「これはヤバかったな」という遅刻エピソード

創価学会の人に、毎日、南無妙法蓮華経を唱えれば道が開けるといわれております。

たとえ意味もわからずとも、ただただ、唱えて行けば御利益があると聞きましたが本当でしょうか?

たくさん唱えればそれだけ効果があるのでしょうか?

その方は「宇宙のリズム」だと言うのですが…・

教えてください。宜しくお願い致します。

A 回答 (12件中1~10件)

創価学会 壮年部の者です。



>たとえ意味もわからずとも、ただただ、唱えて行けば御利益があると聞きましたが本当でしょうか?

本当です。

ただし、邪悪な願いは叶いません。
また、他人の不幸を願えば、返って自分自身に災いが降ってくるでしょう。


>たくさん唱えればそれだけ効果があるのでしょうか?

もちろんです。

しかし、日蓮大聖人は「ただの一遍でも唱える事でも、大きな功徳がある。」と仰っています。
それを沢山唱えれば、計り知れない功徳となるでしょう。


>その方は「宇宙のリズム」だと言うのですが…・

その通りです。
森羅万象の現象を、慈悲の功徳の方向へと導いていく“法”なのです。
これは、釈尊が法華経に現した“法”を、末法の御本仏である日蓮大聖人が、末法の衆生のために『御本尊』として現したものです。

また、日蓮が現したものだから、『日蓮宗』も一緒だと言われる方がおりますが、『日蓮宗』に伝わるものは日蓮大聖人よりの相続を受けておりませんので、同じ『南無妙法蓮華経』だったとしても全く粗法であり功徳はありません。全国には沢山の日蓮宗の寺院がありますが、そこに帰依しても何の功徳も得る事はできません。

では、『日蓮正宗なら良いのか』という事になりますが、日蓮正宗、法華講、妙観講等の信心でも功徳はありません。

細かくなり申し訳御座いませんが、同じ『南無妙法蓮華経』を唱えたとしても、唱えていく題目からして違うのですから、功徳があることはないでしょう。

今、日蓮大聖人の信心というものは、創価学会にしか流れていないのです。ここが大事な点です。
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日蓮大聖人は、宗派によって、人間を差別すると言うことらしいですね。


何とも偏狭なことです。
そんな同門宗派間の内ゲバを臆面もなく堂々と述べるのは、正常な感覚が麻痺しているとしか思えません。
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少ない労力で、大きな利益を約束する者が、普通どんな輩か考えれば分かるでしょう。



欲の皮の突っ張った人が、そんな話に引っかかるのです。

世の中にうまい話など無い。
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まあまあ、皆さんの仰りたいことは分かりますが、


難しいことを言っても一般人はサジを投げて逃げてしまいますから。

本当かどうかも見極めがつかないうちに
難しい説法や作法を説かれても、行動する気は削がれます。
今の世の中快楽はたくさんありますから。

信ずる者は救われる。これから始めればいいでしょう。
興味が出てくれば自発的に調べるようになるでしょう。

やらないよりはやった方がマシ。
エンジンにたとえた方がいましたが、点火剤だと思っていただけたら良いかと思います。
人生は長いですからその間に学ばれれば宜しいかと。
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本当に知りたければ、近所の学会員に聞けばいい。


ネットで書き込んでも炎上目的の書き込みとしか認識されませんから。
本当はそれが目的なのかもしれませんが。

唱えているだけで、その他に何もしなければ意味がありません。
元来、お題目というのは「補助」的役割であり、自己の願いを体現する
助けになるモノです。したがって、自分の生活の中で、願いが強ければ
反映されますが、ヒキコモリのニートが何も考えずに口ずさんでいるだけだと
何も改善されません。自己の変革には、行動が必須なのです。

車にはガソリンが必要ですが、ガソリンだけあったとしても車がないと
「走る車」という結論には至らない。そんなもんです。

南無妙法蓮華経に関しては、日蓮宗全般に共通しています。
したがって、拝む対象もはっきりさせないといけませんね。
南無とは帰命と言いますが、極論を言えば、見倣うとかこうなりたいとか
そんな感じです。お題目が立派でも、拝む対象物がへっぽこならば
いい結果にはならないでしょうな。

拝む、祈る、いろいろ言い方がありますが、どんな宗教にも共通している
ところを記載してみました。ちなみに、欲望を捨てるという説を謳う者が
いますが、釈迦はそれを否定しています。無意味であると。欲望を全て
邪なモノと認識するのは宗教としては低次元であり、一般生活にも
あてはまらない。実際、欲を捨てろと言う僧侶が実際そうしているのか、
それも見極めましょう。自己の成長に連なる欲ならば、それは賞賛に値します。
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お題目を唱えるのは、思考停止状態を作るための麻薬です。


それを唱えている間は、頭がぼんやりして、日常の苦悩から逃れられますが、唱えるのをやめると、元の木阿弥です。

それよりも、その日常の苦悩を無くす、つまり、原因を元から絶つ方が大切であり、より効果的です。
日常生活で、自分を客観的に見つめ、正しく考え、正しく行動することで、心を中庸に保ち、日常の苦悩を超越しましょう。
それが仏教の最も基本的な教えのはずです。

お題目を唱えるだけで救われるというのは、仏教ではなく、全く別の宗教です。

お釈迦様が説教された頃から500年間は、その説教の内容を文字にせず、暗唱することで後代に伝えていました。
その後、その内容が文字となり、お経となりましたが、暗唱の代わりに文字を読み上げる習慣が、読経となって現代に伝わって来たのです。
そもそもが、お釈迦様の言葉を聞いて内容を理解し、よく考える事が目的なのに、内容をないがしろにした、無意味な形式だけが一人歩きしています。

また、御利益のためというのも、おかしな話です。
仏教とは、そもそも、「苦悩は欲から来ているので、欲を捨てることで苦悩を超越する」というのが根本原理です。
「御利益があるから、お題目を唱えなさい」というのは、逆に信者の欲を煽っています。
現世利益や、来世利益にこだわること自体が、仏教の根本を否定していると思います。
そうした欲を捨てるのが、本来の仏教のなのです。

こんな明白な矛盾に、どうしてみんな気付かないのでしょうか?
不思議でなりません。
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創価学会と無関係なのになぜ創価の批判で炎上しているのでしょう?


そもそも南無妙法蓮華経は日蓮宗のお題目ですよ。

いわゆる言霊の1つです。だから御利益はあります。
そのリズムであなたに良い指導霊がやってきやすくなります。

キリスト教のアーメンとか世界中には無数の言霊があるわけです。
日本語のアリガトウもなかなからしいですよ。

南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経は日本仏教の代表格でしょう。
南無阿弥陀仏はそのまま読めばナムアミダブツですが、
ナンマイダーときこえることが多いと思います。
つまり発音や抑揚、読み上げ速度が微妙に関与してきます。
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先ほど回答した者です。

少し創価学会に対して言い過ぎました。ごめんなさい。私の個人的な感情を回答してしまい反省してます。
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学会の偉い人から説明して頂いても納得出来ないですよ。



南無は、帰依すると言う意味です。

意味もわからずとも
唱えて行けば御利益があると…
(゜∀゜;ノ)ノ

自分の信仰している宗教が、どう言う物か知ろうとして無い人に言われても説得力ないですね。
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あなたが創価学会に入るか否かは自由ですが、私はお勧めしません。

何故なら私は創価学会に入っているからです。自分の意志ではなく、物心つく前に親に勝手に入れられました。信仰があるならまだしも無い人にとっては苦痛です。頻繁にお誘いがあるし、年に一回はお金も要求されます(振り込みの金額は自由ですが)。聖教新聞もとらされます(それも自由ですがしつこいです)。私から見れば創価学会は異常な空気に包まれてるようにしか見えない。ついて行けない。それから質問にあったお経ですが、毎日唱えたって何もありませんよ。信仰が無い人は特に意味がない。その殺し文句的なセリフは嫌というほど聞いています。が、私の祖父はそれこそ毎日朝夕お経をあげていましたが、良いこともなく、貧乏で、呆気なく死にました。創価学会のごく一部の人の意見だけで入会するのはやめた方がいい。もっと周りの人に相談してからでも遅くないです。じっくり考えて決めて下さい。それはあなたの自由ですので・・・ただ、流されるまま入会しないように。
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