位置情報で子どもの居場所をお知らせ

文学部進学を選択肢の一つに考えている高校生です。

文学部に進学したら現代日本文学作品を学びたいと思っています。昔から小説を読むのが好きで、古典作品よりも、明治以降の作品(さらに言えば、例えば村上春樹さんのように今リアルタイムで執筆活動をされているような作家さんの作品)の方にに学問的な興味も寄っています。大衆文学でも純文学でも。自分が読んで育ってきた時代のものを研究したいという気持ちが強いです。
ちなみに志望校については、京都大学の学風に大変惹かれており、今のところそれ以外を考えたことがありません。

しかし、その文学部について調べていて引っかかる点が少しありました。
他の大学もそうだと思うのですが、国文学は文学部の中でも「東洋文化系」という大きなくくりの中に属していますよね。
その東洋文化系の必修科目や専門科目は、
・中国・韓国語・サンスクリット語などの外国語
・中国古典文学・漢文・国語古典文学・インド古典文学
がほとんどという印象でした。
国語学や国文学もありますが、それ以上に外国語や他国の古典文学の授業がかなりを占めていると思います。
さらに国文学の授業でも、古典文学だけを扱うのが文学部の一般的常識だと聞きました。これは本当なのでしょうか。
教授の研究テーマを見ていても、現代日本文学を専門にしていらっしゃる方がいらっしゃいませんでした。
京大以外の国立大も軽く見てみましたが同じような印象を持ちました。

これは、大学の文学部に進学しても現代日本文学を本格的に学ぶことはあまりできず(卒論を除く)、他国のものを含む古典文学・外国語ばかりということになるのでしょうか?

古典文学も外国語も嫌いではありませんが、現代日本文学をあまり学べず、そちらにウェイトがかなり寄っているなら、他学部に進学して独学で文学を学ぶ方が幸せなのかなぁという気がして迷っています。
文学部で現代日本文学作品だけを、とまでは言いませんが、少なくともそれを専攻にしていると言えるようにはなりたいのです。
それが無理ならば、現代日本文学を学びたいという人が、古典文学や外国語をやる意味って何でしょうか?

文学部に在籍経験のある方や、その辺の事情に詳しい方の回答を頂けたらと思います。些細な情報でもかまいません。よろしくお願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (5件)

 こんにちは。

「文学が好き」と「文学を学ぶ」では「文学」というもののスタンスが異なることにお気付きでしょうか。そして「文学が接している領域」がどこまで及ぶか、をお考えになったことがあるでしょうか。高校生を含めての受験生にとってはいささか失礼かと存じますが、敢えてこのような問いを返させていただきます。
 口幅ったい言い方かもしれませんが、「文学」を人間の精神的な営みと理解するのであるなら、それが関わる範囲は「人間が関わる全ての領域」と規定することも可能で、それは社会学や法律学、政治学などの社会科学はもとより心理学や哲学といった思想系、時には人間が対象として観察している自然科学分野にまで及びます。そしてそうした全てをひっくるめた歴史にも脚を踏み入れねばならないことも普通です。
 「小説を読むのが好き」と仰る質問者からすれば、近代以前の作品は「小説」ではないのかもしれません。けれど『蜻蛉日記』や『更級日記』も解釈次第では「小説」でもあるとの事実を忘れてはならないでしょう。両者は共に「私小説」です。それは「私に降りかかった事象」を私の目線で見たこととして「自己対象化」の要件を完璧にクリアしていることによります。
 この要件を近代以後の作品に適用してみるならば、漱石、竜之介、そして公房や由紀夫、健三郎といった作家全てにあてはまることにもなります。
 こうしたことを考えてみると、最初の質問である「文学を学ぶ」とはどの様な意味を持ってくるといえるでしょう。そして具体的な内容はどの様な言葉として説明することになるでしょう。ここまで来た時、一先ずの定義を示すこともできます。少なくとも「文学なるもの」を研究対象とする時にしか、この言葉を使うことが出来なくなるとの話です。
 恐らく今後もノミネートされることはあっても村上春樹さんがノーベル賞を受賞することもないでしょう。それは文学が時空を越えて数多くの人と感動や認識を共有することで認められているからとの「文学の存在理由」との間でかなりの隔たりがあることも作用しています。
 『青が消える』が普遍の問題を扱っているといえるでしょうか。この作品をどの様な視点からターゲットとして観察することができるでしょうか。少なくとも僕には公房と類似するテーマを扱いながら彼の一連の作品を凌駕するとも考えられません。春樹が書いているのは「僕にとっては大切なもの」が他から見れば「さほどの意味はないもの」であるとの描写に留まっている点で、公房の足下にすら及ばない。だからどうしたの?で終わってしまうほどの作品ともいえます。
 質問者は「同時代の作家を対象とした」と肩に力を入れて力説していますが、戦後そして1945年以前の作家が同時代の空気を採り上げていないとの考えならば、それは大間違いともいえます。彼らは全員「自分の目線」とのフィルターを通じて社会そして世界を観察し、それを「言葉」として再び世界に放ち、読者(研究者も評論家も)に投げ返してきた、「社会とは…」「世界とは…」「私とは…」そして「これら私を取り巻くものと私の関係は…」との形で。
 少し厳しい言い方になりますが、質問者は「文学」を全く知らないといっても過言ではありません。公房が海外でF.カフカやS.ベケットさらにはA.カミュ、健三郎がG.グラスなどとの同時代の観察者として考察の対象になっていることをご存知でしょうか。またなぜ和歌や俳句に関する研究で外国の研究者の方がより本質的な部分にまで切り込むことができるのか考えたことがあるでしょうか。
 芭蕉の旅は西行の旅と重なる部分が数多くあります。清少納言や兼好の言葉には李・杜、白居易をはじめ多くの言葉がちりばめられてもいます。これはなぜでしょう。それを読む人からすれば、まさに現代の言葉でもあるからです。雪降る朝の光景が「香炉峰の雪」を想起させると清少納言が感じたから、それを言葉にしたのであり、そうした姿をペダンティックと評するのも一つの解釈です。けれどもそれは「清少納言という人物像に対する評価」であり「『枕草子』に対する評価」とは異質なものといえます。
 どうやら質問者は「大学で学ぶ」ことを勘違いしている可能性も多分にあります。専門の教員がいないから学ぶことができないとなれば、質問者の文学に対する姿勢は常に受け身といえ、そこから何を引っ張り出すかとの最も大切な作業を放棄することになります。このような生半可な姿勢では理論構築のない分野とはいえ、何を求めるかとの自らが立てた問いに対する答えを見つけることは到底叶わないともいえます。
 「京都大学の学風に惹かれる」とはあっても、文学部に学風は無関係です。京大文学で「学風」と呼ばれるのは歴史学での「内藤史学」や哲学での「西田哲学」といった「研究スタイル」や「アプローチ視角」での特色です。老婆心ながら誤解されませんように。
 なお「日本文学科」や「国文科」が対象領域として扱うのは必ずしも古典だけではありません。近代以後、「第三の新人」と呼ばれる作家までは対象範囲に含まれます。志望選択をする以前に少なくとも、近代文学史の概要程度は頭に叩き込んでおいていただきたいですね。それが常識ですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

いっそ清々しいまでにばっさりとしたご回答をありがとうございます。そうですね。確かに私の「文学」という言葉の使い方は主観的な嗜好の枠によるものであり、学術的なそれとは大きく擦れがありました。回答者様の目にはさぞ思慮の浅いものに写ったことでしょう。そんな質問に対しても丁寧に回答して下さったことには感謝致します。
さて、文学とは、地域や時代を超えた普遍的な学びである、それこそが私の疑問に対する答えだと受け取りました。私の疑問というのは、現代文学を「専攻に」研究している人が少ないように見えるのは何故かという点です(教員の研究テーマや大学名等について触れたのは飽くまでそれを説明するための例のつもりでしたが)。そういった意味で、学問として文学を研究したいのか、単に趣味の一つとして私個人の趣向に合うものだけを読みたいたいのか、私はそれを混同していてようです。これを機に少し冷静になろうと思います。
また、回答者様の回答を読んで一つまた小さな疑問が湧きました。揚げ足を取ろうという意図は決してありません、青二才の純粋で素朴な疑問です。以下、お時間がありましたらお目を通して頂けると幸いです。

>>質問者は「同時代の作家を対象とした」と肩に力を入れて力説していますが、戦後そして1945年以前の作家が同時代の空気を採り上げていないとの考えならば、それは大間違いともいえます。彼らは全員「自分の目線」とのフィルターを通じて社会そして世界を観察し、それを「言葉」として再び世界に放ち、読者(研究者も評論家も)に投げ返してきた、「社会とは…」「世界とは…」「私とは…」そして「これら私を取り巻くものと私の関係は…」との形で。

仰りたいことは何となしに理解しているつもりですが、「戦後そして1945年以前の作家」が見ていた世界は、そして社会は、私達が今見ているそれとは少なからず一致しないところがあるかと思います。少なくとも古典文学と言われるものについては、例えば藤原道綱母と私個人で、その存在を取り巻く世界も違えば、世界を見る視点も違うというように。例えば平安人にとっての「同時代」は白居易だったのでしょが、私にとっての同時代はそうではありません。そうだとしても、今生きている世界を研究したいと思うのに、それをかなり遡った文学の研究を通して私にとっての同時代の空気を垣間見ろと言うのでしょうか。過去に書かれた作品にとっての同時代がそれぞれ存在し、影響を与えてきたというなら、その時々にとっての同時代、すなわち中世には中世の文学を、近代には近代の文学を研究することは無かったのでしょうか。

なんだかまとまりの無い文になってしまい、申し訳ありません。何か私の思い違いがありましたら訂正して下さると助かります。

お礼日時:2012/12/03 02:01

 肝腎な質問に答えてはいませんでした、申し訳ありません。


>その時々にとっての同時代、すなわち中世には中世の文学を、近代には近代の文学を研究することは無かったのでしょうか

 中世ならば、歌論書の形で評論が残されています。藤原俊成の『古来風躰抄』『古今問答』藤原定家の『近代秀歌』などが知られていますが、コンテンポラリテートとは限りません。
 江戸時代でも西には西鶴がいて東には芭蕉がいましたが、二人がそれぞれの作品を評価し合ったなどの話は疑問の余地もあります。
 近代以前で同時代の作品が考察の対象となりにくかった背景には、現在とは異なるメディア状況があります。近世以前ならば、本は全て筆写の形で流布していて、中々入手しづらかったことがあります。批評というよりも新作や話題の作品を早く読みたいとのニーズが優先していたのかもしれません。
 近代以前での考察対象は江戸時代の統治規範が儒教道徳だったこともあり、四書・五経や中国の史書などの古典が武家の教養だったこと。古今伝授などの形で公家に伝わる古典の素養が重用された経緯はあります。
 「同時代作品に対する批評」とのスタイルが日本にもたらされたのは明治維新以後つまり近代であり、それはとりもなおさず社会時評的な意味を持つことでジャーナリスティックな側面を有する形になります。
 作家にとっては「自らのスタイル」の方が「文芸評論」よりも大切なものと認識されていて、これにより「作家」と「文芸評論」は分化していくことになります。もちろん評論家は自らの作品を発表することはありません。小林秀雄や亀井勝一郎がオリジナル作品を発表したならば、恐らくは箸にも棒にもかからないほどのものでしょう。彼らは「他人の言葉を分析する」ことには長けていても、「自らの言葉で作品を紡ぐ」術にはコンプレックスを感じていて、その裏返しが旺盛な批評として表れた形です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

しつこい補足質問にも丁寧に回答してくださって本当にありがとうございます。質問しておきながら、お礼が非常に遅くなってしまい、大変申し訳ありませんでした。

>過去にそして今現在での「文学に携わる者」いわゆる「作家」と呼ばれる人達が「最初から作家だったのか」との問いになります。

このお話で、文学部・文学を研究することについて私が漠然と抱いていたモヤモヤした疑問のようなものが、やっとスッキリ晴れました。色々と腑に落ちた気分です。冷静に今一度質問を読み直してみると、一から全て説明してもらわないと理解できなかった自分が恥ずかしい限りです。もっと広い視野で考え、大学での学びに繋げていけるように精進して参ります。

また、「同時代の作品の批評」についても回答して下さり、非常に興味深く回答を読ませて頂きました。近代以前はメディア形態そのものが今と異なる……。なるほどと思いました。言われてみればその通りですね。自分ではその考えに至りませんでした(苦笑)。勉強になります。

ところで、回答者様は大学教授の方だったのですね。こんな自分の無知をさらけ出して私はなんて生意気な質問を……!と少々青ざめましたが、それでもそれ以上に貴重な体験ができたと嬉しく思っております。

>最終的な目標をお持ちのようですから、質問者様が今現在のように若い感性で様々な物差を手に入れることができれば、それは必ず「作品と作風」に反映されるはずです。

最終的な目標、それはまさにお気づきの通りです。密かな野望だったので質問には書き込まなかったのですが……読まれてますね(苦笑)。沢山の経験をして物差を手に入れていこうと思います。


長々と失礼致しました。また何かご縁がありましたら、その時はよろしくお願いします。

お礼日時:2012/12/12 14:43

 こんばんは、先刻は丁寧な御返事をいただいて恐縮です。

質問者様の実直な姿勢をうかがい知ることもできて、一先ず安堵しております。
 >仰りたいことは何となしに理解しているつもりですが、「戦後そして1945年以前の作家」が見ていた世界は、そして社会は、私達が今見ているそれとは少なからず一致しないところがあるかと思います。少なくとも古典文学と言われるものについては、例えば藤原道綱母と私個人で、その存在を取り巻く世界も違えば、世界を見る視点も違うというように。例えば平安人にとっての「同時代」は白居易だったのでしょが、私にとっての同時代はそうではありません。そうだとしても、今生きている世界を研究したいと思うのに、それをかなり遡った文学の研究を通して私にとっての同時代の空気を垣間見ろと言うのでしょうか。過去に書かれた作品にとっての同時代がそれぞれ存在し、影響を与えてきたというなら、その時々にとっての同時代、すなわち中世には中世の文学を、近代には近代の文学を研究することは無かったのでしょうか。

 このご質問を実は待っていたのです。この問題を具体的な形でお話しするならば、過去にそして今現在での「文学に携わる者」いわゆる「作家」と呼ばれる人達が「最初から作家だったのか」との問いになります。
 最初から作家を志して作家となった人達と他の分野で仕事をするうちに何時の間にか作家の道に入っていた人達とどこが違うかといえば、これは個人的な印象ですが、後者の方がより「人間の現実に近いところ」で人間観察をしていた様に思われます。
 戦後作家のかなりの部分に医学との関わりが見られます。たとえば北杜夫や安部公房、加賀乙彦や加藤周一といった文学に関わる人がそれであり、遠藤周作は自らが病に罹患し生死の意味を常に問い続けていたともいえます。ある意味「切実で現実的な課題」を自らに課すことはそれだけでも並々ならぬ覚悟が必要であり、それが自らの身に降りかかる現実だったとしたら更に闇は深くなるともいえましょう。
 大江健三郎が最初からオリジナルの世界観で作品を書き綴っていたかといえば、そうでもありません。小林秀雄をはじめ安部公房そしてノーマン・メイラーなどの彼より少し前の作家の目線で彼らの時代を見ると同時に、そのフィルターを使って今の時代を眺めてみたらとの「実験」からスタートしています。前者の実験はそのフィルターが有効に機能しているかとの検証であり、後者は実験装置としてのフィルターが持つ確かさを自身の作品に採り入れるには更なる「工夫」が必要であるとの試行錯誤の過程です。ですから大江さんのフィルター内部にも幾つかの階層が複雑に組み合わされ、作品毎にテーマが変わるのですから、そのフィルターにも様々なバリエーションが必要になります、もちろん「本源的な部分」においては共通ですが。
 大学の日本文学専攻で古典や外国文学を学ぶ意味は、このフィルターの数を増やす、引き出しの数をより多くもつためのトレーニングとお考えになっては如何でしょう。
 
 前回は伏せておりましたが、僕は二つの仕事に従事しています。一つは民間企業の勤務であり、もう一つは大学で研究と教育に携わっています。大学での専門は歴史学であり日本中世史です。これは歴史学という学問が持つ宿命ともいえますが、一つの歴史事象を扱うには史料の精密な調査と同時に分析方法も大切で、そこでは政治学や社会学、言語学や心理学といった社会科学領域の成果に手助けを求めることも自然です。そして対象領域が日本であるといっても、経済史の括りで見るならそれは封建制の解釈であり、政治学の括りならば国家形態と「物差」自体が変化します。そして適切な物差を組み合わせて使うことで、より具体的で人間の真実に近づくことも可能となります。
 最終的な目標をお持ちのようですから、質問者様が今現在のように若い感性で様々な物差を手に入れることができれば、それは必ず「作品と作風」に反映されるはずです。
 大学入学後にはご自身の専攻する研究室だけでなく、他の学部で関心ある分野の教員研究室を訪ねてみることも新たな刺激を得るにはうってつけといえましょう。真摯な教員ならばウェルカムであなたを迎えてくれるはずです。
 そうそう、京大には法学部の御出身ですが『日蝕』で知られる平野啓一郎さんもいらっしゃいましたね。創作を続ける一方で世界の彼方此方を旅し、彼独自の目線で現実を見て作品に反映させ続けている方です。あの方の作品は時には森鷗外であったり時には泉鏡花であったりと「次は何を見せてくれるか」と僕の期待を裏切り続けることで、デビュー当時からウォッチし続けています。
 楽しいお話しを聴かせていただいてありがとうございました。
    • good
    • 3

現代日本文学は、恐らく学問の対象にするには定説も意ありませんし、評価しようが無いでしょう。

せいぜい大正/明治とか
昭和初期ならば、歴史的も意義が有るでしょうが。
    • good
    • 0

必修科目はその大学のその学部のその学科の卒業生である品質証明みたいなもので、決められている以上動かしようはありません。

したがって選択科目で自分の好みを調整するしかないでしょう。

>それが無理ならば、現代日本文学を学びたいという人が、古典文学や外国語をやる意味って何でしょうか?

2つの意味があります。
(1)古典文学や外国語をある程度学ばなければ日本文学を十全に学べない。
(2)その大学のその学部のその学科卒業生を名乗る以上、修了しておいてもらわないとこまる。

大学の使命は教育と研究です。contemporaryな作品がその対象になりうるかという観点から考えてください。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お礼が非常に
遅くなってしまい、本当にすみませんでした。
なるほど。学ぶことの意味は確かにあるのですね。

お礼日時:2012/12/12 13:56

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q文学を学ぶのに良い大学

高3の受験生です。
小説家になるために、日本の文学について学びたいと思い、その道の最高峰ということで早稲田大学の文学部を志望しています。
でも、早稲田は今の成績だと少し難しいと言われているのと、浪人ができない事情のため、滑り止めはできるだけ多く受けようと思っています。
総合的なレベルや知名度でいくと、早大の下といえばMARCHや関関同立となるでしょうが、僕はさほど知名度やレベルにこだわらず、純粋に、日本文学を勉強する上で環境の整ったところに行きたいと思っています。
どこを受けるのが賢明でしょうか? 穴場を教えてください。
(一応自分で調べたところ、国学院は日本文では環境はかなり良いということらしく、検討しているのですが)

Aベストアンサー

小説家になるという前提だと学部は関係ないかも。
早稲田に入って文学関係のサークルにはいるというのが手かも。
文学部は小説家を育てることが目的でなくて、小説を始めとした文学を解釈するための教育ですので。
学部にかまわないというのであれば、日大の芸術学部などはどうでしょう?人間観察という意味では、雑多な人種が徘徊しているようです。
明治大学のマンガ研究会も最近小説家を輩出している。

んで、國學院はその分野ではよろしいかとも思います、で、西日本ですと天理大学も穴場かも。

Q日本文学で有名な国立大学は??

初めまして。私は韓国人で、日本の国立大学を目指して勉強している者です。
日本の国立大学で、日本文学(主に近代、現代時代)について学びたいですが、
日本文学で有名な国立大学は、どこでしょうか?
(私立は、留学生の私に取っては経済的に困ります)




私が知り合いの日本人から薦められたのは筑波大学です。
東京外国語大学の場合、奨学金の制度が日本語学科に限ってよくできていないし
療もないので、経済的に困りますし。。
慶応・早稲田大学などは、私立でできないし。。




なんか国立・公立大学で、日本文学で有名で権威のある大学、
お勧め頂けますでしょうか?
日本文学を深く学びたいです。
どうぞよいアドバイス、お願い致します。

Aベストアンサー

日本文学は、「金にならない」学問ですので、こういう学問を大切にしている大学となると、やはり名門大学になります。あと、有名な先生がいるかどうかよりも、その大学が留学生を受け入れるのに慣れているということも重要でしょう。

こういうことを考えますと、国立大学では、筑波大学はとてもよい大学だと思います。その他に、東北大学と北海道大学の文学部も非常にしっかりしていると言われています。この3校は、非常に学術中心の風土がありますから。

ちなみに、私立大学の名門校は、あまりよい文学部はありませんね。國學院大学や二松学舎大学などは、偉い先生がたくさんいますが、権威は弱いです。学生のレベルが少し低いからです。早稲田や慶應は、学生のレベルは高いのですが、彼らは金儲けしか考えていないので、文学はやりません。

Qマーチ程度のレベルで、日本文学をやるならどこの大学か

他にも同様の質問はありましたが回答範囲が志望と違うので新規に質問させていただきます。

マーチや成成明学くらいのレベルの大学で日本文学に強い大学を教えてください。東京近郊か関西への進学を希望しており、古典(特に古代)を中心に学びたいと思っています。

教授やテーマから決めることも検討していますが、史料などのことを考えると大学の環境も大事だと思ったので質問しました。ご回答宜しくお願いします。

Aベストアンサー

すでに出ているように、私立で日本文学なら国学院です。
多くの有名私大は外国文学がメインだからです。
国学院の日本文学科は歴史が古く、資料も多いです。この学科は国学院ではトップの看板学科で、この分野での知名度は高いです。

Q哲学科で勉強することって???

高校を卒業したら大学に進学しようと思っている高校2年生です☆☆
どの学部に進学しようか迷っているときに、哲学科がある大学があることを知りました。
哲学に興味があったので、そういう学科で勉強したらおもしろいんじゃないかなって思ったんです。
でも、哲学科という学科があるということを知っているだけで、どういうことを勉強しているのかを全く知りません。
そこで!!哲学科に通う学生さん、もしくは哲学科で何を勉強するのかを知っている人はぜひ教えてください!!!!
自分でも大学のパンフなどで調べたのですが、より詳しい情報とかもお願いします!!

Aベストアンサー

おはようございます。
私は哲学科を卒業した者です。
皆さんが言われているとうりです。
大学によりますし、また、講師によってもかなり違ってきます。
つまり、高校までの授業とは違い、大学になると学ぶ分野が細分化されて、
学生が自分で学びたい科目を選択してゆくことになります。とくに3・4年ではそれが顕著になってきます。
教授たち自信、自分が研究している分野があって、その分野に強いわけですから、その分野のことを講義してきます。
もちろん人によりけりで、一般的なことを話す講師もいれば、専門的なことを
話す講師もいます。

ですので私が大学に進学するときには、自分の学びたい教授のいる大学に進むものがいました。

一口に哲学といっても意味合いが広すぎます。
それは古代ギリシアの自然哲学者たちが「なぜ」と考えること自信を学問とし、
その考えることを「知を愛する」ことである「philosophy」と名づけました。
その思考することである学問から、数学や音楽、天文学などが生まれ、哲学は
「万学の女王」と呼ばれています。

しかし、現在、哲学も細分化され、皆さんの言われている分野が主な研究対象となっています。
形而上学や、科学哲学といっても、一般の人には全然ぴんと来ないでしょう。
ここでそれを語ろうとすると、はっきり言ってきりがありません。
哲学とは定義づけすることの難しい学問ですから、その領域もとても広いのです。
また幾多の哲学者もさまざまな謎を出し、疑問に答え、論理を導き出しています。
その考えを知るだけで、途方もない時間が必要です。

抽象的なことばっかり言っていますが、これが「哲学とは何か」に対する答えだと思ってください。
しかし、あまり漠然とした答えでは何の参考ともなりませんので、さわりを少しだけ。


この世になぜものが存在するのか、そしてそのことを人間はなぜ認識するのか、どうやって認識しているのか。
また、目に見えないもの(神・真理・無限・絶対・永遠)は存在するのか。
有と無の関係。世界はどういう原理で作られているのか。 
そして、人はなぜ生まれてきたのか、どうやって生きていくべきなのか。


と、大雑把ではありますが、こういうことを考える学問です。
以上のものは主に古代哲学からの疑問ですが、現代では、
論理学や科学、数学なども絡み、さらに難解です!
その論文などは日本語で書かれていても、とても日本語とは思えません。
はっきり言って、実際学ばないとわからないと思います。
明確な答えが出ない物事を、真剣に思考するという、恐ろしい学問です。

1・2年の一般教育では、主に「哲学史」「哲学者の考え」を聞くこととなるでしょう。
そして、3・4年で、専門的な事を学び、自分の納得のいく答えを探すこととなります。


ただ、卒業したら社会の中、実生活では、正直役に立ちません。
ですので、#2さんの言われるとうり、変な人が多いのが特徴です。
もちろん普通の人もいますが、他の学科と比べてやっぱり・・・

よく哲学は「ごみの山」だと言われます。
ぜんぜん役に立つものはないのですが、その中に、ひょっとすると、
すごい宝があるのかもしれないと・・・

あなたは、哲学に興味がある時点で、かなり変わった人です。
ぜひ、そのまま哲学科へと進み、その生き方、考え方に磨きをかけてください!

まだ言いたいことは山ほどあるのですが、きりがありませんので、これくらいで。


最後に、哲学がいかに現実離れしているかの実例としてよく引き合いに出される
哲学の開祖タレスの2つの逸話で〆たいと思います。

「あるときタレスは天体観測のため空を見つめて歩き、熱中のあまり前方の井戸に気づかず落ちてしまった。この事件について、足元のこともわからないのに天のことばかり知りたがるのは滑稽だとトラキア人の女奴隷に笑われた。」

                        プラトン 『テアイトス』

「タレスが貧乏であったことから、世人が哲学などは生活に何の役にも立たないと
非難したところ、彼はその天文学の知識からその年のオリーブの豊作を察知し、
早いうちにミレトス中の搾油機を安く借り集め、時期が来て人々が必要としたとき
高く貸して大もうけした。」

                       アリストテレス  『政治学』  

おはようございます。
私は哲学科を卒業した者です。
皆さんが言われているとうりです。
大学によりますし、また、講師によってもかなり違ってきます。
つまり、高校までの授業とは違い、大学になると学ぶ分野が細分化されて、
学生が自分で学びたい科目を選択してゆくことになります。とくに3・4年ではそれが顕著になってきます。
教授たち自信、自分が研究している分野があって、その分野に強いわけですから、その分野のことを講義してきます。
もちろん人によりけりで、一般的なことを話す講師もいれ...続きを読む

Q本が好きだから文学部へ・・・だめでしょうか

高2です。
自分は本が好きです。活字読むのとか苦ではありません。
授業中に川端康成や太宰治などの文豪達の生い立ち(?)を知り、
軽く感動に似た物を覚えました。
単純に本が好きだから文学部の日本文学科へ~って、甘いでしょうか?
でも古典は軽く苦手です…。
それと、文学部の特徴なども教えて下さい。

今進路で相当なやんでるんです…;;

Aベストアンサー

現役文学部教授の私がちょっと思ったことをお答えします(国文科です。専門は古典)

本が好きで国文科・・・いいと思いますよ。うちの学科の学生も、ほとんどが「本が好き」「本を読むのが苦痛でない」と言っています。入試にはおそらくどこでも古文が必要ですが、それは受験勉強でなんとかなることです。入学した後、必修で古文が課される大学も多いと思いますが(かなりの国文科では、「文学コース」と「語学コース」のような分け方をしていて、これは強制ではないのですが、文学関係の科目を沢山選択出来るコースと語学関係の科目を選択出来るコースを作っています)、近現代文学を研究するのにも古典は必要な場合が多いです(谷崎潤一郎や三島由紀夫などは古典を読んでいないとだめですから)。大学の古典は、文法ばかりの記憶などのような高校国語の「古文」とはまったく違うものですから、あんまり心配する必要はありません。

ただ、今までの回答にもあるように、どの大学のどの学科にどんな教員がいて、その人の専門は何か、ということはよく調べておく必要がありますよ。今ではネットのHPでだいたいわかりますし、本を出している教員ならばその本を探して読んでみることも出来ますね。
また、単に「好き」だけでは研究は出来ませんので、ある程度地味な努力(近現代なら文学理論の本を読むとか、先行論文をこまかくチェックするとか)が要求されます。でも、なんと言っても「好き」がいちばんですよ。私も国文科教員として、本が好きな学生さんに入学してほしいと思っています。
しかし、国文科を卒業しても就職にはまったく関係ないことは承知しておいてください。国語の教員への道も非常に厳しいですし、大学院に進んで博士号をとっても大学教員への就職はまったくないのが現状です。うちの卒業生も、銀行、郵便局、事務、などの職業についており、国文科で学んだことを職業に生かすことは無理でしょう。編集者という道もありますが、私がおつきあいしている編集者は全員「高偏差値大学」出身者です(東大、慶応、など)。

いろいろ言いましたが、夢を捨てずにがばってください。

現役文学部教授の私がちょっと思ったことをお答えします(国文科です。専門は古典)

本が好きで国文科・・・いいと思いますよ。うちの学科の学生も、ほとんどが「本が好き」「本を読むのが苦痛でない」と言っています。入試にはおそらくどこでも古文が必要ですが、それは受験勉強でなんとかなることです。入学した後、必修で古文が課される大学も多いと思いますが(かなりの国文科では、「文学コース」と「語学コース」のような分け方をしていて、これは強制ではないのですが、文学関係の科目を沢山選択出来る...続きを読む

Q哲学科に進学したことをとても後悔している

私は、現在、大学で哲学を専攻しています。
大学の哲学科に入学する前は、哲学が好きだったのですが、
大学の哲学科に在籍する内に、日本における哲学に対するネガティブなイメージに押しつぶされ、自分が哲学科の学生であることに強いコンプレックスを感じるようになり、哲学に対する意欲を失ってしまいました。また、大学の哲学科のカリキュラムも(一応、世間的には一流大学と評価されています)ひたすら語学の学習ばかりをやらされ、
肝心の哲学の授業は、教授がぼそぼそと聞き取りづらい声で、
話すのを聞かされるだけで、こんなことなら、法学部にでも行って、
趣味で哲学書を読んでいた方が、よっぽどマシだったのではないか
と今になって気づきました。

そして、哲学科であると言うと、周囲に奇異な目で見られることが頻繁にあり、(たとえば、文学部で英文学を専攻しているというのと、哲学を専攻しているというのでは、明らかに相手の反応が異なる。)
それが原因で、元々内向的だった性格が更に内向的になり、
情緒不安定な状態になっています。

哲学専攻の同級生は、哲学研究者を志望するとても勉強熱心な優等生タイプと、哲学は単位を取るのに必要なだけ手際よく勉強し、一流企業への就活にエネルギーを費やすタイプに二極化しています。しかし、
自分はそのどちらでもなく、いたずらに無為な日々を送っています。

このまま大学を卒業して、「哲学科卒という十字架」を一生背負って生きていくことに底知れぬ不安を感じます。このまま文学部哲学科を卒業するべきなのか、疑問を感じています。中退や編入も真剣に考慮し、某旧帝大の経済学部の編入試験に合格したのですが、なぜか、入学辞退してしまいました。

現在、自分は4年生で卒業間際ですが(就活はしなかったので、
内定は得られず、卒業後の進路は未定です)
自分が今選択に悩んでいるのは、
一このまま哲学科を卒業する
二今からでも、哲学科卒という経歴を回避するために卒業せずに、
他大学他学部への編入を再び目指す、あるいは中退してしまう
という選択をどうするべきかということです。

勿論、以上のような悩みは神経症・強迫症的な悩みであり、
自分の精神的未熟さや弱さが基底にあることは自覚しています。
また、大学で哲学を専攻すると決定したのは、自分自身であり、
誰に強制されたわけでもありません。

それゆえ、自分の悩みが嘲笑とともに、黙殺されるのも覚悟しています。だが、自分にとっては、非常に深刻な問題で、日々、過去の進路選択への激しい後悔と、将来に対する不安に、押し潰されそうなのです。

自分自身で色々考えていても、思考が堂々巡りをして、
突破口を見出せない状態が続いております。
そこで、皆様から、多角的な視点からのアドバイスを頂ければ、
幸いです。何卒、よろしくお願い致します。

私は、現在、大学で哲学を専攻しています。
大学の哲学科に入学する前は、哲学が好きだったのですが、
大学の哲学科に在籍する内に、日本における哲学に対するネガティブなイメージに押しつぶされ、自分が哲学科の学生であることに強いコンプレックスを感じるようになり、哲学に対する意欲を失ってしまいました。また、大学の哲学科のカリキュラムも(一応、世間的には一流大学と評価されています)ひたすら語学の学習ばかりをやらされ、
肝心の哲学の授業は、教授がぼそぼそと聞き取りづらい声で、
話すの...続きを読む

Aベストアンサー

どのような「ネガティブなイメージ」でしょうか。
アカデミックな場面でもたれているイメージと、
世間一般でもたれているイメージでは、ちがうような気がします。

世間一般のほうですが、就活で困るというのは深刻です。
が、哲学科でも、学部卒のことなら、それほど気にしなくてもよいのでは。
修士や博士卒なら、偏見の目で見られても仕方ありませんが、
それは哲学科だけに限られることではないでしょう。
学部卒でそこまで偏見の目で見るのは明らかにおかしいので、
運の悪い面接官に当たったくらいに思うしかないと思います。
できれば、偏見の目で見られているからこそ、発奮していい就職をしてやるぞ、
と思いきることができればよいのですが。
哲学科の友人がそうでした。

日常生活であれば、てきとうに切り返す方法を身につけるしかありません。
そういう場面での偏見は、抑圧ど同時に促進になったりもするので、
かえってそういった偏見を生かしてうまくキャラづけするか、
うまくそういう話題にはまらないように言動を調整していけばよいと思います。
仲のいい友達からそう思われているのであれば、
コミュニケーション上の振りだと考えていけばよいのでは。
そこまでするような相手でなければ、話すことを避けるか、
無視すればよいと思います。
無視できないのであれば、それは、耳に飛びこんできた自分への評価を、
すべて自分のなかに位置づけていかないと、
と強迫的に思っているのかもしれません。
ときには、評価を無視することも大事だ、
と意識して自分に言い聞かせるようにしないと、切りがありません。
自分にたいする肯定的な評価、否定的な評価のどちらについても、
正当として受けいれなければならないもの、
不当として拒否し、正さねばならないものに加えて、
正当だろうが不当だろうがどうでもいいものがあります。
その辺りを選別していければ、だいぶ気が楽になるのではないでしょうか。

カリキュラムについて。
哲学の本を読むと、その語学力に舌を巻きます。
日本語で読んでさえ複雑な論理で書かれていて難しいのに、
それを英語だけでなく、フランス語やドイツ語で学んでいるわけで。
専門家になれば、ただ正確に読めればよいというわけではなく、
限られた時間で正確に読み解くことが求められるのでは。
語学の学習があるというのは、
本来なら個人で訓練してもおかしくないところを、
わざわざ教員がつく上に単位が出るのだから、むしろ贅沢な話では。
……という感じで、各授業に意味を見出せばよいと思います。
この語学の講義では、これを目標にする、のように。
予習も、ただ読むのではなく、短時間で読みきれるように練習するなど。
そうでないと、語学が多いのは辛いかもしれません。

ただ哲学書を読むだけなら、ほかの学部でもできると思いますし、
がんばれば今年出た現在の哲学者の論文を読むこともできます。
しかし、その論文の生の評価、いまの雰囲気といったものを知るには、
やはり哲学科に在籍しないと無理なのではないかと思ったりもします。
部外者として哲学をかじっていたほうが楽しいのは当たり前で、
研究者になるための訓練としては面倒なことのほうが多いだろうと思います。
加えて、教員にやる気がなかったりすると、
学生のほうも面倒なことをやる気さえ起きないかもしれません。
ただやはり、質問者さんについては、部外者ではなく哲学科で学ぶメリットに
まったく目を向けていないところが気になりました。
哲学科に在籍していなければ、もっと後悔しているかもしれません
(どちらのほうが後悔することになるかはわかりませんが)。

いずれにしても、後悔先に立たずということで、
まずいまの自分の立場を肯定するところから始めてみては。
メリットを最大化し、デメリットを最小化する方向に努力するしかありません。

どのような「ネガティブなイメージ」でしょうか。
アカデミックな場面でもたれているイメージと、
世間一般でもたれているイメージでは、ちがうような気がします。

世間一般のほうですが、就活で困るというのは深刻です。
が、哲学科でも、学部卒のことなら、それほど気にしなくてもよいのでは。
修士や博士卒なら、偏見の目で見られても仕方ありませんが、
それは哲学科だけに限られることではないでしょう。
学部卒でそこまで偏見の目で見るのは明らかにおかしいので、
運の悪い面接官に当たったくら...続きを読む

Q関西・関東付近で、文学部といえば何大学ですか?

関西もしくは関東付近で文学部(日本文学)といえば何大学ですか?
高校2年生で、進路について悩んでいます。
将来、就ける就けないは別として司書になりたいと思っています。

最終的には資料請求などで検討したいと思っているのですが、
量が多すぎて悩んでしまっていて、絞るための参考にしたいので、
文学部(日本文学)で連想する大学を教えていただけると嬉しいです。
国公立、私立、どちらでもいいです。

教員になりたいわけではなく、あくまで文学や日本語の研究がしたいので、
そういった研究が有名な大学の情報があると嬉しいです。

あいまいな文章で伝わりにくいとは思いますが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 こんばんはNo.3.6です。僕の考え方はどちらかと言えばNo.10の方に近くNo.8の方の様に「現実べったり」とは対極の考えです。
 No.8の方は「でも現実には偏差値60以下の中堅大学の非実学部に行ってなんだかんだ行って院に行かずに就職と言う人が全体の80%ぐらいなわけです。で、就職先が無いからどうの、って言い出すんですよ。悪いけど自業自得です」と「商学や経営学系こそが学問」と言わんばかりに他の学問を存在意義がないかの様に侮っていますが、近代経済学の創始者的存在でもあるアダム・スミスが『国富論』に先立って『道徳情操論(または『道徳感情論』とも呼ばれる)』を著したのはなぜだとお考えですか?。また経済学者のカール・マルクスが『経済学・哲学草稿』を遺したのはなぜだとお考えでしょうか?。
 本日の朝日新聞朝刊にこんな記事が掲載されていました、アメリカ大統領選挙を巡り「アメリカの国民がアメリカの実情をどれ位“正確に”把握しているか」との疑問をアメリカ国内の経済学者が問うていた文章です。
80年代の後半には既にアメリカン・ドリームなどの夢物語は実態を失い、その現実に気が付かないままにここまで来てしまったとの指摘です。
 「理念」などとの言葉を使えばNo.8の方からは「甘っちょろい、現実を理解出来ていない」と鼻先で笑われるかもしれませんが、「実学」だけが人間にとっての渇きに潤いを与える本質的な手段でないことも一方の事実であることには間違いないでしょう。「人はなぜ生きるのか、どの様に生きるのか」を問うことが学問の根源であることにも鑑みて、余り「即物的な物の見方」を学問にそのまま当てはめる事に僕は同意しかねます。
 少なくとも「問題意識の高い学生」であるならば「学部の4年間はその後のための準備期間として力を蓄える時間」となっています。No.8の方はそうした学生に出会ったことがないために態(わざ)と嘯(うそぶ)いているのかもしれませんね。
 学問に対する評価は「研究者が示す研究成果」によってのみ判断される。これは歴とした事実です。大学の名前やネームバリューで評価が決まるわけではありません。
 幸いなことに質問者様は現在、高校二年生であり「漠然と“文学や日本語に関する研究がしたい”」レベルです。今後「どの様な視点から、どの様な方法で、どの様な対象に『アプローチ』していくか」を大学の1・2年次に深めそれを3年次以後に突き詰めていく、こうしたロングスパンで取り組んでみては如何ですか?。全てを「これは役に立たないからダメ」「これは役に立つ」との二分法で括ってしまうならば、実学としての経済学で学ぶ「経済原論」などは「役に立たないモノ」に分類されてしまいます。けれども「経済学」を学ぶ上では「経済原論」は避けて通ることの出来ない科目であり、法律としての「憲法」が同時に「基本法」としての地位を占めるのに対し、その他の行政法やら経済法やら社会法そして刑法や民法などはその「憲法の内容を個別領域的に具体化する法」である違いと関係がそこにはあります。「文学」そして「言語」を学ぶ事は表面的には「実学のイメージ」はないと思われるかもしれませんが、そこで対象とするのは「人間の意識や思索」そして「それを表現する手法」であり「総体として人間を取り巻く全て」「人間が遺してきた全て」をひっくるめて扱う領域であり、この意味では「実学ではないとのイメージ」も怪しくなってきます。
 蛇足ですが、僕の友人にも国文科に在籍しながら職業として社会保険労務士の資格を取得して企業の総務で働いている者や税理士の仕事に従事している者もいます。僕自身も企業でSEとして勤務する一方で大学教育と研究に携わる身分です。「二足草鞋」もなかなかイイものですよ。「生活の食糧(かて)を得るための仕事」と「自分の専門領域に対しての様々な視点からのアプローチによる仕事」の切り分けさえも可能です。こうしたチャレンジができるのも若い間だけですから。

 こんばんはNo.3.6です。僕の考え方はどちらかと言えばNo.10の方に近くNo.8の方の様に「現実べったり」とは対極の考えです。
 No.8の方は「でも現実には偏差値60以下の中堅大学の非実学部に行ってなんだかんだ行って院に行かずに就職と言う人が全体の80%ぐらいなわけです。で、就職先が無いからどうの、って言い出すんですよ。悪いけど自業自得です」と「商学や経営学系こそが学問」と言わんばかりに他の学問を存在意義がないかの様に侮っていますが、近代経済学の創始者的存在でもあるアダム・スミスが...続きを読む

Q国文科に進みたいのですが…

こんにちは。
高校1年生の者です。最近、大学の進路が気になりだしています。

文学が好きな私は、大学は国文科と決め込んでいました。将来どんな仕事に就きたいというよりは、ただ単に国語を勉強することが好きだから。小説家・詩人・国語の教師・新聞記者・出版社…将来文学と触れ合っていけるなら何でもいいんです。

でも、このまま「好きだから」という理由のみで国文科を選んでしまうことに少し不安も感じています。
現在の小説家や詩人などは、大学で国文科以外を選んでいた方ばかり。また国文科を卒業したところで必ずしも文学系の職業に就職できると限りません。第一、国文科からの就職率はかなり悪いと聞いています。

好きなのは国語ですが、理数系の方がテストの結果は得られています。またとんでもなく多趣味な人間で、ブログ作りやサッカー観戦、現代美術、裁縫など、犠牲になるものは少なくないんです。
「後悔しない自信がある」とは言い切れない自分がいます。

でも大学で勉強したいほどのことと言ったら文学しかないし…非常に困っています。

誰でも構いません。こんな風な大学での専攻の仕方や将来の進む道もあるのでは、という方がいらっしゃいましたら、是非教えてください!!

こんにちは。
高校1年生の者です。最近、大学の進路が気になりだしています。

文学が好きな私は、大学は国文科と決め込んでいました。将来どんな仕事に就きたいというよりは、ただ単に国語を勉強することが好きだから。小説家・詩人・国語の教師・新聞記者・出版社…将来文学と触れ合っていけるなら何でもいいんです。

でも、このまま「好きだから」という理由のみで国文科を選んでしまうことに少し不安も感じています。
現在の小説家や詩人などは、大学で国文科以外を選んでいた方ばかり。また国文科を卒...続きを読む

Aベストアンサー

日本文学科(うちの大学ではいわゆる国文科にあたります)所属の大学3年生女子です。

同じキャンパス内でいろいろな学部学科が講義を行っている大学への進学をオススメします。
大学では、必修科目の他に、好きな講義を自ら選び受講することが可能です。
医学部など、忙しい学部へ入ってしまうと難しいとは思いますが、卒業要件単位のうち、自由選択科目が多い学部学科に入ってしまえばこちらのものです。(笑)
必要なものはきちんと自分の本業(?)として単位をとり、残りは好きな学科の好きな講義をとればいいわけです。
たとえば私は、受験のとき迷いに迷って、結局日本文学科に入りましたが、うちの日文は、卒業要件単位のうち、自由に科目を選択していい単位数が非常に多いため、興味のあった児童学科の授業によくおじゃましています。

就職のために専門性を持っておきたい、国語のほかにもこんな勉強をしてみたい、というのが見えてきたら、そのときはそれを大学でメインに専攻すればいいんじゃないかしら。国語系の授業なんて、いくらでも潜り込めると思います。(笑)
あと2年くらい高校生活してみて、「やっぱり国語が好きだなぁ、他をメインに据えて4年間なんて、やりたくないなぁ…」と思うのでしたら、そのときは迷わず国語を選べばいい。他の教科は「一般教養」という名の下に行われる概論とか、他学科の授業に潜り込めば、いつでもつまみ食いできますから。(^^

そんなに深く悩みこまなくても、案外なんとかなっちゃいますよ♪
一年くらい大学に在籍してみて、「あ、私が専攻したいのはあっちだったんだ!」って気付いたら、転学科というのも出来るハズですし。(転学科のための試験やお金は必要かもしれませんが。)

職業の面で言うなら、少なくとも、国語の先生になりたいなら国文科。小説家になりたいなら絶対他学科をオススメします。
なにはともあれ、まずは高校生活楽しんでくださいね(^^

日本文学科(うちの大学ではいわゆる国文科にあたります)所属の大学3年生女子です。

同じキャンパス内でいろいろな学部学科が講義を行っている大学への進学をオススメします。
大学では、必修科目の他に、好きな講義を自ら選び受講することが可能です。
医学部など、忙しい学部へ入ってしまうと難しいとは思いますが、卒業要件単位のうち、自由選択科目が多い学部学科に入ってしまえばこちらのものです。(笑)
必要なものはきちんと自分の本業(?)として単位をとり、残りは好きな学科の好きな講義をとればい...続きを読む

Q京都大学文学部、大阪大学文学部って偏差値は高いけど・・・なんてことありますか?

 京都大学文学部や、大阪大学文学部(或いは神戸大学文学部?)を志望していたんですが、親から「偏差値が高いわりに就職で不利だから、絶対損だ、もったいない」といわれ悩・・。文学研究で研究職にも少し興味があるのですが。どうでしょうか?

 入試を見た感じでは、難易度的におそらく阪大文学部には手が届きそうなのですが。

Aベストアンサー

よく分かる。

私は文学部卒業後、院に進学し今に至ります。一度院に進んだら絶対に後悔してはいけないと思っていたのですが、研究職は死ぬほど大変です。もし就職か研究職か悩んでいる後輩がいたら、相手がよっぽどの天才でない限り、就職をすすめます。少子化の時代、研究者として生き残るのは東大に上位で入学するのとは比較にならない程難しいと考えてください。どうにか非常勤講師になれたとしても、食べていくのがやっとです。(国立大学で一コマやっと受け持たせてもらえてやっと年収約20万です。年収がですよ。少子化もありアカデミックポスト(教員枠)も削減される。)

学部時代の就職活動ですが、高望みしなければどうにかなりますよ。ただ、企業によっては、文学部は個別には相談に応じるが基本的にエントリーは受け付けないとなっている所があり、ショックを受けたことがありましたが。京大ならある程度はいけそうですが。

就職を考えるのなら、どう自己アピールするのかもしっかり考えてください。「御社に入るために、私は大学時代にコレコレを学んで・・・」と。やる気を見せることが大切なのです。ただ文学部で語学運用能力がないと何を勉強していたの?と白いの目で見られますが。

もし大学院に進学されるのなら、負担は増えますが、学部在学中に教職をとっておいたほうがいいですよ。高校、中学校の教員という道が残されています(これも倍率が高いですが。)

よく分かる。

私は文学部卒業後、院に進学し今に至ります。一度院に進んだら絶対に後悔してはいけないと思っていたのですが、研究職は死ぬほど大変です。もし就職か研究職か悩んでいる後輩がいたら、相手がよっぽどの天才でない限り、就職をすすめます。少子化の時代、研究者として生き残るのは東大に上位で入学するのとは比較にならない程難しいと考えてください。どうにか非常勤講師になれたとしても、食べていくのがやっとです。(国立大学で一コマやっと受け持たせてもらえてやっと年収約20万です。年収...続きを読む

Q国語だけ得意な人の受験方法

高校生の娘ですが、トップクラスの学校ではないけれども一応進学校に通っています。
成績は中の上程度なのですが、教科によってばらつきが激しいのです。
得意なのは国語・古文・漢文などで、偏差値も安定していていつも70近くをキープしています。
反面、理数系は40前後と悲惨です(笑)

こういう成績の場合、大学受験方法にはどのような方法がありますか? 推薦をもらえるが一番なのでしょうが…。
本人は、音楽系か国文系を考えているようです。

Aベストアンサー

こんにちは!

>こういう成績の場合、大学受験方法にはどのような方法がありますか?
>音楽系か国文系を考えているようです。

すみません、音楽系については、専門ではないためわかりません。他の方の回答をお待ち下さい。
(一瞬「国文系」を「国立文系」と誤読してしまいましたが、国文学系のことですよね(^-^;←恥)


以下、入試のテクニックについて。

【国立文系の入試科目について】

●センター試験
国語、数1A、数2B、英語、理科、それから社会が二科目の合計七科目です。

●二次試験
国・数・英、または国・英が一般的です。

ですので、一般的には、理数系が苦手だと、国立入試は不利になりがちではあります。

ただ、外国語大学などの一部の大学ではこの限りではありません。
東京外大では、上記のうちセンターの数2Bが必要ありませんし、二次も英語のみです。

【私立文系の入試科目について】

あくまで入試条件から言えばですが、国立文系よりは私立文系の方が有利かもしれません。

●個別試験(またはセンター入試)
国・英・社が一番一般的です。
国・英のみで受験できるところもあります。
「国語のみ」となると随分限られます。「英語のみ」なら結構あるのですが。「日本文学・入試は国語のみ」で調べてみると、偏差値は、高いところでも58程度のようです。

ちなみに、公立大学(市立や県立)も、科目数的には私立文系に近いです。


というわけで、やはり入試条件だけ見ましてのアドバイスとしましては、
(1)数学と理科は捨てて私文にすることもできますが、英語と社会についてはあきらめて勉強した方が選択の幅が広がります。
(2)迷ったら、国語の配点の高いところにするといいかも。他の受験生が苦手とする古文漢文を含んでいるとなお有利かもしれません。また、文章も得意ならば小論文が科目に入っているところもいいですね。


では、実際にどういった大学があるかということにつきましては、こちらを。

http://ex.fine.ne.jp/hs-online/student/index.html

ベネッセの運営するサイトのようです。
こちらで、希望する学科の系統、レベル、入試科目、都道府県を選んで絞り込み検索ができます。

「人文科学」と「語学」を全選択して、「個別試験」のところで国・英・社・小論で絞り込んでみましたら、
上のほうには
上智(英語)73
早稲田(教育心理)72
立命館(国際関係)71
などの有名大学が並びました。

「日本文学」のみを選択して、同じく国・英・社・小論で絞り込んでみましたら、
慶應(人文社会)72
早稲田(国語国文)70
上智(国文)69
青山学院(日本文学)67
などが並びました。


また何かありましたら補足して下さいね♪

こんにちは!

>こういう成績の場合、大学受験方法にはどのような方法がありますか?
>音楽系か国文系を考えているようです。

すみません、音楽系については、専門ではないためわかりません。他の方の回答をお待ち下さい。
(一瞬「国文系」を「国立文系」と誤読してしまいましたが、国文学系のことですよね(^-^;←恥)


以下、入試のテクニックについて。

【国立文系の入試科目について】

●センター試験
国語、数1A、数2B、英語、理科、それから社会が二科目の合計七科目です。

●二次試験
...続きを読む


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング