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勉強、学問とはなんですか?
最近、学校での勉強に意味を見出せません。
もともと努力を厭う性格なので、こんな事を聞くのは自分に言い訳しているに過ぎないかもしれませんが、気になります。
どなたか、ぜひ教えて下さい。

A 回答 (5件)

♪ 勉強しまっせ 引越のサカイ



もともと勉強とは努力すること言います。引越のサカイ(というか関西弁)のCMでは、そのお客様への努力をします、よって安くサービスを提供しますという事を意味しています。

近代社会が生まれてから200年ほど、努力するメインの項目は現在の意味での勉強、学習をすることになりました。
知識が莫大に増え、その知識を使うことが有効になった、また、知識を得ることで生まれの出自に関係なく、社会で出世できる体制、それが近代社会です。

なので、近代社会の体制に対して、「私はその近代社会の恩恵を得たくない」というのでしたら、どうぞ勉強も学問もしなくて結構です。
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高校教育までを「勉強」


大学教育を「学問」
と言います。

>>最近、学校での勉強に意味を見出せません。

勉強は義務ですから、やりたくなくてもやらないといけないのです。
学問は教養ですので、別にやる必要はありません。

私は小学校で教わりましたが、寝てました?

この回答への補足

さっそくの回答ありがとうございます!

確かに今の時代、好きな事を追求するだけでは食べていけませんよね。努力、勉強は必須!よく分かりました。

ですが、もっと本質的な部分も知りたいです。
大人の辛辣な嫌味を交えず優しくご教授くださーい。

補足日時:2013/05/04 00:24
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勉強は、自分の問題を自分で片付けられるようになるためにやります。


それと、自分が好きな生き方(やりたいことをやれるようになるため)にやります。

だから人のためでなく、まず自分のためにやります。

最低ラインをクリアしないと、社会に出てから非常に苦労します。
勉強を苦労にしてしまうのか、ずっと楽しくやり続けるのは自分次第です。

やっておけば良かったと思ってから、社会人になって勉強始めても
個人的にはいいと思います。

学生のときよりかなり苦労はしますけど。

社会に反しない限り、なんでもやらないよりはやっておいたほうがいいです。
すべての経験は自分の肥やしですから。
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 自分で自分に言い訳していると分かっているとは、いい心構えですね。

しかし勉強そのものには、何の意味もありません。私は子供の頃から勉強は得意な方で、そのまま一流国立大の大学院などを出て、ホワイトカラーと看做されているのですが、それでもそう思います。

 学校の勉強をすればよい大学に入ることができるでしょうが、だからといって、よい会社に入れるわけでも、お金持ちになれるわけでもありません。嘘だと思ったら、有名な企業の入社試験を探してご覧なさい。一般教養を審査するといいながら、実はクイズに近いです。きちんと勉強したからといって良い点数がとれるものでもなく、雑学王が高得点をとりそうな問題ばかりです。最近、友達の就活を手伝って、私は唖然としました。こんなくだらないことで審査するんだなあと。

 じゃあ、何のために勉強しているんでしょうね。人を見下すため、優越感に浸るため、競争を煽るため、そして、そうやってできたヒエラルキーによって社会秩序を維持するためです。塾などで偏差値七十などをとれば、畏怖されるでしょう。それが気持ちいい。そして学校では成績のいい子が先生に可愛がられ、成績の悪い子はそれだけで疎まれる。そういう風にして、クラスの秩序を維持することができる。ただそれだけのことだと思います。みんなに平等に接したら、秩序は維持できません。誰もが納得する贔屓の基準を定めないと、学校内の秩序は維持できないのです。それが勉強。

 「勉強が好きだから勉強する」というロマンチストの先生が言いそうな答えは、間違っています。例えば、もしあなたが、花や昆虫や星の名前をたくさん覚えたとしますね。それも立派な勉強です。しかしテストには全くでない。そうすると、何の意味もない。散々、あなたはバカにされ、悔しい想いをするでしょう。また、例えば、あなたが目的意識が高くて、司法試験の勉強をしたり、理系の難問に取り組んでも同じことです。学校とは何の関係もない。だから評価もされない。学校の勉強など、その程度のものです。

 勉強に意味なんて全くないのです。それがわかっていながらも、程々の距離をとって取り組むことが大切だと思います。意味がないからやめるという理屈は、簡単なようでいて、とても危険なことなのです。こういう事を言い出せば、会社も、社会も、家庭も、恋人も、人生も、やめないとならないでしょう。うまく行っている時はいいけれど、必ず、無意味に思える時が来るのですから。無意味だと知りつつも、そこそこに取り組むのが大人だと思います。
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この回答へのお礼

最初の二人は皮肉たっぷりな割りに良いことを全然言ってませんでしたが、後半のお三方にはたいへん共感を抱きました!
論理的な説明に実体験?を交えておられ、とても肝銘を受けました。(←本当です!)
みなさん、ご回答ありがとうございました!!

お礼日時:2013/05/04 11:42

1,己の立身出世の為の道具、という一面があります。


 現代中国では、これが全面に打ち出されています。
 中国の子供達に聞きます。
 将来何になりたい?
 全員が異口同音に答えます。
「官僚!!」
「どうしてですか?」
「お金持ちになれるからです」
「官僚になるにはどうしたらいいですか?」
「勉強して、一流大学に入ることです」

 これが日本だったら、男の子なら大工さんで
 女の子だったら幼稚園の先生か花屋さんです。

2,吉田松陰の師匠であった叔父の玉木文之進
 は、学問は国家のためにやるのだ、と看破して
 いました。
 つまり、国家のために尽くす人材となる為に
 学問をやるのだ、ということです。

3,私見ですが、私は次のように考えています。
 身体は鍛えれば鍛えるほど強くなります。
 私は空手や柔道、剣道、ボクシングなどを長年
 やっていますが、そのお陰で、素人などは
 子供扱いできます。

 脳も同じではないでしょうか。
 鍛えた人と、鍛えなかった人とでは、脳の発達に
 雲泥の差ができると思います。
 脳を鍛えるための有効な手段の一つが勉強です。

 脳を鍛えないと、人に負けます。
 私は負けるのは嫌いです。
 好きな人は少ないでしょう。
 脳を鍛えないと損します。

 はなはだ俗的で申し訳ないです。

 
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