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毎年、年末になると首を傾げ疑問を感じるのはクリスマスのことです。

私の知る限りではクリスマスとはエイス・キリストの生誕を祝うキリスト教の祭典で、キリスト教徒にとって1年間で最も盛り上がる時期であると認識しております。

欧米などキリスト教徒が大半を占める国であればクリスマスが近づくに従い、街中がクリスマス一色となることがそれほどおかしなことではないでしょうが、わが国ではそうではありません。

我が国は、キリスト教徒以外の人や特定の宗教に深く帰依していない人が多い(私自身そうです)にも関わらず、なぜか年末になるとまるで国中の人々がキリスト教徒の国であるかのようにクリスマス一色になってしまいます。

私自身はこのことが非常におかしく、滑稽に思えるのですがいかがでしょうか。

できれば、キリスト教を深く信仰されている方、牧師などキリスト教の関係者からのご回答を賜れば幸です。

また、「楽しければどうでもいいじゃん」などというご回答はご遠慮くださいますようお願い申し上げます。

A 回答 (18件中1~10件)

「なかなかキリスト者の回答がつかないようです。

」というご回答があったので、一言述べます。
私は高校生で洗礼を受けてから40年たったカトリック信徒の男性で、毎週のように教会に通い、聖歌隊で歌っています。自分では熱心な方だと思いますが、一方では聖書をまだ通読していなかったり、仏教や神道などの他教や「宗教」全般にも深い共感を抱いているという点で、純粋培養的なキリスト者とは一線を画しています。

さてご質問ですが、この問題については多くの方が疑問を持っておられる通り、私も疑問を感じないではありません。
唯、私は、どなたかがおっしゃっていると思いますが、キリスト教は仏教などと同様、単にキリスト教信者のためだけのものではなく、広く万民のための「世界宗教」のひとつであり、そこに出入りしたい人は拒まず、反対に去りたい人も拒まない、という形で、さりげなく偏在(「どこにでも存在する」という意味)するものであればそれでよいと思っています。
前回のNHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」で、梅ちゃんに大きな影響を与えた先生が、「医者はそこにいるだけでいいのだ。」と言っていたように、神様や宗教も「そこにあるだけでいいのだ」と思います。必要があったり、ご縁があったら、いつでもアプローチできるでしょう。

といっても私の本音で言えば、出来るだけ多くの皆さんが、キリスト教にアプローチして頂き、クリスマスなどの機会に教会に足を運んで頂き、美しい聖夜を、美しいクリスマスキャロルを心行くまで味わって頂きたいと思っています。

世間では、クリスマスは教会、新年の初詣は神社、お葬式などの時はお寺、というように、複数の宗教に出入りすることを「節操をわきまえない」行為として忌避する傾向がありますが、複数の宗教を股にかけてそれらのいずれをも認める、というある意味の「いい加減さ」こそ、日本人の強みであり、世界の一元主義的傾向を中和するものとして、いざというときには役立つものであると確信します。
私自身、クリスマスまでは教会の聖歌隊の練習で他を見向きする余裕もありませんが、お正月には、教会の新年ミサよりも神社で初詣したい気持ちになりますし、お寺などにも自由に出入りし、生きている人のためにお経を上げてもらったり、坐禅や読経の経験も豊富です。

(ご参考)
いつからクリスマスは恋人と過ごす日になったのか?(私の質問)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7193630.html

今年のクリスマスの過ごし方(私の回答はNo.8)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7187706.html

独り者としてのクリスマスイブの過ごし方(私の回答はNo.7)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7206166.html

クリスチャンの方に伺いたいのですが、(私の回答はNo.2)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7163727.html

複数の宗教を同時に信仰してる人っているのでしょうか(私の回答はNo.12,13)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7473548.html

法事以外で寺にお経を上げてもらったことありますか?(私の質問)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6969735.html

仏教や神道の皆さん、クリスマスはどのようにお過ごしですか?(私の質問)
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3620123.html

(この他にも多くの関連質問/回答がありますので、私のプロフィールから検索して下さい。)
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この回答へのお礼

なるほど!

懇切丁寧なご回答をいただき、ありがとうございました。

クリスチャンの方から他の宗教に対する認識などをご回答していただき、大変参考になりました。

お礼日時:2012/11/12 09:10

キリストの誕生も、「紀元後」なので、時代の計算に誤りがあったといわれています。

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この回答へのお礼

ご回答いただき、ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/13 11:44

私はHNでも判るとおりカトリックです。

でも教会となんどか揉めて今は離れています。

実はクリスマスはキリストの誕生日ではないというのはWikipediaを見てもわかると思いますので割愛しますけど、でも今ではキリストの誕生を祝う行事となっています。別に行事ですから誕生日にしなければならないと言うわけではないので構わないでしょう。お誕生部会が自分の誕生日じゃないと怒る人は、まず居ないと思います。

日本の信仰は基本的に神道と考えてよいと思います。
神道は記紀を読むとわかるように多くの神があり、しかも天の神と地の神のほかに渡来の神も多く居ます。そして単の神の国の風俗習慣を基本として各地の信仰を生かすことによって和合してきました。その事は出雲の国譲りを見ても判ります。大国主はそびえる宮を造るように天の神に要請しましたこれはその地位この風俗習慣を中央が受け入れ象徴でもあります。
また日本の統治方法は英国と同じ立憲君主。つまり君主は支配はしていても直接統治はしないし、中央は大きな括りとしては統治するが実務のほとんどは地方に任せています。これはアメリカ合衆国やイギリス連邦と似た仕組み。
つまりそれだけ寛容であったと言うことです。だから揉めはしましたけど結局仏教も取り入れた。
仏教も実際には様々な宗教や風習を取り込んできています。だからインドの仏教徒中国の仏教日本の仏教では同じところも在り違うところもある。
この日本人の寛容さがキリスト教にも当てはまり、クリスマスや復活祭などの行事になったものです。性善的な言い方をすれば「人の喜びをわが身の如く喜ぶ」とでも言えると思います。
それは逆に二君にでも三君にでも使えるかのごとく優柔不断、結果的に自己中心的(保身の)思想でもあるわけです。だから戦争に負ければ日本を捨て米国に尻尾を振る、中韓に文句は言っても行動には出さないと言う姿勢なのです。
そこでクリスマスの点灯式の様の華やかさと米国の新年の如くのバカ騒ぎだけが模倣されたわけです。レターではMerry Christmas and a happy New Yearですからhappy New Yearを「新年おめでとう」と訳してしまったのかもしれませんね。(実際には「良い新年が迎えられますように」と言うような意味です)

あるいは昔は海外など簡単にはできませんでした。中流以上の極一部だけがいける時代に米国の学校や中流家庭のなどでの人を呼んでのパーティを見て、騒ぐものだと勘違いし、それが庶民に広まったとも考えられます。米国では家でパーティを開くのが基本、夫はもてなしを、妻はそのホステス役というのが基本です。日本では家庭に呼ぶ習慣が無いので銀座などのホステスがそれに代わったと言う説もあります。だとすれば同じようにクリスマスのホームパーティが家ではなく外で行うのも道理であり、相手は商売ですから盛り上げる趣向を繰り出し、客がそれに乗っているという構図も不思議ではありません。

私達は夜中に教会に行き、11時くらいからミサに入り、終わるとささやかな祝いの会が開かれた。或いは夜半からパーティーが開かれ夜中にミサを行うというのが基本です。私の高校のころは夜中と早朝ミサに出るのが楽しみでした。
でも誕生を盛大に祝う人もあれば質素に祝う人もありだと思います。
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この回答へのお礼

懇切丁寧なご教示を賜り、ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/13 11:49

こんばんは。


なかなかキリスト者の回答がつかないようです。私もキリスト教の信奉者ではありませんが、日本人の信教者に昔そういったことで話をしたような記憶があります。無関係の人たちでもこういった祭りに関心を持ってくれるのは悪いことではない、おかしいとは思わないというような趣旨のことをいっていました。
というのも、アメリカなどでもクリスマスは日本以上にこの期間を楽しく、またいろんなプレゼントを買ったりパーティをしたりしてすごしますし、国としても実質的な経済効果は大変なものがあると聞きます。

私は小さい頃一時期カソリックの教会のそばに棲んでんでいたことがあって、イヴの催しにも招かれました。寸劇などがあって楽しかったです。その次の日の朝のお祈りには当然参加しませんでしたが、信者達はその静かな時間が一番重要だったようです。クリスマスの行事は、信者達にとってはその2日間だけのあっさりしたものでした。
アメリカなどでも普通の信者のひとにとって普段日曜日の集会は人気がなくすたれてきているようですし、どんどん教会離れが進んでいるとも聞いています。要するに、日本のように米国なども商業主義としてのクリスマスが社会的にはメインになっているということではないのでしょうか。
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この回答へのお礼

アメリカでの実態などをお教えいただき、ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/12 09:13

>>「楽しければどうでもいいじゃん」



ではありません。
「売れさえすれば、どんな宗教的な意味の行事であろうがどうでもいいじゃん」
です。

つまり、クリスマスは「進入学」とか「夏休み」とか「歳末」とか、と同じ。「マーケティング用語」なんです。
ね、プレゼントを買うでしょう、ディナーたべるでしょう、ホテルに泊まるでしょう、TDL行くでしょう、音楽聞くでしょう、ケーキや七面鳥買うでしょう、
全部「商売」ですよ。世の中全体がクリスマス一色に「している」んです。
商売のチャンスとして売り込む側、そしてこれに上じて彼女との愛を深めようとか、家族で楽しもうとか、飲もうとか、そう考える消費者。思惑が一致しているんです。
だから盛り上がる。
クリスチャンがキリストの誕生日を祝っているのではありません。みんなでお祭り騒ぎを楽しんだり儲けたりしているんです。

>>非常におかしく、滑稽に思えるのです
わたしも歌手たちの感傷的なクリスマスソング、こういうの聞くと「またこのシーズンだよ、くだらない」と思ってしまいます。つい以前まではとても感傷的になって泣いたりしていたのに。。。歳のせい?
そして4月には「サクラ」の歌、でしょ、うんざりですね。
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この回答へのお礼

ご回答いただき、ありがとうございます。

結局のところ「商売」なのでしょうか。こういったところについて、キリスト教関係者の方がどう感じているのか知りたかったのですが…。

お礼日時:2012/11/10 12:33

親しい友人にカトリックの信者さんが居ますが、教会の全体的な傾向としては「この機会にキリスト教に触れてくれることを歓迎します。

」だそうです。教会も普段は地味なミサしかしないのですが、クリスマスイブのミサだけは、合唱隊を呼んだりいろいろイベントを起こして賑やかにやるそうです。(一転して、クリスマス当日の朝のミサは身内だけで荘厳に行うのだとか。)

年寄りのシスターの中には、おっしゃるとおり眉をひそめる人もいるようですが、そういう人はごく少数なので、どうぞ遠慮なさらず祝ってください、と言うことでした。
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この回答へのお礼

ほう、なるほど!

ご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/10 12:34

イエス・キリストの生誕にまつわる物語は新約聖書マタイによる福音書1章18節~2章と


ルカによる福音書2章1節から7節に詳しく述べられています。
どうか図書館に備えられている聖書をお読みください。
クリスマスについて
現在では世界中のクリスチャンファミリーが12月25日をイエスの誕生日として祝っています。
教会もしかり、、1週間前からアドヴェントと呼ばれる準備の日が始まり24日夜の
イヴ礼拝又は燭火礼拝は、電気を着けずろうそくの明かりでおごそかにおこなわれます。
25日は白い衣装を着た子供たちも交えまた乙女と呼ばれる若い娘が白い衣装に
頭にヒイラギの冠を載せ聖餐式や礼拝の進行をとりしきります。
聖歌隊もこの日に備え練習を積み、ヴァイオリンその他の楽器の演奏も入り音楽礼拝です。
これは私の行っている教会のことでそれぞれ違うと思います。
うちのマンションや商店街でもそれぞれクリスマスツリーやリースを飾ります。季節の行事に
なっているのでしょうね。
今では世界中のクリスチャンが12月25日をイエスの誕生日として祝っています。
しかしクリスマスからずーと続く12日間のお祭り(休暇)はクリスマス以前からあり、
そのお祭りはイエスの生まれるよりずーっと昔からの古い古い習わしの冬至祭です。
12月の夜が短くなり始め、日が長くなるその季節、人々は太陽のよみがえりを祝った。
北欧では農夫たちがユールと呼ばれるお祭りをしていた。
一本の巨大なユールログと呼ばれる丸太が森から運ばれ、太陽を象徴するものとして、
儀式とともに燃やされた。ユールシーズンの間じゅう、青いコートに緑のつば広帽子をかぶった
北欧の神オーデンが人々の間を歩き回り、人々を褒めたり懲らしめたりしたといわれている。
古代ローマーでもサタナリアという12月祭があり豊かな収穫と太陽が戻ってくるようにおまつりをした。

お祭りの間休暇を取り家や寺院はヒイラギの緑の大きい枝で飾られた。
人々は美しい晴れ着を着てダンスを楽しみ美しい蝋燭の贈り物をしあった。
最初のキリスト教徒も含めて誰もが、このお祭りを楽しんだ。
最初はキリスト教徒も含め誰でもこのお祭りを楽しんだが、キリスト教の教会は
イエスが生まれる前の異教徒の習慣を認めようとはしなかった。
それでも初期のクリスチャン達は、そのお祭りをやめようとはしなかった。
遂に西暦500年教会は、12月にイエスの生誕を祝う事に決めたのだった。
そんなわけで、いろいろな楽しいお祭りの行事や習わしがクリスマスのお祝いの一部となった。
また、北欧の神オーデンの地位は、その後良い子に褒美をあげるためにやってくるという
不思議な老人セントニコラウスに取って代わられた。
人々は、イエスが生まれる前から長い間していたように、美しい緑の木々で家を飾り贈り物をしあうが
クリスチャンにとってはクリスマスという冬のお祭りは、遠い昔はるかな村の馬小屋で生まれた
幼子の降誕を心から祝う日なのだ。「クリスマスの由来バーバラクーニ著より抜粋」
クリスマスには元々全ての人が解放され楽しむという要素が多いに含まれていると
云えると思います。長文失礼しました。
クリスチャンのはしくれです。
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この回答へのお礼

懇切丁寧なご回答をいただき、ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/10 12:37

クリスチャンでありますが。



質問者さんはおかしいと感じられるかもしれませんが。実はそうではなく、至極当たり前の
ことなのです。

というのは、クリスマスというのは、むしろ、キリスト教を信仰していない人のために作り出された
人工的な祭りだからです。

詳しく話すと、
キリスト教発祥の黎明期から、クリスチャンにとってもっとも大切な祭りは、復活祭でした。
が、これは、いわば、キリストの死を祝う祭りでもあり、大変宗教色の強い祭りでした。
ヨーロッパにキリスト教が普及していくと、復活祭は盛大な祭りとして市民権を得ていきます。
中世のころまでは市民は全員キリスト教徒ですからこれで何の問題もありません。
その頃はクリスマスというのは有るにはありましたが、細々と祝われていたにすぎません。


が、近世にはいり、産業革命が起こるころになると、市民の中には宗教心の薄い人も増えていきます。
素直に復活祭を祝えなくなってくるのです。
それにもまして、大きなゲームチェンジャーになったのが、産業革命によって花開いた、「商業主義」
でした。
冨をためた資本家は、さらにもうけを増やそうと、「祭り」を利用して需要を喚起することを考える
ようになったのです。
だが、復活祭はあまりに宗教色が強すぎて、すべてのひとが祝える「祭り」ではなくなっていました。
そこで、資本家が目を付けたのが「クリスマス」なのです。

「クリスマス」は近代の商業主義が生み出した市民のための祭りなのです。ここまで盛大に
祝われるようになったのは産業革命以降で、まだ2世紀しかたっていません。

キリストの死や復活は信者でなくては祝えませんが、生誕は誰でも祝えますよね。
信じていなくても、世界的な有名な人の誕生日を祝うのは悪いことではないのではないですか?
ぜひとも商業主義の作戦に乗ってあげてほしいと思います。
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この回答へのお礼

なるほど!

クリスチャンの方からこのようなご回答をいただき、なぜか「ほっと」しました。

お礼日時:2012/11/10 12:49

あなたは大晦日を迎えるに値する仏教徒ですか?滑稽でしょ?

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年末の2日だけだから単なるお祭りなんでしょ。


日本では単なるイベントだと分かりきっていることですから、割り切れるのではないですか。
誰もイエスに感謝などしないし、クリスマスに教会に行くわけでもないし。

欧米では年末だけじゃないのです。欧米では11月から約2月続きます。
米国では感謝祭の頃から本格的なクリスマス商戦に入ります。

厳密な意味でのクリスマスは24日から新年明けまでの1~2週間を指します。
いつまでクリスマスツリーを飾っておくかは国や宗派によって異なって来ます。
新年が明けて、そろそろクリスマスツリーを片付けるかとこんな感じです。
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この回答へのお礼

明瞭・明快なご回答をいただき、ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/10 12:51

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