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スレッドを開いて頂きありがとうございます。
“When no one loves you,you have to pretend that everyone loves you!”がスヌーピーの登場人物サリーの発言で、日本語だと、“誰にも愛されていないと、みんなに愛されているふりしなきゃなんないのよ!”となります。

質問はこの台詞についてです。
みなさんは、サリーの心情を理解できますか?サリーはどういう意味でこの言葉を吐いたのだと思いますか。

A 回答 (5件)

No.3です。


お礼読みました。

泣いていたのですね。
先の回答を書いた時には上手い言葉が見つからなくて、他の回答者さんの回答にも影響されて「前向き」と書きましたが、「強がっている」と言う方が当たっていると思います。

私がサリーの立場なら、強がることはしないだろうなあと思います。
強がることをせず、ただ涙する。諦める。私はなんて駄目なんだろうと思ってしまう。
そういう悲観的で引きこもってしまうより、強がってでもみんなの中に入っていこうとする……という意味では、「前向き」とも言えるのかもしれませんが、悲しみはつきまといますよね。

PEANUTSシリーズは、そういう雰囲気のあるコミックスだなあと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。本当私もそう思います。
物怖じしない覚悟をしなくてはw

お礼日時:2013/01/13 21:03

ふりをしても


現実は変わらないのはわかっていて、
そうせずにはいられないのだと思います。
ただただ寂しいんです。
シュルツさんはピーナツで人間の弱さや寂しさを描いたひとなので、
そう思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

お礼日時:2013/01/10 01:54

前後関係、あるいはその漫画の絵柄(サリーがどのように描かれているか等)がないので、先の回答者さん同様、推測になってしまいますが。



私は、

強がっていないとやっていられない。
見えを張ってないとバカにされる。

だから、「愛されているふりをしなきゃ駄目なのよ、そうでもしなきゃみんなの中に入っていけないのよ」

と言っているように感じました。

PEANUTSシリーズは、子供の悩みを端的に表現しているものが多いように思います。
それもシニカルに。そして心理学的に核心を突いた表現で。

子供にも子供なりのプライドがあって、「誰にも愛されていない」なんて認めたくない!という心理が働いているんじゃないかなと思います。
大人は「それは被害妄想だ」と笑い飛ばすかもしれませんが、「誰にも愛されてない(誰にも認めてもらえない)」と感じるようなことって、子供の頃にはずいぶんとあったと思います。

「愛されているふりをしなきゃなんないのよ」という心情には、私自身はあまり共感しませんが、「誰にも愛されていない」と感じることはよくありましたし、そういう意味では「愛されているふりをしてでも、《私は大丈夫》と思って生きていこう!」と前向きな考えをしているサリーはすごいなと思います。
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この回答へのお礼

サリーは泣きながらこのセリフを言っているのですが、絵がないとポジティブな発言にも捉えられるというのが面白いです!
回答ありがとうございました

お礼日時:2013/01/09 06:16

「特定の親しい友達がいない」というのを、


「みんなと等しく友達だ」と考える事も可能だ、
という話でしょう。
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前後の文脈が分かりませんので確信は持てませんが


むしろ「みんなに愛されているふりをするべきよ」と
(その方が物事は上手く行くという意味で)
肯定的にとれるとも思いました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。ポジティブですねwそんな捉え方もあるんですね

ちなみにサリーは泣きながらこのセリフを言っています

お礼日時:2013/01/09 06:14

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