないに関係があるように思われてしまったような気がしてきました。
 
「思うに、「甚六」というのは、「碪碌(ちんろく)」を簡略にした宛字であろう。「碪(チン→ヂェン)」は「砧(ちん)」と同じく、槌で布を打ち柔らげるのに用いる石の台であるが、「碌」は、デコボコのゴロタ石であるから、ゴロタ石の砧では役に立たない。そこで、使い物にならない碌でなしを「碪碌」といい、それを略して、「甚六」と書いたものと思われる。」(萩谷朴「語源の快楽」角川文庫)は、私も納得できる説明ではないと思います。おもしろ意見であっても、こじつけすぎだと思います。落語の千早振るを思い出します。
 
あと3日でこの質問は終了にさせていただきます。
思い込んだままでいたり、何かで読んでそのままでいると、結構事実とは違うことが多そうだという気になってきました。
またなにかお気づきのことがありましたら、お教えください。 ありがとうございます。

補足日時:2012/11/04 22:56
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#4です。



>否定形で用いるのが日本では「ろくなことは出かさず」(冥途の飛脚1711年)だとすると、「ろくでもない」になるのはもっと後でしょうか。「ろくでもねえ」と言い出すのはいつ頃なのでしょう。

・「ろくではあるまい」
「現在親の別に、哀の情が見えぬ奴だから、ろくではあるまいと思ふと案のごとくだ。」(「浮世風呂」(1809年)
・「ろくでもない」
「そのくせこの種の句に限つて殊にろくでもないのが多いのに。」(正岡子規「病牀六尺」1902年)
・「ろくすっぽう」
「で、ろくすっぽう、莨も吸わず、岡持を担(かつ)ぎ出して、また出て行ってしまう。」(徳田秋声「新世帯」1908年)
・「ろくでなし」
「どれもどれも、嘘吐、誓言破り、ろくでなしの詐偽者ぢゃ。」(坪内逍遙訳「ロミオとヂュリエット」1910年)
・「ろくでもねえ」
「こいつあ、人間(にんげん)のある者(もの)によく似(に)てけつかる。それも善(い)い事(こと)ならいいが、ろくでもねえところなんだから、堪(たま)らねえ」(山村暮鳥「ちるちる・みちる」1920年)
・「碌に」
「氏の父の椿岳氏がまだ西洋樂器が碌に舶來せぬ頃」(幸田露伴「淡島寒月氏」1926年)
・「碌でなし」
「本当に碌でなしの、飛んでもない悪戯を思い付く男ですね。」(薄田泣菫「初蛙」1926年)


1918年刊行の宮武外骨, 高島平三郎 著「通俗心理奇問正答」に、「総領の甚六たる所以」の章が設けてあり、質疑応答の形で記されていますが、これをみると当時の物知りにとっても最早意味不明だった様子です。(62頁:43/206)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/959211/43

幸田露伴の「蒲生氏郷」の文中に、「三太郎甚六等の御機嫌取りの少年雑誌や、アメリカの牛飼馬飼めらの下らない喧嘩の活動写真を看ながら、」という箇所があります。
ここではどうやら有象無象の人物を「三太郎甚六等」と称呼しているようです。
町内の与太郎・三太郎とか、田舎者の田吾作・甚六などといった蔑視の代名詞でもあたものでしょうか。

ここに「ばかされ甚六」という肥前の国のお百姓と狐の童話(「3年生の童話」1930年)がありますが、果たしてこの手の話の源流がどの時代まで遡れるますやら…。(150頁:83/127)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1717924/83

この回答への補足

本当にありがとうございます。
 
大阪ことば事典は入手出来ました。
 
ろくでもない、ろくすっぽ、ろくに働きもしないは、口語ですよね。会話以外ではこうした意味に陸や碌、ろく、六は使わなかったのか、単に文献上は口語会話の記述がある読み本、滑稽本などに限られたのでしょうか。 漢文体のようなもので無陸、無碌、陸不致候などは使われなかったのでしょうか。
ただ、18世紀前半以前では「ろく」も使用例が少なく、19世紀に「ろく」、20世紀に「碌」が増えたらしいと、お教えいただいたことから思っています。
  
> 幸田露伴の「蒲生氏郷」の文中に、「三太郎甚六等の御機嫌取りの少年雑誌や、アメリカの牛飼馬飼めらの下らない喧嘩の活動写真を看ながら、」という箇所があります。
その箇所の前後を読みたいと思い、蒲生氏郷を読みました。この作品の方が甚六の起源よりも遙かに面白かったです。幸田露伴に限らないのでしょうが博学なヒトがなんと多いのでしょうか。それはそれとして、どうして幸田露伴の「蒲生氏郷」の文中に「三太郎甚六等の御機嫌取りの少年雑誌や、アメリカの牛飼馬飼めらの下らない喧嘩の活動写真を看ながら、」という箇所があるとわかるのでしょう。スゴイです。このの「蒲生氏郷」の文中に「日本語も満足に使えぬ者等が言葉の妄解妄用を憚らぬので、」の箇所があり、色々の言葉を知らず妄解妄用をしていることさえ自覚できない私としては、うなってしまいました。
三太郎の言葉は三太郎の日記を思い出してしまうので、ご機嫌取りの対象として「三太郎甚六等」と一括されるとピンとこないのですが、明治大正時代には少年雑誌の読者層として、幸田露伴らには思われていたんですね。阿部次郎も、三太郎の名前はそうしたイメージをもったのを意識して書いているんですね。三太郎甚六等はそこらにいる普通の一般大衆の程度の意味ですかね。
落語の与太郎は一般にはなれない知的レベルの意味で、三太郎甚六等とは違うんですね。
 
甚六は、歌舞伎役者の惣領甚六が工夫した人物像が始まりらしいとますます思っています。
それほど広範に後世知られた役者や工夫でなければ、20世紀のもの知りでも、語源が不明という事態になるには考えられます。武士や旗本で長男が惣領を受け、家名を継ぐ事実があるにしても、武家が惣領の順禄、順祿、甚六と表現するとは思えないです。むしろ職人や町家の下働きが仲間内でヒトの評判を言い立てるときに「惣領甚六が工夫した人物」「惣領甚六」「甚六」と言ったという方が納得がいきます。必ずしも長男、嫡子を意味したのではないように、今は思っています。甚六は、ちょっとドジでスケベで我欲もある面白い人物で、知的レベルの高くはなくても普通の範囲に入っていて、IQ85にならない低さまではなっていない感じではないかと思えてきました。

補足日時:2012/11/05 23:02
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この回答へのお礼

何度も丁寧にご回答をいただき、深く感謝いたします。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/08 22:51

#2です。



>真田昌幸の子息の場合、…三男が六郎
三男が六郎は→五郎に訂正します。

より具体的には、
真田源三郎信之、源二郎信繁(幸村)、源五郎信勝の順です。

この命名の順序から、幸村が実は腹違いにして1年早生まれの二男で、正室の山手殿の子としての嫡男信之はしたがって三男であって、やはり命名通りの順番だったとの説で展開されるのが池波正太郎「真田太平記」でした。
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>元来は陸で無しと書いたが、そのうち碌で無しと誤記されるようになったとは想像しにくいです。



およそ、行儀の良い辞書の説明には、そもそも出典記録自体が不明瞭な、いわゆる方言や隠語など裏筋の情報を盛り込むわけにはいかないという制約があるため、どうしても限られた物の本の転載に止まらざるを得ない事情があるのでしょう。
それだけに「広辞苑」編者の新村出の辞書作りの背景情報満載の随筆集(「琅玕記(ろうかんき)」など)が貴重となります。

>名前や普通名詞に使われる「ろく・六」に関して、それなりに根拠のあることなどありましたら、お教えください。

以下に手元にある根拠の一部を上げておきます。

まず、発音活動の弱化に伴い摩擦運動が消滅し、舌音内での子交(ザ行音(歯音)→ラ行音(歯茎音))が、特に関西方面での方言の形ともなって進行したとの見方があります。

「「十分なこと。完全なこと」の意のマンゾク(満足)はマンロクに転音した。<手前さへ実らしくマンロクに狂言すれば>(役者論語)>。新潟・福井・島根・愛媛・高知・大分県では「十分に。完全な」の意で下に否定語をともなって、<マンロクにものも言えぬ><マンロクな物はひとつもない>という。」
「役に立たない者をののしってマンロクデナシ(満足で無き者)といったのが、語頭を落としてロクデナシ(碌でなし」)になった。マンロクニ(満足に)はロクニ、マンロクナ(満足な)はロクナになって、下に打消をともなって用いられた。<切り破ってロクニ読みもせず>(二代男)、<一人の親にかくすからはロクナ銀とは存ぜぬ>(淨・博多人形)。」(田井信之「日本語の語源 音韻変化論からさぐる」角川書店)
「役者論語」
http://kotobank.jp/word/%E5%BD%B9%E8%80%85%E8%AB …

「ろく (碌・満足) まろく・まんろく。 【ろくな・大した】あまり がいな・まるくた・まんさくな。 【大した事・ろくな事】しょーたること・しょっぺーこと・ろくたりなこと」。…」(東條操編「分類方言辞典」東京堂出版)

「ロクサマ【陸(碌)様】副詞 ロクスッポに同じ。」
「ロクスッポ 副詞 満足に。十分に。…ロクニ・ロクロクなどと同意で、下に必ず無しという意味の否定語を用いる。例)ロクスッポでけもせんくせに(ろくに出来もしないで)…ロクは碌または陸の字が正しい。」(牧村史陽編「大阪ことば事典」講談社学術文庫)

「ろく【碌】(形容動詞)(一)下に否定がなき場合 1)正常、2)安楽、(二)下に否定ある場合 3)満足。十分。よい。まとも。「ろくな医者には見せそうもない」(遊婦多数寄・明和8年)。  ろくで無し 名詞 役に立たぬやつ。極道者。」(前田勇編「江戸語の辞典」講談社学術文庫)

「「陸(ろく)」は水平という意味から転じて、まともなという意味に用いる。…「ろく」は後には「ろくに寝ない」「ろくでもない」のように、打消を伴った言い方に限り、漢字で「碌」と書くようになった。「碌」は石がごろごろしたさまを言う語で、「陸(ろく)」とは関係がなく、「碌々」は平凡で無益のことを言うが、「陸」の意味が変化するとともに、「陸」は一般にはロクと読まなくなったために、当て字で「碌」と書くようになったのであろう」(佐藤喜代治「日本の漢語 その源流と変遷」角川書店)

このように、「満足」方言や関西言葉での転音、「正常」としての「陸(ろく)」からの否定形への転位、そんに伴う「碌」や「六」への当て字化とその否定的意味との融合、などが進行したとも思われます。

1)宿六
「やど【宿】(2)わが夫を他に対していう時の称。謙譲の意あり。「宿でも小ごとばかり申てをります」(浮世風呂・文化7年)」(前田勇編「江戸語の辞典」講談社学術文庫)
「宿のロク(デナシ)が…」=(うちの)亭主の役立たずめが…。

2)惣領甚六
イ)江戸中期(1765年)には「惣領甚六」名を名乗って「外道方」を務めた。
http://kotobank.jp/word/%E6%83%A3%E9%A0%98%E7%94 …
外道方狙いなので、三枚目のハシリとして、役柄からして「甚だしい+ロクデナシ」の意では。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%A4%96% …

3)ロクの隠語
参考:和田信義「暗黒街往来 : 隠語・符牒辞典」東亜書房
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1096008 

・「ロクゾウ」「ロク」
ロクゾウ…主人、ロク…亭主・主人・骨子。(51頁;27/31)
「男」の隠語「ろく」
・山窩言葉…さぶ、とーろく、香具師言葉…ろく、どうろく、たろう。(9頁;6/31)
死体「ロク」
・死…六字。ロク。六道。眠る。
・殺人…六にする。(経文の六字から)。(12頁;8/31)

ところで、命名の余談ですが、
・山本五十六元帥は、6番目で、しかもお父さんの年が56歳だったとか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC% …
・真田昌幸の子息の場合、自身は3男だったせいか、長男が三郎(信之)、次男が二郎(幸村)、三男が六郎という命名はどうしてなのでしょうね。

この回答への補足

たびたびありがとうございます。
 
ご紹介いただいた書籍のほとんどを持っていません。持っているのは広辞苑の江戸語の辞典くらいです。大阪ことば事典は注文しました。日本の漢語その源流と変遷はちょっと手が出ません。
 
(前田勇編「江戸語の辞典」講談社学術文庫)では、「ろく【陸】(形動)物の形・面など、歪みなく正しいこと。転じて(一)………」となっていました。
「「陸(ろく)」は水平という意味から転じて、まともなという意味に用いる。…「ろく」は後には「ろくに寝ない」「ろくでもない」のように、打消を伴った言い方に限り、漢字で「碌」と書くようになった。「碌」は石がごろごろしたさまを言う語で、「陸(ろく)」とは関係がなく、「碌々」は平凡で無益のことを言うが、「陸」の意味が変化するとともに、「陸」は一般にはロクと読まなくなったために、当て字で「碌」と書くようになったのであろう」(佐藤喜代治「日本の漢語 その源流と変遷」角川書店)という説明が続くのかもしれません。
ただ、一般用語として「陸」の意味が変化し「陸」をロクと読まなくなったために「碌」を当てたというような説明は、何となく不自然だと思います。江戸語の辞典では、ろくそっぽうは陸そっぽうを当てています。六尺/陸尺、行灯、行燈、行脚、修行、行為など発音も意味もあまり関係なく漢字を使うケースもあるのに、碌々や碌でもないは、陸が正しい字だったが碌に代わられたとなる説明は不自然な気がします。科白や仮令もその文字のまま使い続けているのですから。
 
やど【宿】が亭主(夫)を表し、それにロクを付したのが宿六であるらしいのはわかるのですが、野郎や、郎、助、之助、奴、兵、兵衛ではなく、ろくでなしのロクで六(碌や陸でもない)をつけるのが一般化するほどに六が使われるのがスッキリしません。
江戸時代に単にロクならば、六、六字、南無阿弥陀仏の名号をイメージしそうです。
六方男達とは関係なさそうです。http://8020zaidan.or.jp/kobore/doc_17.swf
 
四代目岩井半四郎の兄が、六代目中村勘三郎の門下で中村勘八を名のり、後に江戸中村座でおもに笑いを誘う道化方を勤めるとき惣領甚六と改名というのは、ますますわからないです。この改名以前に、明和2年(1765)当時市中で面白可笑しい者を惣領甚六と称した状態があったのだとしたら、それはなぜでしょう。惣領は旗本・御家人の跡取りというイメージだとして、18世紀の江戸で、愚か者・利口ではない者が甚六と通じたのがわかりません。いつから甚六が普通名詞として使われるようになったのでしょうか。歌舞伎で、惣領甚六が初代、二代目、三代目と道化方を勤め続ける中で、こうした利口とは言えない行動をするものを惣領の甚六と呼ぶようになったということはないのでしょうか。そうであれば、勘八や甚六は歌舞伎の名跡であって、もともとは八や六の数字に大きな意味は持たせていなかったということはないのでしょうか。
http://kotobank.jp/word/%E6%83%A3%E9%A0%98%E7%94 …
http://kotobank.jp/word/%E6%83%A3%E9%A0%98%E7%94 …
http://www.kusuya.net/%E9%B7%BA%E5%9D%82%E4%BC%B …
http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/image/enpaku/n …
 
16世紀頃には甚六は、ろくでなしのような意味では使われていなかったのでしょう。
http://www.geocities.jp/widetown/japan_den/japan …
統泰は、天文6年には三条西実隆の長逝、翌7年には粟屋元隆の失脚という悲運に見舞われるが、ずっと若狭の地に住んで、宮増画像などの絵を描いたり、地元の武士たちに謡を教えたりしていたようである。大野党の一人大野甚六なる人物に謡本二百番を進上したのもこのころであろう。この二百番の謡本を核として丹後の細川家においてできあがったのが、「妙庵玄又(細川幽斎の三男)手沢五番綴本」である。
 
古文書を見ると当て字というのか文字の混用?はごく一般的なことのように思うので、陸/六/碌の混用時期は不明だと思いますが、、、
 
「満足」方言や関西言葉での転音、「正常」としての「陸」からの否定形への転位は、いつ頃おきたのでしょう。
宿六、甚六が現在のような使われ方になったのは、いつ頃のことでしょう。

補足日時:2012/11/03 21:14
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たいへん興味深くご考察を拝読いたしました。

特別なことは言えませんが、ろくでなしという言葉もありますね。また惣領の甚六という言い方もあって長男はとかくあまり気が効かないというような意味ですね。六にまつわることがこれほど深いものだとは気が付きませんでした。

この回答への補足

甚六は、「ろくでなし(六でなし)」には読めないですね。甚平(甚兵衛)は陣ジンかも、甚句は、「地の句」「神供(じんく)」なのかもしれないけれど、順句の方が、なんとなくの気がします。いずれにしても、甚六は「ろくでなし」を捩ったような感じがしません。親の世録(せろく)を継ぐ順にある扱い「順録(じゅんろく)」がなまったということならば、六は当て字(代替)になります。
ろくでなし(六でなし・陸でなし・碌で無し)で、「碌は当て字で、本字は陸」と国語辞典や日本語辞典には説明されていますが、根拠がわかりません。角川漢和中辞典には碌で「石の青い色」、碌碌で「平凡で役に立たない様、独立心がなく人に付き従う様、小さい石の形、車の音」とあり、大修館廣漢和では碌で「石の様、石の多い様、石の青い色」、碌は録に通じて作る(石が多い)とか、碌は石が多く地面が平でないなどの説明もあります。 陸は「石がなく土で出来た高い平らな土地、大きな丘、陸路、高い、睦む」などのようです。大修館廣漢和では、陸(ろく)を日本語では「ものの形の凸凹高低がなく正しいこと、まじめなこと、当たり前のこと」と説明もされています。碌でも陸でも六で通用させる、六を間違いの生じないように陸と書くのはわかります。碌で無しという表記は見ても、陸で無しという表記を私はあまり見たことがないです。また「ろくでなし、ろくでもねぇ」は、間違っているとか、正当でない、凸凹しているというよりは、役立たず、無価値のような利便性・有用性に関する表現のように私は使うと思っていて、陸(ろく)でないでは意味がおかしくなるような気もします。元来は陸で無しと書いたが、そのうち碌で無しと誤記されるようになったとは想像しにくいです。 
日本語で「六、ろく」を普通名詞や名前に使うときは、何を考えているのでしょう。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

補足日時:2012/11/02 09:48
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