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家族と食事をしている際に親があるタレントの話をしはじめ、
そこから色々話してるうちに「経験」と「知識」という言葉で喧嘩になりました。


喧嘩の内容はとても不思議と思われる内容で言いにくいのですが
僕が言った「知識とは経験なしでは得られない」という言葉で喧嘩になりました。

親は僕がこの言葉を言うとある例を出してきました。
その内容です↓


親「お前は宇宙浮遊という言葉を知っているか?」

僕「知っている」

親「経験したことがあるのか?」

僕「ない」

親「経験してないのに知ってるじゃんwww」

僕「本を読むという経験から宇宙浮遊という言葉と内容を学んだ」

親「は?馬鹿じゃないの?何が言いたいの?」

僕「今言った言葉の通りの内容」



こんな感じの会話の流れでした。

とてもレベルの低い会話で笑われるかもしれないですが
どうか真剣に答えていただけると嬉しいです。


僕は小さいときからとてもくだらないことにまでいちいち疑問を持ち、そのことについて聞いたりするといつも馬鹿にされてしまいます。
しかも頑固で「妥協」という言葉が大嫌いです。
「真実」という言葉を聞いてもいつも「(真実なんて言葉は存在してはならない)」などと厨2臭い思考が生まれてしまいます。

自分は頭が悪いだけでしょうか。
いつも人とずれた思考が生まれてしまいます。
言葉のことで喧嘩したのも今回だけではありません。
でもどうしても親の言う「知識を得ることは経験なしでも得られる」という言葉が気にくわないのです。

どうかこの頑固な僕が納得の行く答えを教えてください。

哲学でも構いません。



質問「知識とは経験なしで得られるものなのでしょうか??」

A 回答 (17件中1~10件)

 読書が経験かどうか?



 たしかに難しいのは、本の世界やネットの世界の経験と実社会での経験に差があるかということは、まだよくわかってないようです。車や飛行機の運転も、本やゲームの知識だけで、実際できなくはないかもしれませんし。実体験でわかるのは、現実の壁とか、肉体の限界のようなことで、結局お二人の言っていることは、実際に身をもって行動しなくても、知識は手に入るという意味では同じ方向のような気もします。そういう意味では実際に宇宙浮遊してみないとわからないことは何なのかのほうも興味深いです。逆に何もしなくても知識を持てるかは、知的障害などを理解する上で重要かもしれません。意外に深い問題ですね。

 ただ読書や辞書で調べることが経験かどうかで喧嘩にまでなるのは、もしかしたら、親の言い方で、「は?馬鹿じゃないの?」が相当頭にきているせいかもしれません。たまに「また人を馬鹿にしている」と冷静に見つめられれば、それほどぶつからない言い方ができるかもしれないですね。

 そう考えると、例えばここの回答などで「あんた馬鹿じゃないの」と書いたら、相当無礼に当たるようなことが、家庭内では当たり前のように繰り返されていることをあらためて認識します。自分も馬鹿にされると怒りがわくので、むしろそっちの問題の方が中心のような気がします。
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空想体験と実体験とでは決定的な違いがあると思います。


知識は空想的な仮の体験や概念を与えてくれると思いますが
経験という実体験と比べて、感性的な情報が欠落していると思います。
簡単に言えば、自己不在の情報といってもいいと思います。
百聞は一見にしかず、と言います。
自分が直接確かめたという確定の無い情報が知識だと思います。
しかし
データだけを入手すれば済む、といった場合には、このことわざは通用しません。
感性情報の付帯を求めない、自己不在の情報のみでもよい場合には、必要とするデータや資料を入手すればいいわけです。

知識の肥大は自己不在を招き、経験に固執すれば飛躍がなくなる・・・といった感じでしょうか。
>知識とは経験なしでは得られない
生きた知識とは経験なしでは得られない、と少し直せば喧嘩にならないと思いますが・・・どうでしょう。
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「知る」というのは、複数のレベルがあります。


テレビが何かを知らなくても、「テレビ」という単語(発音)を覚える事はできます。
また、「テレビは何かを知っている」という人でも、テレビを扱えない事もあります。
あるいは、スイッチはいじれても仕組みを知らず、故障したら直せない事もある。
さらには、故障は直せても、部品から組み立てられなければ、「知っている」と言えるのでしょうか?
江戸時代に投げ出されて、そこでテレビを作れないのなら、本当に知っていると言えないのでは?
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No.3です。



なるほど。

「経験なくして知識を得ることができない。」

とは、わかりやすく言うと
「私たちが得ることができる知識は、自分か他の誰かが何かを経験をして得た知識である」

ということではないでしょうか?

確かにそうかもしれません。
「宇宙遊泳」の知識も、誰かが実際に経験していなければ、本にも書けないですもんね。

親御さんたちはきっと、ひとりの人間の人生においての話をしています。
一個人自身が実際に経験しなくても得られる知識はあります。

しかしあなたは、人類レベルでの話をしているのではないですか?
人類が歴史を積み重ねた上で得てきた知識の話をしているように感じました。

私の解釈ですが(笑)


そういう食い違いが誤解を生んだのかなって思います。

よくよく話を聞いてると、あなたは間違ってないように感じます。
しかし理解はされにくいとも思います。

ちょっと説明不足なのかもしれません。

言葉って難しいですね。
自分も他人も自分の主観だけで言葉を使ったりしますから。
言葉ってそういうものだったりしますし。

そういう意味でも、誰かの個人的な主観が反映されない純粋な言葉の意味を知るためのツールとして、辞書をひくことをオススメしたんです。

自分は物事を複雑に考えるタイプだという自覚があるなら、そういうタイプではない人にどういう言い方をしたらわかってもらえるかということまで考えてみたらいいかもしれません。
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No.4です。



エジソンの逸話だったと思いますが、エジソンは子供の頃は、一般に当然と思えることに疑問を抱き、普通の人からは馬鹿かと思われる様な質問ばかりしていたそうです。
たとえば授業中「Aはなぜエー(A)と読んでピー(P)とは読まないのですか」などと質問します。

しかし、それが非常に大切であったことは、結果を見れば明らかです。
あなたは、頭が悪いと言うよりも、エジソンに近い頭脳の持ち主だと思います。


>僕は経験によって得られるものは無限にあると思います。
>その経験をすることでなにをどう感じるかは人それぞれ違うからです。
>そしてそこから知恵や知識が生まれるものだと考えています。

さて、一般人からの指摘ですが、知恵と知識の違いを確認しましたか?

一般人は、知恵と知識を下記の様に定義づけて使用しています。
単なる言葉の定義の問題です。

知識=情報
知恵=(情報+体験)=叡智

>本を読むという経験から宇宙浮遊という言葉と内容を学んだ

言葉と内容は、単なる情報ですので、本を読むだけで得られます。
実際に宇宙遊泳を体験すれば、宇宙遊泳に関する知恵を得られます。

知識は経験無しで得られます。
知恵は経験無しでは得られません。

あくまで、言葉の定義の問題です。
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No1です。



>なので、賢者が歴史を学ぶと言いますが
>その賢者は経験から出来上がった歴史を学ぶ。ということになりませんか⁇

そりゃそうですが、経験が知識化して、賢者が知るときは知識です。
元をただせばあなたの言う通りですが、それは「君どこ出身?」「母親の胎内」みたいな屁理屈じゃないですか?
一般的な言葉のやりとりでは、相手の言葉の意図を読み取れなければなりません。

言葉遊びか哲学かわかりませんが、TPOを選ばないとコミュニケーション能力のない社会不適合者になってしまいますよ。
それがわかってるから、親御さんやこちらに質問してるんだと思いますが、日常生活では世間一般に合わせて、その才能は何かの分野でうまく役立ててください。
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宇宙遊泳した、という経験と、宇宙遊泳のことを書いて有る本を


読む経験をした、ということとは次元が異なりますよ。

宇宙遊泳のことを書いた本を読んでも、それは
宇宙遊泳をしたことにはならないからです。

質問者さんが経験したのは、そういう本を読んだ
というだけです。
宇宙遊泳は経験していないのです。


「知識とは経験なしで得られるものなのでしょうか??」
      ↑
知識にも色々な種類があります。
経験によって得られる知識もありますし、
本を読んだり、テレビを視たりして得られる知識もあります。
それだけの話しです。
津波は怖い、という知識は被害者は経験で知ることが
できますが、経験をしない人も被害の状況を知ることにより
知識を得ることは可能でしょう。
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経験しないと得られない知識、初めに知識を得ないと経験出来ない事。

があると思います。

真実について、真の真実を見つけるのは非常に難しく、隠されたまま多くの地球人は真の真実を知らずにいる。
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>「知識とは経験なしで得られるものなのでしょうか??」



 哲学好きに、この手のことを聞くと馬鹿な回答が寄せられます。
 言葉を覚えると知ったと思いたがる人達ですから。

 何も経験せずに知識を得ることは不可能です。
 なぜなら、全ての知識は経験を土台にしているからです。
 文字を読むにも白と黒の区別を付ける経験がなければ出来ません。

 しかし、文字が読めてしまうと、絵も音もない白黒の活字だけの図書館で生まれ育った人間でも、かなりのレベルまで説明出来るようになってしまいます。宇宙遊泳についても、丸暗記のまま、非常に詳しい説明もするようになるでしょう。ともすると、宇宙遊泳の経験者よりも専門的な話しをするでしょう。例えば宇宙服の素材がどうだの、人間が耐えられる気圧範囲があ~だ、こうだ・・。

 あなたの親子喧嘩は、これに似ていますね。何の経験がなくても言葉を覚えると知ったことになるという不思議。周辺の言葉が豊富だと現実の経験者よりもさも知っているかのように錯覚する。


 宇宙遊泳って知ってるか 

 ああ知ってる知ってる 

 あれって難しそうだよね~

 相当訓練しないと駄目だろうね。

 紐の長さとかも関係するだろうし、切れちゃったら大変だもんな。  
  

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この回答へのお礼

御回答有難うございます。


僕もukiyotonbo様とほぼ同意見です。

言葉を覚えたからといって知ったと錯覚する。
中々面白いです。

もっと深く聞きたいところですが質問版なのでしょうがないですね…

お礼日時:2013/01/05 05:37

私は「知識とは経験なしでは得られない」は支持です。


知識を欲する情動が生まれた事も後には経験となります。
まるで関係の無い様に思えることから知識を得ることもあります。

質問者様はお若い方と思います。
ご自分の考えをぶつけて喧嘩になってもいいんじゃないでしょうかね。
頑固と仰ってますが、だから妥協する意味が理解できる様になれると思いますよ。

「(真実なんて言葉は存在してはならない)」
こちらは同意しません。
私は「物事は真実の積み重ねである。」と思っています。

一つ注意された方がいいかと思うことがあります。
あまり定義づけにこだわると一番大事な部分見逃すかもしれません。
時には一歩下がって眺めることも必要と思います。

大いに頑張ってほしいと思っています。
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この回答へのお礼

kh8491様の御回答、とても面白く興味深いです。

僕もあなたと同じことを思っていました。
共感者がいることを知っただけでもとても嬉しいです。
なんせ僕は親に馬鹿だ、話など通じない。と、思われ続け
賛成の意見など聞いたことがないからです。



「物事は真実の積み重ねである。」とても意味深いです。
ですが僕がこの言葉を見て感じ取った考えと、kh8491様が考えている意味とは
まったく同じではないと思います。

言葉というものはコミュニケーションを取るにすぎないもので、
言葉を発した側の思考と言葉を受け取った側の思考とでは、ほぼ同じにはなったとしても、まったく、完全に同じではないのです。

このように真実というものは自分しかわからないのです。
自分以外に伝える真実は真実ではないのです。

このことから、真実という言葉は存在してはならないと思ったのです。

誤解こそが真実。
しかし、その真実は真実ではない。


意味不明なこと言ってすみません。

とてもおもしろい回答で興奮してしまいました。


あなたのようなくだらない質問でも真剣に答えてくれる方がこの世界にたくさんいてほしいのに
と、思います。


本当に感謝しています。

お礼日時:2013/01/05 06:06

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