プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

表現のことについてですが。

LinuxやUnixでは、「rootを取ったら神になれる」という言い方をします。
しかし、これって大げさ過ぎると思いませんか?

たとえば大学で一人暮らしアパートを借りて住み始めても、
「自由な空間ができた」とか「自分の居場所ができた」とは言いますが「これで神になれた」とは言いません。
ラーメン屋で親方のもと修業を積み、独立して自分の店を構えても「一国一城の主になれた」だの「自分の理想を実現できる」だのは言いますが「神になれた」とまでは言いません。

ゼロからなにかを生み出せる=神になる、と考えるにしても、
自分の自由に使っていい畑を手に入れても「好きな野菜や花を好きなだけ植えられる」どまりだし、
ファミスタで選手エディットモードを使い自分オリジナル選手、オリジナルチームを組んだにしても「完全オリジナルチームの完成だ」どまりで、いずれも「神になった」とまでは言わないと思います。

Linux文化やアメリカ文化で「rootを取得して神になる」という表現をそのまま日本訳して使ってるだけでしょうかね?
想像でも構わないので、こんな理由では?というのをお聞かせ下さい。

A 回答 (2件)

rootはシステム内の最高の権限を持つので、


システム内における
何でもできる=全能=神ということでは?
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この回答へのお礼

早々のご回答、ありがとうございます。
そうですね。「権限」ということを考えれば、他のユーザーの生与剥奪まで握っているから神、という発想が成り立ちますね。
私も質問を立てた後でそのことに思い至りしました。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/02/27 15:12

ルナックスのルート権限は『システム管理者権限』です。


そのシステム環境を好きな様に追加、変更する事が出来ます。
この事を『神に成った』と称しているのでしょう。
おそらく2Ch当たりから出た言葉でしょうか。

まあ神と言っても全知全能の神では無く単にそのシステム内だけですね。
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この回答へのお礼

早々のご回答、ありがとうございました。
いささか自己完結めきますが、おかげさまで謎が解けました。

ちなみに「rootを取って神になる」という表現は2ちゃんねる発信ではありませんよ。
私が最初に目にしたのは'87年頃出版された「ハッカー入門」的な本で、アメリカで出版された本を翻訳したものでした。
その当時はまだ2ちゃんねるは影も形もなく、インターネットも一般には普及していませんでした。
(Linuxもなかったため、文中では『(Unixでは)rootを取って神になる』という表現)

お礼日時:2013/02/27 15:18

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